サン=サーンス 歌劇「サムソンとデリラ」(演奏会形式の公演)

デリラ:板波利加
サムソン:樋口達哉
ダゴンの大司祭:門間信樹、他

指揮:マキシム・パスカル
舞台構成:飯塚励生
二期会合唱団
東京フィルハーモニー交響楽団
(2021年1月5日、オーチャード・ホール)

素晴らしい公演で、感動した。まさか、「サムソンとデリラ」でこういう感動を得ることが出来るとは思ってなかった。

サン=サーンスは、「動物の謝肉祭」で知られる作曲家だ。しかし、人はなぜ「動物の謝肉祭」を聴くのだろう。この組曲は、特徴ある様々な小曲から構成されるが、そのほとんどがどうしてもという曲ではない。しかしこの組曲には最後に「白鳥」という、世界で一番美しいチェロのための曲があり、聴衆はそこでカタルシスを感じるようにできている。(そこまでの小品では、当時の批評家やら作曲家やらが揶揄されており、「白鳥」はサン=サーンス自身の音楽が表わされていると解釈する人がいる。)
「サムソンとデリラ」には、デリラの歌う「あなたの声に心は開く」という、世界で一番美しいメゾ・ソプラノのためのアリアがあり、人はそこでカタルシスを感じるようにできている。人が「サムソンとデリラ」を聴くのは、ひとえにこのカタルシスを感じるためだ!
と、思っていた。この公演を聴くまでは。

「サムソンとデリラ」は、題材を旧約聖書からとっており、次のような物語だ。
(第1幕)古代紀元前。ヘブライ人はペリシテ人に支配されている。怪力を持つサムソンはヘブライ人に蜂起を促す。(第2幕)恐れたペリシテ人は一計を案じ、美女デリラの住む家にサムソンを導き出して誘惑、怪力の秘密を暴く。(第3幕)眼と怪力を失ったサムソンは後悔し、ヘブライ人のために命を捨てる覚悟を誓う。すると奇跡が起きて怪力が蘇り、ペリシテ人の神殿に導かれたサムソンは円柱を倒して、ペリシテ人ともどもに生き埋めになって幕となる。

アリア「あなたの声に心は開く」は第2幕の最後の方にある。板波利加は、第1幕では声質にやや特徴があって不安にさせたが、第2幕からは綺麗なソプラノの声を聴かせ、このアリアでは存分に聴衆を酔わせた。指揮のパスカルもよくサポートした。私はこれで十分に満足したのだが、この公演の真価はそこから先にあった。
第3幕では、樋口達哉が哀れなサムソンを良く表現する一方で、ひときわ豪華な衣装に着替えた板波利加が復讐をなし遂げて勝ち誇った悪女を低域の声と視覚で表現した。この衣装の持つ効果は聴衆をハッとさせるものだった。そして神殿が瓦解する最後のシーンで、舞台奥のスクリーンには、ガンジーやらリンカーンなどの写真がフラッシュバックのように映し出された。
「サムソンとデリラ」の舞台構成上のポイントは、この最後の結末をどう現代人に訴えるかだ。この公演では、ヘブライ人のために命をささげることを決意したサムソンを、やはり虐げられた人々のために戦ってそのために命を落とした(暗殺された)歴史上の偉人たちに重ね合わせたのだろう。非常に優れた解釈であり、私は初めて「サムソンとデリラ」の結末の意味を理解したような気がした。

しかしこの構図、何かに似ている? 現在、映画「鬼滅の刃~無限列車編」が公開されていて、日本の映画興行収入の記録を更新中だ。
煉獄杏寿郎は、たまたま乗り合わせた列車乗客たちを守るため、鬼と死闘を繰り広げる。そこで杏寿郎の頭にフラッシュバックされたのは、幼い日の母とのやり取り、「お前の身体は他の人たちよりも強くできている。なぜだか分かるか?」「いえ」「それは弱いものを守るためだ。弱いものを守るのは、強く生まれたものの責務なのだ」。煉獄杏寿郎は、乗客を守った後、最後の戦いで、鬼からの不死の鬼にならないかとの誘惑を拒否して人知れず死んでいく。
今、日本中が煉獄杏寿郎の運命に涙している。突飛な例えに感じられるかもしれないが、「サムソンとデリラ」のサムソンもまた、怪力をヘブライ人を救うために使って自らの命を落とした悲劇の主人公と見たのが今回の舞台だと言える。

今回の公演で、演出に相当する役割を果たしたのは、舞台構成の飯塚励生だろうか。この優れた解釈は、出演者の間で共有されたに違いない。それがこの力の入った演奏を生み出した原動力だろう。私はこのオペラでは2組のDVDを持っているが、こんなに2幕から終幕に至るまでのドラマトゥルギーを感じたことはない。
マキシム・パスカルは代役と言うが、細い体をくねくねさせての熱演。フランス人ならではの作品との一体化は見事と言うしかない。第3幕の「バッカナール」は、オケともども素晴らしいリズムの饗宴が聴けた。

この日は、コロナで自粛期間中。だが、ずいぶん前に買ったチケットだから行った。会場は案の定空席が目立った。しかし公演自体は非常に優れたもので、本当に聴けて良かったと思った。

 

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