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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

月の世の物語・精霊編 1

2013-09-20 04:10:09 | 薔薇のオルゴール

かのじょは、月の世の物語・精霊編というべき物語を構想していた。
それは日照界にあるアルタンタス浮遊大陸を舞台にした、小精霊の冒険物語だった。

かのじょの最後の作品となった、後の歌・「種」編には、わたしの想像力が影響しているが、わたしは、かのじょの協力なしに、物語を書く気はない。よってこれから、新しい物語が発表されることはないが、かのじょが考えていたこの「精霊編」のアイデアには、頭の中に閉じ込めておくには捨てがたい面白さがある。

それをこれから、少しずつ発表していこう。

物語の中に出てくる精霊は、人の姿と、別の姿の、二つの姿を持つ。別の姿は、獣に似ている。人の姿も、角があったり、瞳孔が細かったりと、人間とはずいぶん違う。美しいが、時にエキセントリックなことをする。主な使命は天然システムの管理。そして人間存在の芸術面での指導、あらゆる愛の存在の使命のための愛の補強である。かのじょはこの精霊という存在によって、自然界の愛を表現しようとしたのである。




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陽だまり

2013-05-06 06:58:47 | 薔薇のオルゴール

眠っている あいだに
夢の中を そっと出ていって
ぼくは 風になった
ふりそそぐ 日の光
お日さまが わらって
見えないぼくに 光の服を着せてくれる

ぼくは 町はずれの
林の中へ とんでいって
そこで 金の木漏れ日のもようが
魚の群れのように踊る
下草の上に ねころんだ
すると 木の枝を走る りすが
ぼくを陽だまりと勘違いして
ぼくの中に走ってきて
ぼくの胸の中にじっと立って
木漏れ日をあびながら
ふしぎな目で 遠いところを見た

あたたかい しあわせが
満ちてくる
ああ ぼくは
だれかを愛するために
ここにいるのだな

小さなりすのための
小さな陽だまりの心を
ぼくはぼくの中で 光る玉にして
記憶の宝箱に そっと入れるのだ

ぼくの宝箱は 木でできていて
薄紅の オールド・ローズの絵が
蓋に描いてある
時に 蓋を開けもしないのに
オルゴールの音で 不思議な歌を歌う
そうすると ぼくは
遠い ふるさとの
ほんとうの お父さんとお母さんを
思い出すのだ

お父さんとお母さんは
銀河の海の
小さな岬の村の
水色の壁の小さな家に住んでいる
庭には 薄紅の
オールド・ローズの花が咲いている

オルゴールは 玉をぶつけて鳴らすような
かすかな音で
遠い銀河の岬の
静かな波の歌を歌うのだ

目を閉じて 胸の中に
りすを抱いて ぼくは
神さまのかわりに
小さなりすのための 陽だまりになる
思い出の波は今 ひたひたと
ぼくの耳を濡らしている

(オリヴィエ・ダンジェリク、遺稿より)




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神様の声

2013-03-14 07:54:59 | 薔薇のオルゴール

神様の声が
雨の音になって聞こえてくる
静かな石のような声だ
こんな日は
ぼくは寝床で
かたつむりのように丸くなって
神様の声に耳を澄ます

ああほら 聞こえてくる
神様が 石のように静かな声で
言っている

聞いておくれ
聞いておくれ みな
私の声を 聞いておくれ

はい 聞いています 神様

ぼくが答えると
神様の声はふと閃いて
僕にはよくわからない
外国語のような言葉を言って
甘いお菓子のような光を
ぼくの心に放り込んでくれるのだ

そうすると僕は
小さな白い船に乗って
川をくだっていく夢を見る
川はすきとおった水が流れていて
水底には不思議な金色の花が咲いている
川辺には 緑の森があり
小鳥が枝の間を 転ぶように飛びながら鳴いている
船は静かに光って 僕を運んでいる

ああ なんて静かなのだろう
川の音は深い緑色で
耳の奥にあるぼくの魂にしみ込んでくる
でも 誰もいない
ぼくはひとりぼっちなのかな

そんなことを 思っていると
ふと 後ろに暖かい気配がして
ふりむくと




  (オリヴィエ・ダンジェリク 遺稿より)


コメント (1)
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星の実

2013-02-24 06:54:54 | 薔薇のオルゴール

ふりむかないで
いま きみがふりむいたら
きみはぼくの
ほんとうのすがたを
みてしまう

ぼくはいまから
とりのように空にとんで
落ちそうな星の実を
もぎとってこなければならないんだ

空には 透明な神様の木があってね
星はみんな その木になる実なんだよ
それでときどき
枝から落ちそうになる星があるから
ぼくはその実を とってこなくてはならない
もし 星の実が 地球に落ちてきたら
それは困ることになるからなんだ

ぼくは 空にいって
落ちそうな星の実を
みんなとってくる
そして とった実を神様にお返しするとね
神様はひとつだけ ぼくに星の実を下さる
ぼくは大切に それを持って帰ってくるんだ

星の実は しばらくぼくの心臓の中で
あたためておいて
やさしいことばを 何度もかけてあげると
とてもやわらかくなってね
もういいよと言ってくれる
そのときがきたら ぼくは
静かな海辺か 深い森の奥に行って
誰も知らないところに
そっと星を埋めるんだよ

そうするとね
そこから
新しい世界が生えてくるんだ
本当の美しい世界が

ああ 今はぼくをふりかえらないで
ふりかえって 君がぼくを見てしまえば
君はぼくを忘れられなくなる
ぼくはもう ここに帰ってくることはできないから

忘れていいんだよ
そのほうがずっと 君のためだから
ぼくは ここにいなくても
ずっと 君を愛しているから

星の実は たくさん埋めておいた
いつか君は 夢のように
世界が新しくなっていることに気づく
新しい歌が 世界中に流れていて
君はいつかしら
自分もそれを歌い始めていることに
気づく


(オリヴィエ・ダンジェリク、遺稿より)




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ジョヴァンニ・カルリの災難

2013-01-20 07:10:14 | 薔薇のオルゴール

さてわたし、マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニは、昼の町の裏道を静かに歩いています。季節は春を過ぎ青葉のすがすがしい風が吹き始める頃。空を見ると、白い雲に紛れて、白い半分のお月さまが見えます。

今日はベルナルディーノのお店がお休みなので、わたしも店番の仕事はなく、ぼんやりと眠っているだけでよかったのですが、なぜか今日はそんな気になれず、こうして町に出て、ぶらぶらとしています。フェリーチャ奥さんが、わたしの姿が見えないと、ほとんど気絶しそうな声でわたしの名を呼んで探しまわるので、そう長い時間の散歩というわけにはいきません。でもわたしにも、時には家を出て、気分を変えたいと思うことがあるもので。

ふ。このわたし、マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニともあろうものが、心がつかれている。ベルナルディーノは、フェリーチャの前では、ほとんどわたしを無視しているような態度をとりますが、フェリーチャがいなくなると、とたんに表情を変え、わたしに言うのです。
「このごくつぶし。おれが精出して稼いだ金を、無駄に食いやがって」

ああ。ため息が出ます。人間は何もわかってはいない。それをわたしは、十分に理解しているつもりですから、何を言われても、人間には反論しませんが、時に、やりきれなくなることは、あります。
自分の心を理解してもらえない。どんなに愛しても、心はかえってはこない。それでも別にかまわないと思ってはいますが、そういうことが積み重なったとき、どうしても生きることが苦しく、心が病気になってしまう恐れがある。それをわたしは深く学んでいます。ですから、心が病気になる前に、こうして散歩をして、心に、美しい自然の愛を取り込みます。そうすれば、幾分、萎えた心がよみがえってきます。

