1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart10は、Gladys Knight & The Pipsの"Love Overboard"。最高位は3月12日付の1週のみの第13位。年間チャートは残念ながら圏外でした。
Gladys Knight & The Pipsですが、この頃、大物の復活ヒット曲が続いていましたが、この曲もまた大復活のヒット曲でした。
Gladys Knight & The Pipsの結成は、1950年代にまで遡ります。メンバーは、Gladys Knightの弟と妹、いとこで結成された、いわゆるファミリーグループです。
初のTop40ヒットは、1961年のヒット曲、"Every Beat of My Heart"という曲が、最高位6位、R&BチャートではNo.1を記録、大人気ソウルグループとなります。
その後も70年代にかけて大ヒットを続け、70年代にかけて、通算24曲のTop40ヒット、そのうち最高位2位を記録した曲が2曲、そして、1973年には"Midnight Train to Georgia"「夜汽車よ! ジョージアへ」がNo.1を記録しています。名曲でしたね。
私が洋楽を聞き始めたのが1975年ですが、その時、バーブラ・ストライサンドの"The Way We Were" 「追憶」をGladys Knight & The Pipsがカバーした曲"The Way We Were" / "Try to Remember"がヒットしていて、最高位11位を記録しています。この曲のGladys Knight のボーカルは強烈でしたので、よく覚えています。バーブラ・ストライサンドバージョンとは、全く違う曲になっていました。驚きでした。
そのGladys Knight ですが、久しぶりに名前を聞いたのは、1986年のNo.1ヒットDionne & Friendsの"That's What Friends Are For"。Friendsの一員として、その迫力あるボーカルで存在感を示していました。こちらをご覧ください→→→
そして、Gladys Knight & The Pipsとして、1975年以来、約13年ぶりにTop40に帰ってきた曲がこの曲"Love Overboard"です。曲の作者はReggie Calloway。
Reggie Callowayですが、Midnight Starの元メンバー。Midnight Starはエレクトリック・ファンクグループで、私のブログでは紹介していなかったですが、"Operator"という曲が、1984年に18位まで上がっています。ソングライターとしてもヒット曲をたくさん作っていて、私のブログでは、1987年のヒット曲 Levertの"Casanova"の作者として紹介しています。こちらをご覧ください→→→
"Love Overboard"ですが、そのReggie Callowayが作っただけあって、70年代のファンク風に、この頃流行りのエレクトリックダンスミュージックが加わった、おしゃれな曲になっています。
Gladys Knight & The Pipsですが、この曲が入ったアルバムがグループとしては最後のアルバムになってしまいました。グループの活動は、実に37年の長きにわたって続いたことになります。その後、Gladys Knight はソロ活動を続け、1989年には、『007/消されたライセンス』のテーマを歌い、イギリスでは6位を記録するなど、ソロ歌手として今も活躍を続けています。
こちらが、1975年に最高位11位を記録、年間チャート53位の"The Way We Were" / "Try to Remember"です。迫力ある「追憶」です。
Gladys Knight & The Pipsですが、この頃、大物の復活ヒット曲が続いていましたが、この曲もまた大復活のヒット曲でした。
Gladys Knight & The Pipsの結成は、1950年代にまで遡ります。メンバーは、Gladys Knightの弟と妹、いとこで結成された、いわゆるファミリーグループです。
初のTop40ヒットは、1961年のヒット曲、"Every Beat of My Heart"という曲が、最高位6位、R&BチャートではNo.1を記録、大人気ソウルグループとなります。
その後も70年代にかけて大ヒットを続け、70年代にかけて、通算24曲のTop40ヒット、そのうち最高位2位を記録した曲が2曲、そして、1973年には"Midnight Train to Georgia"「夜汽車よ! ジョージアへ」がNo.1を記録しています。名曲でしたね。
私が洋楽を聞き始めたのが1975年ですが、その時、バーブラ・ストライサンドの"The Way We Were" 「追憶」をGladys Knight & The Pipsがカバーした曲"The Way We Were" / "Try to Remember"がヒットしていて、最高位11位を記録しています。この曲のGladys Knight のボーカルは強烈でしたので、よく覚えています。バーブラ・ストライサンドバージョンとは、全く違う曲になっていました。驚きでした。
