先日、台湾でのメディア批判の座談会に呼ばれて話してきた。その後、「新唐人電視」という法輪功系のテレビ局に取材を申し込まれて、あまり気が進まなかったが、断るほどでもなかったので受けた。ところが、呆れたことにそれは取材というよりは、もろ誘導尋問と法輪功の折伏のような感じで、終わりがけに「美國神韻藝術團」とかいう怪しげなグループの台湾巡回公演のパンフレットをくれた。それが写真のものだが、デザインセンスが共和国(北朝鮮)や毛沢東時代の中国(「白毛女」とか)と同じで笑ってしまった。しかもインクのにおいが独特のやたら臭い、嫌な臭いがするのも特徴だ。
またパンフの内容といえば、「中華文化が人々を魅了」「真の華人電伝統文化を舞台に」「中華文化の新たな意義付け」「中国人の人生哲学」などの大中華主義の文字が躍り、しかも現在の中華帝国主義の植民地になっている「少数民族」の文化までも「中華文化」の中に含めている。また、台湾人も中国人の中に含められている。
これでは、まさに大中華帝国主義そのものではないのか?
だからこそ、以前は法輪功が実はトロイの馬ではないかと疑っていたこともある。しかし、今回記者と話した感じでは中国共産党のトロイの馬ではなく、中国共産党批判の部分は一応本心ではないかと感じた。
ただ、私は取材で「中国共産党は10年もせずにつぶれるだろう」という点では彼らに同調したものの、
「しかし、中国共産党に取って代わる政権が、今より良いとは思えない」
「中国社会は現在道徳喪失で、とんでもない拝金主義と自己中心主義に冒されている。悪いのは中国人一人一人の心であって、それを共産党だけのせいにしているようでは、共産党がつぶれても、共産党と同じ政権ができるだけだ。西欧市民社会や台湾などの民主主義は、自己検証・反省の基盤に立って、一人一人が改善したから成り立った。それができない中国人は民主主義とは無縁である」
「共産党が悪いというなら、次に生まれる政権はチベットや台湾の独立を認めるのか、それも疑問だ」
「むしろある意味では毛沢東時代のほうが、共産主義とはいえ一定のモラルが社会にあった点ではまだマシだったといえる」
と、彼らの気に障るようなことを言ってやった。
彼らはそれに対して「共産党さえつぶれればよい」というばかりで、「今の道徳が乱れているのは指導者がそうだからだ」と言うばかり。しかし、いかなる体制も、それが独裁体制だろうが、人民や社会のレベルを超越するものではない(だから日本の安倍政権や石原知事も日本人や東京都民の低劣さの反映である)。今の中国共産党政権が悪いのは、人民や社会が腐っていることの反映でしかない。
それがわからないなら、そんな人たちが「共産党批判」を展開する資格などない。
考えてみると、法輪功は台湾独立支持を明言した例はない。チベット、ウイグルについても独立を支持したことはない。
法輪功の中国観は、中華民国、中華人民共和国と変わらない。それは「新唐人」テレビとその英語名「Tang Dynasty」が示すとおりである。彼らは単に中国共産党にとってかわって、大中国の覇者となり、「偉大な唐代の大中国」を復活させたいだけだろう。
法輪功には現在の中国共産党の問題を批判しても、「中国」社会や「中国人」一人一人の心に内在する問題を検討し、見直そうという姿勢はない。共産主義を批判している分、反共といううたい文句には弱いアホな米国人どもをたぶらかすことができる分だけ、余計タチが悪いといえるかも知れない。
もっとも幸いなことに台湾人で騙される人は少ないようだ。もちろん台湾人はあまり排他的なことはしないため、彼らが来ることは拒まないが、後で聞くとやっぱり内心はウザがっているし「台湾独立を支持しないからやっぱり大中国主義だ」ということはわかっている。騙されるのは、「知識人」などと気取っている世間知らずの学者風情にはいるが、一般への広がりはない。大体、今どきの台湾人は賢くなっているからだ。
ところが、台湾独立を主張しているはずの「台湾の声」は、愚かなことに、よく法輪功のソースを用いている。趙紫陽が死んだときにもそれを追悼する記事を流したこともある。李登輝も法輪功の「九評」を絶賛したことがある。しかし九評は国民党右派学者が書いたものであり、古い反共意識による共産党批判に過ぎないものだ。
「台湾の声」の「台湾独立」はまやかしである。「台湾の声」は法輪功と結託することによって、大中華主義の片棒を担いでいるだけである。法輪功は台湾人を中国人と見做している。たんに「反共」だからといって同調しているようでは、国民党や馬英九のような反動ファッショ反共主義と変わらない。
またパンフの内容といえば、「中華文化が人々を魅了」「真の華人電伝統文化を舞台に」「中華文化の新たな意義付け」「中国人の人生哲学」などの大中華主義の文字が躍り、しかも現在の中華帝国主義の植民地になっている「少数民族」の文化までも「中華文化」の中に含めている。また、台湾人も中国人の中に含められている。
これでは、まさに大中華帝国主義そのものではないのか?
