月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「ホワット ライズ ビニーズ」(「What lies Beneath」)

2008年06月21日 | ◆ハ行&バ・パ・ヴ行

2000年 アメリカ映画
ロバート・ゼメキス監督作品

このゼメキス監督というのは、どうもよく分からない。その作品の履歴を眺めると、彼の作品もほとんど見ているけれど、改めて「分からないなあ」という意味が良く分かる。「ロマンシング ストーン 秘宝の谷」や「バック トゥ ザ フューチャー」「ロジャー・ラビット」といったつまらない映画があるかと思えば、「フォレスト・ガンプ 一期一会」や「キャスト アウェイ」という映像も美しく感動的な映画も製作している。どちらもトム・ハンクス主演だが、俳優に対する思い入れが違いのだろうか。他の映画でもそのときの旬な女優や俳優を起用しているが、イマイチ面白くないものばかりで、この映画のように成功しているとはとても思えない。

「ロマンシング ストーン」ではキャスリン・ターナーとマイケル・ダグラス、「べオウルフ 呪われた王者」でもアンソニー・ホプキンスやアンジェリーナ・ジョリーなどをまったく違ったキャラクターの役で起用し期待させたが、そのキャスティングの冒険には拍手したいけれど、映画はB級映画並の面白さで、正直つまらないものばかり。そうそう、メリー・ストリープとブルース・ウィリス主演で撮った「永遠に美しく」も映像的にイマイチつまらなかった。きっと本人は面白がって作ったのだろうけれど・・・・

が、ハリソン・フォードとミッシェル・ファイファー共演のこのサイコ風のスリラーは、実にサスペンスフルで面白い。



最近やたらとハリソン・フォード主演の映画をテレビでやるなあと思っていたら・・・・、映画「インディ・ジョーンズ 4」の公開に合わせてのことだったのね。既に先行上映で観てしまっているので、気づかなかったほど。お陰でハリソン・フォードとミッシェル・ハイファーのた心理サスペンスホラー映画「ホワット ライズ ベニース」を再び観ることができた。いま観終えたばかりだが、怖かった~~~

内容はこちらで見ていただくとして省略。
  ⇒http://info.movies.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=161856

昔観たときは、ストーリーの展開と映像を追うのに忙しくて、映画「レベッカ」を彷彿とさせるミッシェル・ファイファーの表情、恐怖におののく表情がやがてその表情自体が非情に怖い!ものに変わっていくので、真相が最後の最後までわからずハラハラドキドキを十分楽しんで終わってしまったが、ミッシェル・ハイファーという女優の持つ怖さを今回ほどには味わっていなかったことに気づかされた。

ああ、怖かった~~~

「危険な情事」のグレン・グロースの凄みとはまた異質の怖さながら、「氷の微笑」のシャロンが可愛く見えてしまうほど。本来なら加害者の方を怖いと思わなければならないのだろうが・・・この映画の怖さは、ひとえにミッシェル・ファイファーの表情そのものに潜む怖さではないかと思えてくるほど。

普通の男だったハリソン・フォードに1票。
そして、

アンバー・ヴァレッタ

このアンヴァー・バレッタといい、

ダイアナ・スカーウィッドといい、スリラーだと凄みが増す女優たちだなと改めて感じ入った次第。普通の役を演じているのに、出てくるだけで作品がどんどん怖くなるから不思議だ。こういう女優は大事にした方がいいですね。

★ご参考までに。
 ↓http://www.foxjapan.com/movies/whatliesbeneath/phase1/contents.html


「ストリート キング」

2008年06月21日 | ◆サ行&ザ行

事前情報なしで試写会で観てきた映画のうちの1本。いつものことながら、事前情報なしで観る映画はまっさらな分ヘンな期待感がないせいか面白さを発見して楽しめる。



映画の中では、冒頭いきなり武器売買の場面。が、キァヌ・リーブスが悪を演じるのは似合わない・・・・。売人たちにヤラレて武器も奪われるが、逃走した相手を追いもせず誰かに電話。どうもヤラレタのも計算のうちらしいと分かる。が、覆面捜査のFBI捜査官役というのではイマイチありきたりで、そうした映画に主演するとは思われず・・・・

さて、どんな映画なのか。わくわくしながら見始めた瞬間から、この映画はサスペンスになる。電話をかけ終えた後、行方不明の少女の広報看板をチラッと一瞥したキァヌ・リーブス、何とその直後、一人犯人宅を襲撃。刑事なら相棒がいてもいいはずだしィ・・・・・と思っていると、いきなり犯人たちの家に侵入し、ドアを蹴るなりいきなり発砲。

そして反撃する暇も与えず居合わせた犯人グループを皆殺しィ。
トイレの中にいた男に対しても容赦なし!ええっ・・・・!と驚いてはいけない。

さらにその隠蔽工作まで手際よく行うキァヌ・リーブス。その手際が実にスムースで慣れている。「手を挙げろ。武器を捨てろ」などと警告しているうちに悪人どもに撃たれる刑事とは違うことに共感。もしかしたら、これってダーティハリーの新バージョンか!?と思っていると、隠蔽工作完了後、壁に鍵がかかったドアを見つけ開けると、何とそこには恐怖で震えて涙を浮かべた二人の少女が檻の中に閉じ込められていた・・・・・

ここで早くも彼の身分が明らかにされる。男は言う。「もう大丈夫だ。僕は警官だよ。もう大丈夫だ・・・・」その眼差しの何と慈愛に満ちていることか。

いきなり侵入し居合わせた全員を撃ち殺したにも関わらず、

「先に相手が撃ってきたから応戦。撃たれたが(防弾チョッキを着ているから)大丈夫だ。少女は無事保護」と彼の上司フォレスト・ウィッティカーは記者発表。キァヌ・リーブスの行為は上司どころか、仲間も了解の上でのことらしいと映画を見ている観客にはわかるが、同僚で元相棒だった刑事グリルだけは、そんなクキァヌ・リーブスには同調しておらず、


(「どんな悪人でも裁判を受ける権利がある」と釘を刺す元相棒。それに対してキバを剥くキァヌ・リーブス)

両者の間には何か感情的なわだかまりがあるらしい。一気に緊張感。誘拐され性的虐待を受けその様子をネットでも流されるという犯罪被害者に向けた慈しみと犯罪者を憎悪を募らせるキァヌ・リーブスだが、アル中一歩手前という状態で、何故だろうと観客は考えさせられる。

