K's Note

不定期blog

セッション②個人と社会的役割を探す旅

2010-06-24 | 野村総合研究所IDELEAコーチング
野村総合研究所IDELEA(イデリア)チーム古西さんによるセッション②

ちなみに、IDELEAとは
経営者個人の顧問・相談役となり、意思決定のスピードと
その質を最大限に高めるサービスの提供、組織変革のサポート
をコンセプトとしたエグゼクティブコーチングです。

セッション①の感想は「抉られるような疲労感」だったが

セッション②の感想は「個人と社会的役割を探す旅」だろうか。

NPOの経営者という役割を担っていると、無意識のうちに
組織を見るとき、何かを発言に「社会的役割」がにじみ出る。
ときにはそれが100%に近いものだったりする。

「個人の想い」を持って始めた事業が、社会性を帯びてきたとき
最初の想いが、社会性のなかでどう位置付けられているのかを
もう一度、深く探求してみることになった。

普段が無意識なのだから、意識的に探究してみることで
その無意識がどのような状態なのかを探ることができた。

特に、生活と仕事の境界線が曖昧で、しかもそれを個人として(職員は別)
望むところもあるので、もしかしたら

組織への指示命令や言動に「個人」と「社会的役割」が混在している
可能性がある。もし混在しているのであれば、そこを意識して物事を
発信していかなければならないので。

面白かったのは、blogtwitterなどは
どのようなケースで、どのような発言があり、それは「個人」か「社会的役割」かを
探求するのが興味深かった。


組織はそれぞれの個人が「社会的(組織的)役割」を持っており、
場合によってはそれが組織の健全化につながる可能性のあることを
オープンにできないこともある。

その場合に「社会的(組織的)役割」を超える力をどううまく
活用するのかも、短い(感覚としては超長い)時間の一部を割いて
考えてみた。

どうも、そこには「ランク」があり、いわゆる、組織的役割の
場合は、「社会的ランク」の力が働きやすいのだが
それ以外にも

心理的ランク
文脈的ランク
精神的ランク

などがあり、相手が話しやすいランクをうまく作り出せれば
発言しづらい雰囲気や環境に変化を生み出せるらしい。




最後のまとめ(といっても、自己の内部から出る言葉をひっぱって
もらうのだが)では、

純然たる社会的役割で話をするケースでは、
「個人」と「社会的役割」は、1:9

普段の生活シーンでは
「個人」と「社会的役割」は、5:5

というケースもあるが、日常の業務(仕事)のなかでの
「個人」と「社会的役割」の割合をどう考えますか?

に対し、自分でも驚きだが、口から飛び出したのが

「10 : 10」

だった。数学苦手なのか?と思われる発言で、自分で自分に
失笑したが、

古西さんは「それを大切に」と言葉を添えて、まずはその「10 : 10」を
意識してみましょう、と。

まさに、現在、「個人と社会的役割を探す旅」の途中だ。

セッション① 抉られるような疲労感

2010-06-09 | 野村総合研究所IDELEAコーチング
野村総合研究所IDELEA(イデリア)チームさんのエグゼクティブ・コーチングセッション初日。

ちなみに、IDELEAとは
経営者個人の顧問・相談役となり、意思決定のスピードと
その質を最大限に高めるサービスの提供、をコンセプトとした
エグゼクティブコーチングです。

社会貢献活動として、規模も質も”エグゼクティブ”とはかけ離れた
組織に対しサービス提供をしてくださることになりました。

(初日)セッション①を終えた素直な感想は

「抉られるような疲労感」

セッション時間は1時間30分と「比較的短いのかな?」と
思っていた。最初のコンセプト確認で30分程度雑談を
交えながらだったので、「残り1時間くらいか」と。

しかし、セッション中盤に考えていたのは、「これは
既に2時間くらい経過しているかも・・・」ということ。
しかし、時計を見ると1時間経つか、経たないか。

これほどの疲労感があるにもかかわらず、まだ60分程度しか
経過していないのか?と心底思いました。

大枠の方向性を決定し、各セッションごとにテーマを決めて
取り組むスキームとなっている。僕個人がうまく「テーマ設定」が
できなかったので対話をいただきながら、「個人」と「組織」に
フォーカスすることになった。


何かコメントや提言、他愛もない話まで、それぞれについて
「組織の役割」として語っているのか、「個人」として語って
いるのかが曖昧になりがちな自分を客観的に見つめ直し、

①その源流/根っこを探る
②その曖昧さが組織運営/経営にどう影響されるのかを分析

探る、分析をするといっても、何か答えをもらえるわけではなく
「自分との対話」を成立させるサポート/伴走していただく。


特に①の源流/根っこを探る作業は、自分の人生/過去を
抉られる(自分との対話なので正確には抉る)感覚だった。
普段の友人や職員、家族とのコミュニケーションでは
出てこない「抉る」質問に対し、普段、使わない頭の部分を
フル回転しなければならない。ましてや、「自分との対話」だから
心のなかで葛藤が起こる。

質問に対するレスポンスは遅くないと思っていたのだが
それは”反射”でしかなかった。深く過去を思い起こし、
自分を客観的に見つめ直すには時間がかかる。一度口から出した
言葉を自分で否定し言い直す。そして訂正する・・・疲れる。


それは「組織の役割」という観点からの言葉ですか?
あなた個人の言葉ですか?

という質問に、また考える。そんな作業の繰り返し。
当然、答えをもらえるわけでもなく、方法論を提示して
もらえるわけでもない。非常に苦しく、シンドイ作業が
続く。「自分との対話」はしているようで、していない。


概ね二週間に一回のセッションだが、セッション終了後には
その回の内容を受けて、「行動に反映させる」宿題が
課される。実際は、課されるのではなく、自分自身に課す、
というほうが正しいのだが。


コーチングとは何か、なんて考えたこともなかったし
IDELEAチームの皆様によるご厚意がなかったら、人生で
一度も受けることがなかったかもしれない(いや、なかった)。


自分が普段考えないこと、考えないようにしていること。
課題や問題の本質をロジカルにアウトプットしているように
思っていたが、実はそれって周囲を納得させる、周囲に
理解してもらいたいがための方便の可能性もあるのではないかと
自問自答する機会を気づかせてくれる。


大人として(?)は、「楽しかった」「素敵な時間だった」
IDELEAさん万歳!と叫ぶことが求められるのかもしれないけれど
心の底から

「抉られるような疲労感」

が残った。思考することは苦行であり、生みの苦しみだ。

こんな素晴らしい苦行(?)の機会をくださり、
野村総研イデリアチームさまに感謝したい。



次のセッションが怖い、と苦笑いしながら伝えたら
「そういってくれると嬉しい」というコメントをいただいた。
きっと、エグゼクティブコーチングの一つの在り方(being)
なんだろうなぁ。