月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「赤壁」(第二部)

2009年03月03日 | ◆サ行&ザ行

エンターテイメントとしては失敗作なのではないか。
何度欠伸(あくび)が出てしまったことか。

中村獅童は存在感があって良かったですが、全体的に期待を裏切られたなあという思いが強いので、以下のブログを書こうと思います。

兜をかぶるといきなり柔な感じで、まったく周喩のイメージではなくなるトニー・レオンはイマイチだし、彼にとって至宝の愛妻小喬(しょうきょう)は、

「三国志」を逸脱して、後半いきなりのイメチェンでドタバタ活劇をやってしまうし、

そんな美女にたぶらかされて千載一遇の攻撃の好機を逸する曹操を演じたこちらもほとんど「武」の出番はなく、いつもアップで表情が映し出されるだけ。これでは曹操の多面性がちっとも分からない。
まるで、金城演じるこちらの諸葛孔明に合わせたかのようです。



この孔明も周喩との関係に緊張感がなく、呉の軍師の一人となっている兄弟子の彼が、

ひょうきんなキャラで引き立て役をやってくれているために、それらしく見えるだけである。この兄弟子とて主に孔明を引き合わせた手前、呉の中では立場上かなりの緊張感を抱かされているはずなのだが、孔明の引き立て役で終わっているし、赤壁の戦いに臨む呉にあって孔明の才知の冴えを象徴する一つ、

10万本を超える弓矢を揃えるのにたった三日あればいいと語った顛末はご覧の通り描かれてはいたが、

赤壁の戦いという名称が生まれた大火となった背景、つまりは大火を生んだ策略、騙し合いの醍醐味がサラッとしか描かれていないことで本作は台無し。三国志の内容を当然知っているという前提で映画は作られているらしいけれども、三国志ファンの観客であってもここは頭を振るだろうと思われました。

そして、あっという間に戦いは陸戦に突入。

前半同様、陸戦では様式美を加えた戦闘シーンに、さすがジョン・ウーだと思わせる作りで後半のメダマはここかと思うほど力が入れられていたように思うのだけれども、前半と同様の作戦では飽きるというもの。

多くの兵士と勇将らが命を落とすが、劉備サイドの猛将たち、つまりは三国志のヒーローたちが全然出番がないかのように冴えない。前半で曹操に命を助けられた関羽将軍が後半では曹操の命を助けるはずが、そういった流れになっていないため、前半のそのシーンは何の意味があったのか。
唯一第一部とつながるのはこの御仁だけかもしれない。エリートゆえに勇気と無謀、慎重さと臆病さの狭間で呻吟していた孫権と、

そんな兄と違って奔放なじゃじゃ馬の姫であるこちら。

曹操側の野営の陣地に潜入して敵情視察をやってのける姫だったが、戦争に参戦したくて仕方がなかったという姫も、戦争の何たるかを知る場面。
敵の陣地で知り合った貧しい農家の出の若者と友情めいたものを持ち、男のなりをしていた彼女を弟分として何かにつけてかばい可愛がる人のいい若者が登場する。

潜入し兵士として偽る詐術を後ろめたく感じる中で、何とか彼を救おうとするが、哀れ、この若者もまた多くの戦場での屍の中に加わることとなったとき、戦争の悲惨さを目の当たりにしたときの彼女の表情で、本作は一転して何か違うモノになっていく。
その頂点がこちらの御仁の表情。

人徳の篤い劉備の表情で監督は、戦争の悲惨さを語らせようとしたのだろうが、それがとってつけたような演出で違和感が残る。
三国志への思いが強すぎて、あれもこれも映画に盛り込もうとして全てが中途半端に終わってしまった。
エンターテイメントとして徹して欲しかった。



このツーショットで、本作のテーマはここにあったのだよとダメ押しするところで、ええ~っ、ここまでダメ押しするかと腹立たしくなりました.が、監督のパワーの衰えを一人感じて見終えた次第です。
本作がこの二人の絆においた映画にしたかったなら、彼らの才知比べが「表」なら、国家の運命を左右する重責を担う立場の男たちの孤独と勇断を下す強さと激しさと誇りゆえに友を求める思いも深い。そこが「裏」となる。
ならばこそ、軍師としてのプライドにきっちり焦点を当ててもらいたかった。つまり、大火を生んだ戦いの背景をスリリングにきっちり緊張感を持って描いてもらいたかったですね。
(出演者に関しては(第一部)でご紹介しているので省略し、スタッフのご紹介に関しても省略させていただきました。

それにしても、このツーショットを見て、映画『傷だらけの男たち』と重ね合わせてしまうのは、私だけかしら・・・

 


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