犯人を射殺し少女たちを救出したということで一躍町のヒーローとなるキァヌ・リーブスだったが、そんな彼を内務班の刑事たちがすでにマークしていた・・・・・


(町のヒーローとなった刑事に少女救出のときの状況を聞きたがる男)


(なぜ内務班の副署長がオレを・・・・探っている?と疑心暗鬼になるキァヌ)

映画は勢い、違法捜査を承知の上で正義を行うダーティヒーローたちと「どんな犯罪者にも裁判を受ける権利がある」とする刑事たちとの緊張感ある対立という構図になるが・・・・、内務班にキァヌ・リーブスを告発したのは、元相棒だと分かって感情を爆発させるキァヌ・リーブス、パンチの一つも食らわせてやろうとコンビニに入った元相棒の後を追ったところ、強盗犯たちが車で乗り入れる姿を目撃。そんな感情など吹き飛んで「強盗だ!もうじきやってくる」と銃を持ったまま叫ぶが、元相棒は、「オレに銃を向けるな」といきなりもみ合いになる。

そこに入ってきた覆面強盗!店員をいきなり射殺して自分たちの方に迫る!



誤解が解けて応戦すべく振り返る元相棒。それが生きた彼を見る最期になろうとは。商品の陳列棚の影に身を隠しながら、応戦するキァヌ・リーブス!


(えっ、そんな角度から撃ったらまずいでしょ!?)

二人組みの強盗殺人班はそのまま逃走。いかにキァヌでも一人ではどうにもならなかった・・・・元相棒の死・・・・
が、店内に取り付けられていたヴィデオに映っていたのは、殺された元同僚と殴りあい、元相棒が撃ち殺されているとき商品の棚の影に身を隠していたキァヌ・リーブスの姿だった。まずい・・・

「ここに映っている状況を見たら、内務班の連中はどう思う!?お前が殺し屋を雇って元相棒の口を封じたと思われるぞ!」
真実を語るも、上司のフォレスト・ウィッティカーは、ディスクは入っていなかったんだ!と叫ぶ。お前は刑事として必要なんだ!どんなことがあってもお前を守ると語る上司・・・


仲間のことを考えろと諭され、ディスクをポケットに入れるキァヌ・リーブスだったが、殺された元相棒の体からは、三つの異なる銃弾が取り出された。追い詰められるキァヌ・・・・

内務班の捜査が自身に迫る中、元相棒は麻薬がらみの汚職に手を染めていたという情報が入り、車からも大金も発見された。

これで事件は終わりだ。キァヌに容疑がかからぬようこの捜査は終わりだと語る上司は、内務班の副所長とは出世レースを競う関係。上司の思惑がどうであろうと、捜査の手が自身に伸び追い詰められるキァヌ・・・・

キァヌの身辺を執拗に捜査するその内務班の副所長にヒュー・ローリエというのは、なかなか渋くてミステリアス!



「ファンタスティック ウォー」のジョニーこと、クリス・エヴァンスがキァヌ・リーブスの新たな相棒役というのも、なかなか新鮮。

捜査の手が自身に及び、精神的に追い詰められるキァヌだが、相棒の葬儀を経て、コンビニの店員と元相棒を撃ち殺した二人組みの覆面強盗犯人・・・・その追跡を決意する。

殺された元相棒の妻を尋ね、コンビニでの様子を収めたディスクを手渡し、コンビニでの誤射という真実を内務班の若き刑事に打ち明けるや、クリス・エヴァンスが新たな相棒となり、二人は犯人捜査に動き出す。

覆面強盗犯の二人の名前を突き止め、二人の潜伏先を執拗に追跡する二人だが・・・

やっと突き止めたときには、二人組はすでに死体となって発見され、強盗以前に殺されていたことが分かり、



事件は複雑怪奇の相を呈していく。二人は事件の捜査に執念を燃やしていくが・・・・・

最後まで騙されてしまいましたね。サスペンス映画としては最後の最後まで騙されてしまう点で成功していると言えるでしょう

キアヌ・リーブス主演の刑事ものながら、ド派手なアクションやカーチェイスはなく、職業が刑事ということで派生するもろもろの事事象が淡々と描かれる中、妻を亡くし相棒との間でしこりを持つ刑事の仕事上でのタフさと精神的な弱さ、良心との葛藤。それを表情だけで現すキァヌの円熟さも見ごたえありますが、何と言っても捜査を進めるなかで進行して事件の真相の謎に迫るサスペンスが面白い。

何といっても、演技賞は上司のフォレスト・ウィッティカー
迫真の演技でした。

 

そして、クリス・エヴァンスとは対照的は凄みでサスペンスを盛り上げた功績は、やはりこちらでしょう。コモン。そして、ザ ゲーム。

ザ・ゲーム

ザ ゲームもコモンも名前はふざけているけれど、俳優として期待が高まりますね。その存在感には唸らされます。

ということで、この映画「キング ストリート」は、ラップミュージックのリズムとマッチングした展開と、こうしたラップミュージシャンの存在感をうまく登用してるなあということで、監督のデヴィッド・アイラーの感覚の勝ち。おススメです。

それにしても気になるのは、ラスト。
これ、以前観たことがあるぞ・・・という既視感がどうしても拭えなくて。

★ご参考までに。
http://www.foxsearchlight.com/streetkings/


「愛と精霊の家」(「The House of The Spirits」) 後編

2008年06月17日 | ◆ア行

では、「愛と精霊の家」の後編です。

ジェレミー・アイアンズが好きなものだから、つい力が入ってしまいます。無論、好き嫌いは別としてメリル・ストリープ、グレン・グロース他の名優たちの競演が実に見ものでもあります。


(クララの葬儀の後のエステバンのこの表情、ジェレミー・アイアンズ迫真の名演でした)


(獄中で娘の元に現れた亡きクララ、いまや精霊となって愛するものたちを導くクララといえばいいでしょうか・・・ミケランジェロのピエタそのもの)


(人はいつか皆死ぬのだから、自ら死を望んではダメとやさしく語るクララ・・・・)

そんな人間を、いつでもそばにいて愛してくれている存在が神だというキリスト教をおさらいしないと、この映画はよくわからない映画になるかもしれません。「精霊の家」というのは、その神の愛を人間に伝えるべく存在するのが精霊という存在であるということです。非キリスト教徒にはちょっと理解しにくいところですが、遠くにいる家族や友人が亡くなったとき、夢枕に立ったという話が身近な日本人にはよく分かるかもしれません。


