オッフェンバック: 歌劇「ホフマン物語」

ホフマン: ディミトリー・コルチャック
ニクラウス/ミューズ: レナ・ベルキナ
オランピア: 安井陽子
アントニア: 砂川涼子
ジュリエッタ: 横山恵子
リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダルベトゥット: トマス・コニエチュニー、他

演出: フィリップ・アルロー
指揮: セバスティアン・ルアン
東京フィルハーモニー交響楽団、新国立劇場合唱団
(2018年3月10日 新国立劇場)

 私はオペレッタは好きだし、オッフェンバックも嫌いではない。「ぺリコール」などは耳がとろけるような旋律の数々が最高だと思う。しかしオッフェンバックの最後の作品であり、今なお世界中で上演されるこの本格的なオペラの価値はよく分からない。
古典のいいところは、たとえ最初はその良さが分からなくても、年月を越えて生き延びた作品には必ずかけがえのない価値があり、根気強く挑戦し続ければ、いつかはその価値を見つけることができることだ。大体、このくらいの知名度がある作品は、物語も音楽もその全部が素晴らしいのが普通だ。ことろがこの「ホフマン物語」は、舞台に接するのも初めてではないのに、依然としてその価値が分からなかった。何か、さみしさを感じる。

物語は、詩人ホフマンの幻想的な世界だ。酒場でホフマンは、かつての実らなかった3つの恋を振り返りながら語る。1番目は美しいオランピアで、結局はカラクリ人形だったという話。2番目は薄幸のオペラ歌手アントニアで、病気を押して歌ったため絶命するという話。3番目は高級娼婦ジュリエッタで、さんざん弄ばれたという話。それでもオペラは、絶望するホフマンを前に「人は愛で偉大になり、涙でさらに偉大になる」という合唱で終わる。

まずは、細切れのエピソードの意味に戸惑う。3人の女性は同一の歌手によって歌われることもあるが、今回のようにそうでないこともある。
次に全体を通じて現れる恋を導くミューズと、恋を邪魔するリンドルフなど(同一の歌手が歌うのが慣例)の存在がよく分からない。
次に音楽の良さが分からない。オランピアの歌とホフマンの舟歌の2曲は、第一級の名曲だ。しかしそれだけ。他の曲は、ホフマンやアントニアのアリアがいくらか耳を引く程度。古典というのは全曲を通じて全部いいのが普通だから、ここまで分からないと、何か自分にこのオペラの価値が分からない理由があるのだろうかと疑ってしまう。主役を歌ったテノール歌手によると、このオペラを楽しめない人は、幻想の世界に生きることが出来ない人なのだそうだ。

それでも、今回の上演で驚いたこともあった。最後にホフマンは鉄砲で自らの命を絶ってしまうのだ。このオペラは未完に残されたため、終幕にはバリエーションがある。こういう終わり方は初めてだ。「命の限りロマンを追い求めた男の物語」ということだろうか。悪くはないと思った。

歌手は、ホフマンを歌ったコルチャックは声がよく伸びて好演。アルベリヒ歌いのコニエチュニーは、悪役をそれらしく歌ってこれも好演。女声では、砂川涼子がさすがに心に響く歌声を聴かせてくれた。もう少しスケールの大きさを感じることが出来たらというところもあったが。指揮、オケは可も不可もなし。ただ要所では音は出ていて、ドラマを感じるには十分だった。

「ホフマン物語」もオッフェンバックも、白旗を上げて、これで卒業にしようか? でも今、これを書きながら「パリの喜び」を聴いている。何とチャーミングな旋律たち!

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )