世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2011-12-16 07:16:57 | 月の世の物語

太陽風の吹く、暗い宇宙空間に、青い鳥船はゆっくりと止まりました。その操縦席では、女性役人が三つの窓から見える星の位置と、七つの計器が示す光る数字の動きを確かめながら、小さな舵を回し、微妙な位置を調整していました。やがて、すべての計器が計算通りの正確な位置を示すと、女性役人は静かに、「つきました」と言いました。船の中には、彼女のほかに、ただひとりの聖者の気配がありました。

女性役人は、未だ女性でしたが、もうすでに準聖者の資格は得ており、この仕事が終われば上部に上がることになっていました。ために声はもうかなり低く、胸も平らになり、物腰はすでに男性のものでした。

振り向くと、聖者はすでに青船の扉を開け、その外に見えるものを見下ろしていました。彼は片手に杖を持ち、もう片方の手には、今までの中で最も大きな水晶球を抱えていました。その光のために、青船の中はいっそう青く深く、まるで神の浄海の底のように光っていました。
女性役人は舵を船に任せると、聖者に近寄り、彼と同じ風景を開いた扉の向こうに見ました。「ここから見ると、まことに地球は美しいですね」彼女が問いかけると、聖者はただ、「ああ」と答えました。彼らの視線の先には、青い地球が、まるで毬のように、暗い宇宙空間に浮かんで見えました。

その聖者は、白い髪を短く刈り、長身の若者の姿をしていました。彼は、月の世のどの聖者よりも激しく苦しい修行を積み、深く高く学び進み、それゆえにすばらしい智と力を得ており、誰よりも高い空から真実を見ていました。そのためにか、その姿は凄まじいまでに美しく、鋭く地球を見下ろすその目は金色に光り、何億年を凍る氷壁のかけらを秘めているかのように冷たく、見る者を凍らせる深い悲哀をたたえていました。彼のその美しい姿を見て、心を動かされぬ女はおらず、男性化の進んでいる彼女でさえ、胸の奥に苦いものを隠していました。

聖者は地球をじっと凝視しました。目を凝らすと、何十人かの聖者が地球上の各地に作った、光る目印がいくつも見えました。彼はその目印の中でもっとも大きい、地球の真ん中にある大きな的の光を見ました。女性役人が言いました。「ここから、ひとりでゆかれるのですね」すると聖者は冷たくも静かな声で答えました。「ひとりだが、ひとりではないだろう」女性役人は目を伏せ、確かに、と言いつつ、聖者のそばを離れました。彼はこれから、自らの手で、あの地球の真ん中の真ん中に、その最後の水晶球を持って行くのでした。

「行く」と、彼はひとこと言うと、ふわりと宇宙空間に身を躍らせました。するとたちまち、真空を泳いでいた透明な精霊が幾たりか彼に従い、「ともにいきます」「ともにいきます」「ともにいきます」と彼にささやきました。彼はそれには返事もせず、ただ真っ直ぐに地球を目指しました。彼が行くに従い、彼の後を追う精霊の数は多くなり、その声の響きも大きくなりました。「ともにいきます」「ともにいきます」「ともにいきます」「ともに」「ともに」「ともに」……。

ふと、彼の目の前で、青い地球の表面がゆらぎ、そこに白い女神のお顔が見えました。女神は、長い髪を清楚に結い、その青い瞳には深い絶望をたたえながら、口元にほほ笑みを浮かべ、全てを受け入れていました。聖者ははるかなものを見るように、目を細めました。女神は聖者を見つめると、何もおっしゃらず、ただ静かに目を閉じられました。

と、また地球の表面がゆらぎ、女神のお顔は消え、代わりに今度は、たっぷりとした黒い髭を口のまわりにためた、雄々しい男神のお顔が現れました。聖者は目を見開きました。男神は、金色の目で聖者を正視しました。聖者は震えあがるような冷たい風を感じました。男神は、聖者をしばし深く見つめたかと思うと、光る目をかすかにゆがめました。そしてまるで悪戯を一緒にする子供のように、にやり、と彼に笑いかけました。とたんに、聖者の全身を、信じられぬような歓喜が貫きました。聖者は一層目を見開きました。ほおを打つ真空の痛みを感じながら、彼もまた、金色の目で、にやり、と笑いました。

すごい。すさまじい。自分は、あそこに行くのだ。あの、邪気と狂気の渦巻く腐った世界の、その真ん中の、神の怒りの熱と光の渦巻く、嵐の地獄の中へ!

全身を骨も裂けんばかりの快楽が貫き、瞬間彼は我を忘れ、高い笑い声をあげていました。

はあ、はっはっはっはっはっはっはああああああ!

その声に、まだ遠目から見守っていた真空の精霊たちが魂を揺り動かされ、彼の後を追い始めました。「ともにいきます」「ともにいきます」「ともにいきます」「ともに」「ともに」「ともに」「ともに」「ともに」「ともに」「ともに」……。

神はもう一度聖者に笑いかけると、今度はまっすぐにその視線で彼をとらえ、大きなお手で地球の真ん中の光る的を指しながら、聖者に向かって、確かな声を発しました。その声は、聖者の耳に、こう聞こえました。

「さあ、来い!」

聖者は青ざめながらもますます歓喜に酔い、杖をまっすぐにその的に向けました。行きます!今行きます!神よ!神よ!かあみいよおおお!!

そして彼は、ふと、また元の冷徹な瞳に戻り、地球の的を見据え、ただひとこと「行く」と言いました。その声に精霊たちは一斉に、「はい!」と答えました。その返事はすでに数千の大合唱となっていました。

やがて、聖者の姿は、青い地球の中へと消えて、見えなくなりました。青船の中で、一部始終を見ていた女性役人は、彼が大気を破った音、そして的を打って地中に身をたたきこんだ音をその目と耳で確かめました。ふと、彼女は、幻のように、地球の風がゆらめいたような気がしました。そして彼女は、まるで地獄に落ちていく男の悲鳴のような、微かな地球の叫びを聞きました。それはこう言っていました。

神よ神よ神よ、幾万、幾億度と裏切られながら、なぜそのように、なぜそのように、わたしを愛してくださるのか!!



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