(粗末な安宿で孤独に死を迎えたフェルラに話しかけるクララ)


(死で分かたれることのない友情と信頼と・・・・二人とも染入る表情でした)


(エステバンの末期の眼に人生で唯一愛した妻クララが迎えに来たのが見える。)

まるで中世の絵画における聖母像のよう・・・・・
クララは彼女が愛した人たちの死にこうして精霊となって立ち会います。死は怖くないという意味が頷ける場面。

まさに精霊=神=愛=イエスの説いた愛という図式。クララという存在は、愛の象徴なのです。
興味深いと思ったのは、すべては神の計らいだと語るのではなく、物事はすべて関連しあっているという因果応報的な台詞を口にしていること。それって、少なくとも教会的な神のイメージではない。だから「神」ではなく「精霊」なのでしょう。

原作をどう読み解こうとも、この映画のテーマは、ずばり教会が説く愛ではなくイエスの説いた「愛」です。

映画の中で小作人の息子ペドロ(アントニオ・バンデラス)が小作人の集会で語る台詞の中に「イエスも革命家だった!」と叫ぶ下りがあったが、この台詞は印象深かったですね。



選挙によって人民解放軍を背景とした野党が勝利する時代を迎えますが、それをよしとしない既得権益層が軍部と手を組んで政権を転倒させるべく動く老齢のエステバンの政治家としての誤算も、背景にあったものが何であるかを考えるなら、ここでも愛が問われていることがわかります。意見や考えの異なる相手を理解すること、社会の底辺で生きるのにさえ困っている人たちへの思いやりにかける政治姿勢では、既得権益層の醜い自己保身でしかなくなる政治。国を思えばこそだと思い込むエステバンの最後の頑なさが問われる局面です。

すべては関連しあっているという亡き妻クララが愛する夫に伝えたかったことは何であったのか・・・・そこに思いがいたらなければ、まさにエゴとエゴが激突する感情的で酷いものが姿を現してくる。血で血を洗うがごとき恐怖政治が始まっていくわけですが・・・・

同じ血を分けた兄妹でありながら、一度として兄として名乗れず認知もされないままに極貧の中で育った男の子は、小作人の娘だった母が犯され捨てられて生まれた自らの出生に復讐の血を滾(たぎ)らせていく。憎しみと怒りの連鎖は血を流さずにはおれない・・・・・


(娘ブランカの恋人で孫娘の父親でもある小作人の息子ペデロ。時代のうねりの中、革命を起こし、やがてエステバンを失脚させる革命家になっていくペデロと、その勢力によって保守政治の大物政治家となったエステバンもまた、憎悪でつながれた宿敵同士になっていきます)


(幼馴染のペデロと愛し合い、やがて彼の子を産み未婚の母になるブランカ。後に酷い運命が待っているけれど、欲望や情熱や憎悪の連鎖ではない愛を貫いていきます。ウィノナ・ライダーが好演。)

映画の中で起こる革命という史実。革命とはそもそも何か。社会変革や政治変革における革命は、誰もが生活の保障や生命の安全、財産の保持、機会の平等やより人間らしく生きられるための諸権利や自由や人権の尊重を謳いながら、それが血で血を洗うがごとき残忍さとなるのか。なぜ流血となるのか。

革命を起こすべき場所は、実は社会や政治にあるのではなく、われわれ一人一人の心の中にあるというメッセージが思い起こされてきます。革命を起こす対象は、愛から遠いわれわれ人間の心の有様だというメッセージは、実にイエス的で重いというべきかもしれません。

この映画は原作同様、そういう意味では、やはりキリスト教社会ならではの映画だということになりますが、そうした宗教や文化を超えたところにある普遍的なもの、人間にとってもっとも大切なものは何かということを名優たちは演じてみせてくれたのではないかと思います。

 


「愛と精霊の家」(「The House of The Spirits」)前編

2008年06月17日 | ◆ア行

1993年 ドイツ、デンマーク、ポルトガル合作映画
監督:ビレ・アウグスト (脚本も兼ねている)


(未来を予知する不思議な能力のために婚期を逸していたクララにプロポーズするジェレミー・アインズ扮するエステバン。クララの両親がプロポーズに困惑し恐縮するとき、「健康で子供が産める(女性)なら問題ないです」とフツーに答える台詞には時代の隔たりを感じるはず)

タイトルだけが「見逃していた映画」の一つとして記憶されていた映画。内容については前情報ゼロで観ることになった。なぜ当時見逃したかというと、娘の出産と重なったからだけれど、それ以上にメリル・ストリープという女優が苦手だったからかもしれない。

映画を観始めて、ジェレミー・アインズとグレン・クロースが出てきた時点で、「これは(この映画は)◎だ」という予感。俳優への信頼とは恐ろしいものですね。
作品の舞台となっているのが、最初はメキシコだろうかと思い、次にはこれはスペイン内乱の頃だろうかと思ったりしたけれど、最終的にこの舞台がチリだと分かったとき、国書刊行会から出版されているイザベル・アジェンデの「精霊たちの家」が原作となっていることを思い出した。(国書刊行会のファンなのであります

 

それにしても、アーミン・ミューラー・スタールが父親で、ヴァネッサ・レッドグレイブを母親にもつ娘なんて、一体どんな娘なのよと言いたくなるが・・・・、そういう突っ込みはなしにして素直に観て行けば、その娘クララが成長してメリル・ストリープになり、

亡き姉の恋人だったジェレミー・アイアンズ演じるところの
エステバンと結婚し、

そこからこの一家の物語が始まる下りには
やはり驚愕させられます。
まさに名優たちの競演だから。

成人したクララを演じるメリル・ストリープとエステバンを演じるジェレミー・アイアンズの役作り・・・・
以下ちょっと眺めて見ましょう。 

 

結婚後、エステバンが開拓し築いた邸宅にて新生活を送り始め、家族として同居していたエステバンの姉フェルラとクララは姉妹さながらの親愛と友情を育む中、やがて娘が生まれ、人生で一番平穏な季節を過ごすことになるが、

姉と妻の親和性に嫉妬したエステバンはクララを家からたたき出すした辺りから、二人の関係性は重く沈うつなものになっていく。
妻を愛しているのに、心が共有できない空しさと寂しさで心が荒れるエステバン。やがて大物政治家となっていく彼の自己中心的な頑迷な人生が誤算から軍事政権を惹起していく様は、まさに波乱万丈。

そんな夫の人生を愛ゆえにこそ受け入れず距離を置いて生きる妻クララ。まさに愛は慈しみと忍耐と苦悩の賜物か。
この二人が人生を終えるまでの役作りが実に見物(みもの)です。

以下、晩年の老齢となった二人の役作りをご覧あれ。


(自分の死期を悟り孫娘に語りかけるクララ、「死は怖いものではないのよ」と)


(何十年ぶりか......で心がぴったり寄り添う二人、このエステバンにはただ相手の存在に感謝し思いやる姿しかありません。台詞が一つもなく流れるひと時・・・・素晴らしい場面です。けれど、時代の変革のうねりがすぐ目前まで迫っていた)

メリル・ストリープとジェレミー・アイアンズの役作りは必見ですが、ちなみに、高級娼婦のトランジート役のマリア・コンチータ・アロンゾ


(野心家の娼婦。愛する妻との間で安らぎを求めて得られないエステバンは、なぜ安らぎが得られないのかを考えず、怒りと失意と空しさを抱えながら娼婦トランジートにそれを求めていく..彼女もまた、女性にとって行き難い時代と国の中で実にたくましく生きていく存在です。)


(軍部に連行された娘を助け出すために、いまや高級娼婦となったトランジートに
助力を頼み初めて他人に頭を下げるエステバン。そこに傲慢さは微塵もなくなっていた)

ご覧のように数十年経っても同じ顔同じ若さというのは・・・いかにアンチエイジングであってもちょっといただけなかったです。

この「精霊たちの家」・・・・では、まさに愛が鏡となる。その鏡に映し出されるものは、愛を求めながら愛を知らず愛ではないものに走る人間の愚かさと孤独であり、愛を求めているのに愛からもっとも遠い行いを選択する人間の愚かさと孤独であり、まさに「聞いているのに聞こえず、見ているのに見えず」という聖書の中の文言がそのまま想起されてくるわれわれ人間のどうしようもなく愚かな姿。怒りと復讐、自分の思い通りにならない相手に対して抱く怒りと非寛容さ、そして狭量さと頑迷さ・・・・

クララは再び口をきかなくなります。
少女時代の再来・・・・
未来を予見する不思議な能力を持った少女だったクララは、


(クララの少女時代。姉の死を契機に口をきかなくなることを自ら選ぶ。
それが「慈しみと罪の意識から沈黙」したという独白もまた、彼女の人生を予感させてあまりある)

姉の死を予見しながらそれを止める力がなかったという罪の意識から以後、口をきかなくなります。母親役のバネッサ・レッドクレイブがクララを抱きしめながら語る台詞は暗示的である。
「何が起こるかを視ただけで、あなたが起こしたわけじゃない。あなたにはそれを起こす力はないのよ」 


(「愛には与えすぎるということはないの」と
成長した娘クララに語る母親役のヴァネッサ・レッドクライブ)

19世紀の終わりから20世紀初頭、この舞台となった国では、女性に求められる普通の生き方は、娘時代は父親への服従、結婚すれば夫に従順な妻、老いては夫の世話をし子や孫を愛する柔和な祖母になること。家族の世話や介護をするのは娘の義務というのは古今東西の文化で共通ながら、ここではさらに女性たちに自己犠牲と献身、忍耐を求める教会の指導する信仰がありました。


(介護の必要のある母を姉に任せて働きに出るエステバンを見送る姉フェルラ。「母さんを頼む」と言われ、いつか迎えに来てくれる日を待って頷く彼女だが、実に切ないシーン。この映画をご覧になる男性には、この時代の行き場のない女性の人生というものに思いをはせていただきたいですね)

不本意な生き方であっても、女性である限りは受け入れなければならない生き方。それは貧しい階層に限らず富裕層の女性でも同じで、結婚して妻となれば、いかなる妻となるかは夫が決めることであり、夫が愛ではないものを求めても、父親が愛ではない命令を下しても、それを妻や娘が拒むには毅然とした命がけの勇気と強さが必要だったのです。



そうした背景を考慮しなければ、親の介護のために恋もせず結婚もせずに半生を送り、親が死んだ後は男兄弟に頼らなければ住む場所さえもなくなるフェルラ(グレン・クロースが演じて凄みがありました)のような女性の気持ちは分からない。どこに住みどこでどのように暮らせるかは男兄弟とその妻になる女性次第。


(クララに一緒に暮らしましょうと言われ、初めて人にやさしくされたと涙し、以後は実の姉妹のような愛情を注ぎ、献身的にクララを世話することになる。「危険な情事」のイメージなど微塵も感じさせない実に見事な表情でした!)

弟の妻となったクララのやさしさに安堵と感謝の思いを抱き、その感謝の思いはクララに尽くす使命感となり喜びとなっていく。そんなフェルラの心をエゴイスティックな弟は理解できない。クララに対するフェルラの思いはやがて聖母への思慕にも似たものとなり、聖なるクララの存在はフェルラの生きる源、愛の源になっていきますが、傷ついたクララに心が傷むフェルラ・・・・・


(夫エステバンの頑なな生き方に悲しみを抱くクララ)

そんな二人の関係がエステバンには面白くない。いかに大富豪となっても、姉が疎ましい。母親の介護から逃げたという心の負い目が姉の存在を疎ましく感じさせ、妻と親愛感に嫉妬する始末。
そんな弟の怒りと苛立ちが頂点に達したとき、フェルラは家を追い出されます。以後、彼女を支えるのはカビの生えた教条主義的な教会の信仰ではなく、愛そのもののクララになっていくあたりは、実に胸に染入りました。


身分違いの小作人の男ペデロと恋仲となる娘ブランカ(ウィノナ・ライダー)に対しての対応も、「お前の事を思えばこそなのに、なぜオレに従わないのだ!」という怒りになり、恥さらしな未婚の母にするわけにはいかないと息巻き、胡散臭い男と財産をやる代わりに結婚させようとする。このあたり、いまでもよくある話。


(苦労して富と名声と身分を築き上げてきただけに驕りと強権と狭量さは見事なまでに強靭となっていくエステバン。愛しているのに心が通い合わない妻との関係への苛立ちをフェルラに向けるくだりは圧巻)

情熱があり意志が強固で頑張り屋であればこそ、社会的にビジネスで成功する公算も高い。けれど、闘争心があって意志が強固で頑張って成功した人間は、自分の非を認めず何でも自分の思い通りにならなければ気がすまないという傲慢さと紙一重。自己中心な思いは相手に対する思いやりや優しさを欠き、激情は時に残酷さを露呈し人の恨みを買ってしまう・・・・・

