世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-10-28 07:30:02 | 月の世の物語・天人楽

「ありがとう、船に乗せてくれて」と、竪琴弾きは、豆のさやの形の船の、後部席の隅にうずくまるように座りながら、言いました。少年は操縦席で紋章やスイッチをいじりながら、なんでもないように言いました。
「いや、ちょうど用がありましたし。窮屈じゃありませんか?荷物ん中で」
後部席の竪琴弾きの周りには、豆真珠の粉の入った袋や、干しキノコの入った籠や、月光水で作った梅酢の瓶や、何やらよくわからぬ包みなどが、たくさんありました。竪琴弾きは、周りの品物を傷つけないように用心しながら、身を縮めて座りつつ、言いました。
「ええ、大丈夫です。それにしても大荷物だ。船はちゃんと飛びますか?」
「飛びますよ。いい魔法玉をもらったし、これくらいの荷物、なんでもありません」
言うが早いか、少年は光る魔法玉を、舵の真ん中に描いてある紋章の中に放り込み、呪文を唱えました。すると、ことり、という小さな音を立てて、船は重さもないように、ふわりと浮かびました。

「おや、すごいな。まるで体が羽になったみたいだ」竪琴弾きが驚いて言いました。少年は得意そうに答えました。「すごいでしょう。スピードも速いんですよ。こいつなら、天の国まで、ほんの三十分でつきます」
「それはすごい。船はいいですねえ。自分で飛んで行ったら、多分六時間はかかります。本当に助かった」「ベルトきっちりしめてください。スピードあげますから」船の高度をあげながら少年が言うと、竪琴弾きは慌てて座席のベルトを締めました。とたんに、周りの風景が、絵の具をごちゃごちゃに混ぜたように、わけがわからなくなりました。船は、しゅん、と音を立てて、いっぺんに空高く月まで届くかと思うほど飛び上がり、そのまままっすぐに、天の国目指して飛んでゆきました。竪琴弾きは頬を打つ風の強さに驚いて、目をつぶりました。そうして、船が停まるまで竪琴を抱きしめてじっとしていました。

「つきましたよ」と少年の声が聞こえたので、竪琴弾きはようやく固まっていた体を緩めて、ほっと目を開けました。すると、賑わしい天の国の港の風景が見えました。港と言っても水際にあるわけではなく、広く平らな白い広場の上に、大きさも形も色もそれぞれに違う船が、行儀よく並んでいます。遠くに格納庫のような白い建物がいくつか見え、人もたくさんいて、船の周りで何かを面白そうに笑いながら話していました。よく見ると白い大地は石英の砂を固めたものであり、ところどころ、白緑色の草が行儀よく並んで生えていて、船のとまる位置を白い広場の上に描いていました。

「三十分どころか、二十分でついてしまいましたね」竪琴弾きは船から降りながら言いました。「今日は魔法玉の機嫌がいいみたいだ。何か、よいことでもあるんですか?」少年が紋章から魔法玉を抜きながら、竪琴弾きを振り返って言いました。
「いえ、ちょっとね。ぼくも久しぶりに琴の講義を受けようと思ったものですから」
「へえ、琴の講義を?そんなに上手なのに?」
「何事も、上には上がいるのですよ。あの聖者様が琴の講義をなさるのは、滅多にないことですから、このチャンスを逃しては、本当に悔いが残るところでした。仕事が長引いて、もう間にあわないとあきらめていたんですが、あなたのおかげで間にあった。でも早く着きすぎてしまったな。まだ三時間ある。学堂までの道が歩いて一時間、飛んで十七分とすると、ええと…」

そのとき、船に向かって、数人の男女が近づいてきて、少年に声をかけました。
「ああ、船乗りさん、お世話になります。荷物をとりにまいりました」すると、少年は、彼らの顔を見るなり、ポケットから小さな帳面を取り出し、それを見ながら、後部席の荷物を、順番に彼らに渡していきました。
「ええと、楠青玉(くすのあをまる)さんには、豆真珠の粉一袋、唐呼鶏(からこのとりよ)さんには、干しキノコ一籠、出海波(いづみのをなみ)さんには、月光水の梅酢ひと瓶、空白星(みそらのしらせ)さんには、三弦の琴…」

