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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2014-03-17 03:38:00 | 虹のコレクション・本館
No,95
サンドロ・ボッティチェリ、「春」部分、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

かのじょはボッティチェリが好きだった。このように、美しい少女や花をちりばめた少女らしい絵が好きだった。
元からそういうやつなのだがね。実に、男にしては、少女っぽいものが好きだ。これを言うと本人は嫌がるのだがね。

わたしなどは、智謀策謀などが結構好きだ。人の嫌がることもけっこうやるよ。馬鹿にきついお目玉をくらわすのもお手の物だ。男と言うものは、汚いことやずるいことができるということも、使えるカードとして、常に用意しておかなければならない。

まあ、そういうカードを出さねば、できないことも、あるからね。

だが彼はまるでそれができない。まっすぐにきれいにやりすぎる。それで好きなものと言えばこれだ。美しい。かわいい。楽しい。どこまで透き通っても、奇麗なものしか見えない。

これが女性でなくてなんだというのだ。いや、これを言うと本人は嫌がるのだが。

見てみたまえ。まるのまま、美しい。裏などない。そのまま美しい。普通こんな絵を描くと、その陰に汚いものを隠しているという感じがつきまとうものだが、この絵だけには全くそれがない。
かのじょの好みそのものだ。

ボッティチェリは後に、サヴォナローラに執心してこのみずみずしい表現力を失うのだが、この絵は本当に美しいね。これ以上の美人を描ける画家はいないだろう。

ただ、美しい。それのみの絵と言えば、これくらいというものだ。




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オルフェウスとエウリュディケ

2014-03-16 03:37:12 | 虹のコレクション・本館
No,94
エドマンド・デュラック、「オルフェウスとエウリュディケ」、20世紀フランス、イラストレーション。

エウリュディケとオルフェウスの神話を扱った絵を探した。エドマンド・デュラックは、20世紀にイギリスで活躍したフランス出身の挿絵画家だ。美しくファンタジックなイラストレーションをたくさん描いている。これも童話的でかわいらしいね。オルフェウスの前から消えて行くエウリュディケの瞳が悲しい。

これと似た神話は日本神話にもあるね。イザナギがイザナミを裏切った話だ。夕鶴の話などもそうだが、要するに、男が女を裏切ったために、女を失ってしまうという話だ。こういう話は、世の中に掃いて捨てるほどある。

エウリュディケもつうもイザナミも、「見てはならないと言ったのに」と悲しげな顔をして消えていく。男と言うものはいつも、約束を破る。

見るなということは、やってはならないことはやるなということなのだ。そんなことをしてはおしまいだということを、やるなということなのだ。わかるね。だが男はいつも、そんなことばかりをする。

日本神話では、イザナミはイザナギを激しく恨み、呪いの言葉を吐く。それはそれは、男の裏切りが悲しかったからだ。イザナギは妻に引導を渡した後、みそぎをして三貴神を生むが、その長女であるアマテラスに一番高いものを与えた。それはイザナギの罪の意識が働いたともいえる。女を一番偉くして、自分の失敗を償おうとしたのかもしれない。

だがそのアマテラスも、弟であるスサノヲに約束を破られ、ひどいことをされて隠れてしまうのである。スサノヲはその罪により高天原を追われ、クシナダヒメを救うために戦うことになるのだが。

男はいつもこのように、自分のしたことを償うために、いろいろとやっている。

この絵には、そういう男と言うものの悲哀の影が読み取れる。事実男はずっと、女を裏切った罪を浄めるために、いろいろとあがいてきたんだよ。





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本を持つ男

2014-03-14 03:09:12 | 虹のコレクション・本館
No,93
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、「本を持つ男」、15世紀フランドル、初期フランドル派。

今日は男性の肖像画を選んでみた。ここで選ばれる絵はどうしても女性像が多いのでね。男を描いた絵というと、まずこれが浮かんだ。

これは実に誠実そうな顔をしているが、馬鹿だ。目をよく見てみたまえ、好色そうな感じがするだろう。どんなに鉄面皮の下に隠しても、隠せない心が見える。

こういう男は多いぞ。スタイルやばっちりな道具で完璧に装ってはいるが、女ばっかり見ているというオーラを振りまきまくっている。
実にね。高そうな指輪をして、難しそうな本を持ち、女になど興味ないというようにあっちを向いているが、考えていることは丸見えと言うやつだ。