手痛い思いをしなければ、己の愚かさに気づかない。逆に言えば、われわれ人間は己の愚かさに気づくには、相当の時間と手痛い思いをしなければわからないように出来ているということかもしれません。(後編もご覧いただければ幸いです。)

 


☆6月前半の映画三昧リスト

2008年06月15日 | ■2008年 6月の映画鑑賞

   は、以前も観ている映画
   は、今回初めて観た映画

白いドレスの女
・・・・・いま観ると「古さ」は否めないけれど、やはり面白い。「氷の微笑」のシャロン・ストーンと「」のグレン・グロースの三人が揃ったなら、男性にとってはさぞかし怖いだろう。

◎「バウンドウルフ 天空の門と魔法の鍵
・・・・ロシア映画のアクションファンタジー&復讐冒険の英雄譚。ロシア正教以前の土着の神々が出てくる古代ロシアを舞台にしたファンタジー。全体的に宗教的なイメージの強い映像だと感じられたのは、まるでロシア正教の影響下の絵画のような形象映像になっているから。こうしたファンタジーやアクションではロシア映画は今後が愉しみ。存在感のある魅力的な俳優陣が揃っている。ロシア語が出来ないのが残念。★ブログに掲載する予定。

◎「サイレント ヒート」(「ストリート サヴァイヴァル」)
◎「ウィルバーの事情
◎「姿三四郎」(邦画1965年制作版) ★ブログに掲載。
◎「影を斬る」(邦画)
・・・・・市川雷蔵と嵯峨三智子共演のコメディ時代劇。雷蔵はにやけると軽薄な顔になってつまらない顔になる。それにしても、当時の人気女優嵯峨三智子の妖艶な魅力はどうだ!と感服。久々に大映時代劇を楽しんだ。
◎「天河伝説殺人事件」(邦画wowow市川崑監督シリーズ)
・・・・・角川映画なので仕方がないけれど、カメラマンの五十畑幸勇氏が良かったとしか言いようがない。

◎「雨あがる」(邦画)
・・・・・・あまりにほのぼのとした映画なので、見終えた後に眠ってしまった。宮崎美子って、いま幾つ?寺尾聡、宇野重吉に似てきたなあと思う。それに比して、その宇野重吉ラインを目指しているのかと思われる吉岡隆之の小姓役はミスキャスト。

◎「ジェシー・ジェイムズの暗殺」 ★ブログに掲載予定。
◎「クレールの膝
・・・・・・膝フェチ男に思い入れがないとこういう映画は作れない。そんな映画を作るロメールの視点と感性が見所。そういうふうに見ないと、この手の映画はフェティシズムとパッションの抑制とほとばしりに共感できない人たちにとっては退屈な映画になる。

◎「秘密と嘘
・・・・・・マイク・リー監督。どうということのない映像なのに、緊張感がつまった映像と内容には拍手。★ブログでも取り上げる予定。

◎「女帝 エンペラー
・・・・・・チャン・ツイという女優は、どこがいいのか悪いのかよく分からない。この映画はまるでハムレットをなぞったような愛憎劇ながら、良くも悪くもチャン・ツイという女優のための映画になっている。ファンにはたまらないのかもしれないが、「ラヴァーズ」同様にワイヤーアクションてんこ盛りの映像美狙いの映画。舞のようなアクションには思わず見とれてしまったもの。が、作品としてはどうかなあと。「秘密と嘘」のような作品とは対極にあるような映画。監督は誰か分からないが(興味なし)、映像美にかなりこだわるタイプなのではないか。ただし飽きる。東山槐夷の絵画を画集で見ていると飽きるように。それにしても、セットのスケール、CGを駆使しているとはいえ、中国ってやはり大陸文化なのだなあと再認識。

ブロークバック・マウンテン
---これを見るのは、確かこれが三度目。なんて切ない映画なのかと、見るたび切なくなります。全編淡々とした進行と過剰な効果音もなく静かな映像ながら、それだけに登場人物の秘められた思いの激しさや悲しさが迫ってくる、そんな映画です。ラストにはいつも泣かされます。★ブログで取り上げる予定。

◎「ペンタグラム 悪魔の烙印
---これぞB級オカルトサスペンス。連続殺人犯の犯人が逮捕され死刑になる。刑事は犯人逮捕の決め手となった情報提供者から「その犯人を死刑にだけはしないでくれ」というメッセージを伝えられていた。犯人が死刑になったにも関わらず、同様の事件が連続して発生したとき、真犯人は悪霊だと伝えにきた女性こそ情報提供者であり、彼女は実は予知能力のある超能力者だった・・・・という発想が面白い。

◎「アメリカン ビューティ
----現代のアメリカ社会の病理をコミカルに描写することでシリアスな面が浮かび上がり、そしてシリアスに描写することでコミカルな面が浮かび上がってくる。人間存在の悲喜劇をそうしてあぶり出し、観た者に人生の喜びがどこにあるのかに思いを致させる作品になっている。台詞があまりにストレートなために思わず笑ってしまうけれど、そんな台詞が出てくるその背景を考えるとぞっとさせられる映画。キャスティングが絶妙・・・★ブログで紹介します。

◎「クリープ ショー 3
----知人からのデモンストレーションDVDで拝見。お笑いホラーとでもいえばいいのか。思わず見入ってしまった。何と言っても先が読めないところが面白い。「不思議のアリス」を怪奇幻想ホラー風に改変すると、こういう短編もできるのかと目から鱗。

ラスト ボーイスカウト
----以前にも見ているはず・・・と思えども、内容が記憶になく、もしかしたら観ていないのかもしれないと思って観始めたが、ラストのアメフト競技場でのシーン、照明を背景にして一人踊るブルース・ウィルスを観たとき「ああ、これ、観てる!」という按配。そこのシーンだけが印象的だったせいだろうか。ブルース・ウィリスとデイモン・ウェイアンズのコンビがなかなか良かったけれど、ブルース・ウィリスの私立探偵役というのは既視感があって新鮮味に欠けるけれど、当時としてはそれが良かったのかも。ハル・ベリーが出ているのが意外だった。

◎「ダーウィン アワード
---もう笑ってしまった!出演しているのが個性派ぞろいで、それが映画を単なるコメディに終わらせず厚みを持たせているのだろうと思われました。ジョセフ・ファインズとウィノラ・ライダーという取り合わせも新鮮だけれど、そこにジュリエット・ルイスだの脇役として絶妙な味わいを持つクリス・ベンだの、どこかで観た顔だと思ったら「スクリーム」の男の子、いまや大人になったデヴィッド・アークエットなどが実に愉快な役回りで出ていて絶妙におかしいのだが、何だかじ~んときてしまった。★ブログで取り上げたいですね。
★ご参考までに。⇒ http://darwin-award.jp/cast.html