三弦の琴と聞いて、竪琴弾きはふと顔をあげました。見ると少年は、黒髪で、四角い背のがっしりした男に、白い布に包まれた荷物を渡しています。男が荷物の白い布をとりますと、桜の木の香りのする、真新しい三弦の琴と、それを弾く黒い弓が現れました。竪琴弾きは思わず、そばによっていき、声をかけました。
「やあ、よい琴だ。露草村の工房で作られたものですね」すると男は、少しびっくりしながらも、竪琴弾きを見て、微笑みながら、答えました。「はい、前の琴が、少し邪気に濡れて使えなくなったものですから、大急ぎで露草村から取り寄せたのです。あそこには良い琴作りの工房がありますから」「ええ、そうです。琴は露草村のものに限ります。よい職人がとてもよい仕事をしています。ぼくの竪琴もそこで直してもらったのです」そう言いながら、竪琴弾きは自分の竪琴を、男に、いえ、みそらのしらせに見せました。みそらのしらせは、竪琴弾きの竪琴を見て、びっくりしたように目を見張って言いました。

「おやあ、なんとすごい。どうしたらこんなに、弦(つる)が清まるのですか。ああ、わたしも、清めの魔法を使えますけれども、それで琴は、たいそうよい音になりますけれども、こんな澄んだ弦は見たことがない。ああ、なんとまあ、人間は、勉強が足らないことだ」
みそらのしらせは、竪琴弾きの竪琴を、本当に感心して、目を弦に触れんほど近付けて、しげしげと見てしまいました。そして少年が、「みそらのしらせさん、受け取りを下さい」と声をかけたとき、初めて顔を上げ、やっと竪琴弾きに失礼なことをしてしまったことに気づき、身を縮めて恐縮し、頭を下げて謝りました。
「いえいえ、なんでもないことです。琴をひくものなら、琴をみたらつい夢中になってしまうもの」竪琴弾きは笑いながら言いました。

みそらのしらせは、受け取りの紙を少年に渡しました。そして少年に、琴のお礼として、自分の工房で作っているきれいな赤いガラスの水入れの入った、木の箱を渡しました。その赤い水入れは、とても不思議な瓶で、月光水をたっぷりと入れて、七日ほど光にさらしておくと、月光水がほんのりと赤く染まって、その水は、一年ほど、闇において水を足さなくても、自然に月光水がたまるようになるのです。ですから、月光のほとんど差さない闇の地獄の管理人は、よくその水入れを利用しました。月光や水の渇きに疲れた罪びとを癒すには、とても便利な道具でしたから。
少年は、それぞれに、お礼の品をもらうと、それを船に乗せて、「それじゃあ」と、天の国人たちと竪琴弾きに挨拶して、また飛び立っていきました。

「今日は、聖者様の琴の講義があるので、天の国まで来たのですが、もしやあなたも、講義を受けるのですか?」
竪琴弾きは、みそらのしらせと並んで歩きながら言いました。するとみそらのしらせは言いました。
「はい、そうです。あのお方の講義が受けられるなど、滅多にないことですから、前々からそれは楽しみにしていたのです。それなのに、自分の琴が邪気に濡れてしまって使えなくなり、慌てて、新しい琴を取り寄せたのです」
「どうして、邪気に触れてしまったのですか?」
「はい、いつの間にか、琴の胴の中に、蜘蛛が住んでいたものですから」
「おや、蜘蛛の怪ですか。風に乗って、天の国に、紛れ込んできたのですね」
「はい、わたしはびっくりしました。ここで怪を見るなど、ほとんどありませんから。でもここは月に近く、光に毒を散らす作用があるので、怪が迷い込んできてしまっても、すぐに逃げてしまうそうです。でもあの蜘蛛は、琴の中の影にそっと隠れて、光から逃げていたようです」
「その蜘蛛は、どうしました?」
「はい、清めの呪文をかけて、菊香を混ぜた月光水を琴の中に流しますと、苦しそうに琴の中から出てきて、どこかへまた飛んでいってしまいました。つかまえようとしたのですが、蜘蛛のほうがすばやく、逃げてしまいました」
「ああ、それで琴が使えなくなったのですね」
「はい、蜘蛛が琴の胴も弦も、それは汚してくれた上に、消毒用の月光水など流しこんでしまったので、とうとうだめになってしまったのです。一応修理に出してはみたのですが、職人にも匙を投げられてしまいました」
「ああ、それは大変だったでしょう。新しい琴が、講義に間にあってよかったですね」
「はい、本当に、幸いでございました。ほんの三時間前に、受け取ることができました」

