白い綿をどこまでも果てもなく敷き詰めたような雲の原には、ところどころ星を隠しているかのように、かすかに光っているところがありました。清らかに澄んだ白い雲はほんの少し青みを帯びていて、時々、その奥からパシャリ、という不思議な水の音が、聞こえるときがあります。それは、雲の原の少し下にある透きとおったカンラン石の水の層の中で、小さな星を宿した透明な岩魚が跳ねる音だそうです。
天使ホミエルは、雲の原の上に立ち、空を見あげながら、時を待っていました。空には双子のような金色の銀河が二つ、並んで浮かんでいました。ホミエルは星の位置を目で確かめながら、風が刻むかすかな時の音に耳をすまし、空にある星の一つが、突然、きん、と鳴る音を捕まえました。それと同時に、ホミエルは手に持っていた小さな銀の種を、雲の原に落としました。
とたんに、雲の原の上に、ひょこりと白い百合の花が顔を出しました。ホミエルはそれを確かめると、いそいで百合のそばから飛びのきました。白い百合は一息の風に揺れると、どんどん丈を伸ばし、枝別れして、その枝はどんどん太く長くなり、二本が綱のように抱き合い互いに巻きつきながら、空に向かって太く大きく伸びてゆきました。やがてそこに、大きな白い百合のつるでできた、塔のように高い緑の木が現れました。天高く伸びた百合のつる木には、所々に伸びた薄緑色の枝に白い百合の花が咲き乱れ、その香りが辺りの空気を涼しく清めて、つややかな緑の葉はうれしそうに風にゆれて喜びをまきました。百合は何かの予感を感じて、きれいな銀の露をひとつほとりとホミエルの額に落としました。
ホミエルは百合のつるの大木を見あげて、満足の微笑みをすると、今度は歌の魔法をしました。澄んだ美しい声で一節の歌を歌うと、百合のつるにはいつかしら、糸のように細い銀の針金をレースのように編んでできた、銀の細い螺旋階段が巻きついていたのです。螺旋階段の欄干には、星や月や花の模様が、銀の針金でそれは細やかに美しく編みあげてありました。
ホミエルはうれしそうに笑うと、螺旋階段の前に立ち、神に丁寧にお辞儀をしてから、その螺旋階段を上ってゆきました。
翼をもつ天使も、神の空にまで上るには、途中まで百合の階段を上らねばなりませんでした。ホミエルは銀の螺旋階段をどんどん上り、とうとう、銀の階段のてっぺんまで来ました。双子のような銀河から、うすい箔を落とすような金の光が、ホミエルの頭に落ちていました。ホミエルは銀河の神に丁寧にお辞儀をし、感謝をすると、ほう、と一声言って、百合の階段の少し上に、透明な入り口をこしらえました。そこでようやくホミエルは、背中から菫色の翼を出して広げ、その入り口から、神の空に向かって、飛び出していったのです。
神の空に出ると、そこには不思議な青い太陽があって、空間はまるで青いラピスラズリの粉を詰められているかのように青く光り、どこまでも果てしなく広がっておりました。太陽風が高い次元で、天使の耳を壊さないように静かにも豊かな交響曲を歌っていました。かすかに聞こえるその音に耳を澄ますと、ホミエルの胸に歓喜が花園のように咲き乱れ、楽しくてたまらなくなり、笑い出さずにいられませんでした。そういうことで、ホミエルはまるで子どもが野で花を探しながら走り回るように笑いながら、青い神の空を飛んで行きました。
やがてホミエルは目当ての小さな星を見つけました。それは青い太陽の周りを回る、胡桃のような形をした小さな灰色の星でした。普通の岩の星のように見えますが、よく見れば所々に、透きとおったアイオライトの結晶が、ジャガイモの芽のように小さく生えていました。星はヴェールのような半透明な大気に包まれて、神の歌の歓喜に酔い、くるくる回りつつも、自分の軌道を一ミリたりと間違えずにゆっくりと飛んでいました。ホミエルは小さなその星に近づくと、何事かを星にささやきました。すると星はくるくる回るのをやめ、少し考えるようにころりと横に傾いたあと、ホミエルの言葉にやさしくうなずきました。ホミエルはほっとして、神と星に深く感謝をすると、その灰色の星を脇に抱え、再び入り口を通って百合の階段を下り、元の雲の原へ帰ってきたのです。
