ハンガリー国立歌劇場: ロッシーニ「セビリアの理髪師」

ロジーナ: ダニエラ・バルチェッローナ
アルマヴィーヴァ伯爵: ゾルタン・メジェシ
フィガロ: アルド・ホ
バルトロ: ヨゼフ・ベンツィ
バジリオ: ゲーザー・ガーボル、他

指揮: イシュトヴァーン・デーネシュ
ハンガリー国立歌劇場管弦楽団/合唱団
(2015年6月20日 東京文化会館)

 ハンガリーの首都ブタペストにある国立歌劇場の、第9回目の引っ越し公演。私は初めて。イタリアから呼んだバルチェッローナをフィーチャーした公演。

ハンガリーは音楽の国のように思えるが、ここの歌劇場は国際的にはまず話題になることはないし、ブダペストのオーケストラもあまり知られていない。ハンガリーは、人種的・言語的には東洋系でありながら、文化的には西洋系という微妙な位置づけにある。国境を接したドイツ語圏とは一線を画したい意識がある一方で、民族的な独自性をことさらに強調するまでには至らないのだろう。このあたりのアイデンティティ上の問題は、日本と似ている面があるかもしれない。
国立歌劇場の日常的な演目に関していえば、HPを見るかぎり、先進地域の聴衆の嗜好がワーグナーやベルディ(それも後期)、R.シュトラウスやプッチーニへと移っているのに対して、比較的軽めの演目が多いように思える。20~30年前くらいの東京の聴衆の嗜好を思い出させる。このような中で、ベルカント・オペラもそれなりの比重を占めているようで、歌手層の厚さ、演奏経験の豊富さなどは、そこそこに感じることが出来た。

ただ、振り返れば、ロジーナのバルチェッローナばかりが思い出される公演だった。この世界中のオペラハウスから引っ張りだこのメゾ・ソプラノは、ロッシーニの「タンクレディ」でデビューした正真正銘の「ロッシーニ歌い」であり、この公演でも素晴らしくレベルの高いベルカント唱法を披露して、聴衆を魅了した。
とはいえ、一人舞台にならないようにとの共演歌手とのチームワークに対する配慮も十分、アルマヴィーヴァ伯爵のメジュシを始めとして、ベルカントの水準をクリアした歌手たちを相手に、全体としても楽しい舞台だった。
オケはあっさりしてやや軽めで、オペラハウスのオケとしてはごく平凡な水準に聴こえる。オペラ的な響きを奏でるところは美点。 指揮は、テンポが速く音楽の流れは心地よかったが、指揮台の前にヤマハの電子ピアノを置いて、レシタティーボ・セッコをかなり自由に弾いていたのには驚いた。
歌手陣は、アルマヴィーヴァ伯爵、バジリオは良かったが、国立歌劇場があまり大きくはないためなのか、フィガロは演技は達者でも声量不足。バルトロにもそのきらいがあった。とにかく、音楽的にはバルチェッローナの素晴らしさが突出していたと思う。 

ロッシーニは「ベルカント唱法の完成者」と言われる。完成者ということは、それ以上発展の余地がないほどに極め、ベルカント唱法はロッシーニをもって終わったということを意味する。イタリアオペラの全盛期は、ロッシーニ後に登場したベルディによってもたらされたのだ。
だから、本物のベルカント歌手というのは、本場イタリアでも現在はあまりいないのではないかと思う。最近のベルカント・テナーというのも、ロシア・東欧、更には南米の出身者が目立つ。ハンガリーのオペラ団が、このあたりのレパートリーを大切にしていくと、ファンとしても楽しみが増すというものだ。

 

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