話をしながら歩いているうちに、二人はもう、学堂の前まできてしまいました。見あげると、月は、十六夜の月でございました。学堂の屋根の、水晶時計を見ますと、まだ講義まで、二時間ほどもあります。
「ああ、これは早く着きすぎてしまったなあ」と、みそらのしらせが言いました。「ほんとうですねえ。まだ誰も来ていない。空いた時間を、何に使いましょう?」竪琴弾きが言いました。するとみそらのしらせは、しばらく考えて、言いました。「そうだ、あすこにちょうどいい長椅子がありますから、あすこで、新しい琴を試しに鳴らしてみましょう。よろしければ、聴いてはくれませんか。まだ未熟者ではありますが」「ああ、いいですとも。ぜひ聴かせて下さい」

そうしてふたりは、長椅子に並んで座りました。みそらのしらせは、三弦の琴を構えると、弓で弦をこすり、それはきれいな音楽を、風の中に流しました。竪琴弾きは、目を閉じて、しばしその音に聴きひたっていました。まだ新しい琴のせいか、すこし音は戸惑いがちですが、まるで金花獣の鳴き声のような音は、それなりの技に長けて若々しく、難しい旋律を難なくこなし、竪琴弾きの胸をとても喜ばせました。ちなみに金花獣とは、天の国の森に棲んでいる、鹿に似た獣で、角に金色の花を咲かせており、月が満ちたよい夜にはそれはきれいな声で鳴くのだそうです。

みそらのしらせは、一曲ひき終わると、竪琴弾きを見て、「どうでしょうか?」と尋ねました。すると竪琴弾きは微笑みながら、「ああ、とてもよいです。すばらしいです。夢で金花獣の鳴き声を聴きました。ではぼくも、金花獣の真似をしてみましょう」と言いました。竪琴弾きは、自分の竪琴を弾き始めました。

すると不意に、彼らを照らす月光が、布のようにやわらかくなりました。みそらのしらせは、びっくりして、思わず手を月光に差し伸べました。月光を含んだ風が、本当に、見えない布のような感触になって、みそらのしらせの手の上を流れてゆくのです。
(ああ、なんときれいな音だろう。なぜだろう、なぜだろう。胸が熱くなる。この人の琴は、少し聞くと、どこか、技術だけなら、私の方が上だと感じるところがある。音を落とすことはないけれど、時々不意に、星が光を夜空に吸われるように音が小さくなる。それが、返って美しく胸に響く。なぜこんなきれいな旋律になるのだろう。まるでちがう。ああ、まるでちがう。人間にはまだわからない、なにかが違う。一体なにが、ちがうのか…)
竪琴弾きの曲が終わると、待ちかねたように、みそらのしらせは竪琴弾きに尋ねました。

「すばらしかった。ほんとうに美しかった。ああ、なぜなのでしょう。わたしもそうとうに勉強して、とても難しい技術を習って、それは上手に弾くことができるようになったのに、そんな美しい音は出せない。そんな不思議な旋律を奏でられない。何がちがうのですか?」

すると、竪琴弾きは、笑って答えました。
「美しいことをして、それを積み重ねて来ますと、自然に弾けるようになります。愛が深くわかってきますから。人間はまだ若い。まだぼくたちよりも、よほど年下なのです。まだ、積み重ねが足りなくて、当たり前。勉強をつみましょう。そうすれば、今よりももっと上手になる。精進しても、精進しても、上がある。今日教えて下さる聖者様の琴に比べれば、ぼくなど、はるか及ばない」

