子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
孔丘
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馬鹿というものは、大勢というものに自己を埋没する。馬鹿なことをしても、大勢でやれば何とかなると、大勢の力をかさをきてあらゆる暴虐を働くのである。それは自己存在の真実を著しく剋することだ。
自主自立の永遠不二の存在として、美しい愛を実行する主体である自分というものを、大勢というエネルギーはあるが正体のわからない暗愚の塊の中に投げ捨てるのである。そしてその暗愚に支配されるまま、あらゆる破壊行為をしてしまい、社会を破滅に導くのだ。
民主主義をこの世界に湧き起こしたフランス革命というものも、実にその実態はこの大勢による暗愚の行動であったのだ。憎悪を燃やし、浅はかな啓蒙思想にまきついて、恐ろしい速さで葛のように世界に繁茂した。
暗君の支配する王制を倒し、身分制を破壊し、民衆が政権をとれば、民衆は自由になり、幸福になれると思ったのだ。だがそういう政治体制が実現してみれば、王政よりももっとひどい独裁が起こった。それを見破っている者は少ない。
同じて和せずとは、大勢の意見に自分を従わせて、自分としての美を発揮することはないということだ。自己存在とは社会のために毅然とした自分を実行せねばならないのだが、それをする勇気も知恵もない小人は、ただ恐怖ゆえに自分を守ろうと、実視で大きく強いものであるかに見える、大勢に味方するのである。だが大勢というものはいつも弱者の総体であるがゆえに、つねに動物的エゴを実行する。要するに、社会秩序を無視して、性欲の充足のために動くのだ。過言ではない。実質、人間はそればかりやっている。
民主主義が実現し、この世界に覇を遂げたとき、この暗愚というものが空気のように巨大になり、世界を支配したのである。この暗愚というものに逆らっては、この世界では生きていけないのだ。要するに、馬鹿でなければ、小人でなければ、生きていけないのである。
少しでも君子のようなそぶりを見せれば、大勢の馬鹿がつぶしにかかる。そして、小人を君子に見せるべく、あらゆる虚偽を実行し、社会は民主主義の太陽の下で、民衆の幸福を保証しているかに見えて、実質、どんどん腐っていくのである。
誰も愛を実行しない。だれも、自分をやらない。誰も、本当のことを言わない。
民主主義がもたらした世界は、そういう、永遠の、嘘の世界なのだ。小人が賢いのだ、小人が最も優れた王なのだという嘘を、永遠に保持していくために、あらゆる活動をしていく。そういう世界なのである。
そこでは、暗愚の支配のもと、人類の本当の自己は、窒息し続けている。