前橋市議会議員中島もとひろの“私たちの子どもや孫の世代のために!”

前橋市議会議員中島もとひろのブログです。日々の活動や愛する故郷“前橋”への熱い思いを、このブログを通じてお伝えします!

萩原朔太郎再考

2006-11-11 23:11:24 | Weblog

 第12回「ルネッサンス前橋」フォーラムを開催。

 本会は、市民の皆様とともに、今、何となく元気のない前橋の“復興”について考える機会に…と、平成16年1月にスタートした。

 本年は、前橋の生んだ世界的詩人萩原朔太郎の生誕120年にあたる記念すべき年。11月1日が朔太郎の誕生日にあたることから、今回は「萩原朔太郎と前橋」をテーマに、講師には朔太郎研究の第一人者として知られる野口武久先生をお招きし、開催した。

 私は、前橋市議会議員当時から、前橋の活性化のために、前橋の個性・魅力を生かしたまちづくりを訴え、前橋のキャッチフレーズ「水と緑と詩のまち」の「詩」の象徴である萩原朔太郎を生かしたまちづくりを提案し、取り組んできた。そのため、朔太郎についての断片的な知識は得ていたが、本日のように朔太郎の生涯を概観する機会はなかったため、私自身にとっても大変貴重な勉強会となった。そして、改めて朔太郎の偉大さを知ることができた。

 朔太郎は、正しく“世界的詩人”である。平成8年に、我が国で初めての世界詩人会議が本市で開催されたのも、朔太郎を生んだ地であるということと、更には、朔太郎の詩が大変多くの言語に翻訳され、世界中で読まれているということが大きく影響したようである。

 また、野口先生は、朔太郎は、“詩は音楽であり、音楽は詩である”といった捉え方をしていたのではないか、との持論を展開された。当然、その背景には、朔太郎がマンドリンをこよなく愛していたことが影響している。そのため、朔太郎は、それまでの常識を打ち破り、「口語自由詩」を確立することができた。

 そして、朔太郎は、何より前橋にまつわる11編の「郷土望景詩」を残してくれた。これだけ故郷にまつわる詩を残した詩人は稀なようである。朔太郎は、一度は故郷を捨て、上京したが、朔太郎の前橋に対する愛憎が伺える。朔太郎の生涯を概観することにより、朔太郎の詩をより深く楽しむことができるようになった。


群馬大学医学部解剖献体慰霊祭に参列

2006-11-10 23:11:24 | Weblog
 私が前橋第九合唱団で出会い、大変ご尊敬申し上げていた北爪隆前団長がお亡くなりになって、もう1年半ほどが経過したであろうか。大変穏やかな方でありながら、一切妥協をすることなく常に理想を追い求める方でもあった。

 ある時、ご自身ががんであることを知っても、その後一切延命治療をすることなく、その時を迎えられた。そして、生涯無宗教を貫き、葬儀を行うこともなかった。一説によると、「遺灰は海に帰して欲しい」との遺言を残され、そのように葬られたようである。いくらご本人のご遺志とは言え、ご家族としても心中複雑なものがあったであろう。

 北爪前団長は、長らく学校の先生として奉職された。学校の現状や問題点、それらに対する北爪前団長のお考えをお聞かせ頂いたこともある。北爪前団長は、書がご専門であった。私は、北爪前団長のその優しいお人柄がにじむ書が大好きであった。北爪前団長に書いて頂き、額に納めたものも何枚かある。それらは私にとって、大事な北爪前団長の形見だ。そして、当時、議員活動報告の作成を考えていた私は、そのタイトルをぜひ北爪前団長に書いて頂きたいと思い、お元気な頃「ルネッサンス」というタイトルを書いて頂いた。初めての本格的な議員活動報告の作成は困難を極め、結局北爪前団長のご生前中、発行には至らなかった。今年8月下旬、漸く第1号の発行に漕ぎ着けた。その際、先ずは北爪前団長にご報告申し上げたいと思いご自宅を訪ねると、北爪前団長のご遺志により、ご自宅には遺影も位牌も置いていないとのことで、結局きちんとご報告できずにいた。

 しかし、北爪前団長のご遺志により、ご遺体が群馬大学医学部に献体されていたため、今日漸く北爪前団長にきちんとご報告をし、御礼申し上げる機会を得た。改めて、北爪前団長のご冥福をお祈りし、生前賜りましたご厚情に対し、御礼と感謝申し上げた。

合気道演武大会&コントライブ

2006-11-05 23:26:29 | Weblog

 本日午後、前橋市民体育館柔道場で行われた「合気道演武大会」に伺った。

 皆さんは、合気道をご覧になったことはおありだろうか。私は最近、初めて見る機会を得た。これまでに何度か稽古を拝見させて頂いたが、何か大変奥深いものを感じる武道である。無駄のない動き、相手と戦うことなく何よりもご自身の錬成を目的に稽古の中でひたすら技を磨く姿勢等、どれをとっても精神性の高さを感じる。約1時間半の演武大会であったが、全く飽きることなく、あっという間の1時間半であった。機会がございましたら、皆様にもぜひ一度ご覧頂きたい。

 夜は、お誘いを頂き、市営城東パーキング1階の紅茶専門店「LIBERTY」で行われた「いらっしゃいコントライブin前橋」に出かけた。

 「LIBERTY」では年に何度かこういった演劇を行っている。コントライブは初めてであったが、久しぶりに涙を流して笑ってしまった。思いがけなくここ前橋で大変レベルの高いお笑いを楽しむことができた。そういえば、出演されていた大串さんは、どこかで見たことがあるような気がした。私は、あまりお笑いには詳しくないのだが、もしかすると大変有名な方なのかもしれない。

 私は、演劇にもあまり詳しくないが、私が知っているだけでも、前橋には今回も出演された大島政昭・かよこ夫妻や中村ひろみさん等、本格的に演劇をされている素晴らしい方々がいらっしゃる。前女の演劇部も有名なようである。もっともっと、ここ前橋で演劇が身近に楽しめる環境ができないものか。今後、取り組んでみたい。


イベント目白押し!