◎「奇跡のシンフォニー
---耳を澄ますというのは魂を済ませるということ。全編音楽が心憎い。孤児院育ちの主人公エヴァンを演じているフレディ・ハイモアの無垢な魅力が遺憾なく発揮され輝いた作品。両親の出会いの場面で口ずさまれるのが何とヴァン・モリスンの「ムーンダンス」!以後恋に落ちた二人の場面で流れるのが「ムーンダンス」を編曲したピアノ曲。街の路上でのギター演奏も教会でのゴスペルも良かったけれど、ラストの演奏会で演奏されたチェロ協奏曲とNYの街で出会った音とリズムをまとめあげてたシンフォニーが両親との邂逅を呼び寄せていくシーンはとても感動的。ハートフルな役者を揃え脇を固めているので安定感もある作品になっているので、安心して楽しめる。★ブログでアップするにあたっては、もう一度見て音楽をちぇっくしてからにしたいと思います。
★ご参考までに。⇒http://www.kiseki-symphony.com/

◎「風のダドゥ
---乗馬がしたくなった。あそこは草千里だろうか。

★ご参考までに。⇒http://portal.kumamoto-net.ne.jp/dadu/default.asp

◎「シルク SILK
---映画「完全犯罪クラブ」でもそうだったけれど、マイケル・ピッドという俳優は、なぜかレオナルド・ディカプリオをおとなしくさせたイメージで、キーラ・ナイトレイもまた「パイレーツ・オブ・カリビアン」のエリザベスのイメージが影響してなのか・・・、他のキャスティングだったら作品の硬度が高くなったのではないかと思われてならない。音楽で盛り上げた映画ともいえるので、誰かと思ったら坂本龍一だった
★ご参考までに。⇒http://www.silk-movie.com/

◎「愛と精霊の家」---★ブログにて別立てでアップしました
 
●「ザ・ワン
---久々にジェット・リーのアクション映画を堪能。ジェィスン・ステイサムが共演してなんて、すっかり忘れていた。それほどジェット・リーのアクションが冴え渡っているので無理もない。が、今回ジェット・リーに関して新発見したことがあった。どうして今まで気づかなかったんだろうと思うような発見!近々、ブログの「俳優」欄でアップしよう。

●「ランダム・ハート
---ハリソン・フォードとクリスティン・スコット・トーマスのまさに息詰まるような共演&競演となっているところが見もの。インディ・ジョーンズ以外の役では大根役者となることを証明してみせた「推定無罪」や「心の旅」といった作品と違って、ハリソン・フォードにとって演技開眼となった映画なのではないかと思われるくらい、サスペンスフルなエンターテイメントとして成功している映画だ。競演してくれたクリスティン・スコット・トーマスに感謝しなくちゃ。
それにしても、キャスティングが心憎い。★やっぱり、別立てで書かなきゃ。

◎「Definitely, Maybe
--- 退屈な映画だった。どうも子供が狂言回しになっているコメディタッチの映画というのは、肌に合わないのか、途中で眠ってしまう。まるで、オチが分かっている落語を下手な噺家で聞くような忍耐が求められる感じがするからだろうか。

●「ヒート Heat
----久しぶりに観た。これこそ男による男のための男の映画だと賛辞を送りたくなるような映画だと改めて思いつつ、年齢と共に味わい方もまた変わる映画だと思う。アル・パチーノとロバート・デ・ニーロの表情が胸に染入る。何度観てもいい映画だ。アル・パチーノ55歳、デ・ニーロ52歳という共に男盛りのときの共演&競演作。40代になったヴァル・キルマーが初々しく感じられたほど。30代で「ドアーズ」に出演しジム・モリスンを印象深く演じて以後、いろいろの作品にお目見えするようになったヴァル・キルマーだが、改めて俳優が凄まじく存在感をもつのは50代からだと再認識させられる。他の共演者たちもそれぞれに味わい深くてなかのキャスティングだと思う。銀行を出てからの市街地での銃撃戦の場面は、何度見ても緊張感満点だ。マイケル・マン監督の代表作にしてもいい映画。エリオット・ゴールデンサルの音楽もなかなかイケてる。★やっぱり、別立てでアップしよう。

●「悪魔を憐れむ歌
ーーーデンゼル・ワシントンはこういう映画が結構似合うから不思議だ。一般に、正統派のスタイリッシュな刑事役が似合う俳優や正義感あふれる社会派が似合う俳優がホラー系に出演すると、どこか違和感がありその違和感が作品を台無しにしているといったケースが多いけれど、デンゼル・ワシントンはそういった俳優に入らないから面白い。いつか、ダメな作品のケースを列挙してみるのも悪くないかも。

 


あおもり映画祭

2008年06月08日 | ★ご挨拶&その他

映画祭といえば、カンヌの映画祭かと思われるでしょうが、それは他の映画ファンのブログにお任せして、こちらは青森県で開催される「あおもり映画祭」のご紹介。

この映画祭は、青森県内の映画ファンらが運営するもので、今年が17回目。
この映画祭が今月の22日に開幕します。
7月13日までの延べ8日間。

昨年のカンヌ国際映画祭で最高賞に次ぐ「グランプリ」を獲得した河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」、公開中止が相次いだドキュメンタリー「靖国 YASUKUNI」など19作品が上映される予定。

実行委によれば、昨年までに上映された作品は301本、観客は5万9000人に達したそうです。シネコン主流の中でこうした日本映画を応援する映画祭が開催されることは素晴らしいことですね。

22日の初日は青森市内の県立美術館で、北海道の山村を舞台に市町村合併をめぐる騒動を描いた「いい爺(じじ)いライダー」を皮切りに、4作品を上映。7月6日は同美術館で、横浜聡子監督(青森市出身)の「ジャーマン+雨」、タテナイケンタ監督(青森県七戸町出身)の「幸福なる食卓」などが上映されるそうです。

★「靖国」は7月7日、青森市の青森松竹アムゼ、
★「殯の森」は同12日、つがる市のシネマヴィレッジ8で上映。
★最終日は、つがる市生涯学習交流センターでシンポジウム「地方映画祭を考える」が開催予定。

