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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

リハーサル

2014-02-06 04:57:49 | 虹のコレクション・本館
No,65
エドガー・ドガ、「リハーサル」、19世紀フランス、印象派。

これはよくない。
女性から形の美しさだけを奪って、描いている。
魂が少しも描けていない。

おそらく、ドガは、女性がいやだったのだ。美しいのに、痛い心がその中にあるというのが、いやだったのだろう。だから、決して、女性の魂を描こうとしなかったのだ。

美しい絵に見えるが、これは男の冷酷なエゴを感じさせる。この絵を見ていると、男は、所詮女はこんなものだ。別に、欲望のために狩っても、痛いものを奪っても、たいしたことではないと、思ってしまう。

これは女性を、物質扱いしている。肉としてしか見ていない。

好色な目で見ている絵の方がまだましだ。愛が全くない。




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バベルの塔

2014-02-05 04:07:23 | 虹のコレクション・本館
No.64
ピーテル・ブリューゲル、「バベルの塔」、16世紀フランドル、北方ルネサンス。

この画家の、人間への辛辣な視線は、人間存在の暗部に強く働き掛ける。
文明におごり高ぶった人間が陥った愚昧を、それそのままに見せつける。

旧約聖書に語られている神話は、まったくの創作だ。バベルの塔の遺跡などは、どこを探してもない。だが、人間は、これと似たようなことを、何度も繰り返している。

バベルの塔の神話は、その人間の経験が語らせているものなのだ。

人間は今も文明を暴走させ続けているがね、技術をとがらせて、世界を滅ぼすことのできるスイッチなども作ったが、それがどういうことになるのかを、まったくわかってはいない。

節度と言うものを守らないとどういうことになるかを、教えてくれる神話だが、それにしても、程度があるというものである。

人間はこの絵を、もっと厳しく身を律する意味で、鑑賞しなければならない。
ここには、深い、神よりの警鐘がある。

馬鹿をやってはならない。

二度と繰り返してはならない過ちが、この中に描かれている。




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裸のマハ

2014-02-04 04:04:52 | 虹のコレクション・本館
No,63
フランシスコ・デ・ゴヤ、「裸のマハ」、18世紀スペイン、ロマン主義。

「着衣のマハ」は前に使ったことがあるので、こちらを採用した。
これははっきりいって、男の個人的趣味によって描かれた絵である。
まあ、女性の肢体を、じっくりと鑑賞したい男のために描かれたものだ。
ゆえに男の本音が丸出しに出ている。

見てみたまえ。この女性は、はっきり言って、極上の美女ではない。それなりに美しいが、美女と言うよりは、かなり気のきいたことをしてくれるし、馬鹿なこともわかってくれる、粋な女と言うやつだ。

男は、かなりこういう女が好きだ。多分画家は、この絵のモデルとした女性に、だいぶ、入れ込んでいる。本音で言えば、絵を描くことによって、この女の肉体に、もろに溺れている。
わかるね。これが男の本音だよ。

ばっちり、体がメインだ。顔は大事だが、頭はそれなりでいい。いや、実に、いやらしい。

男はこういう目で女を見ているわけだ。




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ポンパドゥール夫人の肖像

2014-02-03 04:07:27 | 虹のコレクション・本館
No,62
フランソワ・ブーシェ、「ポンパドゥール夫人の肖像」、18世紀フランス、ロココ。

ロココは人間をてかてかに塗りすぎる。人間の女はこんな繻子の人形のようなものではない。わかっているだろうが。

フラゴナールなどはかわいいので、まだ許せるがね。

言っておくが、女は、鏡を見て、自分は美しいと気付いたとたんに、その美しさが曇る。傲慢の心は決して美しいものではないからだ。ひどいものになると、美しいと思ったとたんに醜くなる。

ポンパドゥールはセンスがあったぶん、助かったようだが。

美というのは難しいものなのだよ。自分の美に気づいた時、心が傲慢に焼かれないように、自分を律しなければならない。それでなければ、神が下さった美を保つことができないからだ。

