世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-10-25 07:04:22 | 月の世の物語・天人楽

天の国には、書堂が各地にたくさんございまして、天の国に住む人々の、よい勉強の場になっておりました。もちろん、学堂もたくさんございました。時々、聖者様や、お役人さまが、教師としてきてくださり、魔法の詩や呪文や、琴や笛の鳴らし方、道具の使い方、様々な道理の現れや人としての礼儀などを、教えて下さいました。

川音透(かわねのすくや)と言う者が、おりました。彼の仕事は、おもに月夜麦(つくよむぎ)という麦を育てることでありました。月夜麦は天の国にしか育たぬ麦で、天の国に降り注ぐ甘く強い月光を浴びて伸び、収穫の季節ともなると、畑は金色の波のうねる海のようになりました。かわねのすくやは、それはていねいに、まるで王子に仕えるしもべのように、月夜麦を世話し、育てました。そして収穫の季節となると、神と麦に感謝する丁寧な儀式を行い、精霊の風の助けを受けながら、白い月長石の鎌で、麦を刈ってとりいれました。麦が自分を愛してくれて、全てを与えてくれることを、かわねのすくやはわかっておりましたが、それでも、鎌を使わねばならないときは、涙が流れました。かわねのすくやは、こうして、月夜麦を育てることを通して、人間にはまだ、麦を刈ることが辛すぎるということを、学びました。精霊が助けてくれねば、自分が育てた、愛おしい麦の茎の、ほんの一本さえ傷つけることができないのです。

「ああ、われわれが生きるために、どれだけの愛が助けてくれているのでしょう」かわねのすくやは、麦を刈る手をふととめて、よく言いました。すると風を吹かせてくれた精霊が、鈴のような声でささやくのでした。「よく学びなさい。そうすれば、多くのことがわかるようになり、もっとすばらしいことができるようになります」
すると、かわねのすくやは、本当にそうだと思って、胸に深く精霊のことばを吸い込むのでした。そして、仕事が終わって、畑を休める季節に入ったら、また毎日のように、書堂に通い、勉強しようと思うのでした。

余談でございますが、かわねのすくやが育てた月夜麦は、しばし月光に干され、粉にひかれますと、とてもよい香りのする金色の粉になります。それは、別の職人によって加工されて、きれいな二枚貝の入れ物に入れられ、女性がお化粧に使うおしろいや紅になります。お化粧などせずとも、女性は美しいのですが、ほんのかすかに唇に紅をひいたり、額に花模様など描きますと、それは眩しいほど美しくなり、それを見る人は深くため息をつき、本当に幸福を感じるのでした。天の国の女性たちはもちろんのこと、深い地獄に苦しむ女性たちにも、少しずつ、このおしろいは与えられました。罪を得て地獄に落ちた女性たちは、ときに、その香りよいおしろいを顔に塗ると、蜜が肌にしみ込むように顔が気持ちよくなり、塗った色がしばし、本当の自分の肌の色になるのでした。少しでも美しくなれることが、どのように女性にとって救いになることか、かわねのすくやは、まだ十分にはわかっておりません。ただ、道理に従って、気まじめに働き、地獄の女性たちのために、月夜麦を育てているのです。

さて、かわねのすくやは、とりいれを終わり、麦を粉にひくと、出来上がった粉の袋を、職人の工房に持ってゆきました。そして、ようやく畑の仕事が終わると、家に帰っていそいそと帳面と筆箱を布鞄に入れ、少々遠くはありますが、国で一番書物のそろっている、王様のお宮のちかくの書堂に向かうのです。人にとっては、二日ほどかかる道のりでございます。けれども、かわねのすくやには、だれにもおしえていない秘密の楽しみが、そこにございましたので、どうしても足は、一番近くの書堂ではなく、少し遠いその書堂に向かうのでした。

書堂につくと、かわねのすくやは早速、書棚から何冊かの難しい本をとり、席に座って読み始めました。本を読んでいると、時々文字が星のように光る時があります。それは本が、かわねのすくやに、ここはとても大事なところだと教えてくれているのでした。そういうところを見つけますと、かわねのすくやは、道端に落ちていた珠玉を見つけたかのようにうれしくなり、さっそく帳面に丁寧に書きうつすのでした。そうして、畑の休みの期間、かわねのすくやは、書堂にこもったり、時に学堂の末席に座ったりして、勉学にいそしむのでありました。

ある宵のことでございます。かわねのすくやは、あいかわらず書堂の一席に座り、書物を読みふけっておりました。しばらくすると、なにやらさわさわと人声がして、何人かの天女の方々が、書堂に入って来られました。それに気付くと、かわねのすくやは、驚きあわてて、席を立ち、天女の方々に挨拶をしました。天の国に住む男性たちは、よく学び進んでおり、人として魂の位も高い人たちですので、女性に対する礼儀もちゃんと心得ておりました。
かわねのすくやの、人間なりにりっぱに洗練された挨拶を見ますと、天女の方々はそれは喜び、また、男性に対するとても立派な礼儀をされました。女の方々は、それはやさしく、深い尊敬の心をこめて、男性に挨拶をされます。それを受けますと、かわねのすくやは、自分がとても立派になったような気がして、あわてて心の中で自分を律するのでした。女性は男性をとても立派にしてくれますが、それを、当たり前のことと思ってはならないことを、かわねのすくやはちゃんと知っていたのです。

天女の方々は、四人ほどおられたでしょうか。今日はまた、王様が御椅子に座られたまま、奏楽の途中で眠ってしまわれたので、書堂にて書物に触れて学びを得ようと、みなで書堂に集まってきたのでした。かわねのすくやも、挨拶を終えると、ほっと安心して席に座り、読みかけの本に目を移しました。そのとき、書室の入口にいたおひとりの天女の方が、廊下の方を見て少し驚いたような声をあげられました。
「あら、醜女の君がいらっしゃいますよ」「まあ、ほんとう」

