幕末から明治維新に活躍した人物といえば・・・
坂本竜馬
彼が薩長同盟を結ばせたことで、
明治維新へと、大きく前進したのは誰もが知っていること。
そして、徳川慶喜
長年続いた徳川の体制に終止符を打った。
時勢を見る目を持った聡明な徳川慶喜でなければ、
スムーズな大政奉還はなしえなかった。
さらに、二人。
この二人がいたことで、ことは順調に進んだ。
そう、勝海舟と西郷隆盛である。
江戸の無血開城がなされたのは、二人の力によるもので、
これにより、江戸は戦火を免れた。
勝は、
「もし他人であったら、貴様の言うことは・・・
いろいろ喧しく責め立てるに違いない。
・・・しかし西郷はそんな野暮はいわない。
・・・大局を達観して、しかも果断に富んでいたのには、
おれも感心した。」と言っている。
緊迫の中、二人にどのような意思の疎通があったのかは
分からないが、理解しあえるものを感じていたものと思う。
「豪傑(西郷)の事は(俺にしか)わからん。」
と、勝は言っている。
勝の西郷に対する思いは相当なもので、
のちに、西郷が亡くなって2年経ったとき、
勝は西郷の記念碑を建てた。
まだ西南戦争の記憶の新しいこのときに、である。
建てた場所は、浄光寺。その後荒川放水路にかかり、
洗足池の端に移設。
なぜ、洗足池かというと、ここに勝の墓があり、
その隣へ、ということになったらしい。
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洗足池
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洗足池の由来は、日蓮上人が足を洗ったとか。
そのときに袈裟をかけたのが、この木。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/9d/b5987638bebc556eef3a3ee717c78cef.jpg)
これが、西郷の記念碑。
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そして、勝の墓。
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この場所に墓を設けたのは、勝がこの付近の風光を気に入っていたため、
遺言として要望したもの。
勝は本所亀沢町(現両国)に生まれた。
その郷土で銅像建立の運動が広まり、
2003年7月有志によって、この地に銅像が建立された。
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吾妻橋の左岸にあります。
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ここまで来ると、どうしても寄りたくなる
佃煮屋さん。今回は、ここ「海老屋本店」さん
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勝も食べたであろう佃煮を購入して帰宅。
しかし、この勝海舟って人ほど
維新の真っ只中にいながら、自らの立ち位置を崩さず、
主張し、器用(?)に立ちまわった人はいないのではないだろうか。
肝の据わった人である。
「海老屋本店」:墨田区吾妻橋1-16-4