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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

クレオパトラの饗宴

2014-02-21 05:22:51 | 虹のコレクション・本館
No,75
ヤーコブ・ヨルダーンス、「クレオパトラの饗宴」、17世紀フランドル、バロック。

クレオパトラをテーマにした絵を探した。ヨルダーンスは人間の裏を描くのがうまい画家だ。美しいが見栄っ張りな女を囲んでいる男たちの表情が絶妙にいい。

ちやほやしているように見えるが、男はこういう女を一番馬鹿にしている。

クレオパトラというのは、女性にとっては一つの理想形だろう。美貌、知性、地位、財産、いい男、ほとんどすべてを持っている。歴史に名を残す絶世の美女だ。欲しいものがすべてここにある。

だからと言って、こんな女を目指して、あがき始めると、こういうことになるぞ、という絵である。

結局、クレオパトラは、男に翻弄されて、悲劇的に死んだ。愛する男との愛の日々はあったかもしれないが、つかの間だった。

ヨルダーンスは、クレオパトラを、美しいが頭の悪い女、という感じで描いているようだ。こういう女性は、けっこういる。きついことをやって、かなりなことになるが、結局は、男の餌食だ。本当に賢い女は、クレオパトラを冷めた目で見ている。

女性はこの絵を見て、自らの道標とすることだ。




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散歩、日傘をさす女

2014-02-20 04:22:43 | 虹のコレクション・本館
No,74
クロード・モネ、「散歩、日傘をさす女」、19世紀フランス、印象派。

モネは風景や植物を描くのはよかったが、人物は苦手だったらしい。
それなりの作品を描いてはいるが、人物画はどれも、人間を正面から見ることを避けている。そういう傾向は、印象派の絵画全体に見られることだが。

女性像を、風景画のように描きたい、などということも言っているらしい。
たしかにこの絵は、女性を風景の中にある一種のオブジェとして描いているようだ。日傘とヴェールの奥に、人間の女性の匂いを厳重に封じ込めている。

モネは、女性がいやだったのだろう。そういう男は多いがね。
19世紀になってから、内部から強い精神性を発揮する女性が増えてきた。それに対し、一種の恐怖感を、男は抱き始めていた。それゆえに、男は、絵の中で、巧みに女性を殺そうとしているのだ。

女性の死に顔を描いた絵なども残しているがね、そんなところにも、モネが内部に抱いていた女性への苦しい気持ちが漏れている。

ルノアールにはそれなりに、女性に対する賛美の気持ちがあったが、モネは嫌悪感を否定することはできなかったようだ。

この絵には、紳士を装った男の、女に対する、きつい本音が隠れている。




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選ばれし者

2014-02-19 04:36:26 | 虹のコレクション・本館
No,73
フェルディナンド・ホドラー、「選ばれし者」、19世紀スイス、象徴主義。

象徴主義を考える上で、忘れられない絵である。このイメージは、かなり強烈だ。

翼をもった女性の一群が、幼い子供(おそらく男児)を取り囲んでいる。
女性は天使のようにも、亡霊のようにも見える。

19世紀は、男と女が、逆転を始めた時代だった。男がかなり女性的に、繊細になってきた。昔のような、勇猛な男性性を発揮できる男が、ほぼいなくなり、その代わりに、女性が男性性を表現するようになってきたのである。

ホドラーが描く女性は、恐ろしい強さを秘めている。あからさまには表現しないが、沈黙の中に、強権を発動する意志を表明している。

この絵には、未来が胎蔵されている。




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マグダラのマリア

2014-02-18 04:04:09 | 虹のコレクション・本館
No,72
ヤン・ファン・スコーレル、「マグダラのマリア」、16世紀オランダ、北方ルネサンス。

これもまた秀逸な女性像である。美しいね。
マグダラのマリアを描いた絵は多いが、これはかのじょをもっとも誇らしく描いた絵だと思う。

マグダラのマリアは姦淫の女と同一視されることが多く、少々官能的に描かれる絵が多い。やたらと裸にされるが、本来の彼女はそんな女性ではなかった。

もっと誇り高く、知性のある女性だったんだよ。かわいらしい女性と言うより、えらい女性という感じだったのだ。当時の人間の中で、唯一、イエスが信頼できると感じていた人だった。

女性ゆえに、何の力もふるえなかったが、かのじょが一番、イエスを理解し、イエスを愛していた。ゆえに人は、彼女に、もっと誇り高い姿を与えるべきだ。イエスの真実をわかっていた人がひとりでもいたということが、あなたがたの救いになるからだ。

