前橋市議会議員中島もとひろの“私たちの子どもや孫の世代のために!”

前橋市議会議員中島もとひろのブログです。日々の活動や愛する故郷“前橋”への熱い思いを、このブログを通じてお伝えします!

ぐんま日独協会クリスマス・コンサート

2010-12-19 14:00:00 | Weblog

 本日、所属するぐんま日独協会主催のクリスマス・パイプオルガン・コンサートがシャロン・ゴスペル・チャーチ前橋で行われました。

 当初、会員でオルガニストの原鏡さんが演奏される予定でしたが、あいにく直前に腕をけがされたということで、急遽シャロン・ゴスペル・チャーチ前橋・高崎専属オルガニストの東瀬やよいさんが代役をお務め下さいました。

 第1部は、ドイツの教会音楽、バッハのオルガン曲を中心に演奏されました。パイプオルガンの生演奏を聴く機会はなかなかありません。小学校の授業で聴いた小フーガが演奏されたときには、特に感動しました。

 ティータイムを挟んで、第2・3部では、おなじみのクリスマス曲が演奏され、最後はもみの木、よろこびのうた、きよしこの夜などをドイツ語と日本語で歌い、一足早くクリスマス気分に浸りました。


聖学院ポリシーカレッジ総括シンポジウム

2010-12-18 13:30:00 | Weblog

 本日、標記シンポジウムが大宮で開催されました。テーマは、「地域主権の国づくり、地方議員の役割を考える」です。

 このところよくお名前を目にする東京大学大学院法学政治学研究科金井利之教授のお話が聴きたくて、行ってきました。群馬県のご出身と承知していたのですが、お話をしたところ里帰り出産とのことで、少し残念に思いました。

 しかし、1967年生まれの43歳。大変お若いにもかかわらず、地方自治の分野で大変活躍されています。お考えも大変斬新で、参考になりました。


旧麻屋ビルの保存に微かな期待膨らむ

2010-12-14 23:27:49 | Weblog

 今朝、渋川市が、取り壊しを決めていた旧渋川公民館について、渋川商工会議所と協力して保存活用に取り組む方針を固めた、との新聞報道がありました。前橋市においても、旧麻屋ビルの解体が間近に迫っており、大変勇気づけられますとともに、旧麻屋ビルの保存に向け、微かな期待が膨らみます。

 旧渋川公民館は、1931(昭和6)年に渋川信用金庫の社屋として建てられ、渋川商工会議所が発足した当初から1960年まで同事務所として使用、その後2008年まで公民館として活用されたとのことです。壁面や柱にルネサンス様式の装飾があり、大正ロマンを色濃く残し、太平洋戦争末期の機銃掃射によるとみられる被弾痕がり、歴史遺産としての価値もあるとされています。ますます前橋大空襲で焼夷弾が被弾しながらも不発弾となり、鉄筋コンクリート造であったことから奇跡的に焼け残った旧麻屋ビルと重なります。渋川市は、区画整理が進められる中心部の四ツ角近くにあるため、現在地での保存を不可能とし、移転保存にかかる4億3,000万円の費用などを理由に、2008年9月に「一部を保存して取り壊す」と決めたとのことです。

 その後、市民から保存を求める1万人を超える署名が提出されたほか、渋川市議会が解体費用の予算を保留したことを受け、方針転換に繋がったとのことでした。昭和初期の洋風建築の旧公民館は、今後市の重要文化財指定を受けた上で、商工会議所が事務所として利用するそうです。

 この度の方針転換に際し、旧麻屋ビルとの大きな違いは、解体方針の決定から実際の解体まで、十分な時間があったことです。そのため、市民から1万人を超える署名を集めることができたのだと思います。また、解体費用の予算が議会の議決事項であっため、市民の声を受けて議会はこれを保留したとのことでしたが、今回の旧麻屋ビルの件については土地開発公社の先行取得のため、直接議会の議決事項とはならないとの皮肉な点もあります。

 いずれにしても、同じ境遇にある旧麻屋ビルにとって、この度の渋川市における方針転換は、大変勇気づけられるとともに、方針転換にむけ微かな期待が膨らみます。


旧麻屋ビル

2010-12-13 23:31:44 | Weblog

 本日、まち中へ行きましたら、旧麻屋ビルの周りに足場が組まれ始めておりました。

 一応、旧麻屋ビルの保存と活用を望む市民団体の皆様の要請もあり、市長に会う13日まで解体を行わないことになったようでありますが、着々と解体の準備は進められているようです。

 それでも、市長の大英断を、最後の最後まで期待したいと思います。


旧麻屋ビルについて本会議で質問を行いました

2010-12-10 10:00:00 | Weblog

 12月10日、本会議において、旧麻屋ビルについて質問を行いました。

 持ち時間の23分という大変限られた時間の中で、一応5つの質問項目を用意しておりましたが、結局旧麻屋ビルの件でほとんどの時間を費やし、他は小中学校特別教室への空調設備の設置についてしか質問できませんでした。

 最後、市長に旧麻屋ビル解体方針を転換してもらえないか大英断を求めましたが、結局方針転換には至りませんでした。

 聞くところ、やはり旧麻屋ビルの保存を望んでいる市民団体の皆様が、13日に市長に会うことになっているそうです。市長の大英断を期待したいと思います。

 なお、本会議での質問の様子は、約1週間後前橋市議会ホームページ上でご覧になれます。是非、ご覧下さい。


旧麻屋ビル

2010-12-02 23:20:30 | Weblog

 12月2日の夜、旧麻屋ビルのオーナーから、「本日、市と契約をしました」との電話がありました。“契約”とは、旧麻屋ビルを解体後、土地を市に売却するというものです。所有者の苦渋の決断は尊重したいと思います。しかし、旧麻屋ビルがなくなってしまうことは、誠に残念でなりません。

