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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ポルト・リガトの聖母

2014-03-28 03:43:44 | 虹のコレクション・本館
No,105
サルヴァドール・ダリ、「ポルト・リガトの聖母」、20世紀スペイン、シュルレアリスム。

これはシュルレアリスムの到達点だ。崩壊よりも酷いものが描かれている。

決して美しく描いてはいけない女性を、至高の聖母にしている。産むことなどない女性に子供を与えている。

この絵のモデルのガラは、ダリの妻でありマネージャーであり、支配者だった。彼女はダリにささやいた。
「あなたは天才よ」
だがそれは本当はこういう意味だった。おまえはわたしの阿呆だ。わたしのために何でもするんだよ。

ダリはガラのために絵を描く。それを売った金でガラのために何でもする。ガラは宝石を欲しがる。毛皮を、家を、車を欲しがる。ダリはガラの欲しいものは何でも買ってやる。ガラがいいからさ。自分は天才だって言ってくれる。だれよりもおれを認めてくれる。

だが、本当の理由はほかにある。楽だからさ。
ガラに支配されていると、楽なんだ。
言うことをきいてさえいれば、うまくいく。

だが、愛して尽くした女の中を覗いてみると、そこには鉄のような虚無がある。
何もない。誰もいない。

だれだったのだ、あれは。どこに行ったのだ、ガラは。

あれほど苦労してかせいだ金は、どこに行った。

恐ろしい女なのさ。ガラは。




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ヘラクレスとオムパレ

2014-03-27 03:17:33 | 虹のコレクション・本館
No,104
ルーカス・クラーナハ、「ヘラクレスとオムパレ」、16世紀ドイツ、北方ルネサンス。

ヘラクレスはさまざまな試練にあっているが、その中でも最もきついのは、オムパレに仕えていた時のことだろう。

リュディアの女王オムパレは、奴隷として売られていたヘラクレスを買うが、彼を馬鹿にし、筋骨たくましい彼に女装をさせて楽しんだ。糸紡ぎなどの女の仕事もさせた。武骨な指で不器用に針と糸を操り、細々と女の仕事をするヘラクレスを、たいそうからかった。

後にヘラクレスは、自身の力と勇猛さでオムパレを助け、彼女の夫となり、子もなすわけだが。そこにいたるまでの試練には、肝をねじられるような葛藤があったことだろう。

しかし、これからの男は、この時のヘラクレスのような試練を浴びねばならない。女性を馬鹿にし、小さなつまらない仕事と言って、家事などの仕事を押し付けて来た報いを受けねばならないのだよ。時には、オムパレのようなプライドばかり高い馬鹿女に嘲笑され、虐げられながらも、従順に細やかな仕事をしていかねばならん。逆らうことなどできない。

これは本当だよ。

ヘラクレスは耐えたが、あなたがたには耐えられるかね?

これほど、男の忍耐力を試される試練はないね。




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キリストと姦淫の女

2014-03-26 03:41:07 | 虹のコレクション・本館
No,103
ロレンツォ・ロット、「キリストと姦淫の女」、16世紀イタリア、盛期ルネサンス。

これもよく描かれるテーマだが。新約聖書が伝える神話の中では、最も切ないものだ。

姦淫の罪を犯したという女の周りに集まっている、男たちの顔を見てみたまえ。罪深いと指を刺される女を、しこたま興味をもっていやらしい目で見ておきながら、槍玉にあげて殺してやろうとする男の汚さが前面に出ている。

その中で、かのじょをかばってやろうとする男は、イエスだけだ。

実に、このような女性を守ってやろうとする男は、イエスくらいのものなのだ。

影で男に死ぬほど奉仕さされていながら、男に最も軽蔑される。そういう女に、手を伸ばしてやろうとするものは、イエスだけなのだ。

女性は絶望的だね。男を信じられなくなって当たり前だ。

苦しげに目を伏せている女性の顔がたまらない。

セックスをすることが罪深いのなら、男の方がよっぽど罪深いだろうに。そこを無視して全部女に押しつけて来たからこそ、今がある。

馬鹿は男の方だ。こういう男たちはもう、二度とセックスができなくなる。なぜかって、罪深いと言ったからさ。




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ムーラン・ルージュにはいるラ・グーリュー

2014-03-25 03:46:30 | 虹のコレクション・本館
No,102
アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック、「ムーラン・ルージュにはいるラ・グーリュー」、19世紀フランス、印象派、世紀末芸術。