★チケットは7日から青森県内のサークルKサンクスなどで販売
★連絡先=チケット問い合わせセンター
   017(741)7477

期間中は梅雨に入っていることでしょうが、絹糸のような霧雨が降り続く東北の6月はなかなか素晴らしいですよ。無論、梅雨の晴れ間の新緑は美しい。
ご旅行ついでに足を延ばされて旅先で映画というのもよろしいのではないかと思います。

 

 

 


「美しすぎる母」(「Savage grace」)

2008年06月06日 | ◆ア行

2007年制作 アメリカ・フランス・スペイン合作映画。
監督:トム・ケイリン



いま、観たいなあと思っている映画です。
何といっても、タイトルが・・・・・きっとこれは日本で勝手につけた邦題に違いないと思ったら、当たりでした。現代は、「Savage grace」というのですから、興味が湧きます。
主演を見たら、ジュリアン・ムーア。こちらも興味のある女優の一人なので、相乗作用で「いいかも・・・・」という予感。無論サスペンスとして「いいかも・・」という意味ですが、単なるサスペンスにジュリアン・ムーアが出演するとも思えない。

共演者を眺めると、
大富豪の夫にスティーヴン・ディレイン。青年となった一人息子にエディ・レッドメイン。その息子の恋人にいま上り調子のスペインの女優エレナ・アナヤ。同じくスペインの若手として期待の俳優ウナクス・ウガルデが息子の友人役・・・・何だか異色の取り合わせで、キャスティングの興味を抱かされますね。

実話の映画化というので、調べてみたら、1972年ロンドンで実際に起こった事件、アメリカの大富豪ベークランド家の息子による母親殺害事件を映画化したもののようです。

母親を殺めた息子にどんな未来があるものか、現実に自殺で生涯を終えた青年ですが・・・・、この母と息子の心の闇をどう映画化したのか。それが観たいのです。

そして、いかに困った妻でも、あるいはもうアイなど消えうせた妻であろうとも、母となっている妻との関係がもうちょっとどうにかなっていたならば、別れるにしてもその別れ方によっては、こうした事件は防げたかもしれない。女性も息子を溺愛してスポイルし、挙句の果てがその息子に殺されるような母親にならずにすんだかもしれない・・・・
という意味で、夫の存在は無視できないですね。
母親殺しを行ってしまった息子の父親となるわけですから、スティーヴン・ディレインがどういった夫であり父親である男を演じるのかも、興味ありますね。

映画をご覧になる男性には、衝撃的な内容やエロティックナシーンに惑わされずにその辺りも考えてもらいたいものです。

ジュリアン・ムーアが≪猛愛した息子に殺されるような≫母親である女性をどう演じるのか、見ものですね。
ちなみに、Savageという英語は、「獰猛な」とか「残忍な」という意味で使われますけれど、もともとは「未開の」という意味です。

母親として「未開」ということは、母親として成熟できなかったということです・・・・そうした女性が持つ優雅さというのは往々にして≪未熟さゆえに酷薄で残忍≫さを抱くものです。そう考えると、このタイトルの意味も分かるような気がしますが・・・感想は、まずは観てから!ですね。

 

 

 


「ストリート サヴァイヴァル」(邦題「サイレント ヒート」)

2008年06月06日 | ◆サ行&ザ行

2006年 アメリカ映画
監督:カルロス・ヘルナンデス・アダン(Carlos Hernández-Adan)

主演はこのレイ・ヘルナンデス。肉弾戦OKのアクション俳優だが、どうも演技が・・・・・B級です。

そもそもこの映画、あまりにもプロットが多すぎて主人公のキャラが完全に間延びしてしまいイマイチパッションが散文的で分からないものになってしまっているのは、残念です。が、B級と思えば、十分楽しめるかもしれません。

このシュワルツネッガーが得意としたキャラを追いかけるような主役のエリックは、アクション映画定番の「元米軍の特殊部隊」所属。そうした過去が明らかにされるのは恋人となった女医の前。彼女の自宅キッチンで彼自身が舞いストーリーとして語るのですけれど、この女医との絡みも間延びしているんですよね。


(エリックの親友となったホームレスの男が(殺人を目撃した衝撃で障害を抱えた脳の発作で)病院の運ばれたというのに、その彼に対して患者を前にして「珈琲でも飲まない?」とは普通言わないでしょ?)

まあ、それはともかくとして・・・・、特殊部隊であらゆることを体験して除隊したエリック。その後就職した警備会社での職務中に政府の要人絡みの不可解な陰謀殺戮の現場に遭遇。その口封じのために銃撃戦のたった一人の生き残りで、かつ事件の生き証人。

が、権力による隠蔽工作で身分を剥奪され犯罪者に仕立てられ、行き着いた先が異国でのホームレスとしての路上生活者になったという・・・・エリック。いまやホームレスたちに混じってやっと平安な暮らしを得ていたのです。

その町を牛耳っている悪者がこちら。




無法のごとき町を牛耳っているマフィアのボス。殺人強盗&麻薬武器の密輸なんでもアリ。残虐で非情な男ですが、ちょっとイッテルところが何とも・・・・大金持ちゆえにお金で転ぶ優秀な弁護士と、

この凄腕の冷酷な女殺し屋で自分を護衛させているため、警察も手が出せない。
マフィアのボス役の俳優といい、B級アクション映画専門の女優といいなかなか面白そうな役者を起用しているのですが、他にも殺人を目撃したと思われて虫けら同然に殺されていくホームレスたちもなかなか存在感がある役者たちが配されていて、もったいないほど・・・


(一人助かったオービットという障害のあるホームレス。このキャスティング、かなり無理があったなあと違和感が・・・)

せっかくこうした俳優たちが適役で熱演しているというのに主役の演技が大根では困りますよね。自分が住み暮らすホームレスたちの森で惨劇が起こったというのに、

ここは仕事から戻ってきたエリックが驚愕する場面なのですが・・・・、刑事さんの話を他人事のように聞いているという印象で苦笑させられます。
レイ・ヘルナンデスという俳優は「非常時」の演技ができない。この大根役者ぶりはあんまりだなあと・・・だから、復讐に燃えて一人「正義を行い」に出かけるエリックにイマイチ情感が湧かないのですが・・・

本来なら勝負にならないような女殺し屋相手の肉弾戦で苦闘するシーンは笑えます。脚本家にクレーム!

