基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

千葉県松戸市八柱霊園へ

2010-05-23 18:09:34 | 日記・エッセイ・コラム

 一昨日二十一日(金)一月十三日に亡くなった兄貴の墓参りに、千葉県松戸市の八柱霊園へ行って来た。

 午前九時少し前出発、本庄ICより関越道と外環道を通り三郷南ICから松戸市へ、境の姉や姪のみどリや家の三人と思ったが、家内が調子が悪く駄目、東京から娘が加わり丁度五人で済ませてきた。兄貴の娘いわゆる姪の清美の言うとおリに9区24側見つけたが墓が無い、約一時間いよいよ事務所かと思っていたら、巡回の守衛さんに会い教えてもらい携帯で事務所へ連絡、9区2種54側13番との事、在った在ったアイボリーの小さな墓が、何と言う石なんだろう。

 何と縁の薄い兄弟なんだろう、早く両親を失い(俺が2歳の時母が、5歳の時父が亡くなり、兄は父方の伯母御「桜井家」へ、俺は母方の伯母御「斉藤家」へ預けられた)別れ別れに育つたので、普通の兄弟とはちょっと違った感じの兄弟といえると思う。

 しかも兄貴は断りも無く桜井の養子になってしまい、相模の家の事は全て弟の俺に背負わせて、澄ましていたのだから可笑しな事になって仕舞ったのである。

 しかも葬儀は家族葬との事、参列も断られる始末何を遣ってるのやら今の世の中はこんな物かと呆れるばかりだ。

 とに角お花と線香を上げてお参りを済ませ、この後和風レストランというのか「はな膳」という店を見つけ昼食をとり一休み、娘を新八柱駅へ送り帰路につく。

 午後四時十分ごろ帰着、行きも帰りも約二時間と少し、伊勢崎市に墓を移す前の倉渕村大字水沼とそんなに変らないなあと思いつつ。