今日はちょっと悲しい例をあげようか。
19世紀に入ると、女性の魂の進歩が歴然として見えて来たので、男は女性に対して複雑な反応を示し始める。

決定的に拒否したドガ、姿かたちの愛らしさのみを称賛したルノアール、特別な女にだけわずかに心を開いたマネ、そして美しく描きながらも陰でしっかり馬鹿にしていたモネ。
男の気持ちはいろいろだ。

その中で、ロートレックは、女性に対するひがみを隠せなかった。女性にしっかり興味を持っていながらも、身体的なコンプレックスもあり、相手にはしてもらえないという意識から、いかにも苦しい表現で女性に迫ろうとしている。

この絵の中のダンサーなんかも、ひどい描かれ方をしているね。問題のあった女性らしいが、普通ここまで醜くないだろう。女性はもっとかわいい。

これは要するに、女性の気をひきたかったんだよ。意地悪をして女の子の気を引こうとするガキ男の心理そのものだ。

女性の顔を強くデフォルメしているやり方に、自分の心を隠せないというのは苦しいね。
画家としての力量もあっただけに、それが連れている心が丸見えと言うのが、いかにも、悲しい。

愛しているなら、玉砕覚悟で、花束一つでも持って行って、美しく愛を表現すればいいものを。そんな勇気すらない。

後の人はこれを見て、男の馬鹿を思い知るよ。




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スザンナと長老たち

2014-03-24 03:12:05 | 虹のコレクション・本館
No,101
グイド・レーニ、「スザンナと長老たち」、17世紀イタリア、バロック。

スザンナの神話を描いた絵を探した。色々とあったが、これをあげてみた。
長老たちのスケベそうな顔がたまらんね。

よくいうところ、バテシバやスザンナやヴィーナスは、女性の裸体を描くことの言い訳である。このスザンナなどは、おとなし目でとても貞淑な妻という感じがするが、ほかの画家が描いた絵には、たいそう蠱惑的な女性に描いているものもある。

拒否しているというよりは、むしろ喜んで見られていると思わせるような絵もあるね。

神話ではスザンナは水浴中に長老たちにのぞかれて、言い寄られたが、それを断ったために仕返しをされ、姦通罪の濡れ衣を着せられて殺された。全く、太古の昔から、男は女に断られると、こういうことをするんだよ。

昔から、下手に男の愛を断ったがために殺されたという女の話は後をたたない。現代にもはいて捨てるほどある。全く男は、成長しない。

風呂などなかった昔には、女性たちはよく水浴をしていた。いい女が水浴をしている時は、男はたいてい影からのぞいていたんだよ。これは本当だ。ダヴィデもそれをやっていたんだよ。今では覗きは犯罪だが、昔はそれほどでもなかったのだ。まあ要するに、男は好き放題にやっていたのさ。

馬鹿かねというよ。

実質ね。好きなタイプのかわいい女を馬鹿にするからそういうことになるのだ。結局は、長老などと言って偉ぶっていても、スザンナのようなかわいい女が好きで、相手にしてほしかったというのが本音だろう。

偉そうにするから逃げられるんだよ。それなりに大事にしてやれば、心を開いてくれるものを。

一応教えてやるがね。かのじょがわたしを愛してくれるのは、わたしが、やさしいからだよ。それはそれは、かのじょを大切にするからだ。

ここらへん、勉強することだね。爪のアカをあげようかね?




