ヴェルディ: 歌劇「リゴレット」(演奏会形式 抜粋上演)

マントヴァ公: ジョルダーノ・ルカ
リゴレット: フランチェスコ・ランドルフィ
ジルダ: ヴェネーラ・プロタソヴァ
スパラフチーレ: アントニオ・ディ・マッチオ
マッダレーナ: ダニエラ・ピーニ、他

指揮: リッカルド・ムーティ
東京春祭特別オーケストラ
(2019.4.4 東京文化会館)

 声楽陣は万全とは言えないものの、こと指揮者とオケに関しては、信じられないほど素晴らしい公演だった。特にムーティの指揮は、ヴェルディの神髄に触れる思いがするほどのもので、私のこれまでのヴェルディ体験の中でも、最高のものではないかと思う。オケも飛び切りのレベルで、プログラムに特に説明はないが、よくある安直な臨時編成のものとは違うし、良く弾きこまれている。合唱場面を除いた抜粋上演。

ムーティという指揮者は、私は昔から大好きで、非常にリズム感覚に鋭い人と思う。音楽の時間軸での揃い方が半端ではないのだ。この人はトスカニーニの流れをくむ指揮者らしく、音頭が強く、それがどんな大編成のオケでも、どんな音符でも、どんなに速いパッセージでもぴったりと揃うので、聴いていて小気味が良い。それに、イタリア的な強靭なカンタービレが加わる。しかしそのことは聴いている分にはいいのだが、弾いている方は大変だろう。オケに対する要求度の高さという点では、おそらく最右翼なのではないか。それでもオケとのトラブルはあまり聞かないのは、だれもがその実力を認めているからなのだと思う。オケのトレーニング指揮者としては、(人格的に丸い?)アバドの比ではないと思う。
しかし妥協のない性格は、演出家や歌手など多くの人が関わるオペラとなると大変なようで、スカラ座の音楽監督の時はかなりの衝突があったみたいだ。
若々しさを売りにして活躍していたのがついこの間のように思い出されるが、この人ももう80歳近いのだという(それにしても依然として若々しい)。この人はデビューした瞬間から、よきライバル関係にあったアバドと並んで、世界中の誰よりも素晴らしいヴェルディを振り続けてきた。

前奏曲が始まると、会場の空気が変わったのを感じた。オケがピーンと緊張している。低音弦がかなり響くのは、弦の数(チェロ10、コントラバス8。リゴレット当たりの演奏とすれば弦はかなり多い)もあるだろうが、ムーティの最近のスタイルもあるようだ。小気味のいいリズムによって、会場にまるでイタリアの空気が流れているような錯覚を感じる(明るく抜けがいいとまでは言えないが)。強弱の差も大きく、ところどころの最強音の迫力は凄い。
歌手陣は、ムーティが選んだのだろう。主役のリゴレットに、英雄的なバリトンを当てるか、抒情的なバリトンを当てるかに注目した。リゴレットというのは、強者なのか弱者なのか。悪人なのか善人なのか、復讐の鬼なのか愛情あふれる父親なのか。ムーティの選択は後者であったと思うし、そのこと自体は良かったと思うが、オケが舞台に上がる演奏会形式では裏目に出てしまった。声量が不足して、大きな音のところではオケに声がかき消された。「悪魔め鬼め」などは、オケに負けて声が聞こえないのだ。これはほとんど致命的だった。マントヴァ公も、調子が万全ではないようで、声が会場に響き渡るところまではいかない。ただ、ジルダは声が良く伸びていて良かった。スパラフチーレ、マッダレーナは朗々とした声を聴かせて好演。

とまあ、いろんな感想が次々に湧いて出てくるが、いちいち書いてみてもキリがない。一言、終幕のジルダの死に向けて完璧な構成感を持って突き進み、最後は歌舞伎18番のように決まった「リゴレット」を聴けたことは、たとえ歌手陣が万全でなかったにせよ、私の人生での宝物のような体験だったといえる。
「春祭」に関しては、ヤノフスキの「指輪」のときにも感じたが、このレベル(というより志)の高い演奏会を企画した人たちにいつも感謝の念を禁じ得ない。指揮とオケに関して言えば、それほどまでに素晴らしい公演だった。

 

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