ヨハン・シュトラウス : 喜歌劇「ウィーン気質」

ツェドラウ大使: 与儀巧
大使夫人: 塩田美奈子
フランツィー: 醍醐園佳
ぺピ: 守谷由香
首相: 小栗純一
ヨーゼフ: 升島唯博、他

演出: 荻田浩一
指揮: 阪哲郎
東京フィルハーモニー管弦楽団
二期会合唱団
(2015年11月22日 日生劇場、東京二期会公演) 

 喜歌劇「ウィーン気質(かたぎ)」は、ヨハン・シュトラウスの17あるオペレッタの最後の作品だが、成立の事情はユニークだ。
まずこのオペレッタは、ワルツ作品「ウィーン気質」が最初にあって、そこからそのタイトルに合わせてストーリーが作られた。そして、そこに使われる旋律は、「美しく青きドナウ」「朝の新聞」を始めとして、ヨハン・シュトラウス自身のワルツ、ポルカ、マズルカ、ポロネーズなどの有名・無名の舞曲からふんだんに引用され、台詞もそれに合わせて書かれた。他の作品がペナント・ゲームとすれば、これはオールスター・ゲームのような作品だ。
反面、ストーリーはひたすらウィーン人の持っている気質を賞賛するもので、音楽には、「こうもり」や「ジプシー男爵」の随所に感じられるような天才的な瞬間はない。舞台作品に何を期待するかだが、ひたすら耳に心地よい旋律で夢のような世界に浸ろうとすれば、これ以上の作品はないだろう。

時代と場所は、ウィーン会議(1814-15年)の行われているウィーン。ナポレオン戦争後にヨーロッパ列強が国境の再策定を行った会議で、各国の政治家、政府高官、外交官がウィーンに集まり、長期に滞在した。会議がなかなか進まない中で、連日のように舞踏会が開かれ、ウィンナ・ワルツの原型が生まれた。「この時、ウィーンは世界の中心だった」。そんな時代だ。
第1幕は架空の小国の大使ツェドラウの邸宅。そこに大使は愛人を囲っているが、ふと見かけたお針子にも関心を示している。ウィーン出身の夫人は結婚してから世界旅行に出て、この日に帰って来る。第2幕はウィーン会議の舞踏会、第3幕はウィーン市民のお祭りの場。浮気心、誤解などで、他愛もない物語が進行するが、最後はハッピーエンドだ。
要は、田舎の小国の堅物大使ツェドラウが、ウィーンの文化に触れて、次第に夫人の思い通りの、「恋を楽しみ、人生を楽しむ」ようになった、というお話しだ。

演奏では、まず何と言っても指揮の阪哲郎が素晴らしかった。私はこの人の名前は知らなかったので、どうせ日本人のウィンナ・ワルツだろうぐらいに思って、まったく期待はしなかった。ところが、どのフレーズからもウィーンらしさが感じられ、ときどきオーケストラ・パートだけ聴くと、ワルツのリズムも歌いまわしも隅から隅まで血が通って、実に魅力的なのに驚いた。何でもこの人は、ヨーロッパの歌劇場で活躍している人で、ウィーンのフォルクス・オパーでは年末の「こうもり」を振ったこともあるというので2度驚いた。
歌手では、3人のソプラノはそれぞれに良かったが、去年の「チャルダーシュの女王」でも主役を歌ったという醍醐園佳が役にはまっていて、かつ華があって魅せられた。 声も、無理なく洋風に響いて好印象。いつか、オペラの役で聴きたい。与儀巧は、さすがに声量があって張りもあるが、この役には更に甘さもあればと思った。

最大の問題は、演出だ。舞台の背景には、全幕通してハロウィンの木型のようなものが散りばめてあって、何の意味か不明だった。プログラムを読むと、第3幕のお祭りのイメージだという。1つの大道具を通して使うのは止むを得ないとしても、ヨハン・シュトラウスのオペレッタで第3幕というのは、中心的な位置は占めない。この作品でも、第1幕と第2幕で上演時間の大半を占める。そこでの中心は、何と言ってもウィーン会議だ。そこを差し置いて、となると、観衆は意味不明の舞台装置を、2幕の終わりまで見せられることになる。
「ウィーン気質」は、めったに上演されない。二期会でも初めてという。何度も上演された作品の演出をひねってみるというのはアリだろう。しかし、そもそも観衆が初めて見るような作品でひねられても、意図は分からない。舞台上には、ウィーン会議どころか、道具立てはほとんど何一つなかった。これなら演奏会形式の方が、まだカラフルだ。私は、どんな公演でも、誰か一人くらいは外国人を起用すれば(今回は演出だろうか)、もう少し表現力の高い舞台が出来るのではないだろうかと思った。
また、日生劇場はデッドで残響がほとんどないので、聴いていてしんどい。昔は中ホールでは、郵便貯金ホールという音響のいいホールがあった。これから建て替えやらで、東京の音楽ホール不足はさらに深刻化するのだというから心配だ。

全体に、ウィーン情緒が排され、音楽だけがさらけ出されたという印象の公演だった。

《付記》
二期会は、オペレッタ上演の長い歴史を持っている。
私はその昔(学生時代)、二期会の公演でロンバーグの「学生王子」というオペレッタを郵便貯金ホールで観たことがある。 ブロードウェイ作品だが、「懐かしのハイデルベルク」を原作としていて、ウィンナ・オペレッタに分類される。王子が大学生になり、下宿先の娘と淡い恋をするが、やがて城に帰っていく。王子はその後に再びその地を訪れるが、その時、下宿先の娘とばったり再会する、という話だ。胸キュンもので、懐かしさに満ちた「学生王子のセレナード」など、今でも耳に残っていて忘れられない名演だった。「学生王子」の共演者は結ばれる、というジンクスがあるということも聞いた。そういう「学生王子」は、素晴らしい旋律に満ちているのに、今日、聴こうとしてもCDもない。聴衆の嗜好も変わり、ひたすら甘い世界に浸っていたいという向きも少なくなったからだろうか。
オペレッタの演奏スタイルは、カルロス・クライバーの「こうもり」が出てきたあたりから、甘さを排して、躍動するリズムを強調するように変わってきたと思う。聴衆の好みが変わっても、本格的なオペラ団の演奏するオペレッタとして、これからも二期会には、レベルの高い歌やオーケストラ演奏を期待したい。

 

 

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