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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

幸せ

2012-09-17 07:52:14 | 薔薇のオルゴール

お料理を作るのが 下手だって言って
悲しまなくても いいんだよ
だって だれかお料理の上手な人が
君にお料理を教えることで
君に親切にすることが できるじゃないか
それって とってもすてきだ

算数のお勉強が 苦手だって言って
泣かなくたって いいんだよ
だって だれか算数の得意な人が
君に算数を教えることで
君に親切にすることが できるじゃないか
それって とても幸せだ

人はみんな違うから 誰にも
苦手なことや 下手なことってあるものさ
だからこそ 助け合えるってことが
幸せなんだって ぼくは思うんだ
だって 自分の好きなことで
誰かにやさしくできるんだもの

ああ ぼくは今 小さな詩を書いているけど
いつか誰かが これを読んでくれて
その人の気持ちを 温めることができたら
どんなにいいだろうって思う
ぼくは どんなにやさしいことができるだろう
そう考えるだけで とても幸せなんだ


(オリヴィエ・ダンジェリク詩集『空の独り言』より)



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チョウチョ

2012-08-23 07:18:27 | 薔薇のオルゴール

愛してるって気持ちを かくすために
どうして君は 石で
そんなに高い壁をつくるの?
好きだって気持ちを かくすために
どうして君は 影でつくった
難しい迷路の中をさまようの?

幸せになるのは 簡単なんだよ
ただ少し 舌を花びらのように動かして
ほんの少し 温かな風を吐けばいい
君の口から 小さなチョウチョが飛び出して
ほら 君の好きな人の髪にとまるよ
なんてかわいいんだろう

何もいらない ほんとの気持ちさえあれば
君はただ 愛してるっていえばいいんだ
それだけで みんなが幸せになるんだよ


(オリヴィエ・ダンジェリク詩集『空の独り言』より)



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天使タティエルの話

2012-08-19 06:58:52 | 薔薇のオルゴール

白い石英の光の糸を、綿のように絡めたような雲の原が、どこまでも広がっていました。天からは星々の光が糸をひいて静かに落ちてきて、まるで光の雨が音もなく降っているかのようでした。

天使タティエルが、右腕の脇に金色の表紙の本を持って、雲の原を歩いていると、向こうから、静かな風に乗って飛んでくる大きな白い浮島のようなものが見えました。タティエルはそれを見つけると、背から白い翼を出し、自分も空を飛んでその島に向かいました。近付いて見てみると、それは浮島ではなく、小山のように大きな白い魚でした。

これは、天魚といって、雲の原に棲んでいる不思議な生き物のひとつでした。全身を真珠のように白い鱗におおわれ、容は鮒に似ていて、尾びれは三つに分かれ胸びれは透きとおった翼のように大きく、天魚はその翼をゆったりと動かしながら、雲の原の上を静かに飛んでいるのでした。タティエルは天魚の前まで飛んでくると、正面からその顔に向かって挨拶しました。近くから見ると、天魚の眼はまるでタンザナイトのような深い青でした。見ようによっては、海の色を固めて作った宝石のようにも見えました。とても清らかに澄んでいて、たれやら知らぬ、美しいお方の愛がその眼の中にひっそりと花のように棲んでいるような気がするのです。

「ふう」とタティエルは、天魚に向かって言いました。すると天魚は表情を変えぬまま、「るう」と言って、大きく口を開けました。タティエルは天魚にお礼を言うと、ゆっくりとその口の中に入って行ったのです。

天魚が口を閉じると、タティエルの周りは真っ暗になりました。でもタティエルには暗闇の中にある道がわかりましたので、静かに闇の中を歩いていきました。しばらくすると、だんだんと周りが明るくなり、やがて、まるで薄い銀の紙を壁に張り付けたような小さな扉にぶつかりました。扉には不思議な紋章が緑色の線で描いてあり、タティエルはその紋章に向かって深々と頭を下げると、顔をあげ、小鳥の声で一節の呪文を歌いました。すると、扉は静かに開いて、タティエルを中に導きました。タティエルは吸い込まれるように、扉の向こうに入って行きました。

扉の向こうには、不思議な風景がありました。そこには薄いオリーブ色の広々とした草原があり、上を見ると、月の光を溶かして空全体に塗ったような白い空が見えました。白い空は高いようにも低いようにも見え、太陽も月もなく、ただ空全体が白く光って草原を照らしているようでした。草原の真ん中には、深紅のそれは大きな翼をした天使がひとりいて、青瑪瑙の四角い机の前で、小さな琴に弓をあてて演奏前の音の調整をしていました。

その深紅の翼の天使を囲んで、草原の上や、また草原の上を吹く風の上に、それぞれに、赤い花の形をした椅子や、月光の糸を編んで作った敷物や、トルコ石を綿のように柔らかくして作った四角い座布団など、思い思いのものに座った天使たちが、たくさんいました。タティエルは、少しでも前の方に座りたかったので、天使たちの間を少しの間迷いながら、ようやく前から三列目ほどのところに空いたところを見つけ、ほる、と言って呪文を唱え、そこに蛋白石の布袋に鳩の羽を詰め込んだ小さな座布団をつくり、ゆっくりとその上に座ったのです。

今日は、とても大事な模擬実験が、この天魚の講堂で行われることになっていました。深紅の翼の天使は、琴がようやく正しい音を鳴らし始めたので、講堂に集まった天使たちに、深く頭を下げて挨拶をしました。天使たちもまた挨拶しました。広い会場に天使たちはそれはたくさん集まっていました。タティエルは、胸の鼓動が少し早くなるのを感じました。模擬実験とは言えど、これは神の導きによって行われることですから、結果がどんなことになるかは、誰にもわからないのです。