だからこそ、以前は法輪功が実はトロイの馬ではないかと疑っていたこともある。しかし、今回記者と話した感じでは中国共産党のトロイの馬ではなく、中国共産党批判の部分は一応本心ではないかと感じた。
ただ、私は取材で「中国共産党は10年もせずにつぶれるだろう」という点では彼らに同調したものの、
「しかし、中国共産党に取って代わる政権が、今より良いとは思えない」
「中国社会は現在道徳喪失で、とんでもない拝金主義と自己中心主義に冒されている。悪いのは中国人一人一人の心であって、それを共産党だけのせいにしているようでは、共産党がつぶれても、共産党と同じ政権ができるだけだ。西欧市民社会や台湾などの民主主義は、自己検証・反省の基盤に立って、一人一人が改善したから成り立った。それができない中国人は民主主義とは無縁である」
「共産党が悪いというなら、次に生まれる政権はチベットや台湾の独立を認めるのか、それも疑問だ」
「むしろある意味では毛沢東時代のほうが、共産主義とはいえ一定のモラルが社会にあった点ではまだマシだったといえる」
と、彼らの気に障るようなことを言ってやった。
彼らはそれに対して「共産党さえつぶれればよい」というばかりで、「今の道徳が乱れているのは指導者がそうだからだ」と言うばかり。しかし、いかなる体制も、それが独裁体制だろうが、人民や社会のレベルを超越するものではない(だから日本の安倍政権や石原知事も日本人や東京都民の低劣さの反映である)。今の中国共産党政権が悪いのは、人民や社会が腐っていることの反映でしかない。
それがわからないなら、そんな人たちが「共産党批判」を展開する資格などない。
考えてみると、法輪功は台湾独立支持を明言した例はない。チベット、ウイグルについても独立を支持したことはない。
法輪功の中国観は、中華民国、中華人民共和国と変わらない。それは「新唐人」テレビとその英語名「Tang Dynasty」が示すとおりである。彼らは単に中国共産党にとってかわって、大中国の覇者となり、「偉大な唐代の大中国」を復活させたいだけだろう。
法輪功には現在の中国共産党の問題を批判しても、「中国」社会や「中国人」一人一人の心に内在する問題を検討し、見直そうという姿勢はない。共産主義を批判している分、反共といううたい文句には弱いアホな米国人どもをたぶらかすことができる分だけ、余計タチが悪いといえるかも知れない。
もっとも幸いなことに台湾人で騙される人は少ないようだ。もちろん台湾人はあまり排他的なことはしないため、彼らが来ることは拒まないが、後で聞くとやっぱり内心はウザがっているし「台湾独立を支持しないからやっぱり大中国主義だ」ということはわかっている。騙されるのは、「知識人」などと気取っている世間知らずの学者風情にはいるが、一般への広がりはない。大体、今どきの台湾人は賢くなっているからだ。
ところが、台湾独立を主張しているはずの「台湾の声」は、愚かなことに、よく法輪功のソースを用いている。趙紫陽が死んだときにもそれを追悼する記事を流したこともある。李登輝も法輪功の「九評」を絶賛したことがある。しかし九評は国民党右派学者が書いたものであり、古い反共意識による共産党批判に過ぎないものだ。
「台湾の声」の「台湾独立」はまやかしである。「台湾の声」は法輪功と結託することによって、大中華主義の片棒を担いでいるだけである。法輪功は台湾人を中国人と見做している。たんに「反共」だからといって同調しているようでは、国民党や馬英九のような反動ファッショ反共主義と変わらない。