それを聞いた、かわねのすくやは、一瞬、心臓が爆発したように大きくなり、突然ぱたりと書物を閉じて、立ち上がりました。そして、幾分顔を赤く染めて、あわてて書物を書堂の管理人のところに持っていき、言ったのです。
「こ、これを、お借りしたいのですが」
すると書堂の管理人は、ちょっと驚いたように目を見張って、言いました。
「よろしうございますよ。けれども、お堂で読まれる方がよいのではありませんか。席も温まっておりますし」
「はい、あの、何故にか、川そばで、風に吹かれつつ、月の光で書など読むのも、よいかと思いまして」
「まあ、今宵は新月で、月の明かりはございませんよ?」
「え、あ、あ、その…」

かわねのすくやが、言いよどんでおりますと、後ろにいた天女の方が、助け船を出されました。
「お庭の隅の、岩魚の御池にいかれるとよろしいですよ。池のそばに長椅子がありまして、明るい月色灯が池を照らしておりますから」
「そ、そうですね。ありがとうございます」
かわねのすくやは、そういうと、借りた本を脇にはさみ、布鞄を持ってあわてて書室を出て行きました。廊下の途中で、醜女の君とすれ違いました。醜女の君は、微笑んで、そっと頭を下げて、かわねのすくやに挨拶をされました。かわねのすくやは、一瞬、醜女の君のかわいらしい小さな瞳を盗み見たあと、小さな声で、「し、失礼」と言って、足早に書堂をでていきました。

醜女の君は、相変わらず、羽衣を、顔を隠し気味にかぶり、書室に入ってきて、そこにいた方々に丁寧に挨拶をなされた後、書棚から、鳥の音の詩集を取り出し、席を選んでゆっくりと本を読み始めました。

それを見ていた、天女の方々は、少しとまどいがちな顔を交わしました。かわねのすくやに助け舟を出した一人の天女が、醜女の君に聞こえないよう、小さな声で言いました。「なんてことでしょう。せっかくの機会ですのに、わたくしときたら、もう少し気のきいたことができなかったのかしら」すると別の天女が同じく小さな声で答えました。「ほんに、ひきとめて差し上げた方がよかったでしょうか。でもあのご様子では、あまりにも痛々しくて」「人間の男性は、恋にはまことに未熟でございますから。遠いところをこの書堂に来たのは、あの方にお会いするためだったのでしょうに」「どんなに高い道理を心得ていても、恋にはかなわないのでございますよ。恋とはまったく、苦しいもの」「まあ、そういうあなたは、恋がお上手でいらっしゃるの?」「…あら、恥ずかしいこと。未熟をさらしてしまいましたわ。ほんに、恋が簡単にできる方法を、どなたか書いては下さらないかしら」「それは多分、聖者様にも、ご無理でございましょう」

「ではせめて、今日は恋を学びましょう」「よろしうございます。山梅集など、読みましょう。古い時代の恋の歌が、たくさん書かれてありますから」「何かよい知恵を、授かるかもしれませんわ」
天女の方々は、書棚から薄紅色の本をそれぞれにとり、席についてそれを読み始めました。醜女の君は、何一つ気付くことなく、ただ、詩集に読みふけっておりました。

かわねのすくやは、月色灯の照らす長椅子に座りながら、ぼんやりと池を泳ぐ岩魚を見つめておりました。借りてきた本は、読む気にもならず、布鞄の中に入れてありました。「なんでこんなに、わたしは愚かなのか」かわねのすくやは、そういうと、涙が目に盛り上がってきそうになりました。

かわねのすくやは、もうずいぶんと昔、月の明るい望の宵、ある庭の片隅で月珠を丸めている醜女の君を、見かけたことがありました。まだ、天の国に来て間もない頃でありましたから、彼女が何をしているのか、どういう人なのか何も知りませんでした。醜女の君は、月珠を作り終わると、羽衣で汗を吹きながら、それは澄んだきれいなお声で言ったのです。
「ああ、これで、どれだけの人をお助けすることが、できるでしょう!」

ああ、恋に落ちるということを、神が事前に教えて下さっていたら、あのとき、あそこには行かなかったものを。こんなに長い間、苦しむことがわかっていたら、決して行きはしなかったものを。難しい道理を、どれだけ勉強しても、何も、恋に胸を焦がされる痛みを癒してくれるものはないと、わかっていたら…

かわねのすくやは、ほろりと涙を流しました。見あげると、新月の大きな月は、自ら光る天の国の光を反射して、うっすらと暗色に灯り、静かな顔で彼を見下ろしています。

かわねのすくやは、今宵の自分の愚かさを、月に明かし、導きを求めました。月は何も言わず、ただ沈黙のうちに愛を語りました。かわねのすくやは、醜女の君のことを思い、胸にこみあげてくる熱いものを、せめてもと、小さな歌にしたいと思いました。その歌は、月以外に、決して知られてはならない歌でした。月は、かわねのすくやをみつめ、約束をずっと守ると、微笑みました。そうして、かわねのすくやは、月が傾けてくれた耳の中に、そっとささやくように、歌を落としたのです。

白珠の 貝も閉ぢつつ 夢歌ふ 君に琴の緒 触るもたまらず 

白珠の君を 思う心を 
ああ 硬く閉じる 水底の貝さえ 
そっと夢にささやくことが あるものを 
このわたしときたら 
あなたにさしあげる 歌のために 
琴糸に触れることすら できないのだ…



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