この絵は、マグダラのマリアを描いた絵の中で、最も、彼女の実像に近い絵である。




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アダムとイヴに発見されたアベルの遺体

2014-02-17 05:05:42 | 虹のコレクション・本館
No,71
ウィリアム・ブレイク、「アダムとイヴに発見されたアベルの遺体」、19世紀イギリス、ロマン主義。

ブレイクは英国詩人らしく、観念性の強い絵を描くが、それが却っておもしろく、美しい。
ラファエル前派の画家たちより、洗練されているね。知性の違いだろう。

カインは、人類史上初めての殺人者と言われているものである。弟アベルに嫉妬して、殺してしまった。これはその死体の後始末をしようとしている所を、両親に見つかってしまったという場面だ。

罪に落ちた息子を呆然と見守る、父親アダムの目が悲しい。

愛する子供が罪に落ちたとき、あなたがたはどう思うね。罪に落ちたからと、軽々しく捨てられまい。償いをさせ、立ち直らせてやるために、あらゆることを、子供とともにやっていこうと、親ならば考えるはずだ。

子がなした罪は、親の荷でもあるのだ。
この絵の中のアダムの顔には、そういう父の顔が見える。

人間の心の影には、カインの悲しみがある。親を悲しませてしまった自分が苦しい。自分がいやだ。よい子でありたかったのに、と。

この苦しみから逃げて、自分が正しいことにするために間違った道を選べば、カインは果てしない闇をさまよい続ける。罪を受け入れ、正しい道で人の道を尽くせば、カインは父のもとに帰ってくる。

神話はその後のカインについて淡々と語ってはいるが、果たして彼の心は、どこにいったのだろうね。




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パルナッソス

2014-02-15 05:12:15 | 虹のコレクション・本館
No,70
アンドレア・マンテーニャ、「パルナッソス」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

これは楽しげな絵だが。
中央上部に軍神マルスとそれによりそうヴィーナスが描かれている。遠くでは、ヴィーナスの夫であるウルカヌスが、寝取られ男の叫びをあげている。クピドがそれを見ている。

実におもしろいね。

踊っているのはミューズたちだろう。パルナッソスは詩神ミューズたちの住むところと言われ、神話では詩や文学、音楽の発祥地とされている。

この絵で想起されるのは、時には奔放に遊びたくなる人間の恋の思いだ。実社会が推奨する貞節の檻を脱して、自由に好きな男、好きな女と恋したいという欲望が、人間にはある。不倫の仲であるマルスとヴィーナスが中央にいるというのは、そういう人間の、社会のおきてに逆らいたい本音が現れていると言える。

だが実際、そういうことをやってしまうと、人生はたいてい壊れる。大切な愛を失い、多くの人を苦しめたあげくに、信用を失う。ここは十分にわかっていたほうがいい。

この絵は、詩や文学などの心の世界で、恋の思いを遊ばせるのはいいが、現実ではやってはならないぞ、ということを教えているのだよ。

わかるね。




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アモールの勝利

2014-02-14 03:41:38 | 虹のコレクション・本館
No,69
カラヴァッジョ、「アモールの勝利」、17世紀イタリア、バロック。

カラヴァッジョは、人間には人気のある画家だが、われわれにはちょっと苦しい。
なぜならば、これには人間の悪いところが前面に強く出ているからだ。

非常に卓越した技術だが、きつい嘘を隠している。巧みな技術を使って、実に上手に嘘をごまかしているが、それゆえに一層その嘘が痛くなる。

これはアモール(愛)というが、アモールではない。アモールからその姿と美を盗んできて、平気でそれを着て笑っている馬鹿なのだ。

カラヴァッジョは、私生活でも殺人という罪を犯したが、その技術ゆえに免罪されたことがあるという経歴を持つ。これは、どんなに苦しい罪を犯しても、うまくやれば逃れられるのではないかと言う、人間の甘い考えを感じさせる。

人間存在には、まだ支払えていない罪の影が多すぎるのだ。ゆえに、カラヴァッジョが好きだという人間は多い。つまりは、そういう罪の記憶を影に持っている人間がたくさんいるということだ。

