クラシック音楽のある生活

クラシック音楽を生活の糧としている私が出会った演奏会、CDやDVDなど印象に残ったことを紹介をしていきます。

ライナー・キュッヒルとウィーンの仲間

2014-07-03 18:36:00 | 演奏会

モーツァルト/ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 「トルコ行進曲付き」
コダーイ/バイオリンとチェロのための二重奏曲
ワックスマン/カルメン幻想曲
シューベルト/ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 

バイオリン: ライナー・キュッヒル
チェロ: ヴィルヘルム・プレーガル
ピアノ: ステファン・シュトロイスニック
(2014年7月2日、日経ホール)

  私は、ウィーン国立歌劇場やウィーン・フィルやウィーンの街に特別な感情を持っている人間だ。その昔、ロンドンで学生をしていたころ、冬休みにウィーンに2週間ほど滞在して、ほとんど毎日、歌劇場に通ったことがある。その時改めて驚いたのは、ウィーン国立歌劇場のオーケストラの素晴らしさだった。オーケストラピットから木管の音が飛び跳ねてきた。弦の夢見るような響きに、最強音の凄まじい音量。それだけでもすごかったのに、並んで切符を手に入れた楽友協会大ホールでのニューイヤー・コンサートで、オーケストラがさらに磨かれた音色で素晴らしかったことの驚愕。
そのウィーン・フィルのコンサートマスターが、ライナー・キュッヒルだ。今年のNHKニューイヤーオペラコンサートにゲスト出演して、その響きにまたまた魅せられたので、この演奏会に行ってきた。 

メインのシューベルトでは、歌いまわしの節々にウィーン風味を感じた。例えば第4楽章の第1主題。どこがとは言い難くても、一つ一つのフレーズにウィーン情緒が息づいている。
楽しめたという点では、ワックスマンだろう。超絶技巧もさることながら、今にも歌手が登場して歌い出しそうな、オペラの舞台を感じる演奏だった。

ウィーンの魅力は、その極上の幸福感にある。そのことを表面的に見る人は、この砂糖菓子のような甘さが好きになれないかも知れない。現実には、ユーゴスラビア解体後のコソボでの民族間の殺戮など、この周辺地域の政治的、民族的な難しさは深刻だ。オーストリア=ハンガリー帝国の首都だったウィーンは、この複雑な民族対立、宗教対立を持つ中欧地域の中心都市だった。
そのような位置にあって、ウィーンは、2度の世界大戦を経験している。第2次大戦後、爆撃により焼失した国立歌劇場が再建されたとき、こけら落としの演目に選ばれたのは、カール・ベームの指揮するベートーベンの「フィデリオ」だった。
ウィーン滞在中に私は、この「フィデリオ」も観ている。指揮はクロブチャールで、慣例により、第3幕の最初に「レオノーレ序曲第3番」が演奏された。この演奏を、私は生涯忘れることはないだろう。それは、私のこれまでの人生の中で、最大の音楽体験と言っていい。フィナーレで、細かい下降音が連なる速いバイオリン・パッセージから始まり、次第に音量と厚みを増して頂点に達するまでのオーケストラの凄まじかったこと!
その時私は、ウィーンにとって、ベートーベンという作曲家や、自由を希求する政治劇「フィデリオ」というオペラが、何を意味しているかを理解したような気がした。
そしてウィーンは、私の中で特別なものとなった。

世界は、政治的、民族的、宗教的対立で、憎しみに満ちている。ウィーン国立歌劇場の持っている幸福感は、それらを包み込むほどに強いものでなければならない。
キュッヒルの奏でるバイオリンも、幸福感に満ちて、力強く、大きな包容力を感じさせるものだった。



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