みそらのしらせは、涙を流していました。今初めて、自分が、琴の音の本当の聴き方を、知ったような気がしたからです。今まで、すばらしい琴の音楽は何度も聴いたことがありましたが、その真の音を聴いたことは、一度もないような気がしました。

竪琴引きと、みそらのしらせは、講義が始まる時間まで、琴の鳴らし方や琴の音の聴き方について、深く会話を交わしました。

そして、ようやく、聖者様の琴の講義が、始まりました。講義室には講義を待ちかねていた若者や天の国の人々が、たくさん集まっていました。竪琴弾きと、みそらのしらせは、前から三番目の席に並んで座り、聖者様の講義を受けました。聖者様は、十二弦の琴を持ち、半月の形をした白いばちで、弦をはじき、素晴らしい琴の曲を奏でました。それは美しく、技巧も奇跡のようにすばらしく、一秒の間に十音が小鳥の雛の声のように束になって鳴いていました。竪琴弾きも、みそらのしらせも、ただただ感心して、何も考えることができず、聴き入っておりました。やがて、受講生の若者の一人が、講義室に銀の蛾の群れが舞っていることに気づきました。みそらのしらせも、それに気がつき、講義室を見まわしました。銀の蛾は、それぞれに、琴の音の化身であり、聖者様の奏でる曲に合わせて、星の歌のような静かな琴の音を鳴らして、聖者様の琴の音に合わせてともに合奏をしていたのです。それがために、聖者様の演奏は、何十人かの人とともに弾いている琴の合奏のように聴こえるのでありました。

聖者様の弾いた琴の曲は、不思議な魔法を起こし、講義を受けた人々はまるで、目と耳をきれいに洗われたような気がして、真実をもっと深く見聴きすることができるようになりました。聖者様は、琴の音がどんなにか美しく、人の魂を導くかを教えてくれました。琴の道に精進し、それを深く学ぶ者は、どんな魔法が使えるかを教えました。美しいことを積み重ね、魂の位が上がり、技術が進歩してくると、その琴の音楽を聴くだけで、罪びとの心を硬くしばった糸をほどくことができることを、竪琴弾きとみそらのしらせは、学びました。

講義は、あっという間に終わりました。挨拶が終わると、聖者様はすぐに姿を消し、もう講義室のどこにもいらっしゃいませんでした。講義を受けたものは、深く感慨を受け、互いの目を見交わしたまま、何も言わず、ただただ茫然としていました。

みそらのしらせは、自分の琴を持って、学堂の外に出ました。そして自分が胸に受けた感動そのままに、弓を動かし、琴を弾きました。まだ未熟ながら、講義を受ける前とは全く違う音が流れました。竪琴弾きは、みそらのしらせに声をかけようと思いましたが、それをやめ、彼が感動のまま、門を通って去ってゆくのを見送りました。みそらのしらせは、琴を鳴らしながら、自分のガラス瓶の工房に向かい、帰ってゆきました。

みそらのしらせは、涙を滂沱と流しながら、家に帰る道中を、夢中になって琴を弾きつつ、歩いていました。すると、ふと、どこからか、きい、と耳を刺す声が聞こえました。みそらのしらせは、そこでふと我を取り戻し、琴を弾く手を止めて、足元を見ました。するとそこに、一匹の小さな蜘蛛がいました。みそらのしらせは、特に気にするでもなく、また琴を弾き始めました。蜘蛛は、月光水をかけられた恨みを晴らすために、みそらのしらせを狙っていたのでした。けれども、みそらのしらせの奏でる琴の音楽を聴いていると、なぜか力が抜けて、何もできなくなりました。

琴の音は風の中を流れ、蜘蛛は月光を避けて道の隅の草むらに隠れながら、だんだんと遠ざかっていく琴の音に聴き入っておりました。蜘蛛の心を何かが熱く揺さぶりました。
もし、蜘蛛に涙を流すことができたなら、きっとその顔は、今さっきまで川に溺れていたかのように、濡れていたことでありましょう。


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