おや。わたしとしたことが。なんてことだろう。道端に見覚えのあるオリーブの木がある。やれやれ。思いもしなかった。わたしの足は正直だな。それほど、疲れているのか。

わたしの足は、町にある小さな教会に向かっていました。その教会は、ごく最近建てなおされたもので、見栄えは近代的で、装飾の類も少なく、少々そっけない感じがしますが、中に入ると見える、祭壇に掲げられた十字架のイエス…ジェス・クリストの木像は、かなり古い時代に作られたものらしく、教会を建てなおしたおりに修復されて、今も神のように人間たちにあがめたてまつられています。

猫としてわたしは言いますが、ジェス・クリストほど、美しい人間はいないと思いますね。猫が、どうしても勝てないと思う人間の男は今のところ彼だけです。実に。だれがあんなことをできるでしょう。あれだけの惨い目にあいながら、神の愛の中に溶けてゆき、すべてを許す。人間は彼について、いろいろと研究しているようですが、まだまだです。

一部の人は、彼は、人間たちの罪業を背負って、自分たちの代わりに死んでくれたなどと言いますが、はは、勘違いもいいところだ。あの苦しみ、あの痛み、あの寒さ、冷たさ、自由を奪われた魂の叫び、あれを、自分たちの罪を押し付けた結果だと言って、平気でいられるのですか。紙に自分の名を書いて、十字架に貼りつければ、彼が全部それを背負って自分たちの代わりに死んでくれると。それでいいと思っているのですか。人間たちよ。馬鹿もいいところだ。

さて、わたしは、町の小さな教会につき、裏口の方に回りました。そこには、猫専用の出入り口があることを知っているからです。わたしはその入り口をくぐり、教会の中に入っていきました。そして、祭壇の方に向かいました。ああ、やっぱり、いました。

木造の磔刑像の足もとには四角い小さな台があり、そこに高窓からさした日の光が陽だまりを作っていて、猫が一匹、その台の上に寝そべっています。ジョヴァンニ・カルリです。茶白ぶちのぼさぼさの毛並みをした彼は、この教会の飼い猫でした。世話をしているのは、エミリオ・コスタという名の若い牧師さんです。ジョヴァンニ・カルリは猫としても行儀よく、人間にとって不快なことは一切しないので、そう美しい毛並みでなくても、たいそう人間にかわいがられています。その、あまり美しくはない容貌が、返って人間の心をとらえるようだ。彼は、猫たちにも、相当人気があります。あの顔でね、この町の猫たちのリーダーをしている。クレリアやマルゲリータやダフネも、彼を見るときの目は、わたしを見るときの目と、違う。ふ。全く。ジョヴァンニ・カルリ。今この世界で、ただ一人、わたしに少々不快な思いをさせる男の猫。誰も彼にはかなわない。

わたしは、ジョヴァンニのそばにゆっくりと近づいていき、声をかけました。
「やあ、ジョヴァンニ。元気かい?」するとジョヴァンニはゆっくりと目を開けてわたしを見、言いました。「これは、マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニ。いらっしゃい。何か用かい?」
わたしはそれには答えず、ひらりと飛び上がって、ジェス・クリストの足もとにある小さな台の上の、ジョヴァンニの隣に座りました。ジョヴァンニは、自然に身を横にずらして、わたしが寝そべる場所を作ってくれました。ほんとうに憎いやつ。こんなこと、だれにでもできそうで、できない。彼がいると、何もかもがうまくいくんです。ほんとうに小さなことだが、美しく、大切なことを、自然にやってくれる。こんなことを。わたしのために、自分の位置を少しずらして、場所を開けてくれる。それだけのこと。だけどそれが、なかなかできることではないのですよ。わたしも、彼のまねをしてやったことがありますがね、まったく、自分らしくないと思って、すぐにやめてしまいました。

猫は賢いですから、自分の場所が欲しい場合は、相手に、少しどいてくれと言えばいいのです。そうすれば、よほど馬鹿な猫でない限り、そっと場所を開けてくれます。それで別にかまわない。

「何かあったのかい。マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニ。君がわざわざぼくのところにくるときは、たいてい、何かがあったときだ」ジョヴァンニは言います。わたしは、かすかに、左の青い目をゆがめます。そっぽを向いて、痛い言葉の一つも投げたいところだが、わたしは紳士なので、そういうことはやりません。ただ、答えます。
「特に何もないさ。話し相手が少し欲しくなっただけだ。君、ジョヴァンニ・カルリほど、わたしを飽きさせない、おもしろい話し相手はいないからね」
「それは光栄だね。マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニ」

わたしは、しばし、教会の高窓から差す光の陽だまりに身を置いて、静かにジョヴァンニ・カルリの隣に香箱を組んで座っていました。季節の日が暖かい。時々光がちらちらと揺れるのは、教会のそばに生えている木がこずえを風に揺らせているからでしょう。背後では、十字架にはりつけられて死んだジェス・クリストが静かにわたしたちを見下ろしています。

「鳥の声が聞こえるだろう」ジョヴァンニ・カルリが突然、言いました。わたしは答えます。「ああ、腹がすいているときには、あれほど魅力的な声はないだろうね」するとジョヴァンニはおかしげに笑い、言うのです。「たしかにね。ぼくも狩りをしたことは何度もあるよ。狩りほど魅力的なものはない。ママが、ぼくに、はじめてネズミをとってきてくれた、子供の頃のことを思い出すな」「ママはやさしかったかい?」「もちろんさ。ぼくのママは、ぼくにそっくりの茶白ぶちだった。でもきれいな猫だったよ。近所の雄猫にもてもてだった。もうとっくに死んでしまったけれど」「わたしは、ママのことはほとんど覚えていない。生まれて間もなく、わたしは箱に入れて捨てられたんだ。フェリーチャが拾ってくれたんだけど、五匹いた兄弟の中で、生き残ったのはわたしだけだった」「ああ、知っているよ。ジェス・クリストの分け前だろう。君のすてきな口癖だ」「そうともさ」

猫の人生の苦しみは、ここにあります。ほんとに、人間は、邪魔になる猫は平気で捨てる、殺す。もちろん、かわいがって大事にしてくれる人もいますがね、生まれてくる猫たちは、たいてい、誰も知らないうちに、死んで、消えてゆく。生き残った者は、本当に幸運だ。いや、本当に幸運なのかな? 死んで、消えていった、わたしの兄弟の方が、幸せだったのかもしれない。

「ここにいて、鳥の声を聞いているとね。どんな苦しみも、光に溶けて、なくなっていくような気がするよ」ジョヴァンニが、そのかすかに緑色を帯びた黄色の瞳を閉じて、言いました。わたしは、ふん、と言いながらも、彼と同じように目を閉じて、鳥の声を聞きました。日差しが、やわらかく、わたしの毛皮を温めてくれる。小鳥の声は、鈴のように落ちてきて、何かで濁っていたわたしの心に、きれいな光を入れてくれる。

わたしたちはしばし、並んで日差しを浴びながら、小鳥の声を聞いていました。

ジョヴァンニはただ黙っています。わたしは、隣にあるジョヴァンニの気配を、重く感じました。どうして、気持ちが苦しくなる時、ジョヴァンニに会いたくなるのか。わたしは、深いため息をつきました。確かに、彼のそばにいると、安心する。茶白ぶちの冴えない男。わたしは、彼に、どうしてもかなわない。この美しいマウリツィオ・パスカーレ・チコリーニともあろうものが。