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アレサンドロ・デ・メディチ

2014-03-22 03:11:44 | 虹のコレクション・本館
No,100
アーニョロ・ブロンツィーノ、「アレサンドロ・デ・メディチ」、16世紀イタリア、マニエリスム。

マニエリスムの絵画は、どこか陰った光があるね。ルネサンスの余光はあるが、どこかに不正をにおわせるものが漂う。時代がだんだんと腐ってきたからだろう。

アレサンドロ・デ・メディチは、あだ名を「イル・モーロ」という。「ムーア人」という意味だ。その浅黒い肌の色からつけられたらしい。

アレサンドロはフィレンツェを支配していたメディチ家の最後の頭首であった。ロレンツォ二世・デ・メディチの庶子ということになっているが、本当は教皇クレメンス七世(ジュリオ・デ・メディチ)が枢機卿時代に黒人奴隷との間に作った子だということである。

こういうことはよくある。名門の家に起きた、愚かなセックスの落とし子だ。

人間は自分のルーツというのをよく気にする。自分の父と母が誰なのかと言うことは、とても大事なことだ。王と王妃の間に生まれた皇太子のような、正当な愛とセックスの中で生まれた子ほど、幸せなものはない。

この青年は、自分の出自に、生涯苦しんだのだろうね。その肝をひねられてちぎられるような苦悩が、顔に現れている。

馬鹿は金と権力を持つと、暴力的にセックスをむさぼり始めるのだ。その結果がこれだという絵だよ。

枢機卿と黒人奴隷の子だという噂に、彼は生涯苦しめられたろう。
何をやっているんだろうね、男は。




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ルクレティアとタルクィニウス

2014-03-21 03:26:34 | 虹のコレクション・本館
No,99
シモン・ヴーエ、「ルクレティアとタルクィニウス」、17世紀フランス、バロック。

これはローマ時代の史実をもとにしたよく描かれるテーマだが。

ルクレティアは貞淑な妻だったが、ある日彼女に邪心を抱いた男によって凌辱され、それを苦に自害してしまう。

ヨセフとポテパルの妻の話よりも、こっちの話の方が世の中にはたくさんあるね。言うまでもないことだが。古来から男はこういうことばかりしている。
好みの女が人妻だったら、それはひどいことをするんだよ。

これと同じテーマを、ティツィアーノも描いているが、そっちの方は苦しいので選ばなかった。ティツィアーノはそんなことができる男ではない。なので場面の中の男は、真面目な男が芝居で無理矢理強姦魔をやらされているという感じがする。女の方も芝居をしながら、男に遠慮しているような風がある。

その点この図はけっこう衝撃的だ。男の馬鹿を描ききっている。

実際ね。性欲に我を失った男と言うのは、みっともないよ。馬鹿にしか見えん。ちょっとはこれを見て冷静に自分を見ろと言いたいね。




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ヨセフとポテパルの妻

2014-03-20 03:31:29 | 虹のコレクション・本館
No,98
オラツィオ・ジェンティレスキ、「ヨセフとポテパルの妻」、17世紀イタリア、バロック。

この画家からはこの絵を選んでみた。
女性の方からせまっていったという、数少ない神話だね。
だがもちろん、こういうケースはまれだよ。女性のほうから男によっていく例もあるにはあるがね、そういう場合、男はたいてい、遠慮なくいただく。
ヨセフのようにあわてて逃げる男はいない。あ、孔子は逃げたがね。

いやほんと。あったんだよ、こういうことが。

実にね、言いたくはないのだが、こういうことになる男は、あれくらいだよ。少なくともわたしは、あれ以外に見たことはない。つまらんことを言うなと言うのではない。それくらい、珍しい事件だったのだ。ある日突然女性に襲われたんだよ。ほんとうだ。猛然と逃げたぞ、あれは。もう二度と女はいやだと思ったそうだ。

女性はふつう、どんないい男にでも、自分からベッドに誘ったりはしないよ。デートに誘うくらいはあるかもしれないが。こういう神話は、ほとんど男の側の都合のいい妄想なんだが。