勉強ができていないものが、簡単に他者から美を盗んで美人になると、こういう罠に落ちる。美の中に傲慢の炎が灯り、あまりにもきつい、臭いものになる。それは決して美ではない。

美とは愛の本質なのだ。愛のために奉仕するのが美だ。美は愛のためになければならない。それでこそ美は心地のいい幸福になる。

ポンパドゥールは美女だったようだが、実に臭いね。美を権力と贅沢のために利用している。こんな豪奢な服を着て、誇り高く気取っているのが許されるのは、子供のうちだけだ。こんなレベルにあこがれているようでは、美女への道は遠い。

女性はこれを反面教師とするように。




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フェアリー

2014-02-02 04:08:43 | 虹のコレクション・本館
No,61
ソフィー・アンダーソン、「フェアリー」、19世紀フランス、ラファエル前派。

やあ、これは苦しい。
ファンタジックに、いかにも美しく描いてあるが、これは、ブスの願望だ。

実に、美女になりたくてもなれない女は、こういう女になりたいと願っているのだよ。
宝石のような青い瞳、金の絹糸を束ねたような髪、抜けるように白い肌、天使のようなかわいい顔。満点だね。

だが、こういう美女は、存在し得ないのだ。なぜなら、こういう美しい目や髪をもらえるような美しい女は、こういう美を欲しがらないものだからなのだよ。

こういう美女になれる美女ほど、もっと地味な、自分らしい美をまといたがるものなのだ。
派手に美しい姿をもらっては、自分がつらいからだよ。

また男も、こういう女からは逃げる。モナリザの方が、男は好きだよ。髪は黒いし、少々太り気味で、とうが立っているが、やさしい目をしている。我慢をしてくれる。愛してくれる。

美女というものは、やさしさを勉強しないと、できないものだよ。やさしさを勉強したら、こういう派手な美貌が、見る者を苦しめるとわかるから、できないのだ。
地味目の、やさしい美しさをまといたいと、本当の美女は思うものだよ。

そこが勉強できないから、ブスなんだよ。




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大家族

2014-01-30 03:27:18 | 虹のコレクション・本館
No,60
ルネ・マグリット、「大家族」、20世紀ベルギー、シュルレアリズム。

20世紀芸術というのは、どれも見るのが苦しい。その中で、マグリットのこれはまだましなほうである。

命というものを、物質と同じ次元に考え、軽い気持ちで切り貼りしているような感がある。
絵の中で、人間は紙よりも軽いものになってしまっている。

後々の人間は、愛が退いてゆき、孤独と虚無感と絶望の砂漠の中で、人間ではないものに変貌していった、人間の魂の現実を、これらの絵の中に見ることだろう。

自然を離れて傲慢に陥って行った、20世紀の魂の現実が、20世紀芸術の作品世界の中に、まるで巨人のデカい遺骸のように横たわっている。

これは、地獄にしめつけられた人間の魂が、一瞬空に見る飛翔の幻か、あるいは、暗黒の世界に襲いかかる自然界の光の復讐のようだ。




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聖母子

2014-01-28 03:16:16 | 虹のコレクション・本館
No,59
マティアス・グリューネヴァルト、「聖母子」、16世紀ドイツ、ドイツ・ルネサンス。

北方ルネサンスの絵画は好きだ。職人的な生真面目さがよい。この画家も個性が際立っている。

この絵の聖母子は実に幻想的だ。どことなくゲルマン神話の影響が見える。

聖母という存在に、救いようのない世界の救済の幻想を見ているようにも思える。

処女にして母という女性は、あり得ないものだ。現実の女は、男にもまれて、だんだんと痛いものになってくる。男は男が汚した女がいやで、決して汚れない女というものを夢見る。それが聖母マリアというものだ。