これがね、昔は結構通用したんだが、女も馬鹿ではない。わかるんだな。男には、もうこの手管が通用しなくなっているということに、まだ気づいていないやつが多い。

女は、いとも簡単に、こういう男の正体を見破る。甘いね。

男の肖像画には時に、こういうおもしろいものがある。かっこをつけても中身が丸見えと言うやつだ。完璧にやりまくっている分、ずいぶんと馬鹿になっている。




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バテシバ

2014-03-13 04:04:49 | 虹のコレクション・本館
No,92
セバスティアーノ・リッチ、「バテシバ」、18世紀イタリア、バロック、

バテシバをテーマにした絵を探した。レンブラントやメムリンクの絵が印象的だが、これを選んだ。実に美しいバテシバだね。ダヴィデがほれるわけだ。

説明するまでもないが一応説明しておくと、ユダヤの理想的王と言われるダヴィデはある日、水浴中のバテシバの姿をのぞき見て一目ぼれしてしまい、彼女の夫を戦地に送って死に追いやり、無理やり彼女を奪ったのである。ダヴィデの大きな汚点として伝えられている話だ。

理想的王というがね、これはどう考えても、馬鹿だよ。人として、最低だ。

バテシバの気持ちを考えてみたまえ。愛する夫を殺した男の元に行かねばならない。断れば殺される。女には、自分の気持ちなど言えない時代だったのだ。

女は金と力のある方になびくものだと、勝手に解釈してはならない。悲しみも苦しみも十分に味わっている。理不尽を感じながらも従わなければみなが困るとなれば、従う。そういう運命を、女性は背負わされてきたのだ。

男は、好きでもあきらめなければならない時はあきらめるという精神的訓練ができていない。わがままばかり言って周囲を苦しめる。結局は女が我慢するより仕方がない。

レンブラントのバテシバは悲しげで見るのが苦しい。我慢しなければならないことはわかっているが、どこで悲しみを逃せばいいのかわからない。そんな顔をしている。
耐えねばならないことを耐えていく日々に臨んでいく前に、悲しみに沈むことを自分に許している。そういう風に見える。

その点このバテシバは、まだ自分の運命を知らない。美しいバテシバを見ているダヴィデの気持ちにもなるね。だが、手を出してはいけないよ。

かのじょの幸せを考えてあげたまえ。




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眠り

2014-03-12 03:55:08 | 虹のコレクション・本館
No,91
ギュスターヴ・クールベ、「眠り」、19世紀フランス、写実主義。

これは美しく見えるが、むごい。ヤン・ファン・エイクのマリアの後で紹介すると、落差がひどいね。

これは男のエゴそのものだ。女から肉体だけを奪い、男の欲望専用のものとして描いている。人間の肉を着た木偶だ。もっと強い言い方をすれば、本物の肉体を使って作った、ダッチワイフだ。

美しい裸体画はたくさんあるがね、これは最低だ。

いずれ人間は、こんな女を必要としていたのかと、あきれるぞ。女を、こんなものにしていたのかと。

侮辱以前の問題だ。意識が幼稚すぎる。人間をこんなものにしてはいけない。

クールベはもっと馬鹿な絵を描いているがね、さすがにそっちはコレクションにあげたくなかった。
これは極上の技術を、もっとも低劣な精神にささげた例だ。




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聖母マリア

2014-03-11 04:09:26 | 虹のコレクション・本館
No,90
ヤン・ファン・エイク、「ヘントの祭壇画」より「聖母マリア」、15世紀フランドル、初期フランドル派。

これは美しい。マリアの事実云々を度外視して、取り上げざるを得ないね。人間は、純潔なるマリアをここまでたたえるのかという絵である。
崇高なる天国とはこういうものかと、見入ってしまう。

実にね、こういう女性存在が、いないわけではない。だがこうなるともう、女神の段階だ。正直、人間は、見ない方がいい。人間がいやになってくるからだ。

女性存在と言うのは、美しくなりすぎるんだよ。

隣にいる、かわいい女の子の方を、見た方がいい。その方が安心だ。そういう子の方が、いいことをしてくれる。かわいい愛で、大切なことをしてくれるよ。そういう小さな愛を、大事にしていくがいい。

美しすぎる女を見ていると、男は狂うぞ。馬鹿になりすぎぬ前に、あきらめることだ。

だがまあ、絵の中の女性なら、いつまでも見ていられる。ファン・エイクのこの絵は、天上の女神というものを、人間に見せてくれる。




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サムソンとデリラ

2014-03-10 03:32:58 | 虹のコレクション・本館
No,89
ピーテル・パウル・ルーベンス、「サムソンとデリラ」、17世紀フランドル、バロック。

ルーベンスからはこれを選んでみた。ほかにもたくさんおもしろい絵があるのだがね。まあサムソンとデリラの神話には見過ごしがたい面白さがあるのである。

どんな勇猛果敢な男も、女には弱いということだ。

ルーベンスは肉感的な女性が好きだったらしいね。夫人のエレーヌ・フールマンもずいぶんとふくよかなかわいらしい女性だ。あまり頭がよさそうでないところもよいらしい。

彼の描く女性たちはすべて、彼のこの好みによって描かれている。やせ形の美女が流行の昨今では、少々難しい絵である。美しいと思えないと思って見ている人間もいるに違いない。