わたしは、小鳥の声に、右耳を澄ましました。左耳はもちろん、聞こえないからです。わたしは、小鳥の声の美しさを感じながらも、決してそれを受け入れはしない左耳の存在を大きく感じました。わたしは、何かに少し腹が立ってきて、それをジョヴァンニにぶつけてしまいました。

「君はいいね。わたしみたいに奇形的じゃない。わたしはみんなに珍しがられる美しい男だけど、君の方がずっと自由だ。両目とも同じ色だし、耳も健康だし。わたしのように苦しむことはない」
「そうだね。ぼくには君の苦しみを肩代わりすることはできない。それは君の勲章だ。いや、生きるために必要な、重荷だ」
「重荷ね」
「猫も人も、生きる者は誰もが重荷を背負っているものさ。君がよくいうじゃないか。ジェス・クリストの苦しみの、分け前。それがその、左耳」
「ああ、そのとおりさ。この耳のおかげで、どんなに苦しんだことか。品のないやつに、この弱点をつかれて、左の頬を噛まれたことがあった。どんなに美しい音楽も、わたしには半分しか聞こえない。大切な約束を教えてくれる人の言葉を、何度も聞き逃した。そして道に迷った。何度も何度も、迷った。この苦しみ、これだけは、君に負けない。これがわたしの、あの美しい男、ジェス・クリストの味わった苦しみの、千万分の一の、分け前。これでわたしは、ジェス・クリストの十字架のひとかけらを、背負っているのさ。それだからこそ、わたしは美しすぎるほど、美しいのだ。君には負けない。この左耳がある限り」

わたしは、思わず、言ってはならないことまで、ぺらぺらとしゃべってしまいました。そうです。わたしは、この冴えない茶白ぶちの男を、ライバル視しているのです。勝手にね、好敵手として、認めている。いや、もしかしたら、彼の方が、わたしよりもずっと上なのかもしれない。

ジョヴァンニ・カルリは、わたしの話を聞いて、少し困ったような顔をして、かすかに微笑み、黙りこみました。背後にいるジェス・クリストの気配が、まるで生きているように、わたしたちを見つめているような気がしました。

なぜこんなに、わたしは彼をライバル視するでしょう。わたしはマウリツィオ・パスカーレ・チコリーニ。長毛白猫、金目銀目の美しすぎる男。甘い言葉で女性に幸福を与える。だれもわたしの真似はできない。女性たちは、おもしろげに笑いながらも、わたしのことを待っている。傷ついた女性ほど、わたしは深く愛します。そして心を抱きしめる。美しくも優しい言葉をかけてあげられる。それだけで、どれだけ女性たちの心がよみがえり、美しくなっていくか、わかりますか。わたしの使命は、女性に尽くすことなのです。美しきマウリツィオ・パスカーレ・チコリーニの使命は、女性を本当の美しい女性にすることです。

しかし、女性たちは、わたしよりもむしろ、ジョヴァンニの方が、好きなようだ。なぜだかわかりますか? 簡単なことです。そう、簡単なこと。簡単なことだけど、難しいことを、彼は、いかにも自然に、誰にも知られないように、そっとやってくれる。小さなこと、だけど大切なことを、黙ってやってくれる。簡単だが、誰にもできないことを。

あれはいつのことだったでしょう。昔、ジェルソミーナという老いた雌猫がいました。わたしはまだ三歳くらいのひよっこでしたが、もう十分に、女性を喜ばせる言葉には長けていました。ジェルソミーナは不幸な雌猫で、飼ってくれていた人間の家族が引っ越していったとき、捨てられて残され、野良猫に落ちてしまったのです。彼女はもうその時、十五歳くらいになっていましたから、かなりのおばあさんでした。たぶんそれが、人間に見捨てられた理由の一つでしょう。

ジェルソミーナはある日、二匹の子猫を生みました。それはジェルソミーナは喜びました。子供がいることほど、幸せなことはありませんでしたから。ジェルソミーナはたいそういいお母さんでした。子猫の世話をそれは細やかにしていました。なんとかして、食べ物を都合つけてきては、乳を飲ませ、食べ物を与え、子猫を育てていました。だが、野良猫にとって、この生きるものたちの世界は厳しすぎた。ジョヴァンニも、わたしも、彼女が見ていられず、何度か食べ物をわけてあげたりしました。けれども、とうとう彼女は、子猫を失ってしまった。子猫たちは、すぐに猫風邪にかかり、目がつぶれて、あっという間に死んでしまったのです。老いたジェルソミーナの受けた心の傷は深かった。愛おしい子供を、すべて、失って、彼女は半分狂ってしまいました。

わたしは、ジェルソミーナに近寄り、言いました。
「美しいママ、泣かないでおくれ。ぼくのかわいいママ、愛しているよ」
けれど、そのことばは、もうジェルソミーナの心には、届かなかったのです。ジェルソミーナは、もうものを食べなくなり、日に日に痩せ衰えていきました。何もかもを失って、絶望の中に、彼女の瞳の光が消えていくのを、わたしは、見ていることしか、できませんでした。

そんなある日のことでした。ジョヴァンニ・カルリが、ジェルソミーナのもとにやってきました。わたしは、近くの木陰に隠れて、見ていました。ジョヴァンニ・カルリは言いました。
「ママ、かわいいママ、ミルクをちょうだい」
そうすると、ジェルソミーナはふと、目に光を宿らせ、ジョヴァンニを振り返ったのです。そしてうれしそうに、ジェルソミーナは言ったのです。
「ああ、かわいい子、おいで、おいで、お乳をやろ。なんでもしてやろ。あっためてやろ。おいで、ぼうや、お乳をあげるから」
そういうとジェルソミーナは、そこに横たわり、おなかのお乳を見せました。そして、ジョヴァンニは、ジョヴァンニは、何も迷うことなく、その老いさらばえてしなび果てた乳首にすいつき、やさしく彼女のおなかをもみながら、お乳を吸ったのです。
そのときの、ジェルソミーナの幸福に満ちた顔を、忘れることが、できません。

だれが、できるのか、あんなことを。ジョヴァンニ・カルリ!!

おまえには、プライドなど、ないのか! なんてことをするんだ!!

愛おしい子が帰ってきたと思って、ジェルソミーナは本当に幸せそうでした。ジョヴァンニの毛皮をやさしくなめ、何度も、かわいい、かわいい、と言いました。ジョヴァンニはただ、赤ん坊のように、ジェルソミーナによりそい、やさしく、そのもう出なくなった乳を吸っていたのです。

ジェルソミーナが死んだのは、それから何日か経った後でした。ある、強い雨の降った日の翌日、町を流れる小さな川に浮かんでいる、ジェルソミーナを、猫仲間が見つけました。ジェルソミーナの体を川から引き上げることのできる猫などいません。人間も見向きもしません。ジェルソミーナの体は、川に流され、いつの間にか水に溶けて消えていきました。

猫の最期は、たいてい、こんなもの。大切にしてくれる人間はいますけれどね、いつもこうして、たくさんの猫が静かに世界に溶けてゆく。何度生まれても、何度生まれても、すぐに、風の消しゴムに命を消されてしまう。

わたしは、胸の奥から、詰まった小石を吐き出すような、痛いため息を吐きました。すると、少しの沈黙を挟んで、隣のジョヴァンニが言いました。

「猫の人生は、つらいことが多いが、お日様はいるよ。天にね」
ジョヴァンニめ。わたしは、胸の中で返します。憎いやつだと思いながらも、彼の声と言葉を聞いて、安らぎを感じている自分を、否定することはできません。
そう、わたしは、ジョヴァンニの、この声を聞きたかったのだ。彼はいつも言う。「お日様はいるよ。天にね」

「ああ、そうだね、ジョヴァンニ。お日様はいるよ。ソーレ。わたしたちの暖かい神さまは」わたしは、できるだけ胸を張り、彼に負けそうな自分を奮い立たせながら、言ったのでした。

「何があったのかは聞かないけれど、君のことだから、そろそろ立ち直っているだろう」ジョヴァンニはさらりと言います。ええそのとおり。もう立ち直っていますよ、わたしは。
「ジョヴァンニ・カルリ。君ほどの男を、わたしは見たことがないねえ。どうだ、君の背中のぶち模様ときたら、まるで薔薇のようだ。すてきだねえ。おしゃれだ。女の子はみんな君が好きさ」
それを聞くと、ジョヴァンニは少し困ったような顔をして、笑いながら、言いました。
「まいったね。君にはかなわないよ。マウリツィオ」
わたしは、胸に何か暖かいものが満ちてきたような気がして、ジョヴァンニに笑い返し、立ち上がりました。そして、ジェス・クリストの足元から降りると、そっとジョヴァンニを振り返り、別れの言葉を言いました。
「じゃあこれで、ジョヴァンニ。話ができてうれしかったな。また会おう」
「ああ、また会おう。マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニ」
こうして、わたしはジョヴァンニと別れ、教会を出て、自分の家に帰っていったのです。ベルナルディーノの無礼な態度や仕打ちにも、もう許せるような気がしていました。

ジョヴァンニ・カルリ。ただひとり、わたしがライバルと認める男。数少ない、本物の男。わたしはあなたが、大好きだ。きっと、女の子よりもね。

さて、わたしが気分を取り戻して、フェリーチャの元に帰ってきたころ、ジョヴァンニは、そっと教会を出て、外の光を浴びていました。そしてそのまま、ゆっくりと散歩をしていると、途中で、シルバータビーのクレリアに出会いました。ジョヴァンニは、武骨な男ではありますが、自分を見るときの、クレリアの瞳が、いつもやさしく濡れているのには気付いています。クレリアはジョヴァンニに出会えたことが、とてもうれしいらしく、笑いながら、言いました。
「こんにちは、ジョヴァンニ。いいお天気ね」
「ああ、いい天気だ。お日様はいつも空にいらっしゃる」
「いつもの口癖ね。でもどうしたの。あなたがそれを言うときは、たいてい、ちょっと苦しいことがあったときだけど」
「君にはかなわないね。そう、ちょっとしたことがあってね。さっきまで、教会で、マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニと話をしていたんだ」
それを聞くとクレリアは、さもおもしろそうに笑って、言ったのでした。
「それはまあ、大変な災難ね!」
「まったくね」
ジョヴァンニも、笑って、言いました。

(おわり)


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エロイ エロイ レマ サバクタニ

2012-11-17 06:45:06 | 薔薇のオルゴール

タイトルは現在まで残った数少ないアラム語の言葉の一つ。知らない方はいないと思います。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てなさるのか」

「イエス様」はもともと、10年くらい前に書いたわたしの一編の長い詩でした。内容は同じようなもので、十字架から解放されたイエス様が、途中で少女に出会い、バトンタッチして、旅に出て行くと。当時の作品は、ワープロで書いたもので、たぶんもう、フロッピーディスクの寿命が過ぎているので、消えてしまったと思います。ワープロはまだあるのですけどね、スイッチをつければ今も動くのですけど、同人誌をやめてから、ずっと眠っている。残念なことに、当時書いた作品で、フロッピーの中においてあったものは、見捨てられたワープロの魂といっしょに、全て消えてしまったみたいだ。

目次のページなんか作りましたが、見ていただいた方には、わかりますでしょうか。ずいぶんとたくさんありますが、これだけの作品、ほとんど、この一年に書きました。振りかえると、なんだか信じられないくらいです。いつの間にかこれだけ書いていた。去年の今頃は確か「月の世の物語」の本章を書いていました。年が変わって、別章が始まって、「糸」編でイエスの名が出てきてからというもの、この一年は、イエスにつきた年だと思います。わたしはまるで、彼にとりつかれたかのように、物語を書いていた。物語は一応の区切りを打ちましたが、今振り返ると何か熱いものを感じる。

「什さん」は、わたしとイエスの間にできた子どもです。

なお、フェイスブックでお会いしている方にはお知らせしていますが、わたしはここ最近、ひどい言葉の嵐に頭の中を奪われて、とても辛い状況でした。その中で得た霊感によって書いた詩を、明日から発表します。読むとわかると思いますが、とてもわたしが書いたとは思えないような詩群です。ことばはわたしのものを使っているが、表現力はわたしを越えている。何かがわたしに乗り移ったかというか、無理やりわたしのハンドルを奪って、わたしを運転して書いたというか、そんな感じです。これも、イエスがテーマ。読んで下さるとうれしいです。多分、イエスにこだわった今年のわたしの、総決算。

お楽しみに。



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イエス様

2012-11-16 02:28:04 | 薔薇のオルゴール

小鳥がお空でちりちり鳴いていました。そよ風に、すみれの花が揺れていました。小さな緑のなだらかな丘のてっぺんで、木でできたイエス様が、十字架に打たれて、半分眠ったまま、小鳥の声や、すみれの歌を、聴いていました。

イエス様は、体も頭もみんな木でできていました。もちろん、十字架も木でできていました。けれども、イエス様の手と足を打つ、釘だけは、鉄でできていました。イエス様の手や足には、血の流れたあとが、ありました。

もうずいぶんと長く、イエス様は、緑の丘のてっぺんに、ひとりで立ってうつらうつらと、眠っていました。時々、ほんの少し目を開けて、足元の、緑の草を見ました。草は、風に揺れて、露を落とし、かすかに土をたたいて、イエス様に慰めの声をかけるのです。

「イエス様、痛くはありませんか」

そうすると、イエス様は、目を細めて、小さく笑い、やさしく言うのです。

「もう、そんなに痛くは、ないよ」

草は、心配そうに、イエス様を見あげます。けれども、イエス様の傷は、本当に長い間、風の神様が、なでたり、なめたりしてくださって、だいぶなおってきていたので、本当にもう、あまり痛くはなくなっていたのでした。

空高く、雲が流れています。イエス様は、それを感じると、おっしゃるのです。

「ああ、天に、お父様が、いらっしゃる。今、わたしを、見ていてくださる」

そう言うと、イエス様は、心が本当に幸せになって、まだ少し痛い傷も、すっかりと消えてなくなってしまうようなのでした。

タンポポが光り、イエス様を、たたえます。

「うつくしい、イエス様、あなたを、愛しています」

イエス様は微笑んで、タンポポに、答えます。

「ああ、うつくしいタンポポ、わたしも、あなたを、愛している」

そうすると、緑の丘に、愛が満ちて、光が満ちて、世界がそのまま、すべて幸福になってしまうのでした。

「ああ、もうお父様の国は、きているのだなあ」

イエス様は、おっしゃいました。するとそのとき、イエス様の、右手の釘が外れて、落ちました。ずいぶんと長い間、雨や風にさらされていたので、釘もすっかり錆びて、朽ちていたのです。

イエス様は、右手が自由になったので、少し首をかしげて、右手を動かしてみました。右手は、十字架から離れて、イエス様の目の前に、そっと踊り出て来ました。イエス様は自分の右手を見るのは、ずいぶんとひさしぶりでしたから、本当に驚きました。

「ああ、右手が動く。不思議なことだ。わたしは、木でできていると、言うのに」

イエス様は、右手を動かし、ためしに、左手の方にやってみました。そして、左手の釘に触ってみました。するとそれだけで、左手の釘も、落ちてしまいました。釘はすっかり朽ちていて、草の上に落ちると、砂のように崩れて、消えてしまいまいした。

イエス様は、次に、足の方にも手を伸ばし、足の釘も外しました。これで、足も、動くようになりました。

「やあ、なんということだろう。自分の足で、歩けるかな」

イエス様はそうおっしゃりながら、おそるおそる、足を草の上に落としました。イエス様の足を受け止めた草は、一生懸命、柔らかくなって、イエス様の足をいたわりました。

「ああ、十字架から離れるのは、何千年振りだろうか。ああ、足が自由だ。手も自由だ。わたしは、丘を歩いて、降りてゆこう。どこにゆくだろう。ああ、お父様の国は、どこにあるだろう。探しにゆこう。きっとこの地上の、どこかにあるに、違いない」

イエス様は、そうおっしゃると、丘の上に、十字架を残して、ひとりで歩いて、丘を降りて行ったのです。一足、歩くと、その足のそばにいた、タンポポが、イエス様に言いました。

「イエス様、ばんざい!歩けるようになったのですね!」

「ああ、そうだよ」

イエス様は笑ってタンポポに答えます。タンポポは、イエス様を祝福して、愛の歌を歌いました。すると、イエス様の右足の傷が、消えてなくなりました。

もう一足歩くと、今度はすみれが、イエス様を祝福しました。

「おやさしい、イエス様、うつくしい、イエス様、正しくも、清らかな、イエス様」

そうすみれが言うと、イエス様の、左足の傷が、消えて、なくなりました。

もう一足、歩くと、今度は、紅のカラスノエンドウが、イエス様を、祝福しました。

「偉大なる、イエス様、気高き、イエス様」

そうすると、イエス様の、右手の傷が、なくなりました。

もう一足、歩くと、今度は青いツユクサが、イエス様を祝福しました。

「なにもかもを、たえてこられた、うつくしい愛の姿なる、イエス様」

そうすると、イエス様の、左手の傷が、なくなりました。このようにして、一足一足歩くたびに、イエス様の傷は、花々の祝福の歌に癒されて、消えてゆきました。風が、白い絹の服を持ってきて、イエス様の体に着せました。イエス様は、服を着るなど、何千年振りだろうと、おっしゃいました。すると、足元の白いキクの花が、言ったのです。

「ああ、イエス様、何で今まで、だれもあなたに、服を着せなかったのですか?」

するとイエス様は、微笑んでキクを見下ろし、おっしゃいました。

「もういいんだよ。そんなことは。ああ、幸せだ。お父様の国は、どこにあるだろう。誰か知っているかい?」
イエス様は、緑の丘の花々に尋ねられました。けれども、誰も知らないと、言うのです。
「ああそれなら、探しにゆこう。お父様の国を、わたしは、これから、探しにゆこう。どんな遠い道も、歩いてゆこう。もう傷は癒えた。ああ。足がある。手がある。わたしの心がある。歩いてゆこう。すべては、お父様が与えて下さる。導いて下さる」

イエス様は歌うように言いながら、丘を下っていったのです。

丘のふもとに、おりていくと、ひとすじの、清らかな川が、ありました。水音に混じって、どこからか、きれいな歌声が聞こえます。イエス様が、その声をたどって、川に沿って歩いていくと、しばらくして、川の向こう岸で、一人の少女が、洗いものをしているのに、出会いました。少女は、茶色の髪を、破れかけた古いスカーフでしばり、粗末な茶色の服を着ていました。少女は、うつむいて、川に手をつけて、一心に、汚れた器を洗っていました。木のお皿や、欠けた陶器の茶わんや、ナイフに、フォーク、大きな銅のおなべなど。食器はみな、腐った食べ物で汚れていて、とても汚いのだけど、少女は次々とそれを水に入れて洗っていきます。そして食器は、きれいになって水の中から出てくると、少女の手の中で、とたんに水色の小さな鳥になって、ぴりりと鳴き、空に飛び出していくのです。

イエス様は驚いて、しばらくじっと、少女の様子を見ていました。

少女が食器を洗うたびに、小鳥は空に飛んでいき、空に美しい声が満ちて行き、それは風に乗ってどこかに飛んで行くのです。でも、洗っても洗っても、汚れた食器はなくならず、次から次と増えてきて、少女の傍らに積もるのです。しかし少女は倦むことなく、一心に、楽しそうに、歌いながら、食器を洗っているのでした。あまりに一生懸命なので、少女は、イエス様がそっと近寄ってくることにも、気付かないようでした。

「あ」

突然、イエス様が、声をあげて、下を見ました。イエス様は、左の足に、少し痛みを感じられたのです。何かを踏んだようだと、そっと足をのけてみると、そこに、小さな野薔薇の古枝が落ちていました。その小さな刺は、イエス様の足の裏を刺して、小さな血を、浴びていました。

「ああ」とイエス様が声をあげているうちに、足の傷から赤い血がたらたらと流れ、川に落ちてゆきました。すると川は、いっぺんに赤く染まり、たちまちのうちに、真っ赤な薔薇の咲く垣根に、姿を変えたのです。その薔薇の垣根は、壁のように、さっきまで川の流れていたあとをたどって、どこまでも続き、イエス様の行く手を、さえぎっているのでした。

イエス様はこまってしまって、薔薇に言いました。

「ああ、薔薇よ。どうかわたしを通しておくれ、お父様の国を、わたしは探しにいくのだから」

すると薔薇は、きびしく、言うのです。

「イエス様、いけません。あなたは、行っては、なりません」

「なぜだい?お父様の国を、探さなくては、そして、人々に、それを教えてあげなくては。ああ、わたしなら、わかるのだ。お父様の、声が。そして、香りが。心が満ちている、光が」

イエス様はおっしゃいました。けれども薔薇は、痛い刺のつるを一層硬くからませて、行く手をさえぎりつつ、強い香りを放ちながら、言うのです。

「いけません。もう、あなたがやっては、いけないのです。イエス様」

「それはどうしてだい?」イエス様は、赤い薔薇の、強い香りに、めまいを起こしそうになりながら、尋ねました。すると、薔薇の代わりに、小鳥のようにかわいい、少女の声が、答えました。

「ああ、イエス様。わたしがかわりに、まいりましょう」

イエス様はびっくりして、薔薇の垣根の向こうを見ました。するとそこに、茶色の髪のさっきの少女が立っていて、まっすぐなきれいな瞳で、イエス様を見つめていたのです。少女は、イエス様に、丁寧に、お辞儀をして、賢く、美しいことばで、言うのです。

「もう、何千年と、イエス様は、ずっと耐えていらっしゃいましたから。わたしがかわりに、まいります。イエス様の、かわりに、まいります。天の国の、お父様の国を、探しにまいります」

「少女よ」とイエス様は、おっしゃいました。
「知っているのだろうか。それがどんな道かを。どんなにあなたを、あなたを…、ああ」イエス様はそれ以上言うことができず、涙をお流しになり、少女の方に手をのべました。薔薇の垣根をはさんで、少女はイエス様の白い手をとり、それに小さくキスをして、言いました。

「わかっています。何もかも。だから、まいります。あなたのかわりに。どうか、ゆけと、おっしゃってくださりませ。わたしに、ゆけと」
「ああ、少女よ。あなたは、わたしを、苦しめるのか」
「ごぞんぶんに、せめてくださりませ。おっしゃってくださらないのなら、わたしは、自ら、まいります」

そう言うと、少女は、イエス様の手を、そっと離し、イエス様の透きとおった目を見つめ、しばし吸い込まれるようにそれに見とれたあと、目を伏せて涙を頬に一筋ながし、もう一度、ゆっくりと、ていねいに、お辞儀をしました。

「では、行ってまいります」そう言って、少女は、イエス様に背を向けて、彼方に向かって、歩き始めたのです。イエス様は、少女の後を追おうとしました。でも、ゆこうとすると、薔薇は一層濃い赤に燃えて、イエス様のゆく手をさえぎるのでした。

「ああ、わかった。もうわたしは、行ってはいけないのだね。少女よ。あなたを愛している。ゆきなさい。道は、つらく、きびしく、そして長い。ゆきなさい。愛している。いつまでも、愛している、少女よ」

イエス様は、遠ざかっていく少女の背中に向かって、叫びました。少女は振りかえらず、彼方への道を、ゆっくりと歩いて、だんだんと遠ざかってゆき、やがてその姿は、霞の向こうに消えて、見えなくなりました。

イエス様は、薔薇の垣根のそばに立ちつくし、いつまでも、少女の消えて行った方を、見ていました。

やがて、青い空の向こうから、鳥の声が降ってきました。イエス様は、ふと気付きました。
「ああ、お父様の国は、もうきているね。ああ、ここが、そうだったのだね」
「そうですとも」
薔薇が、言いました。
「イエス様、ここで待っておいでなさい。あの娘が、やがて、あなたの元に、人々を、呼んできますから。それは、大勢の人々を、つれてきますから」

イエス様は、薔薇の言葉に従い、ずっと、この緑の丘で、みなを、待っていることにしました。ですから、イエス様は、今も、待っていらっしゃいます。あの少女が、大勢の人々を連れて、自分のところに、きてくれるのを。人々が、お父様の国に、帰ってきてくれることを。

ずっと、ずっと、待っていて下さいます。

(おわり)



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マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニの肖像

2012-11-15 03:43:37 | 薔薇のオルゴール

月下のマウリツィオ・パスカーレ・チコリーニ。大きな瞳のオッドアイが魅力的で、美しい男。すてきです。

このお話のアイデア、前からあったんですが、主人公の名前をイタリア風にしたら、こんなキャラになってしまいました。イタリア男性って、なんだかこんなイメージあるじゃないですか。偏見でしょうか。

「やあクレリア、銀の髪が月に濡れて絹のようだ。美しいね」
「ああら、マウリツィオ、うれしいことを言って、わたしをとりこにするつもり?」

自分で書いてて、恥ずかしかったります。

「マウリツィオ、クレリアばっかりで、わたしには何も言ってくれないの?」
「ああ、そんなことはないよ、ごめんよ、ええ…」
「マルゲリータよ。覚えてないのね」
「そんなことはないよ、あまりにきれいな音楽だから、簡単に言えなかっただけさ。きれいな名前だね、マルゲリータ」

まあ、お話は、フィクションです、もちろん。でも猫は、人間が思ってる以上に、大切な仕事をしてますよ。犬もね。大切なともだち。できるだけのことはしてあげましょう。

違う生き物が、愛を育てあうのは、難しいもの。でも、男と女の愛よりは、簡単かな? いや、ほんとは、もっと難しい。

マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニ、金と銀の目の長毛白ネコさん。滅多にいない美形だな。

「まあ、わたしは、美しく生まれすぎた男ですから、女性に尽くすことは使命のようなもの。ぜひ、皆さんにも見習ってほしいですね。…え、爪のアカ? いいですよ。さしあげましょう。…では、わかりましたか? 男性のみなさん! あなたたちの人生が苦しくなるのは、女性に尽くせないからですよ! これ、真実!! はい、ノートに書いてくださいね!」




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マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニの証言

2012-11-14 07:09:05 | 薔薇のオルゴール

みなさん、こんにちは。わたしの名はマウリツィオ・パスカーレ・チコリーニ。今年で八歳になります雄猫です。まずはわたしの毛並みについて説明させていただきましょう。猫にとって毛並みはとても大事なものですから。わたしは、ご先祖にペルシャの猫かシャムの猫がいるらしく、幾分被毛は長く、毛並みは全身雪のように真っ白です。瞳は右目が金色ですが、左目はアイスブルーのアクアマリンを思わせる青です。よくいうオッドアイ、または金目銀目というやつですが、このおかげで、わたしは生まれつき左耳が聞こえにくく、少々、難儀しております。

わたしの飼い主は、ベルナルディーノ・チコリーニという靴職人で、今の時代には珍しく、手作りの靴を並べて売っております。店の奥に工房があり、たくさんの木型や牛皮や釘などに囲まれながら、主人は色々な靴やサンダルを毎日作っております。
店先で靴を売っているのはフェリーチャという名の、彼の奥さん。わたしはと言いますと、店先の定位置である小さな椅子の上で、まるまって眠りながら、客の呼び込みなどしております。自慢ではありませんが、わたしは毛並みも雪のように白くつややかで、瞳の色が左右で違うため、たいそう珍しがられて、わたしをひとときでもなでたり抱き上げたりしたい客が、つい店の入り口をくぐってしまうなど、よくあります。そしてわたしをなでながら、客はフェリーチャと世間話をしつつ、いつしか、一足のサンダルなど買い求めてゆくのです。

まあこうして、わたしはご主人の商売に一役買っているわけではありますが、人は言いますね。猫はいいな、ただ座って寝てるだけで、なんにもしなくていいからと。そこにいるだけで、何となく、いいことになると。ふ。人間とはほんと、何にも知らない生き物です。それは、頭と手を器用に使って、いろいろなものを作りますし、おもしろいと思っていろいろなばかばかしいことをやっておりますが、さても、彼らは一体自分が何をしているのか、さっぱりわかっておりません。彼らは、わたしたち猫が助けてやらねば、大変なことになってしまうのです。もちろんわたしたち猫は、そんなことは一言も言いませんが。まあその、こうして、猫が人間の言葉をしゃべるなどとも、思ってもいませんでしょうから。

猫がしゃべれるのかって? 現に今しゃべってるじゃありませんか。これは、本当は猫族の秘密みたいなもので、といってもまあ、その秘密を漏らしてはいけないと言う決まりもないのですが、いろいろと困ったことにもなるので、猫はみんな、何となく、ずっとこのことを秘密にしてきたのです。でも、言いたいことを言おうと思えば、猫はいくらでも人間に言いたいことがありますね。実際、口に出かけたこともありますが、ぎりぎりで飲み込みました。人間ときたら、どうしてこんな簡単なことがわからないのかと、そういうことが、しょっちゅうあるものですから。

何を言いたいのかって? ふむ、それは良い機会ですから、よし、ひとつだけ、言いましょう。人間様、どうかお願いですから、朝っぱらから朝食にけちをつけないでくれますか。パンが焦げすぎだの、ジャムが足りないだの、チーズが腐ってるだの、卵の焼き加減がどうだの、フルーツが硬いだの。まったくね、気の利かないやつに説教するつもりで、偉そうに言わないで下さいよ。フルーツが硬いのなら、自分で柔らかいのを探してくればいいじゃないですか。ほんの小さなことをひっかけて、人を馬鹿な笑いものにして、悲しい目に合わせないでください。そばにいてくれる人を、傷つけないでください。

こんなとこですか? 何気ないことのような気がしますけどね、ここらへんが大事なんですよ。人間は、全然わかってないんだ。わたしはもう、深いため息が出ます。優しいことを言えば、なにもかもがうまくいくというのに。

やあ、そろそろ店じまいですね。フェリーチャ奥さんが、店のカーテンを閉めました。ベルナルディーノは今日、靴を二足作ったようです。お客さんの希望にこたえて、深いセピア色のきれいなパンプスを一足と、子どもの誕生日のお祝いのための、赤い小さな靴と。ベルナルディーノはなかなかに腕のいい職人のようで、靴はピカピカでとてもきれいな形をしています。人間の足に、よく似合いそうだ。わたしも店番の仕事を終えて、椅子の上から降り、体を伸ばすと、フェリーチャがくれる晩御飯を食べて、ほっと息をつきます。するとフェリーチャはわたしを抱きあげて、しばし頬ずりをします。

「マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニ。わたしのきれいな白ネコちゃん」フェリーチャは甘い声でわたしにささやきます。実際、彼女はベルナルディーノよりわたしを愛しているようだ。まあ、わたしはたしかに美しい男ではありますから、当然のことかもしれませんね。ベルナルディーノには気の毒だが。彼も少しは、女性の心をとらえる方法を、勉強してほしいものです。

さてと、夕食も終わり、主人二人はシャワーを浴び終えて、寝床につく前に居間のソファに並んで座り、テレビのヴァラエティ・ショーを見ています。テレビの小窓の向こうでは、プルチネッラの格好をした道化が、ナポリなまりで少々卑猥な冗談を言っています。ベルナルディーノとフェリーチャは腹を抱えて笑っています。わたしと言えば、あまりそういうものには興味ないので、居間を出て、寝室の方に向かいます。寝室の窓は鍵が甘く、猫がちょっと力加減を工夫して取っ手につかまれば、簡単に開くのです。

わたしは開いた窓からするりと出て行き、店の二階から、屋根や樋を伝って、ひらりと道に降り立ちます。今宵は望月、ルーナ・ピエーナ、お美しいお月さま、あなたほどの女性は見たことがない。輝かしくも清く白い百合の色を、どうやって手に入れたのですか? 私は月の女神に言います。ふ。これくらい女性に言えなくては、男はできませんよ。男なら、女性には尽くさねばなりません。ここんとこ、よおく勉強してくださいね。わたしの態度が、あなた方の良い見本になると、よいのですが。

さて、こうしてわたしは、お月さまにちゃんとご挨拶をしてから、月に照らされて明るい道を、どんどん歩いていきます。望月の夜には、猫の大切な集会がありますから。道を歩いていると、小さな風がわたしの髭をなでて行く。聞こえない左の耳が、少し重く感じるのはこんなときです。右の耳は風の音を聞いてくれるのに、左の耳はあるのかさえわからないほど、何もしないのです。人間は、耳が聞こえないことなど、猫にはつらくないだろうと思っているでしょうが、そんなことはない。この生まれつきの苦しみが、わたしの胸を何度締め付けたことか、生きることを暗くしたことか、それはわたしと、神しか知らない。

「マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニ」誰かが呼ぶ声を、右の耳がとらえてくれました。振り向くと、白黒はちわれの、大きな雄猫が近づいてきます。わたしは彼に答えて言います。「やあ、ニコ・メローニ。久しぶりだね」
「一月ぶりだね。前の満月のときより、少し痩せたかい?」
「そうかな。だとしたら多分、理由はベルナルディーノだね。職人気質の頑固なことと言ったら、猫をてこずらせるんだ」
「君の飼い主はまだましなほうだ。ぼくの飼い主のダリオ・メローニときたら、もう半分死んでいるよ。不幸ばっかりの人生で、妻にも子どもにも逃げられて、残ったものと言ったら僕だけさ。猫は、人間を見捨てるわけにいかないからね」
「そりゃ大変だ。君がそばにいてあげなくちゃ、ダリオはきっと死んでしまうよ。あの爺さんは、大事なことが全くわかっていなかった。食事はちゃんともらえてるかい?」
「なんとかね。ダリオは今、隣町のコンビニ・ストアでバイトをしてるんだ。年寄りでも雇ってくれたらしいよ」
「コンビニ・ストアか。最近増えたねえ」
「この町にも三つあるそうだよ。人間が交代で、終夜営業している。便利にはなったけど、その分、人間は大変になったみたいだ」
「そろそろ、節度をわきまえろって、叫びたいね。人間に」
「全く同意するね」

わたしたちは話しながら並んで歩き、広場につきました。広場と言っても、人間がいっぱい歩いているあの町の真ん中の広場ではなく、空家と空家の間にできた、小さな空き地というところです。隅には大きな百合の木があって、白い月はその上にちょこんと載るようなかたちをして、わたしたちを見下ろしています。広場にはもう、三十匹ほどの猫がいました。中央では、茶白ブチの、ジョヴァンニ・カルリが、集まってきた皆に向かい、話をしていました。

わたしは猫たちの間をめぐり、シルバータビーの美女の隣に座りました。
「こんばんは。クレリア。いつも美しいね」
「あら、ありがとう、マウリツィオ。あなたの青い目、いつも素敵ね」
「うれしいね。でもやっかいものさ。この目のおかげで、わたしは運命の神の気難しさを知ったよ」
「片方の目が青い哲学者さん、楽しいお話は後でね。ジョヴァンニのお話を聞きましょ」
「ああ、もちろん」

わたしは前を向き、茶白ブチのジョヴァンニの声に、聞こえる方の耳を傾けました。

「…新しい件については、これで、ジュリアーノがやってくれることになった。ジュリアーノはまだ若いが、なんとかしてくれるだろう。だんだんと、苦しむ人間が増えている。影で助けてあげてくれ。本当に、今は、大変なことになっているから、猫も大変だ。君たちが頼りだから、ぜひお願いする。担当する件について、疑問のある猫はいるかね?」
ジョヴァンニが言うと、猫たちの中から、一匹の雌の黒猫が声をあげました。
「はあい、あたし、マルゲリータ・ルーティ。担当しているのは、エヴァンジェリナっていう女の子なの。毎日、七百個も小さな造花を作らなくちゃならないのだけど。簡単な仕事なのに、もういやだって言って、やめたがっているのよ。でもやってもらわなくちゃ、また困る人間が増えるわ。どうしたらいいと思う?」
「そうだねえ、どうしたらいいと思う、みんな?」
ジョヴァンニが猫たちに尋ねました。すると、きれいなソマリの雌猫が声をあげました。
「はい、わたし、ダフネ・アニャーニ。それはもう、わたしたちが半分以上やるしかないと思うわ。そうしたら、エヴァンジェリナは楽になるでしょ。マルゲリータは大変だけど。猫のわたしたちなら、それくらいなんとかできるわよね」
「ええ、そうね。できるわ。ありがとう、ダフネ」
「どういたしまして。猫はみんな大変だから、助けがいるときは言ってね」

このようにして、満月の夜の猫の会議は終わりました。そして、皆それぞれ、自分の担当する人間の所に行って仕事をするようにと、ジョヴァンニ・カルリが言いました。

わたしはニコとクレリアに別れの挨拶をし、自分の担当する人間の元に急ぎました。今夜は、会議があった分、少し遅くなってしまった。きっと、わたしのフランチェスコ・トッティは、とてもつらい思いをしているだろう。早く行って、助けてあげなくては。