いい男はいっぱいいるんだが、あそこまでやられるのはあれだけだね。ため息が出るほど、もてとったよ。要するに人間は、ああいうタイプが好きなのだ。真面目一本で超かわいいやつ。

だが、うらやましがるものではないぞ。孔子は何度も、女にひどい仕返しをされていた。なんとなくわかるだろう。ヨセフもひどい目にあったしね。

もて男なんぞ夢見るのではない。もてても、いいことなんか何もないぞ。ろくなことにはならんのだ。この絵をみて、勉強することだ。




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人間の堕落

2014-03-19 03:07:45 | 虹のコレクション・本館
No,97
ヒューホー・ファン・デル・フース、「人間の堕落」、15世紀フランドル、北方ルネサンス。

アダムとイヴのテーマを描いた絵を探した。北方ルネサンスの絵は生真面目さが心地よい。

神話では、蛇に誘惑されたイヴが、アダムに知恵の実を食べることをすすめて、人間の堕落をまねいたことになっているが、これははっきり言って、うそだ。男は昔から、自分のやったことを、女になすりつけてきたんだよ。本当は、先に知恵の実を食べたのは、アダムの方だ。

イヴはまだ、悪さができるほどに、進んでいなかったんだよ。事実上、女性は、男性より若干若い魂だからだ。男の方が先に悪さをしたんだ。わかるだろう。

実際、男と女の現実を正しく見て行けば、女の悪さと言うのは、だいたい、男に先導されて起こっている。実にね、男が陰に回って女を誘惑して悪さをさせているというパターンは多い。わかるね。この汚さが、男なんだよ。

女性はここまで卑劣になれんのだ。

男は平気で、原罪の原因を、女になすりつけたんだよ。こんなことができるのが男なのだ。
わかるね。

女がしたのだ、ということにすれば、いろいろとうまくいくからさ。

このテーマは、男のずるさの象徴だと言ってよい。イヴの隣で、何も知らぬ好青年風に描かれているアダムが、たまらんね。




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誹謗

2014-03-18 03:13:47 | 虹のコレクション・本館
No,96
サンドロ・ボッティチェリ、「誹謗」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

ボッティチェリが続く。昨日の絵とはまるで違うね。これはサヴォナローラ以後に描かれた絵だが。あのみずみずしい感性が失われている。観念性が強く、人間的な構成が少々窮屈だ。古代画家アペレスの絵を再現させたというが、後の象徴主義なども思わせるテーマだ。

同じ画家とも思えない絵だが、彼の絵が前半と後半で全く違って見えるのは、実に興味深い原因がある。実は、ボッティチェリの人生をやっていた本人の霊が、途中でほかの人間の霊とバトンタッチしたんだよ。わたしとかのじょと、同じようなものだ。事情は少し違うがね。

ボッティチェリの前半と後半で絵ががらりと違うのは、やっている人間がそもそも違うからなのだ。もちろん、前半のボッティチェリのほうが技術面でも精神面でも高い成長をした魂であることはわかる。前半の魂は、ある事情が生じて、その人生を続けることができなくなったのさ。だから途中で違うやつと変わったのだ。

こういうことは、そう珍しいことではない。普通の人間でも、よくあることだよ。

しかしこの絵は、彼の後半の画業の中では最もよい絵である。人間の暴虐を端的に表現してくれている。無実の人間を大勢で嘘をついて罪に落とす。人間の馬鹿がよくやることをそのまま表現してくれている。

半裸の若者の姿で表現された「無実」を、「誹謗」がひきずっている。それを「欺瞞」と「嫉妬」が飾っている。玉座にいる「不正」の耳に、「猜疑」と「無知」がささやいている。「誹謗」の腕をとっているのは「憎悪」だ。
背後では老婆の姿をした「後悔」が、裸体の女性の姿をした「真実」を振り返っている。

このばかばかしい人間の芝居沙汰を、背景の彫像たちがあきれて見下ろしている。

おもしろいね。言いたいことはひしひしとわかる。

人間のドラマがここにある。




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