モーツァルト「フィガロの結婚」

アルマヴィーヴァ伯爵: フルヴィオ・ベッティーニ
伯爵夫人: クララ・エク
スザンナ: ロベルタ・マメリ
フィガロ: 萩原潤
マルッチェリーナ: 穴澤ゆう子 他

管弦楽: レ・ボレアード
合唱: 北区民混声合唱団
指揮: 寺神戸亮
(2013年11月24日 北とぴあ さくらホール。セミ・ステージ形式での公演)

 私は東京北区にある北とぴあさくらホールで、2005年に鈴木雅明の指揮でヘンデルの「ジュリオ・チェーザレ」(ジュリアス・シーザー)を観ている。それは東京二期会の主催で、世界的に見てもトップクラスの水準と思えるような素晴らしい演奏だった。今回は北区の地域おこしのような公演だから、それと同一線上には比べられない。公演の雰囲気も、もっと仲間うちといった和気あいあいとしたものだった。

その限りでいうと、主役3人の外国人歌手が、声楽的な充実度、オペラ的な雰囲気などで他を圧倒していた。特にスザンナを歌ったイタリア人ロベルタ・マメリは、透明でありながら声量も十分、よく通る声で、利発そうでおきゃんな理想的なスザンナを演じていた。4幕のアリアではテンポをやや落として、その美声に聴衆全体がうっとりと聴き入って、万雷の拍手を受けていた。スウェーデン人クララ・エクも、特に2幕、3幕のアリアでは愁いのある伯爵夫人をやはり透明な声で歌って魅了された。スザンナと伯爵夫人との掛け合いもよく、3幕の「手紙の2重唱」はともに透明でよく通る2つの声が絡み合うさまが楽しめた。
アルマヴィーヴァ伯爵を歌ったベッティーニは、いわゆるベル・カントで、柔らかな声が決して威圧的にならない伯爵を演じて、好感が持てた。
フィガロの萩原潤は好演。若々しい声で声楽的にも演技的にも余裕のある歌唱は、外国人3人にまったく引けを取らないほどに水準が高かった。マルッチェリーナの穴澤ゆう子は、声が出ないケルビーノ役のパートまで受け持って大活躍。メゾと言っても若々しい伸びのある美声で、ケルビーノの2つの歌は大変に楽しめてむしろ大満足だった。

それらに対してオーケストラは、印象が薄かった。寺神戸亮は、我が国バロック・バイオリンの第一人者ともいうべき人だろう。私はモーツァルトのオペラは今や古楽器で聴きたい方だから、この人の指揮には大変に期待が大きかった。しかし、この人がモーツァルトの音楽からいったい何を聴衆に聴いてもらいたいのか、最後まで分からなかった。前半では、アンサンブルをきちんとまとめるといったこと以上のメッセージは伝わって来ない。そのアンサンブルも、臨機応変、当意即妙、自発性十分といった外国人3人の歌手と比べれば硬すぎて、「四角四面」という言葉さえ浮かんだ。日本のバロック・オーケストラは、どうしても音色が沈みがちで、明るさに乏しい。指揮にも、そういう部分を打ち破るほどのパワーがあればと思ってしまった。

全体としては、はちきれんばかりに楽しい外国人を中心とする声楽陣に対して、愉悦の境地までには達しない真面目な、アンサンブルももう一つといったオーケトスラが対峙したといった感じの公演だった。オリジナル楽器使用にふさわしく、4幕のマルッチェリーナのアリア、バジリオのアリアも省略せずに歌われたおそらくは完全版の上演。

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