この現実世界ではありえない女性に、人間は聖性と神の位を与えて崇める。そしてきつい天国の幻想を見る。

救いは、現実からかけ離れて、はるか遠くに幻のように君臨している。

人間の男は、こんな幻のような女を、追いかけ続けているのだともいえる。
だが、本当に救ってくれるのは、聖母ではなく、自分の背後にいる、じゃがいものように強い、当たり前の女のほうなのだ。

この聖母の美しさは、悲しい人間の、幸福を夢見る切ない心を思わせる。




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ユディトⅠ

2014-01-22 04:35:37 | 虹のコレクション・本館
No,58
グスタフ・クリムト、「ユディトⅠ」、20世紀オーストリア、アール・ヌーヴォー。

19世紀から20世紀にかけて、こういう感じの女性が増え始めた。
どうだね。美しいが、どこか男性的な野心を感じるだろう。

時代が進み、男に伍すようなことをやりはじめた女の中には、男並みの馬鹿をやるやつも多く出てきたのだ。

昔はユディトも、ホロフェルネスの首を落とすのに、勇をふるい起こしたものだが、このユディトにはそういうことはない。平気の平左で、カミソリで髭を落とすように、軽く男の首を落とす。

こわいぞ。
美女であっても、正直、近寄って行きたくないだろう。こういう女には。

やさしくもあでやかにほほ笑みながら、その手には軽やかなハサミを持っている。

気をつけよ。不用意に近寄ると、大事なものをちょん切られるぞ。




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ゴリアテの首を持つダヴィデ

2014-01-19 04:11:24 | 虹のコレクション・本館
No,57
ベルナルド・ストロッツィ、「ゴリアテの首を持つダヴィデ」、17世紀イタリア、バロック。

ダヴィデとゴリアテのテーマを描いた絵を探した。

この神話は、小さいものが大きいものを倒すという、人類にとっての大きなテーマを描いたものである。人類はまだ若く、小さい。その生涯は、勝利よりも敗北を味わうことの方が多い。自分より大きな存在があまりにも多く、それへの恐怖に打ち勝つことに、大きくエネルギーを使う。

そういう人間にとって、巨人ゴリアテに勝利したダヴィデの物語は、強い作用を持つ。もちろん、実際のゴリアテがこんなに大きいわけがない。それなりに大きい男だったが、事実は人間の限界を超えてはいない。だが大きなものを倒した者にとっては、これほど大きく感じたものなのだ。

実に偉いことをした。人間にとって自分よりも大きいものに勝つということは、非常に大事なことなのだ。この偉業によってダヴィデは、バテシバの汚点を作っても、人間に永遠に語り継がれる英雄となったのである。

大きなものに挑戦していくとき、ダヴィデのイメージは強く人間の魂に作用する。苦しい時は、この勝利の図を想像するがいい。




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ヴェールの女

2014-01-17 05:17:50 | 虹のコレクション・本館
No,56
ラファエロ・サンツィオ、「ヴェールの女」、16世紀イタリア、盛期ルネサンス。

ラファエロは狸だ。この絵はラファエロ的にしあげてあるが、ラファエロ自身の筆は一筆も入ってはいない。すべて弟子の制作だ。

衣服の描き方なども卓越しているが、ラファエロにはこういう描き方はできない。

だがそういうことを考えてもこの絵には特筆するべきものがあるので取り上げた。

実に美しい女性である。モデルのフォルナリーナは、高い進化をとげている魂の持ち主だ。これは絵を見ていればわかる。この目の輝きはたぐいまれだ。賢い。強い。

ラファエロの成功は、実にこの女性によるものなのだ。

女性を甘く見てはいけない。ラファエロはこの女性を得たことによって、この女性の持っている見えぬ天の富も得たことになるのである。彼の工房はこの女性によって成功していたのだ。

だから、フォルナリーナを捨ててほかの女と結婚しようとした途端、ラファエロは死んだのである。彼女の天の富をも捨てたと同然だからだ。

この女性像は、高い進化をした女性像の見本の一つである。




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