レ・ミゼラブル

 

 世界的なロングランを続けるミュージカルの、ロンドン初演25周年を記念して上演された、一夜限りのコンサートの感動的な記録。最近、映画化されてそちらも感動的だが、こちらはあくまで舞台上演に携わってきた人々によってキャスティングされていて、どの出演者からもこのミュージカルに対する並々ならぬ愛情が伝わってくる。ロンドンO2アリーナは収容人員20,000人という大きなホールであり、この一期一会のイベントに立ち会った満員の場内はほとんど最初から最後まで興奮のルツボで、見ている方も胸が熱くなる。公演最後にはサプライズもある。日本盤は対訳も付き大変に便利。

キャストは強力で、おそらく史上最強の組み合わせの一つではないかと思う。特に、エポニーヌ(「オン・マイ・オウン」)、ジャベール警部(「スターズ」)、マリウス(「エンプティ・チェーアーズ・アット・エンプティ・テーブル」)の3人の歌は、感動的なまでの歌唱力をもって聴かせる。もちろん、主役のジャン・バルジャンも朗々とした声で英雄的な歌を聴かせて素晴らしいし、蜂起を主導するアンジョルラスも張りのある堂々とした声で印象的、宿屋の夫婦のコミックな歌いぶりも聴きもの、と、数え上げたらキリがない。舞台に上がってのオーケストラも熱演。コンサートとは言っても、出演者は衣装を付けており、劇場的な雰囲気は十分に伝わる。

クラシック・ファンにとっては、何といっても作曲者クロード=ミシェル・シェーンベルクに関心が向かうだろう。作曲家アーノルト・シェーンベルクを大伯父に持つという人だからだ。具体的には、文豪ヴィトル・ユゴーの原作そのものというより、作曲家がこの長い原作をどう捉えて、どのように音楽を構成しているかだ。
 
音楽の中心は、意外にもエポニーヌの「オン・マイ・オウン」だ。この薄幸な少女は、マリウスに密かに好意を寄せるが、コゼットに夢中のマリウスには相手にもされず、市街戦が始まると自ら先頭に立って一番先に死んでいく。この歌の内容は、自分が誰にも愛されずたった一人で自立していることの孤独と苦しさを歌うものだ。このメロディーは、ミュージカルの初めでジャン・バルジャンによって、そして最後ではファンティーヌによっても歌われ、ここで歌われるメッセージが劇全体の主題であることを観客に印象づける。
では、そのメッセージとは何だろう?

「レ・ミゼラブル」とは、もちろん「惨めな人々」という意味だ。しかし惨めな人々とは誰だろう?ジャン・バルジャンはパンを盗んで19年間牢獄に入れられるから一見そう見えるが、その後、工場経営が成功し市長になって、引き取った娘コゼットは立派に成長し、マリウスという誠実な伴侶を得る。境遇としては半生は惨めだが、生涯全体が惨めとまでは言えない。ジャン・バルジャンの後半生は貧しくはないし、貧しい労働者でもない。革命に身を投じて英雄的に命を落とす人々も、惨めという言葉は当たらない。それでもこの物語には、惨めな人々というタイトルが付いている。それはおそらく、個々の人々と言うよりは、この物語に登場するすべての人々を指したものだろう。
一般に、農業社会というのは、半分は自然の恵みで成り立っている。農作物は、人間が作るのはプロセスの半分だけで、残りの半分は自然が育ててくれる。だから人間は、その自然を神として感謝の対象とした。人間は、神に護られていたと強く感じただろう。しかし工業社会はそうではない。全て人間が作る。工業製品は、自然には育ってくれない。都市に住む人たちは、そういう中で貧困という問題に直面しなければならない。 人々はもう、神に護られているという意識を素直には持てないだろう。「レ・ミゼラブル」の惨めだというのは、「神に見捨てられて惨めだ」という意味にとるのが最も自然だ。そうするとそれは、農業社会から離れて都市で生活する人々全体のことを指している。
だから、エポニーヌが一人で自立して神の庇護を感じることが出来ないこと、すなわち人間が工業社会に足を踏み入れて自立していることが惨めなのだ。「レ・ミゼラブル」は現代訳ではそのまま「レ・ミゼラブル」だが、かつては「ああ、無情」という超訳によって知られてきた。無情というのは、神の情けがないことと取れるから、そう考えるとこれはこのタイトルのエッセンスを見事に表した超名訳だ。
だから、神はいる、しかし都市では人は人と助け合って生きて行かなければならない、というのがこの物語と音楽が放っているメッセージだ。 

音楽は、12音こそないが、変拍子を随所に配して知的な側面を見せる。また、ライト・モチーフもないが、上述のように、フランス系らしく(原詩はフランス語だ)、メロディーが循環的に使われているといった工夫がなされている。
長い物語だが、短い時間の中で、観客は原作者のメッセージも、作曲者のメッセージもちゃんと受け取れるように出来ている。素晴らしいミュージカルの、稀有の一期一会ともいうべき演奏だ。

 

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