1989年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart24は、Elvis Costelloの"Veronica"。最高位は6月24日付の1週間の第19位。年間チャートは圏外でした。
Elvis Costelloといえば、イギリス出身のミュージシャン、作曲家、プロデューサー。母国イギリスでは大ヒット曲を数多く持つ偉大なミュージシャンです。私は曲はあまり聞かなかったですが、日本でも人気があり、音楽雑誌にも時々登場していました。Elvis Costelloの「Elvis」は、エルヴィス・プレスリー から名付けられたもののようですね。
音楽活動を開始したのは70年代初め、レコードデビューは1977年、ファーストアルバム『My Aim Is True 』をリリースし、イギリスでは、シングルもアルバムもいきなりTop20以内に入るヒットとなります。
その後も母国イギリスでは、出すアルバム・シングルともヒットを連発しますが、アメリカでは、アルバムはヒットするものの、シングルでのTop40ヒットにまではなかなか至りませんでした。
そんな中、1983年に"Everyday I Write the Book" という曲が初めてのTop40ヒットに、最高位36位を記録します。
次にTop40ヒットとなったのがこの曲"Veronica"で、彼の最もヒットした曲になりました。曲の作者はElvis Costelloと、なんとPaul McCartneyの共作です。ポールはこの曲でベースも担当しています。
"Veronica"ですが、Elvis Costelloの12枚目のアルバムとなる『Spike』からのシングルカット曲で、このアルバムにはもう1曲Paul McCartneyが共作者として曲作りに参加、さらにベースでももう1曲参加しています。
この"Veronica"、認知症の祖母のことを思い出しながら作った曲とのこと、これぞイギリスのポップ・ロック、という曲なのでしたね、軽いポップスでのヒットでした。
そうなんですよね、私も名前はよく聞きますが、音楽としてはちょっとだけ聞いた、っていうくらいでした。ニック・ロウも、"Cruel To Be Kind"のヒットの後も良く名前は出てきましたが、シングルヒットはアメリカでは1曲だけでしたね。
特に出だしは聞けば聞くほどビートルズですね。曲全体としてはずいぶん凝った曲でした。
90年代の初めころまではまだ80年代の流れではありました。Duran Duranも良い曲だしていましたよね。
80年代終わりでようやく出てきましたね。
80年代初期から名前だけは有名でしたが、アメリカでのヒット曲がなかったため、なかなか紹介の場面がなかったですね。
とはいっても、僕も名前を知っていただけで、詳しい曲なのは知らないのですが。。。
それとN.Loweですね。
確か、D.EdmaudsとRockpileを結成したのではないかと思います。
唯一のヒット曲♪Cruel To Be Kind♪は12位でしたけど、ポップな大好きな曲でした。
後の伊藤銀次も所謂「ヘタウマ」として彼らの影響を受けていたのではかいかと。
>ビートルズを感じ... への返信
TFFのあの曲はもう2,3年早くリリースしていたらもっとヒットして1位にもなれたのではと思いました。音楽の流行が変わってきた時期でDDやTFF等の第二次British Invasionは時代遅れになっていたように思います。
Tears for Fears、4年ぶりの大ヒットでしたが、言われてみればビートルズを感じますね。
>日本でも人気... への返信
この年だったと思いますが、Tears for Fearsがリリースした「Sowing the Seeds of Love」もビートルズ色が強い曲というか、「I am the Walrus」に似ています。
ロックパイル、Top40ヒットはなかったようですね。ロバート・プラントと一緒にやってったかどうかは知りませんでした。ライブでも一緒にやったのでしょうか。
加賀まりこさん、美人でしたね。でももう80歳くらいじゃあなかったかな。最近ドラマに出ているのを見たような。
歌詞を知って、PVを見ると、だいぶ印象は変わりました。そんな曲だったのですね。エルビス・コステロさんの曲、奥が深いです。
さて認知症はもともと痴呆と言われておりまして、これは良くない言葉だと今のようになったんでしたっけね?
有吉佐和子がなんちゃらかんちゃら⋯。
しかしベロニカなんて最も認知症から遠いカッコいい名前ですな☺️
そういえば日本で最も古い時代からゴージャス、ファビュラス、エクセレントを体現していた加賀まりこさんをさいきん見ないなあ。
‘ヴェロニカ’とは一体誰?。
(この曲のSongfacts からの情報)
この曲は、老人ホームに住む老婦人の話です。彼女は静かに静かに暮らしながら、徐々に記憶を失っていきます。アルツハイマー病を患っていたコステロの祖母にインスピレーションを受けたものです。
(ビデオの最初のコステロの語り)
…この場所を覚えている...彼女とこの場所を覚えている...時々彼女はうれしそうに こう言うんだ
ああ 誰かがあんなこと言った
誰かがあれこれ言った...って
そして彼女は誰にもわからないと話してた
たった今ここにいるのに
次の瞬間には40年後になっているなんて...