深紅の翼の天使は、琴をあごと肩の間にはさみ、弓をとって、一節の青い風のような曲を奏でました。すると、どこからか、ぽたりと雫が落ちるような音がして、深紅の翼の天使の前に、水晶水を固めた、大きくて透きとおった丸いボールのようなものが現れたのです。講堂の天使たちが、風のように、さやりとさわめきました。天使たちは微笑みを流し、講堂の風の中に愛がたくさん溶けてゆきました。それで皆は本当に幸せな気持ちになりました。その水晶水の玉を見るだけで、何やら嬉しくてならず、胸の奥から愛が次々と泡のように浮かびあがってくるのです。

深紅の翼の天使は、琴と弓を机の上に置くと、青瑪瑙の机の上に浮かぶ透き通った玉を指差し、そよ風のような声で、「これが、卵子です」と皆に説明しました。そうです。今日は、遠い遠いはるかな昔、神が行われた、人間の女性の創造の一部の、模擬実験が、ここで行われるのでした。水晶水の透き通った玉は、大昔に神が創られた、卵子の模型なのでした。模型と申しましても、神がどうしても教えては下さらない秘密のこと以外は、ほとんど、本物と同じでした。卵子というのは、ご存知ですね。女性のおなかの中にある、赤ちゃんの卵のことです。

深紅の翼の天使は、卵子の模型を、指さしたり、くるくる回したり、風でやさしくなでたりしながら、卵子の構造やその創造についてみなに深い知識を教えました。タティエルは、持ってきた金の本に、その言葉を一言ももらすことなく書いてゆきました。卵子の創造は、それはそれは深い愛に満ちた奇跡でした。深紅の天使の話を聞いているうちに、皆が、神の愛の深さに心を動かされ、歓喜のため息が幾つも流れました。中には神をたたえる歌を歌いだしてしまうものもいました。タティエルはただ、幸せに酔いながら、一心に、深紅の翼の天使の言葉を聞き取り、どんな小さな言葉も逃さず、金の本に書き写してゆきました。

やがて深紅の翼の天使は、講義の第2章を始めることを告げました。タティエルは目をきらめかせて、自分の細い光のペンを握る手に力をこめました。

深紅の翼の天使は、まず卵子に、白い小鳥の金色の声を、入れました。すると、それはとても楽しくて、豊かな、おもしろいものになりました。次に彼は、赤い薔薇の花弁の中に潜んでいる、小さな香りの蜜を入れました。すると卵子は、それは美しい真心の香りを放ち始めました。その次には、三つの白い星の光を丸めて作った小さな飴を入れました。飴が卵子の中に溶けてゆくと、卵子はとてもやさしい愛に染まりました。
タティエルはどきどきしながら実験を見ていました。深紅の翼の天使が、卵子に何かを入れるたびに、卵子はどんどんすばらしく、美しく、よいものになっていきます。一体どれだけの愛をこめるつもりなのか、タティエルはもううれしくてなりませんでした。神はこんなにも、人間を愛していらっしゃるのか。そう思うと、涙さえ目に浮かぶのでした。

深紅の翼の天使は、他にも、野の百合の忍耐の微笑みや、青い蝶々の小さな光を入れました。すると卵子は、とても忍耐強くなり、小さなものに愛をそそぐ心が大きくなりました。そして次に天使は、白い薔薇の知恵を入れました。すると卵子はたいそう賢いものになりました。

深紅の翼の天使が、琴を鳴らし、第3章を告げました。タティエルはまた、ペンを握る手に力をこめました。持ってきた厚い金の本は、いつしか全部のページが文字で埋まってしまい、タティエルは急いで本の厚さを二倍に増やして、新しく書くところをこしらえました。

水晶水で作られた卵子の模型は、ほぼ完成していました。というより、天使にできることは、ほぼ終わっていたのです。これ以上のことは、神でなければできないというところまで、後二、三歩というところまで来ていました。
深紅の翼の天使は、再び琴と弓をとり、それを静かに奏でました。草原の上の風に甘くも、少し苦い香りが流れました。タティエルは、かすかに、胸が小さく割れるような痛みを感じました。ああ、と悲哀のため息をついて、一筋涙を流しました。これから起こることはもう分かっていたからです。

深紅の翼の天使が、指で琴の糸を弾くと、空中に小さな銀のナイフが現れ、それが卵子の中に、すっと落ちて、入ってゆきました。すると卵子は、あまりの痛さに、悲鳴をあげました。草原は、しんとしました。天使たちは息を飲みました。風が悲しみのあまり空を飛ぶのをやめ、草原のうえに布を敷くように倒れ込みました。

深紅の翼の天使は、卵子に「痛み」を入れたと説明しました。なぜなら、女性は、耐えられないことにさえ耐えなければならない宿命を背負っているからなのです。

銀のナイフは、卵子の中で、まるで卵子の全てを壊そうとするかのように、あちこちを切り刻み、壊して行きました。それを追って、薔薇の香りの蜜が懸命に傷を縫ってゆきました。百合の微笑みが卵子の核を抱きしめてともに痛みに耐えました。蝶々の光が、卵子が悲哀に沈んで壊れていかないように、必死に踊りながら美しい歌を歌って慰めていました。

しかし、卵子の苦しみを救うことはなかなかできませんでした。ボールのように丸かった卵子の形は今や、へこんだり、くしゃくしゃになったり、ねじれたりして、とても苦しがっていました。卵子は苦しい、苦しい、と叫びました。そしてあまりの悲しさに、とうとう、決して言ってはいけないことを、言ってしまいました。

「神よ、なぜこのようにわたしをつくったのですか!」

タティエルは突然立ち上がりました。そして右手の人さし指と中指で宙に赤い文字を描き、それに息を吹き込んだかと思うと、自分の胸にいつも熱く燃えている真の赤い星の炎を切り出し、一瞬の迷いもなく、その炎のかけらを卵子の中に放り込んだのでした。

他の天使たちは、びっくりして、一斉にタティエルを見ました。タティエルでさえ、自分のしたことに驚いていました。深紅の翼の天使は、タティエルを優しく見つめ、無言のまま微笑み、静かにうなずきました。

赤い炎は卵子の中に静かに溶けてゆき、卵子の真ん中で星のような赤い結晶に変わりました。卵子は力を得て、くるりと回ると、少し縮んで、自らの痛みに耐えながら、力を込めて、ナイフを吐きだしました。どこからか、かすかに、赤ん坊の泣き声を聞いた者がありました。

卵子は心臓のようにどくどくと鼓動していました。そしてふと、力が抜けたかのように草原の上に落ち、しばし動きませんでした。深紅の翼の天使が、また琴を弾きました。それはこの上もなく美しい愛の歌でした。タティエルは、一体自分は何をしてしまったのか、まだ分からずにいました。ただ、卵子の苦しみが耐えられなかったのです。いや、それをしたのはもしかしたら、自分ではなかったのかもしれません。神の御心の一撃が、自分の心を打って、それをやらせたのかもしれません。

やがて、水晶水の卵子は、いつの間にか動き始めていた風の中に、ふわりと浮かぶと、くるくると回りながらタティエルの方に飛んできました。すると卵子は、天使タティエルの前で、四歳ほどの小さな女の子の姿に変わり、とてもかわいらしく、丁寧にお辞儀したのです。そして女の子は、タティエルに言ったのでした。

「すみませんでした。神にとても無礼なことを言いました。心から神にお詫びします。助けて下さってありがとう」

タティエルは微笑み、やさしく女の子の頬をなでると、人間にもわかる言葉でやさしく言ったのです。
「あなたを愛していますよ」

すると女の子は頬を染め、もじもじとしながら微笑んだかと思うと、卵子の容に戻り、深紅の翼の天使の元へ飛んで帰っていったのです。

深紅の翼の天使は言いました。今日ここで行われた実験で起こった一つの現象は、未来を占う大切な道標となるでしょう。わたしたちはここから、大きな神の導きを授かることでしょう。

深紅の翼の天使は、あと二つ三つの実験を行いました。卵子は、ハチドリの羽の光をいただいて、細やかな愛を編むことができるようになりました。また、イワシの群れのまなざしから抽出した、かすかな金剛石の光をいただいて、愛を硬く信じる真を教えられました。あとは、神でなければできないことなので、実験をこれ以上進めることはできません。けれども、一部でも神の創造の美しさを見ることができて、本当によい体験と学びを得ることができたと、皆は本当に喜んで、心地よい幸せを共有したのでした。

深紅の翼の天使が、実験の終わりを告げる歌を琴で弾くと、水晶水でできた卵子の模型は、ゆっくりと風の中に消えていきました。薔薇の蜜や百合の微笑みや蝶々のため息やイワシのまなざしなどは、色とりどりの金平糖のようなきれいな結晶になって、卵子が消えた後に残っていました。それは神が人に与えた豊かな愛の印でありました。ただ、タティエルが投げた赤い炎の結晶だけが、どこにも見えませんでした。きっと神がお受け取りになったのだろうとか、何か不思議なことがこれから始まるしるしなのだろうとか、これは女性たちに新しいことが起こるしるしなのではないかとか、天使たちはしばしいろいろと話し合いました。

天使たちは深紅の翼の天使に深くお礼と挨拶をして、それぞれに講堂を出て行きました。そして白い天魚は、まるで口の中に守っていた自分の子どもを吐くように、たくさんの天使たちを次々と外に吐いてゆきました。

タティエルも、天魚の口をくぐると、外に出て空を見ました。卵子に与えるためにもぎとってしまった自分の胸の炎は、もう元の形に戻っていました。ただ、もぎ取ったあとの傷跡は残っており、それがまだ小さく痛みました。タティエルはその傷跡をみると、それがまるで、まだ意味のわからぬ不思議な魔法の記号のように思え、そのためにか、かすかな悲哀の風を頬に感じるのでした。

タティエルは振り向いて天魚に、「ふう」といって挨拶すると、翼を広げて、空に飛び上がりました。持っていた金の本は、いつしか黄水晶の大きな玉になっていました。タティエルはその黄水晶の玉を、卵を吸うように口から吸い込み、飲みくだしました。新しい知識と経験が、自らの内部の光に溶けていき、タティエルは自分の内部に豊かな愛が満ちていくのを深く感じました。

そしてタティエルは、口から銀の粉を吐きながら清らかな歌を歌い、しばし風と星の流れに身をまかせて空を飛んでゆきました。そして胸の傷から生まれてくるかすかな悲哀と喜びを、美しくからみ合わせて、愛の歌を作ると、それを人間たちに与えるために、星空に入り口を作り、地球へと向かったのでした。

(おわり)



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ミモザ

2012-08-17 07:34:33 | 薔薇のオルゴール

クランペルパピータは、小さな娼婦でした。十二歳のときに、父親を亡くして、母親に、この山の懐にある小さな町の、小さな娼館「すみれ屋」に売られてきたのです。

娼婦というのは、それはご存じの方はたくさんいるでしょう。男の人に、愛を売る商売をする、女性のことです。本当は、やってはいけない仕事です。女の子が一番つらく苦しむ仕事なのです。クランペルパピータが、この「すみれ屋」に売られてきたとき、母に捨てられて泣きじゃくる彼女に、この娼館の主であるマダム・ヴィオラは、厳しいともやさしいとも聞こえる声で、言ったものでした。

