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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

イヴ

2013-11-26 04:39:50 | 虹のコレクション・本館
No,16
ハンス・バルドゥング・グリーン、「アダムとイヴ」より「イヴ」、16世紀ドイツ、北方ルネサンス。

見過ごしておけない画家だ。おもしろい絵を描く。この絵はもちろん、アダムとともに描かれているが、どうしてもイヴのほうが美しいので、こちらを見てしまう。手に知恵の実を持ちながら、蠱惑的な瞳でとなりのアダムを見ている表情は、男を惑わす女に対する、男の願望が現れている。

実在の女性には、なかなかこういう女性はいない。大体の女性は、男にたいして臆病だからだ。男を、自分の方から攻めることのできる女性などめったにいない。
男には、このような美しい女に、からめとられてみたいという、思いがあるのだろう。実に美しい女性である。

このイヴに並んで描かれているアダムは、たいそうたくましい体躯に描かれているが、そっぽを向いていて、どこかよそよそしい。考えていることがばれないように、とりつくろっているようにも見える。

この画家は、そういう人間の絶妙の表情を描くのがうまい。




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ミルクスープの聖母子

2013-11-25 03:21:00 | 虹のコレクション・本館
No,15
ヘラルド・ダーフィット、「ミルクスープの聖母子」、15世紀ネーデルランド、フランドル派、ブリュッゲ派。

これもまた美しい。聖母マリアは、永遠の母性のイメージだ。太古のヴィーナスから始まり、絶え間なく描かれる人間の、母に対する永遠のあこがれの象徴である。

処女で母であるというのは、人間の男の、究極のわがままを兼ね備えた存在と言える。可憐なる少女であり、恋人であり、母であるという、あり得ない女性のイメージだ。男はマリアに永遠に憧れを持つ。だが、その思いは届くことはない。決して汚してはいけない女性なのだ。

これはまた、永遠にかなうことのない恋でもある。男は、女に、永遠にかなうことのない恋をしているのだともいえる。

男はこれからも、聖母のイメージを描き続けることだろう。

この画家の描く聖母は、清らかにも美しい。男は、母はこういうものであってほしいと、願っているのだ。




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聖ゲオルギウス

2013-11-24 05:25:52 | 虹のコレクション・本館
No,14
カルロ・クリヴェリ、「聖ゲオルギウス」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

この特異な個性を持つ画家も好きだ。ほかに似たものがめったにいない作風というのがよい。
クリヴェリは、聖母やマグダラのマリアなどの美しい女性像も多く描いているが、このカテゴリで選ぶ絵に、男性像が少ないので、これを選んだ。

装飾性がばらばらでなく画面に統一性があり、強いエネルギーを発している。とてもよい。




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マリア・マダレーナ・バロンチェリ

2013-11-23 05:38:44 | 虹のコレクション・本館
No,13
ハンス・メムリンク、「マリア・マダレーナ・バロンチェリ」、15世紀フランドル、初期フランドル絵画、ブリュッゲ派。

北方ルネサンスの画家が描く女性たちはみなどこか似通っているが、それぞれに静謐な美しさがある。宗教の檻にとじこめられた女性性が返って透き通った宝石のような美しさを醸し出す。

細部まで徹底的に細やかに描くやり方は、芸術家というより職人仕事だ。それが美しい。絵が芸術家の仕事となってから、絵はみょうに苦しいものになった。美しいが、それなりに「わかる」やつが見ないといけないというような、堅苦しいものになっていった。この絵はそういうことを考えずに、ただただ職人の技術のすばらしさに見惚れることができる。

良い仕事である。




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サロメ

2013-11-22 05:17:17 | 虹のコレクション・本館
No,12
ルーカス・クラーナハ(父)、「サロメ」、16世紀ドイツ、北方ルネサンス。

この惨い女性をこれほど美しく描けるのは、画家の力量であろう。恐ろしい女性である。ユディトでも同じ構図の絵を描いているが、この絵の方が美しい。

男の首を荷物のようにどんと前に置き、妖艶な微笑みをしてこちらを見ている。いや、背筋がぞっとするね。男がこれを描いているということは、男もたまには女に殺されてみろということだろう。

