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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

放蕩者の死⑦

2018-05-15 04:12:41 | 風紋


ネズミのように黒い彼の目が、零れ落ちそうなほど、オラブはあることに気付いて愕然とした。あんなアシメックの言葉など、信用していなかった。甘えたことを信じさせて捕まえようとしているのだと思っていた。だがこのたびは、そのアシメックの声が全く聞こえなかったのだ。

なんで、いつものあの言葉を言ってくれなかったのか。何とかしてやるから帰って来いと。心を揺り動かされないわけじゃなかった。今戻れば、村でまっとうに生き直すことができると、思わないこともなかったのに。

不安が一層寒さを感じさせた。だがオラブはすぐに、暗闇の中に逃げた。そんなことは馬鹿だ。何にも痛いことなんかないのだ。おれはこれでいいんだ。

夜が深まって来る。眠れない頭を無理矢理眠らせるために、彼は腰の辺りを探った。ネズミの頭蓋骨はなかった。

朝目を覚ますと、全身が枯れ葉のようにしびれていた。足の先に感覚がない。まるで何かが腐っているようだ。腰布はまだ湿っている。

体が動くようになるまで、時間がかかった。腹が空いている。何か食わねばならない。だが、蓄えてある栗を噛む気にはならなかった。ネズミが食いたい。ぬるい血をすすりたい。




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放蕩者の死⑥

2018-05-14 04:14:01 | 風紋


しかしそれからしばらくして後、アシメックが山狩りを決行した日は、さすがに困った。村の男たちが繰り返し自分の名を呼ぶ声が、ここからも聞こえたのだ。

境界の岩を超えて来たらどうしよう。ここはそれほどあそこから遠くないのだ。馬鹿な奴が、禁を破る気にならないとは限らない。ほんとはこんなこと、誰にでも簡単にできることなのだ。

洞窟の奥で身を小さくしながら、オラブは声も立てず、ネズミのように震えていた。カシワナカのことなんて馬鹿にしていたけど、思わず、見つからないようにと祈りそうになった。見つかればおしまいだ。捕まって、嫌なことをされる。みんなに馬鹿にされる。それだけはいやだ。

しかし結局、だれも境界の岩を越えてこなかった。村のみんなの声が聞こえなくなったとき、オラブはほっとした。やっぱり馬鹿なやつらだ。あんなことなんでもないのに、クソまじめに決まりを守っているのだ。

山に夕闇がかかり、洞窟の中が寒くなってくると、オラブは自分の体を抱いた。いまだに湿っている腰布が煩わしかったが、脱ぐ気も起こらない。村のみんなはもう帰ったろうが、不安はぬぐえなかった。誰かがまだ残っているような気がした。

こんなくらし、いつまで続くのか。オラブはいつもは考えないようにしていることを、考えた。いつでも人目を忍んでいるんだ。友達なんて誰もいない。生きてる人間はみな、おれのことが嫌いなのだ。

オラブはアシメックのことを思い出した。彼だけはいつも、何とかしてやるから帰って来いと言ってくれる。




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放蕩者の死⑤

2018-05-13 04:12:40 | 風紋


寂しくなったオラブは自然に、右の腰につけているはずの、ネズミの頭蓋骨に手をやった。だがそれはそこにはなかった。いつも、お守りのようにヒモをつけて腰にぶら下げていたのだが、どこかで失くしてしまったらしい。

だれも友達はいないオラブにとっては、ネズミが友達のようなものだった。木の皮の中に住んでいるチエねずみは、かなりいい養分になった。山にはたくさんいるし、そんなに苦労なく簡単に捕ることができる。

村のやつらと付き合わなくても、生きていけるんだ。ネズミを食えば、それほど飢えないですむ。ネズミを食うなっていう話は、親から何度か聞かされたことがあったが、もうそんなことを守る気持ちは、子供の時に捨てていた。

歯向かって生きることが、楽なのだ。誰にも謝らずにすむ。嫌な奴に馬鹿にされずにすむ。おれはこれでいいんだ。

盗んだ栗を噛みながら、オラブは洞窟の中で漫然と過ごしていた。季節はだんだん冬に傾いていく。そろそろ寒くなる。モカドから盗んだ鹿皮を、彼は肩にかけた。この冬はこれが重宝するだろう。

