「ライオンキング」

ラフィキ: 金原美喜
ムファサ: 内海雅智
ザズ: 雲田隆弘
スカー: 韓盛治
ヤングシンバ: 西川岬希
ヤングナラ: 帥田実澪
シンバ: 田中彰孝
ナラ: 江畑晶慧 他

作曲: エルトン・ジョン、レボ・M 他
作詞: ティム・ライス 他
台本: ロジャー・アラーズ、アイリーン・メッキ
劇団四季公演
(2015.2.15 東京・浜松町 四季劇場 春)

 目で観て、耳で聴いて、楽しいディズニーのファミリー・ミュージカル。日本では1998年の初演以来、16年間のロングランを誇り、もう9600回以上公演しているそうで、この日も日曜日の午後、客席は隅々まで満席だ。確かに子供連れもいるにはいるが、客席の大半は大人だ。

ライオンキングについては、まず世界で最も商業的に成功したエンターテインメントだという事実がある。
成功の理由はいくつも挙げられるだろうが、まずは、見て楽しい動物たちのからくり衣装と、ファミリー・エンターテインメントの王道を行くストーリ-。キーワードは、《父子愛》、《王位継承》、《パニック》、《ハッピーエンド》だ。(モーツァルトの「イドメネオ」と同じじゃないか!?)

シンバは、父で王ライオン・ムスタファの後継だが、ムスタファの弟スカーは王の地位を狙っている。スカーは、シンバを巧みに巻き込んで、ムスタファを事故と見せかけて殺す。自分のせいで父が死んだと思いこんだシンバは、王国を離れてアフリカの地を彷徨う。そんな中、シンバはかつて仲の良かった雌ライオン・ナラと偶然に再会し、スカーの支配する王国で多くの動物が餓えに苦しんでいることを知らされ、王国に戻る決心をする。シンバは、スカーと対決、打ち破って王となる。

そしてもちろん、音楽だ。アニメーション映画「ライオンキング」のために書かれたエルトン・ジョンによる5曲をベースに、アフリカ系の音楽家による躍動感あふれるアフリカのリズムがもたらす生命感あふれる音楽。
日本人による今回の公演では、演奏も素晴らしかった。音楽の楽しさ、歌唱、コーラス、リズムなど、私の持っているブロードウェイ・オリジナル盤のCDと比べて、何の遜色も感じなかった。 個別には、帥田実澪の、元気いっぱい、オーラいっぱいのヤングナラが印象的だった(これは同伴した2人の女性も同じ意見です。私だけではありません)。

アニメーション映画「ライオンキング」の米国公開が1974年、舞台ミュージカルのニューヨーク初演が1997年だ。ベルリンの壁崩壊が1989年だから、米ソ2極対立が終わってからのアメリカ1強、パックス・アメリカーナの時代はもう20年以上続いている。
普遍的なストーリーを持った「ライオンキング」をそれと結びつけるのはこじつけのような気もするが、このミュージカルの成功の巨大さはいったい何なんだろうという思いは残った。
これを演じた劇団四季の若い人たちのパワー、初演16年目にしてなおそれを支える劇場を満員にした聴衆の熱気。私も、元気がほしくなったらまた来よう!

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ワーグナー: 歌劇「さまよえるオランダ人」 ~ 船乗りの妻

オランダ人: トーマス・ヨハネス・マイヤー
ゼンタ: リカルダ・メルベート
ダーラント: ラファウ・シヴェク
エリック: ダニエル・キルヒ 他

指揮: 飯守泰次郎
演出: マティアス・フォン・シュテークマン
東京交響楽団、新国立劇場合唱団
(2015年1月31日、新国立劇場)

 4人の主役級歌手の声の競演が素晴らしい公演だった。新国立の舞台機構をフルに活用したシュテークマンの演出も、ドラマを大いに盛り上げた。ただ、評判の高い新国立劇場合唱団の期待にたがわぬ迫力ある合唱があったとはいえ、こうまで4人の外国人歌手陣の素晴らしさに圧倒されると、オペラという芸術分野における彼我の力の差を見せつけられたような思いを強くした公演でもあった。特に、ゼンタを歌ったメルベートなど、こんなに張りがあって力強い声を持ったソプラノは、今の日本を見渡してみて全く思い当たらない。新国立の目的の一つが、日本のオペラ界全体の水準を引き上げることにあるとしたら、こういう歌唱をナマ体験できる機会が身近に提供されることの価値は大きい。

「さまよえるオランダ人」は、音楽が全編にわたって強い緊迫感を維持する、間違いなくワーグナーの傑作オペラと思うが、上演される機会は実はあまり多くない。理由の一つには、ゼンタにとびきりのソプラノを用意しなければならないことがあると思うが、さらには、そのゼンタという女性がどういう女性なのか、したがってワーグナーがこのオペラでゼンタの何を描きたかったのかが分かりにくいということが挙げられる。