けれど、相手が女性でも容赦しないこの復讐振りはなかなかユニークです。そしてラストで戦う悪役のキャラが実に面白い。

このボス、相手を殺す前に決め台詞を言うクセがあって、
「To be,or not to be.  it is the question.」
そして、何の脈絡もなくシェークスピアが好きかと聞くんですよね。(爆)そのナンセンスさが笑えるんですが、この役者、もっと面白い作品に出たらなかなか存在感がありそうです。

そして、ラストの格闘技場面・・・。


(へヴィー級のゴリラが二頭睨み合っている!という印象ながら・・・)


(型がきっちり決まっていて、ワオーと言いたくなった場面です)

この二人のマッチョの肉弾戦!
善と悪との戦いながら、役者としては完全に悪役の方が良かったです。

ご参考までに。
 ⇒http://www.twanet.jp/shousai/68_sh.htm

B級映画は結構おもしろいのですが・・・・、この映画がそういう意味ではつまらなかったのは、緊迫感が出てきたぞと思うと、日銭を稼いではレストランで食べたり飲んだりして楽しそうなホームレスライフの展開になったり、面白くなってきたかな~と思うと病院や海辺での葬儀のプロットとなったりしてなかなか物語が進展しない。
散文的な「てんこ盛り」の脚本のせいですね。あれもこれもと欲張って説明的なプロットを入れ過ぎるとこうなるという見本のような映画でした。


「姿三四郎」(1965年制作)

2008年06月06日 | ◆サ行&ザ行

1965年 日本映画
監督:内川清一郎

富田常雄の原作「姿三四朗」の映画化は、私の記憶するものだけでも数本あるかなあと思います。

黒澤作品だけでも、
★監督黒澤、藤田進が三四朗を演じた白黒映画と
★同じ黒澤脚本で内川清一郎が監督した加山雄三が三四朗を演じたやつ。http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD21660/comment.html

★三浦友和が三四郎を演じ、仲代達也が矢野正五郎、桧恒源之助を中村敦夫が演じたやつです。つまらなかったということしか覚えていないのですが・・・・

毎回キャスティングに違和感を覚える映画やドラマが、この「姿三四郎」です。原作を読んでいないのに、どうしても違和感を抱いてしまう・・・・昔見た白黒のテレビドラマの三四郎でもそうでしたね。
黒澤映画の「姿三四郎」では、三四郎を演じた藤田進に違和感を覚え、三浦友和が演じた三四郎にも違和感が大きかったですね。キャラクターイメージが全然違うなあと。



今日観た「姿三四郎」では、三四郎を演じた若い頃の加山雄三はなかなか三四郎になりきっていて、一番三四郎のキャラクターに近いかもしれないと感じましたね。特に短気で純朴なところなどぴったりで・・・・、三船の矢野正五郎というのも違和感なく観ていられましたが、他のキャスティングはというと、やはり違和感が・・・
まず、桧垣源之助を演じていた岡田英次。


(桧垣がこんなに洗練されているというのは、ヘンだ)


(桧垣の弟の鉄心との二役・九州の山奥から出てきた熊男のような鉄心を岡田英次が演じるのは、やはり無理があるのでは・・・)


決闘の後、心を入れ替えて三四郎を訪問する桧垣)

そしてこれは見方は分かれるところかもしれませんが、村井半助に扮した加東大介・・・


(三四郎との試合の場面では、村井の焦りを熱演でしたが・・・)

いいといえばいいし、似合わないといえば似合わないキャラ。他の黒澤映画での役のイメージがあまりに村井半助のイメージとは違うせいかもしれません。
そして、三四郎に思いを寄せる古風な娘小夜を演じた九重由美子・・・・


(このシーンは眉毛が目立たなくて良かったのですが・・)

アップで映されたときの顔の表情が、特に見事に太い眉毛が小夜のイメージとはかなり違うなあと。
この映画が制作された1965年当時の九重由美子は、いくつくらいなのでしょう。後のイメージなのかどうか、ポップスを歌う歌手というイメージが大きいせいか、当時としては斬新なキャスティングだったのでしょうけれど、文明開化の頃の古風な女性が横にまっすぐ一文字の太い眉毛というのがどうにも似合わないなあと思われてなりませんでした。まあ、そういうのが気にならない方にとっては、清新な小夜に感じられたかもしれませんね。

ということで、ストーリーに関しては多くの方がご存知でしょうかた省略。映画を観て興味深かったのは、


(試合の後に見舞いに出かけた村井宅で、「何もないが・・」と三四郎に食事を出す小夜や村井の姿、その慎ましい夕餉のシーンに感動)


(漱石の坊ちゃんを思い出しちゃいました・・・)



こういう一連の映像ではとても楽しめました。
映像的にいいなあ・・・と。

このラストの見せ場、桧垣鉄心との決闘、当時としては迫力のある映像だったのでしょうか。
個人的には、この決闘の前に桧垣が弟たちよりも三四郎の身を案じて尋ねるシーン、その桧垣を三四郎が人力車で送る帰りのシーン、



ここが好きでしたね。

 


アメリカ「ユニヴァーサルスタジオ」の火災

2008年06月04日 | ★ご挨拶&その他

ロスの映画テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド(Universal Studios Hollywood)」で1日、大規模な火災が発生したという報道にドキリとさせられました。
映画のセットなどが炎上とのこと。
フィルムは大丈夫なのだろうか・・・・・と。

その後の報道で分かったこと。
この火災で死傷者が出なかったことは幸いながら、ユニバーサル・スタジオで最も人気のあるアトラクションの1つ、「キング・コング(King Kong)」が全焼。

う~ん・・・・他には、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future)」
「宇宙戦争(The War of the Worlds)」
「ベン・ハー(Ben-Hur)」
「サイコ(Psycho)」などの映画と
テレビドラマのシリーズでは
「デスパレートな妻たち(Desperate Housewives)」
のセットも被害を受けたとか。

案じられたビデオテープや映画フィルムを収蔵する倉庫1棟の全焼だが、ユニバーサル・スタジオのロン・マイヤー最高経営責任者(CEO)の弁。

「致命的な被害ではない」

映画遺産の保管については、以前から心配だったけれど、火災だけではなく震度8くらいの地震が来ても大丈夫な耐震の地下倉庫とか金庫を作るくらいの予算を組んでもらいたいものです。映画産業は軍事産業と並ぶアメリカの国産産業!なのだから・・・・・
この際、石油のための戦争などど即刻やめて映画フィルムの保管に国を挙げて全力投球してもらいたいですね。映画はアメリカの象徴的産業なのだから。