「ここはねえ、女の子の地獄だよ。一番つらい仕事をしなくちゃいけないところだよ。かわいそうにねえ。親に売られて、こんなとこにくる娘なんぞ、そう珍しくない。辛かろう、クランペルパピータ。面倒だからパピと呼ぶけれど。パピ、地獄は地獄でも、わたしゃねえ、少々ましな地獄にはしようと思ってるから。おまえたちにやってあげられることは、やってあげるよ」

それから三日後、クランペルパピータ、いえパピは、きれいな服を着せられて、化粧をされて、初めての客を取らされました。その人は、町の役場で課長をしていると言う、五十代くらいのおじさんでした。パピにとっては、亡くなったお父さんよりも年をとった人でした。

初めての仕事を終えて、客が金を払って帰っていくと、パピはあまりの辛さと痛さに、大声をあげて激しく泣いてしまいました。苦しくて、恥ずかしくて、悔しくて、全身がばらばらに壊れそうなほど、体も心も、痛かったのです。マダム・ヴィオラは、泣き叫ぶパピを、そのまま放っておいても、叱りつけてもよかったのですが、どうにも哀れと思う気持ちを捨てられず、ぶっきらぼうではありますが、気持ちのこもった声で言ったのでした。「おいで、パピ。お風呂で体を洗おう」

そうして、パピは泣きながらも、マダム・ヴィオラに手を引かれ、お風呂場に向かったのでした。お風呂場で、マダム・ヴィオラはパピの血が出ている一番痛いところを、やさしく丁寧に洗ってやりました。そして、しゃくりあげながらも、少し心の和んできたパピに、マダム・ヴィオラは言うのでした。

「いいかい、女の子の大切なここをねえ、ヴァギナというんだよ。知ってたかい?」するとパピは、涙をふきつつ、かぶりをふりました。でも、ヴァギナというのは、なんだかすてきな名前だと思って、ふとパピは、小さな声で言いました。

「ヴァギナっていうの?ここ。かわいい。まるで子猫の名前みたい」するとマダム・ヴィオラはシャワーでパピを洗いながら、おかしげに笑って言うのです。
「そうさねえ、意味さえ知らなきゃ、本当にかわいい名前だ。猫や犬にでも、つけてしまいたくなるねえ」

そうしてマダム・ヴィオラは、パピにヴァギナの手入れの仕方を教えました。ヴァギナの形や、洗い方、消毒の仕方、痛いところにつける薬の種類や塗り方、化粧用の香水の使い方など。

「ひととおりは教えたから、今度からは自分でやるんだよ」とマダム・ヴィオラは言いました。するとパピは、小さくうなずきました。

そしてパピのところには、毎夜のように、男の客がやってきました。パピはとても若かったし、名前も顔もかわいかったので、たくさんの男の人に気に入られたようなのです。パピは毎晩、違う男の人を愛しました。仕事のあと、自分のヴァギナの手入れは、教えられたとおり、丁寧に自分でやりました。いつも清潔にしておかないと、お客さんもいやがるからです。

マダム・ヴィオラは厳しかったけれど、そんなパピを見て、時に、目を閉じて涙をこらえるような顔をすることがありました。そして、「ああ、哀れと思っちゃやれない仕事なのに、たまらないねえ」と言って、長いため息を吐くのでした。

娼館「すみれ屋」には、パピのほかにも、女の子がたくさんいて、毎晩客をとっていました。マダム・ヴィオラのところには、なぜか不思議にきれいな娘が集まってくるのです。客もそれをよく知っていて、「すみれ屋」はなかなか繁盛していました。中でも一番きれいなのは、ミラという名の、黒い髪をした娘で、白い肌と青い目がそれはきれいで、お客さんにも一番人気がありました。

ミラは、初めてパピに出会ったとき、言いました。
「ここは辛いところよ。あんたみたいなおちびちゃんに耐えられるかしら」「おちびじゃないわ。十二だもの」「おちびじゃないの。あんた、パピって言うのね。白っぽいブロンドがかわいいわ。大きくなると美人になるわよ。ほんとの名前はなんていったっけ?」「クランペルパピータ」「そうそう、そのややこしい名前。響きはすてきだけど、舌を噛みそうだわ」「パピでいいわ。あなたはなんて呼んだらいいの?」

するとミラはたばこの煙を吐きながら、苦い思い出の幻を青い瞳の中に流し、少しの間無言でパピを見つめ、言ったのでした。
「ここではミラという名で通ってるけど、親がつけた本当の名前は、マリソルというのよ」
「マリソル?すてきな名前ね、パピみたいに縮めていい?マリとか、ソルとか」
「そうねえ、どちらもいいけれど、やはりミラって呼んでちょうだい。今はそれが名前だから。わたしはミラ。あんたはパピね」

そういうとミラは、煙草を灰皿に押し付けて火を消し、窓辺に手をついて夜空を見上げ、しばし鼻歌を歌っていました。パピもミラの横に来て、同じように窓から夜空を見上げました。ミラは言いました。
「知ってる?空に見える星にはね、みんな名前か、番号や記号がついてるのよ。お客さんに教えてもらったんだけど、ミラというのは、くじら座の星で、光が大きくなったり小さくなったりする不思議な星なんですって」「ふうん。ミラは星の名前なのね、ミラ」「そうよ。わたしは星なの。すてきでしょ」「すてきだわ。ミラは夜空のどこにいるの?」「わからない。でもきっと、この空のどこかにあるんだわ。そしてわたしを見てくれてる。ずっとね。そしてきっと、時がきたら、わたしはミラに帰るんだわ」「ミラ?帰ってしまうの?」
パピはミラに問いました。でもミラは何も答えず、ただ静かに空を見あげながら、かすかな吐息のような声で、讃美歌のような歌を一節歌ったのです。

そして二年が経ちました。パピは十四歳になり、だんだんと仕事にも慣れてきて、馴染みの客というのもできてきました。パピはまだ少女でありましたので、それが哀れを誘うのか、だいたいのお客は、あまりパピに乱暴なことはしませんでした。けれども時々、怖い客がきて、パピはひどく馬鹿にされて、とても恥ずかしく、辛いことをやれと言われることがありました。パピは、日ごろマダム・ヴィオラに、とにかく何を言われても我慢をして、客の言うとおりにするのよと言われていたので、一生懸命にやりました。でも客はパピが必死になればなるほど、汚い言葉でパピをいじめるのでした。パピは恥ずかしさにも痛さにも心に刺さる客の言葉にも耐えながら、仕事をしました。涙がほろほろ流れました。そしてやっと仕事が終わると、客はパピには何も言わずに、さっさと金を払って帰っていきました。パピは、ベッドの横で、捨てられたぼろぼろの人形のように、しばし倒れていました。悲しいとか辛いとか、感情はかすかに動きましたが、心はまるで凍った石のように床の上に転がっていました。パピは、自分が、丸ごと、ごみのようなものになったような気がしました。ガラスのような砕けた心を胸に抱いて、パピは一瞬、もう自分は死んでしまったとさえ、思ったのです。

やがてパピは、操り人形のように無意識のうちに立ち上がり、シャワーでいつもより丁寧にヴァギナを洗い、良い匂いのする薬を塗り込みました。

「辛いと思っちゃ生きていけないよ」マダム・ヴィオラの声が頭をよぎり、パピは喉からこみあげる声を飲みこんで、黙って涙を流して泣きました。辛くない。辛くないんだ、こんなこと。でもそう思おうとすればするほど、辛くて、悲しくて、涙があふれて止まらないのでした。パピは自分の体の手入れをし終わると、タオルで体をふきつつ、鏡に映る自分の裸をみました。象牙を彫ったような白い少女の裸体がそこにありました。パピの乳房のふくらみは痛々しいほどまだ小さくて、薄紅の花がそのてっぺんに咲いていました。
パピは突然思いました。「ミラみたいに、星の名前がほしい!」

パピは急いで服を着ると、風のように部屋を出て、奥の事務室で帳簿を読んでいるマダム・ヴィオラのところに行き、自分もミラのように、星の名前が欲しいと言いました。

「星の名前?なんでだい?」マダム・ヴィオラは、面倒くさいと思いながらも、そっけなく追い返したりはせず、帳簿から目を上げて、パピを見ました。
「ミラに聞いたの。ミラは星の名前だって。そしていつか、ミラはミラに帰るんだって。わたしもいつか、自分が帰れる星がほしい」
「パピじゃいやなのかい?かわいいって、お客さんには気に入られてるんだけどねえ」
「星の名前がいいの。ミラみたいな、きれいな星の名前がほしいの」
「やれ、わけがわからん。でもわかったよ。ミラのお客さんに、大学で星の研究をしている先生がいるから。きっとその人が、ミラに教えたんだろう。その人が今度来た時、聞いといてあげよう」
「ほんと?きっとね!ありがとう、マダム・ヴィオラ!」
パピは大喜びで、子どものようにはねて、マダム・ヴィオラの頬にキスをしました。マダム・ヴィオラは、びっくりしたように目を丸めて、ふう、と息をつきました。

それから数日後のこと。昼時にパピが皆と一緒に大部屋で軽い昼食をとっていたとき、マダム・ヴィオラがパピのところにきて、言いました。
「例の先生に聞いといてあげたよ。南十字の星に、ミモザというかわいい名の星があるそうだ。どうだね」
「ミモザ?」パピはマダム・ヴィオラの顔を見あげながら、きょとんと返しました。マダム・ヴィオラは続けました。「どう、きれいだと思うがね」「ミモザ…、ミモザ…」パピがつぶやきながら考えていると、隣に座っていたミラが少し笑いながら言いました。「ミモザって、花の名前にもあるわよ」
「…あ、そうだ、わたしも見たことがある。黄色くって丸いとてもきれいな花」「星も花も、どっちもきれいじゃない」「うん、きれいね」
パピが言うと、マダム・ヴィオラがパピに言いました。
「気に入ったかい。じゃあ、パピは今日からミモザだね?」「うん、ミモザ、ミモザにするわ!」パピは大喜びで言いました。

その夜、パピ改めミモザのところに、馴染みのお客さんがひとりやってきました。それは、ミモザの死んだお父さんくらいの年の男の人で、車の修理工場の社長さんでした。名前が変わったことをお客さんに告げると、お客さんは興味もなさそうに言いました。「へえ、星の名前ねえ」「うん、そうなの、きれいな名前でしょう」「パピのほうがかわいかったがな」「うん、でも今日からはミモザって呼んでね」「まあいいがね」

ミモザが仕事を終えて、自分のヴァギナを洗い終わり、体を拭きながらふと鏡を見ると、ミモザは自分の裸身が、いつもより白く光っているように見えました。きっと自分が星の名前になったからだと、ミモザは思いました。ああ、これで、どんなにつらくても、いいんだ。帰ってゆける星ができたのだもの。お空にある、遠いわたしの故郷…。どんなにつらくても、お空には、わたしの星の、天国があるんだ…。

美しい黒髪のミラが死んだのは、それから一カ月後のことでした。

お客さんにもらった睡眠薬を、たくさん飲んだのです。ベッドの横の小机に、小さな紙切れに書いた遺書が置いてあり、ただ一言、「ごめんなさい」とだけ書いてありました。マダム・ヴィオラは、亡骸の前で声もなく泣いていました。ミラにはもう、家族も故郷もなかったので、マダム・ヴィオラが、ミラの小さなお葬式をやってくれました。親切な牧師さんが来てくれて、ミラのために祈ってくれました。ミモザも黒い服を着て、棺の中のミラに小さな薔薇の花をあげました。

「ミラに帰ったのね、ミラ」ミモザはそっとミラにささやきました。

お葬式があった日の夜、早々に、ミモザのところに客がやってきました。その夜の客は、ミラの馴染みのお客でした。いつもミラばかりを指名していたのだけど、ミラが死んだので、代わりにミモザのところにきたのです。

ミモザは悲しむ暇もなく、お客のお世話をしました。お客さんは、ミラが死んだと聞いても、別に驚いた様子も悲しむ様子もないようでした。ミモザは、ミラが生きていたとき、言っていたことを思い出しました。

「この仕事はね、『男』っていう赤ん坊の、命令を全部聞けって仕事なのよ。女は男のためにどんな辛いことでも何でもやって、男の方がずっと偉いんだってことに、してあげるの。そして結局、女は、全てを与えて、何にもなくなって、どこかに消えていくの…」

そうね、ミラ。ミモザはまだちびだから、よくわからないけど、お客さんはみんな、えらそうにしてても、ほんとはママみたいにミモザに甘えて、なんでもやってもらいたいみたい。とミモザは心の中でミラに言いました。

お客が用をすまし、金を払って帰っていくと、ミモザはお風呂場に行き、自分のヴァギナを宝物のように丁寧に洗いました。そしてきれいに手入れをすると、清潔な下着をつけ、マダム・ヴィオラがくれた、安物で、少し派手ではあるけれど、薔薇の花模様のきれいな寝巻を着ました。そして窓を開けて夜空を見ながら、言いました。

「ミラ、今頃はどこにいるの?」

黒い空にはうっすらと銀河が横切っているのが見えました。ミラの星がどこなのか、ミモザにはわかりませんでした。そうして、夜空に目を吸い込まれているうちに、いつしか、心の奥にため込んでいた涙が、たっぷりとミモザの頬を濡らしていました。

南十字座にあるミモザの星は、ここからは見ることができないと言うことをミモザが知ったのは、もう少し後のことでした。

(おわり)



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天使ホミエルの話

2012-08-14 08:29:43 | 薔薇のオルゴール

白い綿をどこまでも果てもなく敷き詰めたような雲の原には、ところどころ星を隠しているかのように、かすかに光っているところがありました。清らかに澄んだ白い雲はほんの少し青みを帯びていて、時々、その奥からパシャリ、という不思議な水の音が、聞こえるときがあります。それは、雲の原の少し下にある透きとおったカンラン石の水の層の中で、小さな星を宿した透明な岩魚が跳ねる音だそうです。

天使ホミエルは、雲の原の上に立ち、空を見あげながら、時を待っていました。空には双子のような金色の銀河が二つ、並んで浮かんでいました。ホミエルは星の位置を目で確かめながら、風が刻むかすかな時の音に耳をすまし、空にある星の一つが、突然、きん、と鳴る音を捕まえました。それと同時に、ホミエルは手に持っていた小さな銀の種を、雲の原に落としました。

とたんに、雲の原の上に、ひょこりと白い百合の花が顔を出しました。ホミエルはそれを確かめると、いそいで百合のそばから飛びのきました。白い百合は一息の風に揺れると、どんどん丈を伸ばし、枝別れして、その枝はどんどん太く長くなり、二本が綱のように抱き合い互いに巻きつきながら、空に向かって太く大きく伸びてゆきました。やがてそこに、大きな白い百合のつるでできた、塔のように高い緑の木が現れました。天高く伸びた百合のつる木には、所々に伸びた薄緑色の枝に白い百合の花が咲き乱れ、その香りが辺りの空気を涼しく清めて、つややかな緑の葉はうれしそうに風にゆれて喜びをまきました。百合は何かの予感を感じて、きれいな銀の露をひとつほとりとホミエルの額に落としました。

ホミエルは百合のつるの大木を見あげて、満足の微笑みをすると、今度は歌の魔法をしました。澄んだ美しい声で一節の歌を歌うと、百合のつるにはいつかしら、糸のように細い銀の針金をレースのように編んでできた、銀の細い螺旋階段が巻きついていたのです。螺旋階段の欄干には、星や月や花の模様が、銀の針金でそれは細やかに美しく編みあげてありました。
ホミエルはうれしそうに笑うと、螺旋階段の前に立ち、神に丁寧にお辞儀をしてから、その螺旋階段を上ってゆきました。

翼をもつ天使も、神の空にまで上るには、途中まで百合の階段を上らねばなりませんでした。ホミエルは銀の螺旋階段をどんどん上り、とうとう、銀の階段のてっぺんまで来ました。双子のような銀河から、うすい箔を落とすような金の光が、ホミエルの頭に落ちていました。ホミエルは銀河の神に丁寧にお辞儀をし、感謝をすると、ほう、と一声言って、百合の階段の少し上に、透明な入り口をこしらえました。そこでようやくホミエルは、背中から菫色の翼を出して広げ、その入り口から、神の空に向かって、飛び出していったのです。

神の空に出ると、そこには不思議な青い太陽があって、空間はまるで青いラピスラズリの粉を詰められているかのように青く光り、どこまでも果てしなく広がっておりました。太陽風が高い次元で、天使の耳を壊さないように静かにも豊かな交響曲を歌っていました。かすかに聞こえるその音に耳を澄ますと、ホミエルの胸に歓喜が花園のように咲き乱れ、楽しくてたまらなくなり、笑い出さずにいられませんでした。そういうことで、ホミエルはまるで子どもが野で花を探しながら走り回るように笑いながら、青い神の空を飛んで行きました。

やがてホミエルは目当ての小さな星を見つけました。それは青い太陽の周りを回る、胡桃のような形をした小さな灰色の星でした。普通の岩の星のように見えますが、よく見れば所々に、透きとおったアイオライトの結晶が、ジャガイモの芽のように小さく生えていました。星はヴェールのような半透明な大気に包まれて、神の歌の歓喜に酔い、くるくる回りつつも、自分の軌道を一ミリたりと間違えずにゆっくりと飛んでいました。ホミエルは小さなその星に近づくと、何事かを星にささやきました。すると星はくるくる回るのをやめ、少し考えるようにころりと横に傾いたあと、ホミエルの言葉にやさしくうなずきました。ホミエルはほっとして、神と星に深く感謝をすると、その灰色の星を脇に抱え、再び入り口を通って百合の階段を下り、元の雲の原へ帰ってきたのです。

さて、ホミエルの仕事はまだこれからでした。ホミエルは雲の原に戻ると、百合の木と銀の階段はそのままにしておいて、星を抱えながらもう一つの入り口をこしらえ、その入り口をくぐって飛んで行きました。するとそこには、暗い宇宙空間がありました。遠くに白く小さく太陽が見え、近くには、虎目石と蛋白石と赤や青の瑪瑙を混ぜ合わせて丸く磨いたような木星が、大きく見えました。ホミエルは、菫色の翼をはためかせ、一ふしの歌を口笛で歌いました。するとすぐに、目当ての星は見つかりました。それは、木星の軌道上を回る、人間はまだ誰も知らない、小さな氷の衛星でした。氷の衛星は、木星軌道上を回りながら、まるで胸が破れそうな悲しそうな声で、歌を歌っていました。ホミエルはそれを見て、眉を寄せ、思わず息を飲み、悲哀を癒す呪文を星に投げてやりました。星があまりにも苦しそうに、今にも割れそうな声で、痛い、痛い、痛い、と叫んでいたからです。

ホミエルは、悲哀する氷の星に近づくと、そっと星に何かをささやきました。そして、新しく連れてきた灰色の星と、その星を、さっと取り替えました。灰色の星は、木星の軌道に乗ったとたん、歌を歌い始め、くるくる回り始めました。悲哀の星は、ホミエルの手の中で、赤子のように震え、泣いていました。ホミエルは星を抱いてやさしく慰めました。

この小さな氷の星は、地球上に、醜い戦争が起こらないようにと、ずっと長い間魔法の歌を歌ってきたのです。それは、星々が地球にささげる愛の歌の合唱の中の一つの大切な旋律でした。星は、星が歌う歌に人間が気づかなくても、ずっと歌ってきたのです。時には、その歌が人間の心に届いて、戦争がなくなったこともありました。けれども、ほとんどの人間は星の歌に耳を貸さず、人間は決して戦争をやめませんでした。長い長い時を経て、辛抱に辛抱を重ねて歌い続けてきたこの星は、ある日とうとう絶望して、泣いてしまったのです。

このままでは、星の悲哀が、地球に悪影響を及ぼすと考えたホミエルは、神に問い、新しい星と取り替えてはどうかとお尋ねしてみたところ、神はそれをせよとホミエルにおっしゃり、かわりとなる新しい星の居場所を教えて下さったのでした。

新しい星は木星の軌道上を、ぎくしゃくとしながら回っていました。まだ木星の引力に慣れていないからでしょう。一度など、軌道上を転げ落ちてしまいそうになり、あわててホミエルが元に押し戻しました。ホミエルは、太陽と木星の神に拝礼すると、今度は手の中に金の種を出し、それに呪文を吹きこみました。すると金の種は、吹き口は一つで、音の出口は三つある、金色の細長いラッパになりました。ラッパの出口は、百合の花の形をしておりましたので、そのラッパはまるで、三本の金の百合を束ねたようでもあったのです。

ホミエルは悲哀の星を左わきに抱きながら、右手に持った三本の百合のラッパを吹き、高らかに音楽を奏でました。それはまだ少しゆらいでいた新しい星の軌道の動きを修正し、正確な位置に戻し、新しい使命と歌と踊りを、星に深く教えたのです。

「よし」という御心のことばが、木星の神からかすかに聞こえてきました。ホミエルは深く木星の神に頭を下げると、新しい星の未来を祝福し、傷ついた悲哀の星を赤子のように抱いて、また、透明な入り口を通って、元の雲の原に戻ってきました。

「ほう」とホミエルは言って、傷ついた氷の星を、弱った魚を川に戻すように宙に放ち、しばらくの間、雲の原の上の空間で毬のように静かに回らせ、もう一度百合のラッパに口をつけて、今度はいかにも優しく、魂の深いところに届く透明な音で、心地よい子守唄のような曲を吹きました。星の長い長い間の苦労と悲哀に、感謝し、慰める歌でした。星はしばらくは悲哀に硬く心を閉ざしているかのようでしたが、次第に音楽が心に響いて、やがてほんの少し喜んで、一度だけ、くるりと回り、かすかな祝福の歌を歌ったのです。
ホミエルはラッパを口から離して、微笑むと、小さな星をもう一度抱き、百合の木の階段を上り始めました。そして神の空に出て、星を放つと、見えない神の手が風となって星をすぐにどこかに連れていってしまいました。

このようにして、新しい星が、木星の周りを回り始めたので、地球の運命はこれから、少しずつ変わっていくことになるそうです。戦争をすることが、だんだんと、難しくなってくるそうです。本当かなあ。本当だと、いいですね。

(おわり)



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天使クリエルの話

2012-08-06 07:39:25 | 薔薇のオルゴール

黒曜石の空に散らばる星々は、見えない水晶の木の枝に無数に実る、光る木の実のようでした。時折薄絹のようなオーロラが空を翻り、木の実のような星を鈴のように震わせて、空いっぱいに清らかな音をかき鳴らしてゆきました。