オランダ人は、航海中に嵐に会ったときに、自ら運命を切り拓こうと神を呪う言葉を吐いたことから永遠に死ぬことなく海をさまよう罰が与えられる。しかし、7年に一度の上陸で、一生涯の愛を捧げる女性が現れたら救われるという。そんな中で、船長ダーラントのもとで帰郷を急ぐノルウェー船に遭遇する。ダーラントはオランダ人の品格に感心し、またオランダ人の持つ財宝に目がくらみ、娘ゼンタを嫁にやる約束をする。一方、ノルウェーの地で父を待つゼンタは、女工たちに子供の頃から聞かされたオランダ人の伝説を語り、自分こそが不運なオランダ人を救うのだという決意を打ち明ける。そこにダーラントがオランダ人を連れて帰郷すると、初めて引き合わされたオランダ人とゼンタは直ちに自分たちの運命を感じる。しかしかつての恋人エリックがゼンタに昔の日々を話すのを聞いて、愛が失われたと誤解したオランダ人は出帆しようとするが、ゼンタは愛の証として命を投げ打つので、オランダ人は救われて絶命する。

これまで様々なゼンタ像が描かれてきた。
私の手元には、アニア・シリアがクレンペラーの指揮のもとでゼンタを歌った名盤CDと、今回のメルベートがティーレマンの指揮によりバイロイトで歌った最新実況盤BDがある。シリアは、夢見る乙女のような無垢で透明な声質ながら鋼のように強靭で神がかった歌唱を聴かせるもので、私がこれまで理想としてきたゼンタ像を作り出している。それに対して、メルベートのバイロイト盤では、ゼンタはオランダ人の救済という空想に取り憑かれたほとんど変人のような描かれ方をしていて、「これは本当に悲劇だろうか」と思うほどだ。
今回の演出でメルベートによってゼンタは、自分の役割は一生涯の愛を捧げてオランダ人を救済することであり、何が起こってもその信念と決意を変えないという強烈な意志の力を持った女性として描かれる。私はメルベートがここで描き出したゼンタに、一つの典型的なドイツ人女性像を見たような思いがして感動した。

「オランダ人」を観て、現代人が必ず感じるのは、「女性が、親が決めた男性に添い遂げて、それがなぜオペラになるのか?ましてや財宝がらみだし。」ということだろう。しかしよく考えてみなければならない。これは船乗りの話なのだ。1年の多くの時間を死と隣り合わせで海で過ごす船乗りと、その船乗りの妻との最初の運命的な出会いというのは、こういうものだったのではないだろうか。どんな運命でも積極的に受け入れて添い遂げる覚悟がなければ、船乗りの妻にはなれない。海に命の危険をさらして船乗りが得る報酬は、大金だ。それは、命の危険と引き換えに得るもので、陸の人間にはないものだ。
陸の人間で、いつもゼンタのそばにいることが出来る代わりに収入が不安定な狩人のエリックは、ゼンタに変わらぬ愛を打ち明けるが受け入れられない。ゼンタはすでに、自分は船乗りの妻になることを決めているのだ。
「オランダ人」を書いていた頃、ワーグナーは女優ミンナと最初の結婚をしていた。しかし革命運動に身を投じるワーグナーと、生活の安定を求めるミンナとの間には不和が絶えなかったという。ワーグナーは、オランダ人船乗りに自分自身を投影しただろうし、ミンナにも船乗りに一生を捧げるゼンタのような一途な心を求めたのかも知れない。

歌手では、何と言っても、おそらくは現在世界最高のゼンタ歌いであるメルベート。第2幕でのオランダ人との2重唱や、第3幕の幕切れでの、ここぞという場所での張りのある声の力は感動的だった。オランダ人のヨハネス・マイヤーは、ややくすんだ声で、それが暗い運命を背負ったオランダ人の苦悩をよく表現していた。ダーラントのシヴェクは、船長としての威厳を感じたが、円満で喜劇的な要素のないダーラントで、オランダ人とややキャラクターがだぶった感があった。ただ朗々としてよく響く声は立派で、声そのものには魅せられた。

指揮とオーケストラは、可も不可もなし。飯守泰次郎は、全体をそつなくまとめて、情感もあり、盛り上がりも充分だったが、この人でなければならないという個性的、独創的な瞬間がなかった。弦の唸るような動きに、海を感じることが出来なかったのも残念だった。
オーケストラは、熱演とだけしか言えない。弦には細やかなニュアンスを感じることが出来たが、金管は他の作曲家ならこれでいいかもしれないが、ワーグナーには力感が不足した。(私は「オランダ人」は読売日響でも聴いたことがあるが、やはり同じ印象を持ってしまった)
最後になったが、合唱団は強烈な力感を持った素晴らしいもの。「オランダ人」は、一種の「合唱オペラ」だから、聴く前からの楽しみでもあったが、この合唱には多くの人が満足したのではないだろうか。

 「オランダ人」は、確信をもって自己の運命を受け入れる人々のドラマであり、船乗りとその妻となる女性の間の、強い信念と絆で結ばれた愛の物語なのだ、というのが私がこの公演から得た印象だ。 

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