だがまあ、本人はこれが好きだったのだ。ほかに理由はない。好きなんだな、これが。

だからサムソンも、デリラにはまったのである。いや、かわいい女だったんだよ。見ればすぐに吸いついてしまいそうな。もろ、好み。

勇者も油断するとこうなるのだ。女を甘くみてはならない。まあデリラは利用されていただけだったがね。

「好き」ということには特に理由はない。とにかく好きなのだ。それは重要なことだ。時に人生を大きく左右する。馬鹿みたいに熱心に、あらゆることを、好きだというだけでやってしまうのが、人間だ。

男は、好みの女に至極弱いということを、もっと勉強するべきだね。




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ホロフェルネスの首を切るユディト

2014-03-09 04:41:12 | 虹のコレクション・本館
No,88
アルテミシア・ジェンティレスキ、「ホロフェルネスの首を切るユディト」、17世紀イタリア、バロック。

女流画家では忘れることのできない名前である。いや、鬼気迫る殺人現場だね。
知ってのとおり、アルテミシア・ジェンティレスキは、若いころ絵の師によって性暴力の被害にあっている。もちろんこの絵には、それによって刻まれた、男への恨みが十分にこもっている。

召使に男の手を封じさせ、自分は男の髪をひっつかんで、男の喉にめりりと刃を入れている。動脈から噴き出る血しぶき。ああこれはもうだめだね。馬鹿なことをやったものだ。女の恨みを買うとどういうことになるかということを、男は知らな過ぎる。

本当に怖いんだよ。

まあ実際、画家はこの絵のように、加害者の男を殺してしまいたかったんだろうね。痛いほどその気持ちはわかる。女性はいつも、踏みにじられてきたからだ。男ははっきり言って、一度はこういう目にあったほうがいい。

女性はこれを見て溜飲を下げることだ。
男はこれを見て、精出してぞっとすることだ。
近い将来、これに似たことが起こるぞ。




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パキウス・プロクルス夫妻の肖像

2014-03-08 04:45:09 | 虹のコレクション・本館
No,87
不詳、「パキウス・プロクルス夫妻の肖像」、1世紀頃、イタリア、ポンペイ風俗画。

これはポンペイ遺跡からの出土品である。かわいらしいカップルだ。パキウス・プロクルスはパン屋であったらしい。作成年などはもちろん確定できないが、まだキリストの殺害を定かには知らなかった頃の絵だ。

人類にとって、イエス・キリストの殺害がどういう事件であったのかを思わせる。キリスト殺害以前は、人間はみなこのように、かなり単純な線をしていた。顔もかなり整っていた。思考の仕方も、単純だった。少々悪いことをしても、いつでも正義の門に帰れると、まだ信じていられたのである。

だが、キリスト殺害後、人間の思考は迷走を始める。あまりに大きな愛をあからさまに殺してしまった。それがゆえに、自分を少しでも正当化するために、複雑な論考を必要とした。それゆえに、学問や芸術が繊細に発達し始めた。人間の顔の線も微妙に歪み始め、陰が色濃く刻まれ始めた。

人類の複雑な思考能力は、キリストの殺害によって喚起されたのである。

今この絵を見ると、まるで子供に見えるだろう。何もわかってはいない。考えていることが単純に過ぎる。それはまだ、大きすぎる罪というものを、まだ人間が知らなかったからだ。

自分も神も許すことのできない、決定的な罪を犯してしまった。それはアベルの殺害よりもずっと重い。

人間はイエスを殺したことによって、大人への道を歩み始めたともいえる。




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受胎告知のマリア

2014-03-07 03:44:38 | 虹のコレクション・本館
No,86
アントネッロ・ダ・メッシーナ、「受胎告知のマリア」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

これは美しいマリアだが、何とも硬い女性だね。顔以外はないようだ。肉体の香りがない。これは、恋をしようにもできない女性だ。
しかし男はこういう女性を描き続けている。聖母マリアのイメージは強烈だ。

男はマリアを追いかけ続けている。なぜ男は女を追いかけるのか。それは女が、すぐにいなくなるからだ。なぜいなくなるのか。それは男が、女におまえが必要だと言わないからだ。だから女はそれならと、すぐに離れて行く。

だが男はそうあっさりとあきらめられない。いつまでも未練をひく。そこであらゆる手段を使って女を捕まえようとする。時には暴力的にやる。殺す。挙句の果てに女を地獄の底に引きずり落として、汚いものにしてしまう。すると男は、汚くなってしまった女がいやで、マリアのような決して汚れない女を作り、それを追いかけるのだ。

堂々巡りだ。いつまでもいつまでも、男は、いもしない女のしりばかり追いかけている。そのために、あらゆる馬鹿なことをしてしまう。

もうわかるね。なぜこの世がこんなにも苦しくなってしまったのか。
男が、好きな女に、帰ってきてくれと言えなかったからだ。

ただそれだけのことだ。

汚れなき聖母マリアは、男の理想というより、悲哀そのものだよ。




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