そのGladys Knight ですが、久しぶりに名前を聞いたのは、1986年のNo.1ヒットDionne & Friendsの"That's What Friends Are For"。Friendsの一員として、その迫力あるボーカルで存在感を示していました。こちらをご覧ください→→→
そして、Gladys Knight & The Pipsとして、1975年以来、約13年ぶりにTop40に帰ってきた曲がこの曲"Love Overboard"です。曲の作者はReggie Calloway。
Reggie Callowayですが、Midnight Starの元メンバー。Midnight Starはエレクトリック・ファンクグループで、私のブログでは紹介していなかったですが、"Operator"という曲が、1984年に18位まで上がっています。ソングライターとしてもヒット曲をたくさん作っていて、私のブログでは、1987年のヒット曲 Levertの"Casanova"の作者として紹介しています。こちらをご覧ください→→→
"Love Overboard"ですが、そのReggie Callowayが作っただけあって、70年代のファンク風に、この頃流行りのエレクトリックダンスミュージックが加わった、おしゃれな曲になっています。
Gladys Knight & The Pipsですが、この曲が入ったアルバムがグループとしては最後のアルバムになってしまいました。グループの活動は、実に37年の長きにわたって続いたことになります。その後、Gladys Knight はソロ活動を続け、1989年には、『007/消されたライセンス』のテーマを歌い、イギリスでは6位を記録するなど、ソロ歌手として今も活躍を続けています。
こちらが、1975年に最高位11位を記録、年間チャート53位の"The Way We Were" / "Try to Remember"です。迫力ある「追憶」です。
あのあたりは日本人メジャーリーガーはあんま見ないしなあ。
では曲については明日の朝、よろしくお願いいたします😃
89年ベット・ミドラーのNO.1ヒットwind beneath my wingsは83年にカントリーではゲイリー・モリス、R&Bではルー・ロウルズとグラディス・ナイト&ザ・ピップスが歌ってちょっとヒットしていた曲です。なお何故かグラディス・・・のバージョンのタイトルはheroと変わっていました。(まあ、その前の年にシーナ・イーストンが歌っていたんですけどね)
うーん、✨⛴️さんのとおり、エネルギッシュ、アグレッシブ、ソウルフルな熱唱ですね❗
とにかく「追憶」はバーブラのもそうですが、最初の「めぇ~ムリィーーズ…」からのワンセンテンスだけでとろけそうです、まさに良きことを思い出させるような…。
グラディスさんのはアツいけどやかましくない、そこが重要なんですよね😃
これがホイッ……いや、ここは次長課長うふふふ。
では明日こそラーボーバボーでお会いしましょー😆
ジョージア州といえばアトランタですね。フロリダの近くの暖かいところでしょう。
"Part Time Love"は、本文で紹介したThe Way We Were" 「追憶」のカバーバージョンの次のヒット曲で、このヒット以来13年ぶりのTop40ヒットでした。
"Wind Beneath My Wings"は名曲中の名曲でしたよね。Bette Midlerの"The Rose"以来の大ヒットで、初のNo.1ヒットでした。"Hero"というのがまさかこの曲だったとは、シングルカットされたもののヒットしなかったようですね。
グラディス・ナイト版「追憶」ですが、情感たっぷりに歌っています。バーブラ版と比べると、違う曲のように聞こえますが、ヒットはしないでしょうけれども、グラディスの歌のうまさが際立ちます。なかなか感動の曲ですね。
前回のコメントでB.Streisandの♪The Way We Were♪のことを書きましたが、G.Nightもカヴァしていたんですね。
パワフルでソウルフルでした。
実績あるヴェテランの久しぶりのイットはうれしいですね。
"The Way We Were" 「追憶」は、年間チャートNo.1の、バーブラの特大のヒットでした。その大ヒットのカバー、原曲にとらわれない、グラディス・ナイトの独特のアレンジでした。このグラディス・ナイトバージョン、最高位11位で、年間チャートでも53位の、こちらもかなりのヒットでした。
飲みすぎ歌いすぎで起きられません、年取ってバカやってホントにダメであります。
年取ってもいきなり13位まで持ってきたグラディスナイランザピのみなさん、おめでとうございました。
私はこれFMfanチャートではほとんど見ておらず、車中FENで「イイじゃないですか☺️」と感じたという、センス抜群な俺状態でありました。
まあサビのラーボーバボ~♪の連続しか頭には残ってなかったですけど、こういうのを作る人がエライですよね?グラディスさんの歌い方も大概は抑えめで、ソウルはこんな感じこそイイと思うんですよね。
と思ったらミドナイスターの人が作者でしたか。1曲しかないのに、しかも日本シングル出てなかろうに、石田豊さんでしかオンエアされてないだろうに、オマケに✨⛴️さんでさえ華麗にスルーバラードされたのに、オペレータ(85年初頭?)が私の記憶から抜けないですよ。