もちろんオラブは、その頃アシメックがヤルスベに出向いて、自分が怪我をさせた女に、小さくなって謝っていることなど何も知らない。




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放蕩者の死④

2018-05-12 04:12:30 | 風紋


人から物を盗むために、ありとあらゆる知恵を、オラブは身につけていた。村のみんながいいものを隠している場所が、だいたいどこらへんなのかということも、ほとんど知っていた。レンドは一番いいものを、家の西側の物入れの中に隠す。ジタカはいつも、栗を皮袋に入れて寝床のそばに隠すが、時々場所を変える。そんなことをすぐにオラブは見抜いた。

頭がいいと言えばいいと言えるかもしれない。遠いところにあるものを、くっきりと見ることもできた。だからあの日、遠いところから見たアロンダが、見たこともないような美しい女であることも、すぐにわかったのだ。

なんであんなものがいるんだろう。アロンダのことを思い出すたびに、オラブの胸の中で虫のようなものがうずく。美しくなりたいなどと思ったことはないはずだった。女なんてみんなブスに見えた。自分よりきれいで大きな男はたくさんいたが、そんなやつらもみんな嫌な目で見れば、嫌なものに見えた。馬鹿なやつらなんだ。正直に働いたって、みんなおれにとられるのに。

こんな世界にあるものになど、惚れるほどいいものはないのだ。オラブはそう思っていた。

それなのになぜあれだけはあんなにきれいに見えるのか。男女の交渉をしたいんじゃないんだ。そんなこととっくに馬鹿だと思ってる。あんなことのためになんで男がいいことをしなければならないんだ。それなのに、あの女のことだけが忘れられない。

美しいものって、何なのだ。なぜおれは、いつも、あれを見たいと思ってるんだろう。




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放蕩者の死③

2018-05-11 04:12:46 | 風紋


この前も、ヤルスベの岸にアロンダに似た女を見つけたので、思わず彼は岸に上ってしまった。よく見ると、それはアロンダではなかった。アロンダなら、悲鳴もあげないで逃げるだけだが、その女は、オラブを見るなり、素っ頓狂な叫び声をあげて、逃げ出した。

まずい、と思ったオラブは女を追いかけた。

村の方から男の声がしたので、すぐに川に戻って逃げたから、オラブはその女が、恐怖のあまり木に登り、高い枝から落ちて足を折ったことは知らない。とにかく彼は、逃げることだけは誰よりもすばやかった。

誰に知られることなくカシワナ側の岸につくと、至聖所の裏に回り、暗い抜け道を通り、アルカ山の自分のねぐらに戻った。村人は誰も知るまい。イタカを通らずに、アルカ山にゆける道があることを。こんなことも、至聖所の裏を通ってはならないという村の決まりを破ったから、知れることなのだ。

神の教えなんか守っていたら、絶対にわからないことを、オラブは知っていた。

ネズミの血がうまいことも。境界の岩を超えたところに、こんないい洞窟があることも。




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放蕩者の死②

2018-05-10 04:13:04 | 風紋


おれは、あの女が見たかっただけなんだ。

昨日のことを思い出しながら、オラブは思った。アロンダを見かけたあの日から、彼はあの美女が忘れられなかったのだ。カシワナ族の女とはまるで違う。目も顔も髪も、姿もまるで違う。なんであんなにきれいなのか。もっとよく見てみたい。

そういう思いに取りつかれた彼は、あれから何度か川を泳ぎ、ヤルスベ側の岸を見に行った。首尾よくアロンダに出会えることもあった。だが、会えない時の方が多かった。

美しいものというのは、一体何なのだろう。おれは醜い。たまらなく醜いんだ。カシワナ族の女なんて、おれを見るだけでぞっとして逃げるんだ。いやなんだ、あんなやつら。ぶすばっかりなんだ。でも、あの女は、なんであんなにきれいなんだろう。カシワナ族とは全然違うし、変な格好してるのに、なんできれいに見えるんだろう。