なんとなくわかるだろう。

カラヴァッジョの絵を支配している強い闇が、人間の記憶に塗りこめた罪を思い起こさせるのだ。




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聖アグネス

2014-02-13 04:35:57 | 虹のコレクション・本館
No.68
フランシスコ・パチェーコ、「聖アグネス」、17世紀スペイン、バロック。

聖アグネスを描いた絵を探してみた。
アグネスは、キリスト教徒だったが、惨い性暴力によって十三歳で殉教したと言われる、少女である。この伝説により、性暴力被害者の守護聖者となっている。

たいした功も残していないのに、あまりにも惨い性暴力を浴びて悲劇的に死んだというだけで、ひとりの少女を列聖するのは、男の歪んだ贖罪意識だろうか。

聖女にするより、少しはかのじょに謝れとわたしは言いたいのだがね。

人間はアグネスを聖女にして、敬うような形を作ってはいるが、謝罪したことは一度もない。
アグネスは聖女になりたいなどとは思わないだろう。自分が受けた傷を、だれも真剣には考えてはくれないのかと、憂えているような顔だ。

聖アグネスの絵をいろいろ探してみたが、満足できるような絵はなかなか見つからなかった。その中でこれは、とても美しく描いてくれている。それが気持ち的にうれしく、採用してみた。

アグネスを描くことは、男には苦しい仕事なのかもしれない。これからの画家には、もっと真剣に考えて、かのじょを描いてほしいね。




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聖エウスタキウスの幻想

2014-02-11 04:36:25 | 虹のコレクション・本館
No,67
ピサネッロ、「聖エウスタキウスの幻想」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

何とも幻想的な絵だが。
ローマ帝国の将軍であったエウスタキウスはある日、狩猟の最中にキリストの幻想を見た。美しい牡鹿の角の間に、光る磔刑像を見た。
それに打たれたエウスタキウスはキリスト教に改宗したが、それからは苦難の連続と言う人生となった。財産を失い、愛するものを失い、あらゆる難がふりかかっても信仰を捨てなかったが、結局は捕らえられ、悲劇的に殉教した。

これは、人間にとって、その運命を強く示唆する絵である。

エウスタキウスに限らず、人間は時に、よく磔刑の幻想を見るのだ。それは、人間の心に、深くうがたれた罪の記憶だからだ。決して忘れることはできない。
この現実を認めるとき、初めて、罪の浄化が始まる。素直に正しいことに向かう時、甘やかにも厳しい運命の浄化が始まるのだ。

自分がかつてなしたことが、帰って来るのだよ。それは実に苦しい。だが、正しいがゆえに、幸福だと思う時、人間は真に救われる。それがキリストの約束だ。

運命を受け入れる準備が整った時、まるで約束のように、人は磔刑の幻を見る。

これはそういう人間の運命の約束を描いた絵だ。あなたがたも、いずれこの幻を見るかもしれぬ。そのとき、否と言うか、諾というかで、自分自身が決まってくるだろう。

このイメージを、胸にやきつけておくとよい。




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バッコスとアリアドネ

2014-02-07 04:23:19 | 虹のコレクション・本館
No,66
ティツィアーノ・ヴェチェリオ、「バッコスとアリアドネ」、16世紀イタリア、盛期ルネサンス、ヴェネツィア派。

ティツィアーノをあげるのは三作目だが、どうしても語りたいことがあり、これをあげた。

この作品は、矛盾に支配されていたティツィアーノの人生を象徴している。名声に満たされた人生だったが、その奥にあるものは、冷たい孤独だった。

彼の作品群を眺めてみると、彼の本当の愛が一番素直に現れているのは、ジョルジョーネを補筆した「眠れるヴィーナス」だ。自分の名によって発表された作品は、自分の本心を虚偽の鎧で巧みに隠している。そんなものを見せれば、人間によって殺されることがわかっているからだ。

虚飾と暗愚の馬鹿騒ぎを指揮しているバッコスが、アリアドネを一目見るなり、車の中から跳ね上がり、かのじょに飛びつこうとしている。これは、彼自身が焦がれていた、真実の愛への、苦しい飢餓感を表している。名誉と富をいくら得ることができようとも、決して満ちることのない胸の虚ろを、彼は常に抱えていたのだ。

彼の自画像を見てみたまえ。鉄でつくった愚か者の仮面をしっかりかぶり、本当の自分は決して見せていないことを、見破ることができるものは、達人だ。

長寿の人だったが、その人生はすべて、死んでいるのと同じだった。彼は生きながら自分を殺し、その技と魂の財産を、木が自分を人に与えるように、人類のためにささげたのである。




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