2006-11-04 23:11:15 | Weblog

 3連休中ではあるが、秋の文化祭シーズンであり、各種イベントが目白押し!

 先ずは午前中、昨日から本県で始まった「全国ボランティアフェスティバルぐんま」の分科会「自立援助ホームとボタンタリティ」に参加。

 私は以前より、この分科会のことが気になっていた。「自立援助ホーム」とは、親に子育てを放棄されたか、或いは、虐待を受けたかした子ども達が、義務教育課程を終えた後約半年から1年間、社会人として自立するまでを支援するいわゆる寮のようなものである。全国にこういった施設が幾つかあるようだが、群馬にも数年前にできた「風の家」がある。これは、現在私の所属する(社)前橋青年会議所の先輩方が中心となって、全くのボランティアで立ち上げられた施設である。現在は、NPOとして運営されているが、子ども達の就職問題や運営上の資金的な問題等、さまざまな問題を抱えているようである。現代社会において、必要不可欠なものと考えるが、まだまだその受け皿整備が整っていないように感じた。行政としても、やるべきことがまだまだある。本日の分科会での議論を踏まえ、今後この問題に取り組んで行きたい。

 午後は、前橋中心商店街等で行われた各種イベントに出かけた。

 先ずは、今年で4回目となった「全国アマチュアちんどん競演会」。

 第1回目は、参加チーム数3チームであったが、年々規模も拡大し、今年の参加チームは15チーム。大変な盛り上がりを見せていた。そのきっかけになったのが、数年前の「厩橋CHINDON倶楽部」の結成。前橋中心市街地再活性化の一助になればと始められたことであったが、今や、今年4月に富山で行われた全国大会において、アマチュア部門で優勝するまでになった。各種イベントでも引っ張りだこで、本業との二足のわらじも大変であろう。しかし、今年の競演会を見ていると、更なる拡大の可能性を秘めているように感じた。ご苦労も多いと思うが、今後に大いに期待したい。

 一方、同時に、スズラン前橋店新館前で行われた波宜亭倶楽部主催による「るなぱあくふぇすた」では大道芸人によるパフォーマンスが披露され、銀座通り「アツミレコード」前では演歌歌手による営業活動が行われていた。いずれも大きな人集りができ、中心市街地も大変な賑わいとなっていた。

 その後、午後3時から済生会前橋病院で行われた院内コンサートに初めて伺った。

 出演は、ヴァイオリニストの大谷康子さん。大谷さんは、現在、東京交響楽団のコンサートマスターとしてご活躍で、かなり名の知れた方である。伺ってみると、入院患者とその関係者、更には、地域の方々等総勢3・400人の方々がフロアーを埋め尽くしていた。演奏も、さすが一流のすばらしい演奏で、私も含め皆大満足であったことは間違いない。今回で8回目の開催とのことであったが、入院患者の皆様には大変貴重な機会であり、大変意義あることであると感じた。これも、偏に、済生会前橋病院樋口院長のすばらしい発想と、何らかの事情により演奏会場に足を運ぶことができない方々に生の演奏を届けようとボランティアで音楽活動を続けておられる大谷さんあってこそである。そして、第1回からこれまでずっと両者の橋渡しをされているNPO法人「スピリットネットワークぐんま」の存在も忘れることができない。そんな意味でも、皆の思いが1つになった、大変温かみのあるコンサートであった。ぜひ、今後も継続して頂きたいものである。


萩原朔太郎120回目の誕生日

2006-11-01 23:20:54 | Weblog

 今日は、前橋の生んだ世界的詩人萩原朔太郎の120回目の誕生日である。今年、朔太郎生誕120年を迎えた。

 皆様ご案内の通り、前橋のキャッチフレーズは「水と緑と詩のまち」であるが、これまでその「詩」の象徴でもある朔太郎が前橋のまちづくりに生かしきれていないように感じていた。(残念ながら、「水」と「緑」も生かしきれていないと思うが…。)私は、これからのまちづくりにおいては、まちの個性・魅力を生かすことが他との差別化も図られ、大変重要であると捉えている。漸く、この生誕120年を機に、「裁判所通り」が「朔太郎通り」と名称変更となり、「第1回前橋マンドリンフェスタ2006」が開催され、新たに「前橋文学館賞」が制定されたことは、大変感慨深いものがある。

 しかし、まだまだ生かしようはあると考えている。以前、朔太郎は、医者の“道楽息子”と捉えられ、人々に尊敬されるどころか、馬鹿にされる存在であったようである。が、朔太郎にまつわる数々のユニークなエピソードを知ると、かえって現代に相通ずるものを感じるのは私だけであろうか。確かに、朔太郎の詩は難しいかもしれないが、その人間性は、ある意味大変親しみやすさを感じる。今後の朔太郎の人間性に対するアプローチが、朔太郎を一気にブレイクされるきっかけになるのではないかと期待している。朔太郎を題材にした映画でもできるとおもしろいと思うのだが…。

 そういえば、少し前に高校生を中心に大ベストセラーとなり、映画化・ドラマ化された「世界の中心で愛を叫ぶ」の主人公の名前は“朔太郎”であった。聞いた話によると、原作者が朔太郎の大ファンで、そういった設定になったようである。見方を変えると、若い世代で“朔太郎”の名前を知らない者はいないということにもなる。ちなみに、この映画が撮影された四国のある場所は、観光名所になっているらしい。