世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

仁に里るを

2007-08-30 08:57:35 | てんこの論語

子曰く、仁に里るを美とす。択びて仁に処らずんば、いずくんぞ知たるを得ん。(里仁)
(しいわく、じんにおるをびとす。えらびてじんにおらずんば、いずくんぞちたるをえん)

訳)○先生はおっしゃった。愛の中に自分のすべてを浸す。それはすばらしく美しく、幸福だ。なぜみな、これをやらないのか。きっとなにもしらないのだろう。

昨日は、少し悲しいことがあって、更新ができませんでした。それはわたしにはとてもショックなことで、心の中を整理して、立て直すに、少し手間がかかりました。

時々、人はなぜ、愛でないことを、そこまで軽い気持ちでやってしまうのか、と考えます。最近、そのように、平気で人を傷つけたり、辱めたりする人と出会うという経験を、よく味わうからです。それをすれば、ある人が苦しむ、とても傷つく、ということを、わかった上で、それをしたいと考えてやる。そういう人が、たくさんいるのだということに、わたしは今、ひどく疲れて、消沈しています。

なぜそんなことをするのか。人を傷つければ、自分も傷つくのです。自分はそれをした人間なのだという重い影を負うからです。その影は人間にある種の匂いをしみつけ、人間に備わっていた美しさを完全に痛めつけます。自分の奥の、もっとも大切な部分が、空蝉のように空っぽになり、苦しい形にゆがむのです。

人が悪いことをするのは、たいてい、自分がいやだからです。自分がひどく小さく、愚かで、惨めに思えるからです。だから、自分以外の人間を、自分ではないという理由だけで憎む。すべての人間が、自分より美しく、賢く見えるからです。自分だけが、あまりにも、苦しく、つまらないものに思えるからです。

自分より美しいものがにくい。殺したい。つぶしたい。そんなものはいやだ。すべていやだ。なぜならわたしは、自分のこのすべての存在が痛いから。つらいから。にくいから。わたしはわたしであることが、いやなのだ。

自分という存在を憎むとき、その人は常に苦しみの中にいます。自分存在そのものが激痛になります。そして、自分以外のすべての人を憎み、苦しめ、殺そうとさえするようになるのです。そうすれば、自分が、ほかの人より強く、えらくなれると思うのです。

しかし、本来、自分というものは、すばらしく、美しいものです。なぜなら、自分は、自ら、愛することができるからです。それをするということを、自ら選ぶことができるからです。そして、愛を選び、その中にすべてを預け、生きるとき、それがどんなに幸福であるかを知ります。自分は、これができるものなのだということをしるとき、なんて幸せなのだと思います。自分は、自分なのだ。わたしは愛し、そのためにすべてをやることができる、というものなのだ。わたしは、わたしなのだ。わたしは、ここに、たしかにいる。それがわかるとき、自分存在すべてが、幸福になる。

愛の中にいない人は、これを知らないのです。わからないのです。だから、すべての愛が理解できない。だから、あらゆる手を使って愛を攻撃する。そして、際限なく、苦しい虚無のわなにはまりこんでゆく。何もない苦しみだけの、永遠の時間の檻に、自らむかってゆくのです。

平気で、軽々と、人を傷つける人は、愛を知らないのです。自分が、愛であるということが、まるでわからなくなっているのです。

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2 コメント

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Unknown (塩豆)
2007-08-31 02:04:49
もったいないことですね。
愛でなければ、愛は応えない…と思います。

てんこサン、溜め込まないで下さいね。
「目には目を」という事ではなく、愛でないものをぶつけられたら、同じものを“やんわり”とした口調で思いを込めて相手に言ってみるのは、相手に効きますよ。

そんなヤツに負けるな!! 
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Unknown (てんこ)
2007-08-31 14:41:21
塩豆さん、ありがとうございます。
だいぶ立ち直ってきています。

でもわたしくらいの年になると、だまってるだけで相手に利くんですよ。もうわかってるから。

いろんなことがあるけれど、そのぶん、たくさん助けられていることを感じます。
愛はすばらしいです。
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