クラシック音楽を生活の糧としている私が出会った演奏会、CDやDVDなど印象に残ったことを紹介をしていきます。
クラシック音楽のある生活
ワーグナー: 「ジークフリート」(演奏会形式の公演)
ジークフリート: アンドレアス・シャーガー
ブリュンヒルデ: エリカ・ズンネガルド
さすらい人: エギルス・シリンス
ミーメ: ゲルハルト・シーゲル
アルベルヒ: トマス・コニエチュニー
ファーフナー: シム・インスン
エルダ: ヴィーブケ・レームクール
森の鳥: 清水理恵
指揮: マレク・ヤノフスキ
NHK交響楽団(ゲスト・コンサートマスター: ライナー・キュッヒル)
(2016年4月10日 東京文化会館)
素晴らしい演奏会だった。こんなに充実したワーグナー体験が出来たことに対して、指揮者、歌手、オーケストラ、全ての関係者に感謝したい。
そして素晴らしい聴衆。広い東京文化会館の全ての席を埋め尽くした聴衆は、最初から名演奏となることが分かっていたかのようで、心が一つになった。第3幕が終わった後の拍手は、最後には総立ち。万雷の拍手に、うなづくように応じる指揮者と、満面の笑みで応える歌手たち。私も、夢中で拍手した。
これは、演奏者と聴衆が一体となって作り出す「舞台祝典劇」という祭りなのだということを改めて思った。聴衆は、この祭りへの参加者だ。
聴衆がこれほどまでに一体となれたのは、指揮者ヤノフスキによるところが大きい。私はこの人の演奏をよく知らなかったが、昨年、ブルックナーの8番を聴いて、その質の高さから、現在最高のワーグナーを聴かせる人であることを確信した。今回は指輪サイクルの第3作目であり(私は初めてだったが)、前2作の演奏で、聴衆との間の信頼関係が出来上がっていたのだと思う。
この人は、作品を完全に手中にしており、全ての音に内的な充実がある。最初の音符から最後の音符まで、強い意志で一貫しており、ふらつきがない。音楽が滔々と流れ、重厚感がある。そしてどんなに長い音楽でもスタミナが持続し、この人の作り出す音楽にずっと浸っていたいと思わせる。それでいて、チャーミングな音色感にも不足しない。例えば、「森の囁き」。テンポは速めだったが、木管によるあたかも鳥が本当に囀り合っているようなカラフルな音楽作りに、目が眩むような思いがした。
今回は歌手陣も飛び切りだ。
まずは主役ジークフリートを歌ったシャーガー。本当に伸び伸びとした歌で、声量が特別に豊かなので、聴いていて気持ちがいい。役になりきった大きなジェスチャーで、表現力もぴか一。無垢な英雄をよく表現している一方で、見たことがない母親を想うシーンも、感情がこもっていて聴かせた。ほとんど出ずっぱりのジークフリートは体力を消耗するはずだが、シャーガーは明るく元気いっぱいで、もう一回歌えと言われれば歌うのではないかとさえ思えた。
ミーメも、すっかり役になり切っての歌唱で、張りがある声は十分にジークフリートに対抗していた。そして感心したのがアルベルヒを歌ったコニエチュニーで、悪の中に知恵が働いているといった性格描写が、恵まれた声でよくなされていた。エルダの落ち着いた声は、女神としての威厳もあり、声そのものにも魅力があった。
さすらい人を歌ったシリンスは、登場時は声が響かなかった嫌いがあったが、次第に調子を上げていた。深みのある解釈は聴きものだったと思う。歌詞本(ボーカル・スコア?)を全く持たないで歌ったのは立派。ブリュンヒルデは、出番は短いが、よく通る声で最終場面を盛り上げていた。
いずれにせよ、歌手陣はこれ以上は望めないほどのレベルで、実際の舞台でこれだけを揃えられるのは、ウィーンかバイロイトぐらいだろうと思わせた。
「ジークフリート」は、指輪の第3作だ。指輪は構成が非常によく考えられていて、4つのオペラが単に並んでいるだけでなく、それぞれの性格が際立つように出来ている。最後の「神々の黄昏」は正真正銘の悲劇であるが、それに対して、序幕となる「ラインの黄金」は喜劇だ。それも、ComedyというよりFarce(笑劇)に近い。また第一夜「ワルキューレ」は、ブリュンヒルデから見ると悲劇とまではいかなくて、ロマン劇と言うところだろう。それらに対して、「ジークフリート」は何とも言いようがない。強いて言えば、牧歌劇だろうか。
「ジークフリート」は、「神々の黄昏」で死ぬ英雄ジークフリートがどのような人物なのかを描き、暗い「神々の黄昏」を見る前夜に、聴衆が一点の曇りもなく晴れやかに一日を終えることが出来るように作られている。「ジークフリート」は「神々の黄昏」とペアであり、ペアとしてのみ価値が主張できるオペラだ。だから、本当の終わりではない幕切れに向かって働く力は弱く、充分なスリルを感じさせない。
ワーグナーはさすがに、このなんとも呼びようのないオペラにフラストレーションを感じて作曲を中断し、典型的な悲劇「トリスタンとイゾルデ」と、典型的な喜劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を仕上げたのだろう。
しかし音楽は充実している。 第1幕でのノートゥングを完成させるところや、第2幕での森の囁きなど、気持ちが吸い込まれそうだ。また、演奏会形式であることからオーケストラがよく見えたので、森の囁きでは、一番最後のシーンを除いて、バイオリンがずっと休んでいることが分かって興味深かった。ワーグナーの特徴でもある中低域の響きは、オーケストレーション上はこう出来ているんだと発見したような気がした。
第3幕では、私はブリュンヒルデとの2重唱で、突然ジークフリート牧歌の旋律が出てくるところにどうしても違和感を感じていたが、しかしこれも、ブリュンヒルデが神性を失い一人の乙女となる場面なのだからと、今回は納得した。そして単純に、神性を失ったブリュンヒルデとジークフリートの人間のカップルの誕生に感動した。
今回はこの名演奏をものにしたオーケストラに一点、考えるところがあった。
確かにオケは、弦楽器などピッチが揃って技術的には高度なところを聴かせたと思う。そのことは、ゲスト・コンサートマスターに、ウィーン・フィルのライナー・キュッヒルを迎えていることも関係しているだろう。しかし私は昨年、同じヤノフスキの指揮で、ベルリン放送交響楽団の演奏を聴いていて、それと比べると、弦は潤いが欠け、木管は自主性が欠け、金管は力強さが欠けた。つまり、全ての面でベルリン放送交響楽団が上だった。それも、僅差ではない。日本を代表するオケが、ベルリンでトップではないオケと、こうまで差があるという事実。N響は、もう特別の存在ではないのだ。都響もあるし、新日フィルもある。在京のオケも戦国時代だ。
とはいえアンサンブルは完璧、終始緊張した面持ちで、全員が一丸となった熱演だった。 (あっ、ダントツのサイトウ・キネン・オーケストラがあった・・・)