オラブは、あの女の正体が知りたかったのだ。美しさの正体が知りたかったのだ。だけど女はいつも、オラブを見ると逃げるように消えていく。

女はおれを見ると、みんな逃げる。

オラブはひとりで腹をかきながら、思った。いつもひとりでいる彼は、自分と話をするように、そういう思いを自分の中に書く。




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放蕩者の死①

2018-05-09 10:56:52 | 風紋


泥棒には泥棒なりのやり方というものがある。

境界の岩を超えてはならないという、先祖の教えを破れば、すぐにおもしろい場所が見つかる。人間がこうだと決め込んでいることの裏をかけば、嫌な奴が生きることのできる道もできるのだ。それがオラブの考えだった。

オラブは放蕩者だった。子供のころから、親の言うことなどほとんど聞かなかった。生まれた時から醜く、親にさえも嫌な顔をされて見られることがあった。それがひねくれた原因と言えばそう言えるかもしれない。

まだ腰布もつけない子供のときから、人の物を盗んでいた。人の物を見る目だけはすばらしくよかった。三軒隣の家の子供が、親から栗をもらったのを、誰よりも早く見つけるのだ。そしてその子供がそれを食べる前に、巧みに盗む。

気付かれないこともあったが、気付かれることのほうが多かった。盗みがばれると、親にしこたま尻を叩かれた。罰だと言って、食事を抜かれることも多かった。親は半ば愛情があって、オラブの盗み癖を何とかしてくれようとしていたのだが、オラブはそんなことなど気にもかけなかった。嫌だった。何もかもが。みんなが、自分より美しい。自分よりいい子だ。

(おれは生まれた時から、みんなに嫌われていたのだ。醜いからだ。何にもしないで、人の物ばかり盗むからだ。そんなことは知ってる)

アルカ山の奥の洞窟で、トカゲを噛みながら、オラブはぼんやりと思っていた。腰布に使っている破れた鹿皮が少し湿っている。昨日、川を泳いだからだ。濡れたまま干しもしないで身につけたままなので、まだ乾かない。




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イメージ・ギャラリー⑱

2018-02-28 04:12:45 | 風紋


Kenneth Ferguson

ヤルスベ族の族長ゴリンゴのイメージです。
彼はアシメックより若干年上だという設定です。
このころの平均寿命は40にも満たないほどでしたが、時に頑健な男はいました。
そういう男は実に立派な姿をしていました。





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偶数の羽⑦

2018-02-27 04:12:43 | 風紋


だれだ、と言おうとしたが声が出なかった。それはカシワナ族の女ではなかったからだ。

「気をつけて。ゴリンゴは要求してくる」

なぜアロンダがここにいるのか。考えている間に、女は消えた。アシメックは思わず女がいたところに登ったが、そこには人の気配などどこにもなかった。

どこからかかん高い鳥の声が聞こえた。これは何だろう。おれの目がどうかしているのか。

ヤルスベ族の美女アロンダが病気で死んだということを、アシメックが漁師から聞いて知ったのは、それから一月も後のことだった。




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偶数の羽⑥

2018-02-26 04:12:45 | 風紋


近づいて来るカシワナの岸を見つめていると、その上に、見も知らぬ暗雲が漂ってきている気がした。

そして、冬になる前に、アシメックはようやく、オラブを探すための山狩りを実行した。男たちを集め、山の中をオラブの名を呼びながら探させた。境界の岩を超えることはできないが、呼んでいるうちに答えがあるかもしれない。

ほとんど葉を落とした木々が、山を歩き回る人間たちを冷たく見降ろしていた。夏鳥は去っていた。もう少しすると雪が降るだろう。あまり深入りすることはできない。アシメックは境界の岩のそばに立ち、山の奥を見た。山の木々が作る闇も、梢がすいて幾分明るく見えた。だが、わけのわからない闇がそこに巣くっているような気がする。

みんなで何度も声を枯らして呼んでみたが、結局オラブは見つからなかった。

捜索が無駄なことだとわかってくると、アシメックはみなを帰らせた。男たちは悔しそうに帰っていく。アシメックだけは、未練があるように、しばし山に残った。日が暮れる前に帰らねばならないが、まだ何かできることはないかと思うと足が動かなかった。

何もできないのか、おれは。このまま放っておくことはできないというのに。アシメックは足元の土をにらみながら思った。

「オラブはもうすぐ死ぬわ」

ふと、後ろから声がした。アシメックは驚いて振り向いた。すると、少し山を登ったところに女がいる。




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