さて、ホミエルの仕事はまだこれからでした。ホミエルは雲の原に戻ると、百合の木と銀の階段はそのままにしておいて、星を抱えながらもう一つの入り口をこしらえ、その入り口をくぐって飛んで行きました。するとそこには、暗い宇宙空間がありました。遠くに白く小さく太陽が見え、近くには、虎目石と蛋白石と赤や青の瑪瑙を混ぜ合わせて丸く磨いたような木星が、大きく見えました。ホミエルは、菫色の翼をはためかせ、一ふしの歌を口笛で歌いました。するとすぐに、目当ての星は見つかりました。それは、木星の軌道上を回る、人間はまだ誰も知らない、小さな氷の衛星でした。氷の衛星は、木星軌道上を回りながら、まるで胸が破れそうな悲しそうな声で、歌を歌っていました。ホミエルはそれを見て、眉を寄せ、思わず息を飲み、悲哀を癒す呪文を星に投げてやりました。星があまりにも苦しそうに、今にも割れそうな声で、痛い、痛い、痛い、と叫んでいたからです。
ホミエルは、悲哀する氷の星に近づくと、そっと星に何かをささやきました。そして、新しく連れてきた灰色の星と、その星を、さっと取り替えました。灰色の星は、木星の軌道に乗ったとたん、歌を歌い始め、くるくる回り始めました。悲哀の星は、ホミエルの手の中で、赤子のように震え、泣いていました。ホミエルは星を抱いてやさしく慰めました。
この小さな氷の星は、地球上に、醜い戦争が起こらないようにと、ずっと長い間魔法の歌を歌ってきたのです。それは、星々が地球にささげる愛の歌の合唱の中の一つの大切な旋律でした。星は、星が歌う歌に人間が気づかなくても、ずっと歌ってきたのです。時には、その歌が人間の心に届いて、戦争がなくなったこともありました。けれども、ほとんどの人間は星の歌に耳を貸さず、人間は決して戦争をやめませんでした。長い長い時を経て、辛抱に辛抱を重ねて歌い続けてきたこの星は、ある日とうとう絶望して、泣いてしまったのです。
このままでは、星の悲哀が、地球に悪影響を及ぼすと考えたホミエルは、神に問い、新しい星と取り替えてはどうかとお尋ねしてみたところ、神はそれをせよとホミエルにおっしゃり、かわりとなる新しい星の居場所を教えて下さったのでした。
新しい星は木星の軌道上を、ぎくしゃくとしながら回っていました。まだ木星の引力に慣れていないからでしょう。一度など、軌道上を転げ落ちてしまいそうになり、あわててホミエルが元に押し戻しました。ホミエルは、太陽と木星の神に拝礼すると、今度は手の中に金の種を出し、それに呪文を吹きこみました。すると金の種は、吹き口は一つで、音の出口は三つある、金色の細長いラッパになりました。ラッパの出口は、百合の花の形をしておりましたので、そのラッパはまるで、三本の金の百合を束ねたようでもあったのです。
ホミエルは悲哀の星を左わきに抱きながら、右手に持った三本の百合のラッパを吹き、高らかに音楽を奏でました。それはまだ少しゆらいでいた新しい星の軌道の動きを修正し、正確な位置に戻し、新しい使命と歌と踊りを、星に深く教えたのです。
「よし」という御心のことばが、木星の神からかすかに聞こえてきました。ホミエルは深く木星の神に頭を下げると、新しい星の未来を祝福し、傷ついた悲哀の星を赤子のように抱いて、また、透明な入り口を通って、元の雲の原に戻ってきました。
「ほう」とホミエルは言って、傷ついた氷の星を、弱った魚を川に戻すように宙に放ち、しばらくの間、雲の原の上の空間で毬のように静かに回らせ、もう一度百合のラッパに口をつけて、今度はいかにも優しく、魂の深いところに届く透明な音で、心地よい子守唄のような曲を吹きました。星の長い長い間の苦労と悲哀に、感謝し、慰める歌でした。星はしばらくは悲哀に硬く心を閉ざしているかのようでしたが、次第に音楽が心に響いて、やがてほんの少し喜んで、一度だけ、くるりと回り、かすかな祝福の歌を歌ったのです。
ホミエルはラッパを口から離して、微笑むと、小さな星をもう一度抱き、百合の木の階段を上り始めました。そして神の空に出て、星を放つと、見えない神の手が風となって星をすぐにどこかに連れていってしまいました。
このようにして、新しい星が、木星の周りを回り始めたので、地球の運命はこれから、少しずつ変わっていくことになるそうです。戦争をすることが、だんだんと、難しくなってくるそうです。本当かなあ。本当だと、いいですね。
(おわり)