ワーグナー 歌劇「トリスタンとイゾルデ」

トリスタン: ゾルターン・ニャリ
マルケ王: ヴィルヘルム・シュヴィングハマー
イゾルデ: リエネ・キンチャ
クルヴェナール: エギルス・シリンス
ブランゲーネ: 藤村実穂子、他

指揮: 大野和士
演出: デイヴィッド・マクヴィカー
新国立劇場合唱団
東京都交響楽団
(2024.3.23、新国立劇場)

正味4時間にわたる「愛のドラマ」を堪能した。主役2人が代役の中で、これだけ充実した時間を過ごせたのは、代役の2人がとにかくも満足すべき歌唱を示した以上に、指揮をした大野和士がこのオペラを完全に手中に収め、時として強烈な和音を響かせながらも、東京都響から、滔々と柔らかで優しい音の流れを作り出し続けたことによる。第1幕の前奏曲でチェロが柔らかい音で旋律を奏で出したところから、この指揮者の意図するところが理解でき、いっぺんでこのドラマに引き込まれた。

歌劇「トリスタンとイゾルデ」は、ケルト伝説「トリスタン・イズー物語」を基にしている。
コーンウォールの英雄トリスタンは、アイルランドの勇者モーロルトを剣で倒したときに傷を負い、その傷を密かに敵国アイルランドの王女イゾルデに治してもらった過去がある。(第1幕)オペラはそのイゾルデをトリスタンがアイルランドから新しい嫁ぎ先であるマルケ王に届ける船上の場面から始まる。2人はこういう過去から毒を飲んで死のうとするが、イゾルデの侍女ブランゲーネによって媚薬に取り換えられため、むしろさらに愛し合うこととなる。(第2幕)コーンウォールに着いた2人は逢瀬を重ねるが、ある日マルケ王により逢瀬の現場を取り押さえられてしまう。怒ったマルケ王の臣下メロートはトリスタンに切りかかる。(第3幕)ブルターニュのカレオールに戻った重傷のトリスタンは死にかけており、コーンウォールからイゾルデの船が到着するが、間もなく息を引き取る。嘆くイゾルデはトリスタンの亡骸を前にして「愛の死」を歌う。

「トリスタンとイゾルデ」については、昔から吹き込まれていたことがいくつかあって、それがひっくり返される思いがした。
一つは、このオペラは「ニーベルンクの指輪」の上演の目途が立たないことからもう少し規模の小さなオペラを作曲しようとして書かれた、同様の作品に続けて書かれた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」がある、というものだ。今回の公演に接して、そういう印象はなくなった。このオペラは、ヴェーゼンドンク夫人との道ならぬ恋に落ちたワーグナーが、「ヴェーゼンドンクの5つの歌」に見られるようなヴェーゼンドンクの持っていた思想に感化されて、それを芸術作品に昇華しようとしたいたたまれない創作意欲につき動かされて作曲したという印象を持った。そしてその恋が実を結ばなかったことから、親方ハンス・ザックスがエヴァを諦める「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が書かれたという流れなのではないかと思うようになった。ヴェーゼンドンクの思想とは、ショーペンハウエルの哲学からくるもので、「生が持っている盲目的な衝動から最終的に逃れる手段が死だ」というものだ。今回の上演で字幕を追いながら、このオペラがそういう思想を背景に持っていることが実によく実感できた。
もう一つは、このオペラで多用される半音階が、その後の音楽史を決定づける無調、そして十二音を導いたというものだ。事実としてはそういう一面もあるかもしれないが、それはワーグナーの意図したものではなかったという印象を持った。このオペラで半音階が多用されるのは第1幕への前奏曲はそうだとしても、全体としては全くの調性音楽であり、主和音による解決を目指している。無調というのが「主和音のない音楽」とすれば、これは全くそういう性格は持っていない。
更に挙げれば、このオペラが持っている象徴主義的な側面である。ドビュッシーは、巷間持たれているイメージとは違って、熱烈なワグネリアンであったし、このオペラと最も近い関係にあるものとして「ペレアスとメリザンド」が挙げられる。ストーリーは非常に似通っているし、「トリスタン」が与えた影響力はフランスを含めヨーロッパ全土に及んでいる。ドイツ音楽だけに目を向ければ十二音との繋がりが見れるのかも知れないが、現代の聴衆はもっと広いパースペクティブで音楽を捉えることが出来る。

今回の上演で最も称えられるべきは、大野和士と東京都響が作り出した素晴らしい音の世界だろう。前奏曲の最初のメロディーが出た時から、その柔らかい音に魅せられた。やや硬派のイメージがあった東京都響から、こんなにふくよかで潤いのある音が出るんだという驚き。大野和士はドイツ物ばかりでなくラテン系の音楽も得意とする。今回のインターナショナルな印象はそういうこととも関係しているかもしれない。ただ、愛の二重唱の前段にカットを加えており(それ自体は問題はない)、引き締まった音楽は良かったものの、あれっという間に二重唱が始まったのには戸惑った。
主役を歌ったキンチャは、第1幕は威厳のあるイゾルデを歌って非常によかった(「愛の死」が盛り上がればさらに大きな拍手を得ただろう)。歌は良かったのだが、会場を埋め尽くした多くのファンはエヴァ=マリア・ウェストブルックを聴きたかっただろうから不利ではあった。トリスタン役のニャリは元俳優ということで声がやや不足したが、後半は盛り返した。バイロイトで活躍する藤森美穂子は前半は存在感がいまいちだったが、後半は伸びと深みのある声で魅了した。シュヴィングハマーは、重量感あるマルケ王を立派にこなしていた。
幻想的なマクヴィカーの演出は、相変わらず手堅くも、感動的だ。背景の月が、愛の物語全体を見守っているようだった。

「トリスタンとイゾルデ」は、「新ウィーン楽派」と並んで、戦後のドイツ音楽受容の大きな柱だった。バイロイト実況録音のベーム盤に、ドイツ音楽を信奉してた日本のファンは熱狂した(私もその一人だ)。今回の「トリスタンとイゾルデ」は、「ペレアスとメリザンド」と繋がる新しいヨーロッパ音楽全体の地平を見せてくれたような気がする。

 

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