だからただそこに座って 彼女と一緒に耳をすませるんだ...
そうそう、"Cruel to Be Kind"、「恋するふたり」ですね、Top40にはこの曲だけだったですが、プロデューサーとしても活躍していました。あと、グループのRockpileで、Top40ヒットがありましたっけ。
イアン・デューリーか、ロック雑誌では登場していましたね。イギリスの方で、Top40には出てこなかったので、残念ながら名前は知っていますが、曲はラジオで聞いたことがある、程度で。
あと今見てきましたが「羽生・The・プライド・ウェン・シー・ユース・トゥ・ロッケンロール」という曲もニックさんだったことが分かりました。明るく尖ってますね😉
たぶん石田豊さんで82年末ごろではなかったかと⋯違ったかなあ?
さて思いがけなくニック・ロウさんを出されましたが、ならイアン・デューリーはどうなのでしょうか?渋谷せんせいがよく名前を出していたお二人なんですよ~。
もうわけが分かりませんです😮💨
そうですよね、ジョー・ジャクソンさんに、あとニック・ロウさんでしょう。特に、ニック・ロウさんは、エスビス コステロのプロデュースもやっているようですね。何となく近いところがありますね。
ちょっととっつきにくそうで、尖りもしてて、UKぽくて、知的で売ってる⋯とか。
私は双方まあまあ何ですが、ジョーさんのタイトル
「オー・ロード!イズ・シー・リアリー・ゴーイング・アウト・ウィズ・ヒム?」
このタイトルの情けなさが大好きであります。曲は知らないんですけどね🤣🤣🤣
何年か前にたけし、爆笑問題、オヅラさん、あと芸人二組出た討論番組で、爆笑問題が司会だったけど、歳取っても仕事が増えた云々の話題で
田中「そう言えば小倉さんも(仕事)増えてますよね?」
たけし「プッ(失笑)」
気がついた太田「ぶははは!増やした?」
エスビス コステロさん、日本では、ロック雑誌にも登場して、ラジオでも流れてきていましたから、結構人気があったと思いますが、私としては、全米Top40には入ってこなかったので、あんまり聞いていなかったです。"Everyday I Write the Book" は、Top40には2週間だけでしたが登場しましたので、かろうじて覚えていた、っていうようなところです。
私は覚えていないのですが、この曲『とくダネ!』の初代のテーマ曲だったのですね。有名な「カツラ事件」の時もテーマ曲だったのでしょうか?まあ、エスビス コステロさん、アメリカではいまいちの人気でしたが、日本ではテレビで使われるくらい人気があったってことですね。
そうですよね、曲の感じもどうですが、ポールがベースを弾いているこの曲、音の感じもビートルズ・ポールっぽいところがありますね。
そうですか、ポールのアルバムにもコステロさんが参加しているのですか。面白い組み合わせです。
私はコステロさんは渋谷せんせいが紹介してくれた、81年の「トラスト」からの5曲だけしか知らないんですよね。83年のエブリデイは大体パッとしなかったような⋯。
て、トラストの中の暴れているロックな曲「ウィスパートゥアスクリーム」これをマイルドにしたのがベロニカな感じがします。ウィスパー⋯をコステロさんの持ち味と判断したら間違いなんでしょうがイイ曲であります。
で、渋谷せんせいが最後の5曲目に「これはシングルなんだそーてすが⋯⋯クラブランド」と言われましてね、まーたこの曲がクサクサでシブくてややアップ店舗で、とにかく聴かせるんですよホントに。
そして私にとってのコステロさんはここまでだったのでしたチャンチャン⛳️
私はあれをYouTubeで知ったのですが、植草一秀先生の仰天の表情と、冷静を保とうとしていたピーターさんが忘れられません。
ただ一説によると、あれはCGだということらしいですが、どうなんでしょう?
とりあえず、小倉さんのヅラは本人公認ということらしいです。
とにもかくにも、あの事件は、フェイクかどうかは別として、スポーツ新聞にも載ってしまったそうです。
そのことがきっかけで「エスビス コステロ カツラ」がトレンド・ワード入りしなかったことが、何よりでした。