炭団(たどんと読む)の由来が今日の地元紙の三山春秋に出ていた、塩原太助といえば幕末の江戸へ出て炭屋に奉公して後に大商人になった地元上州の偉人の一人である。
これを塩原太助一代記として広く世に紹介したのが三遊亭円朝であって今日がその円朝忌であるとの事、落語家で戯作者で多くのシナリオを世に出した凄いライターだったそうだ。特に我々が若い頃から怖がった牡丹灯篭や真景累ヶ淵などを書いた人でそうで、暑い今どきになると歌舞伎などで今でも上演されている代物だある。
チヨット引用してみると、円朝が寄席で続き物として演じて「▼これが当たって芝居になり、修身の教科書に載った。テーマは質素倹約。売り物にならない炭の粉を球状に丸めて売ったところ「火持ちがいい」と評判。「タアどん(太助のこと)例の塊をまた頼むよ」。これが炭団の始まりという▼」ナールホド、だが今時の若いものは知らないだろう、練炭・豆炭など戦前戦後を経験した人たち以外は、「炭団とは豆炭の出来る前の昔、炭と灰と粘土を混ぜて作った豆炭のこと」だろう。
今こそ太助の精神に学び「エコ生活を実践してはどうか」スイッチを押せばエアコンが付き、ひねると湯水が出る、という生活がこの暑い猛暑日を多くしている、まだまだ猛暑日が増えるのでは?。


※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます