あくま、というものについて、妖精が教えます。
それは、原始の原始の段階において、大きな罪を犯し、それをまったく支払わないまま、今の今まで、逃げ続けている魂のことです。
幼い段階で犯した罪が、大きすぎ、耐えることができずに、そこでとまったまま、一切の自己の活動を、やめてしまったのです。
自分の存在そのものが、すばらしく、痛い、というのです。つらい、という段階に進む前に、ひどいことになってしまったのです。
彼の自己存在の中には、いたい、ということだけが、永遠にむさぼり続けられているのです。彼の中心には、ただただ、冷たい、冷たい、冷たい氷のようにつらいものが、ずっと、「いたい」と言い続けているのです。それが、そのものの、本体なのです。
その存在の矛盾が、あまりにもひどすぎるために、それに感応するビーストたちが、たくさん集まってしまい、それがだんごのように固まって、幻のように、いっこの人格のようなものを、つくりあげてしまう。それが、悪魔です。
「あくま」は、「いたい」としか、いいません。ずっと、いたいのです。激痛ではない。鈍痛のもっとも重いものです。おそろしいほど、苦しいのです。自分が、そんざいしつづけることが、苦しくてたまらないのです。その激しい矛盾に、同じような罪を抱えるビーストたちが、たまらずに、よっていくのです。そして、その「痛い」というものの望みを、一切、かわりにやってしまうのです。つまりは、痛すぎる矛盾を抱えた、激しい苦しみの魂に、ビーストたちが大勢で寄り集まり、恐ろしいまぼろしの人間をつくりあげた、それが、悪魔なのです。
彼は、矛盾に満ちています。まるで少女のように愛らしい形を好みます。みるからにやさしげに見えますが、黒く、小さく、汚く見えます。どんなにきれいに洗っても、装っても、気色悪さがぬぐえず、周りのものに嫌われます。ビーストたちが、どんなにがんばって、美しくつくりあげようとしても、できないのです。彼は、愛らしいのに、汚いのです。
彼は、見るからに弱そうですが、まるで超人のように、自信たっぷりです。そして、相当にひどいことを、平気でやります。それは、そういうものだというように、ただ、やるのです。考えることなく、やることが、できるのです。なぜか。それは、自分がやっているのでは、ないからです。彼は、痛い、とだけいえば、ビーストのうちのだれかが、いつの間にか、代わりにやってくれているのです。それは、彼が、あまりに激しく苦しんでいるために、ビーストが、思わず、そののぞみをかなえてしまうのです。つまりは、超人と思えるほど、すごいことは、みな、自分ではないものがやっているのです。
それを彼は、すべて、自分がやっていると、思っています。自分は、それをやれる、すごいものだと、思っています。ですが、実際は、彼は何も、やっていません。ただ、「いたい」といっているだけなのです。やっているのは、すべて、ほかのものなのです。事実、彼は、自分がすごいと、思う、ということすらも、やってはいません。そう思っているのは、ほかのものなのです。
ですから、彼は、そこにいても、まるでそこにいないように見えます。人格が漂わせる、一切の香り、温度、すべて、ありません。なにも、ありません。まるで、いないもののように、そこに、いるのです。
これが、あくまの、しんじつです。おそろしく、いたいものなのです。
自分の罪から逃げ続けてきたために、何もかもが、なくなった、ものなのです。自分でさえもが、ない、という存在なのです。それがあまりに苦しいために、ほかの存在が、その虚無の引力にひきつけられ、かたまり、いっさいをかわりにやってしまう。おそろしい、虚無の塊なのです。
それが、悪魔です。
それは、原始の原始の段階において、大きな罪を犯し、それをまったく支払わないまま、今の今まで、逃げ続けている魂のことです。
幼い段階で犯した罪が、大きすぎ、耐えることができずに、そこでとまったまま、一切の自己の活動を、やめてしまったのです。
自分の存在そのものが、すばらしく、痛い、というのです。つらい、という段階に進む前に、ひどいことになってしまったのです。
彼の自己存在の中には、いたい、ということだけが、永遠にむさぼり続けられているのです。彼の中心には、ただただ、冷たい、冷たい、冷たい氷のようにつらいものが、ずっと、「いたい」と言い続けているのです。それが、そのものの、本体なのです。
その存在の矛盾が、あまりにもひどすぎるために、それに感応するビーストたちが、たくさん集まってしまい、それがだんごのように固まって、幻のように、いっこの人格のようなものを、つくりあげてしまう。それが、悪魔です。
「あくま」は、「いたい」としか、いいません。ずっと、いたいのです。激痛ではない。鈍痛のもっとも重いものです。おそろしいほど、苦しいのです。自分が、そんざいしつづけることが、苦しくてたまらないのです。その激しい矛盾に、同じような罪を抱えるビーストたちが、たまらずに、よっていくのです。そして、その「痛い」というものの望みを、一切、かわりにやってしまうのです。つまりは、痛すぎる矛盾を抱えた、激しい苦しみの魂に、ビーストたちが大勢で寄り集まり、恐ろしいまぼろしの人間をつくりあげた、それが、悪魔なのです。
彼は、矛盾に満ちています。まるで少女のように愛らしい形を好みます。みるからにやさしげに見えますが、黒く、小さく、汚く見えます。どんなにきれいに洗っても、装っても、気色悪さがぬぐえず、周りのものに嫌われます。ビーストたちが、どんなにがんばって、美しくつくりあげようとしても、できないのです。彼は、愛らしいのに、汚いのです。
彼は、見るからに弱そうですが、まるで超人のように、自信たっぷりです。そして、相当にひどいことを、平気でやります。それは、そういうものだというように、ただ、やるのです。考えることなく、やることが、できるのです。なぜか。それは、自分がやっているのでは、ないからです。彼は、痛い、とだけいえば、ビーストのうちのだれかが、いつの間にか、代わりにやってくれているのです。それは、彼が、あまりに激しく苦しんでいるために、ビーストが、思わず、そののぞみをかなえてしまうのです。つまりは、超人と思えるほど、すごいことは、みな、自分ではないものがやっているのです。
それを彼は、すべて、自分がやっていると、思っています。自分は、それをやれる、すごいものだと、思っています。ですが、実際は、彼は何も、やっていません。ただ、「いたい」といっているだけなのです。やっているのは、すべて、ほかのものなのです。事実、彼は、自分がすごいと、思う、ということすらも、やってはいません。そう思っているのは、ほかのものなのです。
ですから、彼は、そこにいても、まるでそこにいないように見えます。人格が漂わせる、一切の香り、温度、すべて、ありません。なにも、ありません。まるで、いないもののように、そこに、いるのです。
これが、あくまの、しんじつです。おそろしく、いたいものなのです。
自分の罪から逃げ続けてきたために、何もかもが、なくなった、ものなのです。自分でさえもが、ない、という存在なのです。それがあまりに苦しいために、ほかの存在が、その虚無の引力にひきつけられ、かたまり、いっさいをかわりにやってしまう。おそろしい、虚無の塊なのです。
それが、悪魔です。