 旧麻屋ビルの建物は昭和9年、創業者によって札幌三越の建物を参考に、同建物並びに現存する銀座松屋を建設した木田組が、現存する本館を建造、以来創業者の意を汲み、歴代の当主が時代の厳しい経済環境にも耐え、いつかは市民の文化遺産として甦る日を夢見て大切に維持されたものです。1980年日本建築学会編の『新版日本近代建築総覧―各地に遺る明治・大正・昭和の建物』の中でも、1860年代から1945年に至る間の日本の近代建築で現存する主要なもののリストにも掲載され、将来にわたって保存すべき歴史的建造物として建築学会で評価されています。そして、平成19年には、国の登録有形文化財にも指定されました。

 私には、旧麻屋ビルが前橋の中心市街地の正に中心、前橋中央大通りと銀座通りの交差点に位置することから、この建物を見るたびごとに銀座の和光と重なって見えてなりませんでした。また、前橋中心市街地の長年の懸案である8番街の角地に位置することから、中心市街地再生のシンボル・ランドマークにもなり得ると考えておりました。

 私は、これまでにも何度か前橋市議会で、旧麻屋ビルを生かした8番街の再整備について取り上げたことがありましたが、本年3月の第1回定例会本会議総括質問においても、「8番街の整備に当たっては、旧麻屋ビルの景観を生かし、本市中心市街地再生のシンボル・ランドマークとして整備すべき」との観点から市の見解を伺ったところ、「全国的に見ても大正、昭和初期に建造された鉄筋コンクリート造の商業施設として希少価値の高い貴重な近代構造物であり、現在国の登録有形文化財に指定されている。この建物は、前橋市にとりましても中心商店街の商業と歴史のシンボルであり、保存、活用することにより、中心市街地活性化の拠点になり得るものと考えている。今後も引き続き所有者等と協議、調整を進めながら、旧麻屋ビルの利活用について検討し、8番街区での一体的整備を図ってまいりたい。」との大変前向きなご答弁を頂き、安堵していたところでした。

 私は、この度の旧麻屋ビルについての方針転換を知り得た10月半ばから、担当であるまちづくり課長や都市計画部長はもとより、副市長にも何とか再考をして欲しいと、訴えて参りました。また、担当部長から正式な連絡があった10月28日、たまたま中核市サミットの同じ会場に居合わせた市長にも、直談判させて頂きました。しかし、結論は、変わることはありませんでした。

 しかし、なぜ、わずか半年余りで、市民に向け発信した本会議での答弁内容が180度変わってしまうのか…。全く納得が行きませんでした。

 一方、これまでの間、幾度か所有者にお会いし、意向を伺って参りました。そこで分かったことは、本心では、今でも保存と活用を望んでいるということです。にも関わらず、その所有者が自ら国の登録有形文化財の登録を抹消し、解体しなければならないという、大変不本意な状況に及んだ訳です。そのため、所有者は、一旦は市と大筋で合意しつつも、約1ヶ月余りの間、正に悩みに悩み抜き、苦渋の決断を下すまでに時間を要したものと思わます。

 私は、所有者を責めるつもりは全くありません。

 しかし、8番街に関する具体的な計画は、今のところ白紙とのことであります。それならば、当該建造物の歴史的価値を認めた3月議会の答弁内容からも、解体を何故急ぐのか、甚だ疑問です。

 所有者も建物を含めて市で取得し、取得後に8番街のあり方に関する市民参加の検討委員会を立ち上げてもらい、その中で旧麻屋ビルの保存と活用についても検討のうえ、答えを出して頂くのが理想と明確に言っておられました。それが正に、市長の目指す市民力を生かしたまちづくりではないかと思うのですが…。

 戦争から復員した方々は、前橋駅に降り立ったとき一面の焼け野原で、本当に前橋に帰ってきたのか分からなかったが、唯一焼け残った旧麻屋ビルがポツンと建っているのを見て、前橋であることを確認したとのエピソードもあるようです。そういった意味では、前橋の戦災復興のシンボルとも言えます。旧麻屋ビルは、戦前から戦後にわたる前橋の歴史の語り部であり、市民の心のランドマークでもあるのです。こういった歴史的建造物を壊してしまうことに、心を痛める市民も多いようです。重要な歴史的遺産を遺すべきか否かの価値判断基準を、単に費用対効果に求めるのは、余りにも短絡的であり、不毛な文化行政になりかねません。そして、これが精神性の極めて希薄な市民社会の形成に繋がることが、大変危惧されるところです。
   
 仮に、旧麻屋ビルがなくなってしまえば、前橋の生んだ世界的詩人萩原朔太郎の生家跡地に続き、中心市街地再活性化への糸口をまた1つ失ってしまうことになります。

 8番街にどんなに立派な新しい建物を建てても、他のまちとは変わりません。すなわち、歴史ある風格とデザイン性を有する旧麻屋ビルの存在価値は、他に比類ないものです。それは、郊外店や他都市との差別化に繋がり、当然、まちの魅力にも繋がるものであります。

 誠に残念ながら契約は交わされてしまいましたが、旧麻屋ビルの保存と活用に向けて、最後の最後まで努力したいと思います。

 なお、所有者のことを考慮し、これまで公表を控えたことを、ご理解頂ければ幸いです。