フランチェスコ・トッティは、小さな部品工場を一人で切りまわしている、工場長です。彼は毎日、一万個の小さなネジを作らねばなりません。一人の力で一万個のネジを作るのは、熟練のフランチェスコにも、とても辛いことでした。けれども、フランチェスコがネジを作らねば、子どもたちがみんな欲しがる、キラキラきれいで楽しいゲーム機が、作れないのです。だからどうしても今日中に、一万個のネジを作らねばなりません。わたしがフランチェスコの工場に行った時、フランチェスコはまだネジを六千個しか作れていませんでした。わたしは内心、まずいなと思いました。フランチェスコはネジを作る機械を操りながら、もう死んでしまいそうなほど、疲れきっています。これ以上、人間を働かせるのは無理です。

秘密をもう一つ、教えましょう。猫には、魔法が使えます。人間の背中から、自分の魂を人間の中に滑り込ませて、その人間の代わりに、その人間のやることをやることが、できるのです。わかりますか? 言い換えると、少しの間だけ、人間の体をわたしたちがのっとって、彼らの代わりに、彼らの仕事をするのです。その間、人間の魂は眠っています。ほら、時々、人間は何かをしながら、夢中になってやっているうちに、自分がわからなくなって、ふと気付いた時には、いつの間にか仕事がたくさんできているってこと、あるでしょう。それはね、人間が、意識を失っている間、猫が代わりにやっているからなんですよ。

こうして、わたしは今夜、フランチェスコの代わりに、フランチェスコになって機械を操り、ネジをたくさん、作りました。フランチェスコの心は、わたしの後ろで、眠っていました。疲れきって、心もしびれて、死にそうになっていましたが、少し休んでいるうちに、力も戻ってきたのか、やがてふと、彼は目を覚ましました。フランチェスコは、はっとしました。時計を見て、びっくりしています。もう少しで、朝になる。機械の方を見ると、いつの間にか、メーターのネジの数が一万個を越えていました。フランチェスコは、大喜びしました。

「やった。今日も何とか、遅れずにすんだ!」

猫に戻ったわたしは、そんなフランチェスコの様子を見つつ、少しほっとして、そこからそっと姿を消し、ベルナルディーノとフェリーチャの待つ家へと向かいました。

途中、クレリアに会いました。ルーナ・ピエーナはずいぶんと西に傾いて、そろそろお日様、ソーレの気配が、東の空にかすかに漂い始めていました。
「左目の青い白ネコさん、今日もご苦労だったわね」
「そういう君こそ、クレリア。君の担当するシルヴァーナは、今夜ハンカチに薔薇の模様を何枚刺繍したんだい?」
「二千枚というところかしら。だんだん増えてくるわ。途中で刺繍の機械の調子が悪くなって、五十枚も失敗してたの。でも、わたしがなんとか帳尻をつけて、明日の分も少しやってあげたわ」
クレリアは器量よしでやさしい雌猫です。シルヴァーナをとても愛していて、いつもおまけをつけてあげるのです。かわいいシルヴァーナは、刺繍工場で夜番を働く少女。怖い工場長にこき使われて、毎夜ハンカチに薔薇模様の刺繍をさせられているのでした。

「ハンカチに、薔薇の模様があると、うれしいね」わたしはクレリアと並んで歩きながら、言いました。するとクレリアは、少し悲しげに、言うのです。
「人間は、心が寒いのよ。だから少しでも、何か暖まるものが欲しいんだわ」

途中、わたしたちは、小さなコンビニ・ストアの前を通りました。わたしはニコの飼い主のダリオのことを思い出しながら、言いました。
「こんな風に暮らしを便利にするために、たくさんの人が、苦しんでいるんだね」
「ええ、そう。人間は、文明を、進め過ぎたのよ。暮らしが便利になるのが、悪いとは言わないけれど、それにも、程度というものがあるわ。文明が進み過ぎて、そのしわよせが、一部の弱い人の肩に、重くかかっている」
「このコンビニ・ストアに商品を運んでくるために、トラックは危険なスピードで道を走ってくる。ドライバーは死にそうなほどつらい。でもやらなくては、文明が、うまくゆかなくなる。今の文明は、人間にとっては、少し進み過ぎているんだ。だからこうして、ぼくたち猫が、人間にできないことを補っている。人間には秘密でね」
「猫がやってあげないと、人間にはやりこなせないわ、今の文明は。それにしても、なぜ、人間は、こんなに文明を進めたがるのかしら?」
クレリアは、沈んでいく月を見ながら、ため息交じりに言いました。わたし、哲学者マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニは、彼女の美しい横顔の瞳を見詰めつつ、答えます。

「…それはね、人間が、不幸だからさ」

するとクレリアは、きれいな目を瞼の中にしまい、少しうつむいて、微笑みました。

「幸せって、もっと簡単なもので、いいのにね」クレリアはぽつりと言いました。わたしはクレリアにやさしく、言いました。
「銀河に染まってきたような、シルバータビーの星の君、わたしは君のことが、大好きだな」
するとクレリアは、目をまるまると見開いてわたしを振り向き、本当に素敵な笑顔で笑いました。
「あら、マウリツィオ、すてきな青い左目のお馬鹿さん、お世辞を言ったって、何もしてあげないわよ」
クレリアはそういうと、笑いながら、コンビニ・ストアの向こうの角に、走って行ってしまいました。

クレリアがいなくなると、わたしは西の空のルーナ・ピエーナに挨拶をしました。
「美しき白百合の君、あなたに会えて、あなたをたたえることができる幸せを、本当にありがとう」

わたし、マウリツィオ・パスカーレ・チコリーニの、大事な仕事は、こうして今日も無事に終わったのです。明日もきっと、わたしはフランチェスコのところにいき、一緒にネジを作ってくるでしょう。

わかりましたか? 人間のみなさん。何もかも、自分たちが全部やっているのだと思ったら、大間違いですよ。あなたたちはこうして、猫に、だいぶ、助けられているのです。少しは、わかりましたか? 

節度というものを、守りましょう。やりすぎにも、ほどがありますよ。ほんと、言いたいのはこの一言に限りますね。

それではみなさん、そろそろわたしの家が見えて来ました。フェリーチャは今頃、夢でわたしと遊んでいることだろうな。昼間はずっと、寝てばかりいて、夜にはこうして、密かに人間のために働いている。

猫はずいぶんと前から、こんなことを、やってますよ。



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びい玉

2012-10-21 07:27:08 | 薔薇のオルゴール

森の木の根元に
半分埋もれた
青いビー玉を見つけた
土をかいて かいて
爪で掘り起こして
やっと手にいれた ビー玉
ああ 早速お日様に差し上げよう
光を吸い込むとそれはきれいだから
ああ 幸せを分け合うことほど
幸せなことはないから

お日様 お日様
あなたが こんな小さな
ガラスの玉に入るなんて
ご存知でしたか
お日様 お日様
あなたのひかりを浴びると
ビー玉はまるで
生きている星のようです

だれがあんなところに
ビー玉を埋めただろう
どこからか流れてきて
亀が運んできたのかな
それともカモメが
種と間違えて 運んできたのかな

ああ 幸せを分け合うことほど
幸せなことはないから
分けてあげる
ビー玉を持っていたら
お日様にかざしてごらん
光が星になって
君に秘密の歌を歌うよ
あいしているよと
何もかもが 君を愛するために
見えない魔法の糸で
君の小さな指を 編んでいるんだよ


(オリヴィエ・ダンジェリク詩集『空の独り言』より)



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