男を殺す女を、これほど美しく描くということは、人類の男の、女性に対する一つの願望が現れていると言える。




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イサベル皇后の肖像

2013-11-13 05:30:06 | 虹のコレクション・本館

No,8
ティツィアーノ・ヴェチェリオ、「イサベル皇后の肖像」、16世紀イタリア、盛期ルネサンス、ヴェネツィア派。

この画家は、さまざまな宗教画、神話画、寓意画など残しているが、彼の才能と心が最も美しく発揮されているのは、肖像画だ。

この絵の女性も美しい。彼が人間をどのように深く愛していたかがわかる。




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自画像

2013-11-12 04:35:45 | 虹のコレクション・本館

No,7
ベルト・モリゾ、「自画像」、19世紀フランス、印象派。

これは、女性は着飾らずとも美しいことを証明する絵である。夫と子供に恵まれ、仕事にも充実していた。その自信が画家を美しくしている。人間の女性の本来の美しさである。

フリーダは、愛する男から冷たい仕打ちを受けて深く傷ついたがゆえに、人間を超える美を持ってしまった。あまりに悲しい女性である。それに比べれば、19世紀に生きていたモリゾはまだ、幸せだった。
この時代ではまだ、男が誇り高かったからだ。

エドゥアール・マネは印象派の巨頭だった。印象派の画家の中で、彼を超えられたものはいない。19世紀はまだ、こういう男が、生きていくことができたのである。
だが20世紀に入ると、民主主義の広がりと定着の中で、より高い才能を持つものが嫉妬され、潰されるようになった。マネのような男は、成長段階でつぶされるのだ。

フリーダの愛したディエゴ・リベラは、それなりの画家だったが、マネほどの力はない。はっきり言って、表現者としては、フリーダのほうが上だ。

モリゾが輝いていたのは、マネのほうが実力的に上だったからだ。だからモリゾは許されたのである。だが、リベラを超えたフリーダは、許されなかった。男は、才能あるフリーダに嫉妬し、冷たい仕打ちをした。
ゆえに、フリーダの絵は、愛が生きて行けない世界の中で、断末魔の長い叫びのような、軋る命を激しく美しく表現しているのである。

20世紀は、女が男を超えた時代だった。




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書物の聖母

2013-11-11 05:11:09 | 虹のコレクション・本館

No,6
サンドロ・ボッティチェリ、「書物の聖母」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

ボッティチェリは数々の美しく甘美な女性像を残しているけれども、これがもっとも好きだ。
さみしさを漂わせながらも女性の高い気品を表現した婦人像である。実に美しい。

ボッティチェリは非常に特殊な画家だ。特別な使命を持っていた。ゆえにその表現した女性像は、永遠の人類の宝となるほどのものになった。

彼の作品は、後々の人々の心をおおいに豊かにしていくことだろう。




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レオン・トロツキーにささげる自画像

2013-11-10 03:08:01 | 虹のコレクション・本館

No,5
フリーダ・カーロ、「レオン・トロツキーにささげる自画像」、20世紀メキシコ。

20世紀芸術にはさまざまなものがあるが、人間の精神の崩壊がどれにも如実に現れている。嘘のはびこる世界の中で、芸術家も一つのステータスとなり、芸術家は嘘と真の間で壊れていく自分の姿を、知らず知らずのうちに描いていた。

フリーダ・カーロは20世紀という時代で自分を表現した画家の中では、特筆すべき名だと思う。この絵は、苦しい時代の中で自己存在の美を求めた彼女の絵の中で、最も美しいものだと思う。

この絵には実在の女性の存在感が強く表れている。
愛と試練の間でさいなまれた人間の魂が表現されている。



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女の肖像

2013-11-09 04:07:17 | 虹のコレクション・本館

No,4
パルマ・イル・ヴェッキオ、「女の肖像」、16世紀イタリア、盛期ルネサンス。

この画家の描く美女は美しい。男の理想とする女性はこういうものかという、一つの例である。生身の女性と言うより、まるで彫像のようだ。

だがこういう完璧な美女というのは、どこか男性的な感じがする。現実の美女というのは、みな、どこかにかわいらしい欠点というものがあるからだ。欠点というのは、女性的なやさしさなのである。欠点があるからこそ、見る者がほっとするのだ。

完璧な美女というのは、相手に勝とうとする男性的な表現である。男というものの中にはだれにも、女性になりたいという願望がある。自分が女になるのなら、だれにも負けない、完璧な美女になりたいと、彼らは思うものなのだ。

この美女は、女性というよりは、女になりたい男の理想像だ。




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