山も谷もない、どこまでも平らかに広がる雲の原の上で、天使クリエルは、ほぃ、というと、雲の原の上に樹冠豊かな桂の大木をあっという間に立たせ、少し呪文を歌って、桂の幹を加工し、幹の中ごろあたりに小さなオルガンの鍵盤をこしらえました。春の薄氷と夏の青い露草の花びらで作った、細長い板が帯のように行儀よく並んだ鍵盤の上には、清らかな香りを放つ桂の小枝が、何かを待ちわびるかのように震えて垂れ下がっていました。

耳をすまし、心を神の水に浸すと、銀河の神の歌が、かすかにクリエルの胸に火を灯し、歓喜に揺れ動きました。クリエルは、ほお、と幸福の息をもらしました。クリエルはオルガンの前に座って、その神の短い歌から得た歓喜から、よきことの美しさを歌うそれは美しい歌を一つこしらえました。それがまことにすばらしかったので、遠くで聞いていた友人が、風に乗せて、喜びと賛美の言葉をクリエルのところへ送ってきました。クリエルもそれがうれしかったので、友人にお礼の言葉を送ると、息を吹いて口から小さな透きとおった水晶の玉を吐き、それを手のひらの上に転がし、先ほど作った曲をその中に流し込みました。玉は、指でちょいちょいと刺激して、息を吹きかけると、先ほどクリエルが奏でたオルガンの曲を、一音たりとも間違えずに美しく歌いあげました。

そうやって、オルガンを弾きながら、いくつかの水晶玉をこしらえた頃、クリエルの耳に、かすかな祈りの声が聞こえてきました。クリエルは、おぉ、と言って立ち上がりました。空に目を細めると、幻の中に人間の世界が見え、たくさんの人間たちが一生懸命、祭りの準備をしているのが見えました。みな、たいそう真剣な顔をして、壁に花を飾ったり、祭壇に供物を並べたり、子どもたちが歌や踊りの練習をしたりしていました。

「ふぃを」クリエルは言いながら、金色の髪を揺らし、雲の原を二、三歩歩くと、普段は隠しておく薄緑色の大きな翼を背に広げました。そして目に力を入れて、全身を光らせると、雲の上をふわりと飛び立ち、目の前に透明な入り口をこしらえて、それをすりぬけ、大きな翼をはためかせながら、青い地球世界へと向かったのです。

入り口を抜けると、すぐに青金石の玉のような地球が見えました。クリエルは、その地球の、小さく光るある一点を目指して降りていきました。クリエルの耳には、そこから、花の歌のようなきれいな心の歌がひとすじ、聞こえてきました。クリエルは地上近くまで飛び降りてくると、ゆっくりと翼をすぼめ、静かに地上に降り立ちました。そして空の明るい太陽に胸に手をあてて深くお辞儀をすると、祈りの歌に耳を澄ませながら、小さな人間の町の中を静かに足で歩いていきました。クリエルが向かったのは、この町の隅にある、ケンパスと呼ばれる、丸い形をしたドームを梅の花の形に並べた、神殿のようなところでした。神殿の庭には花が植えられ、池には金色の鯉が泳いでいました。庭の隅にはこんもりと緑の濃い木が、小さな森のように何本か静かに立っていました。

ケンパスの中には、広間のような大きな部屋があり、そこでは、祭りの準備もほぼ整い、たくさんの大人たちや子どもたちが、行儀よく並んで座って、祭壇の最終点検をしている人の仕事が終わるのを、今か今かと待っていました。クリエルはその様子を、屋根の上から目を細めて透き見ました。クリエルは神の代わりに、これらの人々の祈りを聞き、願いを聞き、祝福や、導きをせねばなりませんでした。

地上に降り立つと、クリエルの体は、ケンパスよりもずっと高かったのですが、クリエルは呪文の魔法をして、だんだんと自分を小さくし、そっとケンパスの中に入っていきました。ケンパスの中に入ると、そこには赤いつる薔薇もようの壁紙を天上にも壁にも一面に貼った美しい部屋があり、その壁の所々には、とても古い時代の形をそのまま残した、四角や丸や扇形の形をした妙にそっけない形のスイッチや、見ようによっては人間の笑い顔に見えるおかしな計器などが数々ありました。そこからもう一つ奥の棟に入っていくと、その部屋の真ん中ほどに、大きなくぼみがあり、その中にはとても大きな鋼鉄製のだるまのような容器が入っていて、その容器には、白いすみれの花の模様が一面に描いてありました。ところどころ、不思議な文字を並べて、呪文のような言葉を描いた黄色いリボンが、すみれの花の中に隠れた蛇のように描かれていました。クリエルは、ふぅ、と少し悲しげにもやさしい声をあげて、その天上の高い部屋を見まわしました。目を細め、人々のために悲しみ、神に祈り、そのすみれ模様の容器に静かな魔法をかけました。

さっき見た広間は、このだるま型の容器のある部屋がある棟の隣の棟にあり、そこではもう、ほとんど祭りの用意は整っているようでした。どうやら祭りの司祭役を務める人間は、クリエルがケンパスに来たことが、なんとなくわかるようでした。何ゆえにかというと、クリエルがその人を見るや否や、司祭はびっくりしたような顔をして、クリエルの方を振り向いたからです。もちろん、司祭には天使の姿が見えはしませんでしたが、しかし、いつもとは違うとてもきれいな匂いがケンパスの中に流れているのには、気付きました。司祭は、祭壇の前に並ぶ人々の先頭に座り、深々とお辞儀した後、後ろを向いて他の人に合図をしました。

司祭は、他のものを導いて、みんなでいっしょに、いかにも人間らしい、まだ堅い桜の実のようだが、愛らしく美しい神への祈りの歌を歌いました。歌は、神への感謝と、愛への賛美と、正しきこと、美しきことへの畏敬が、まことに良い言葉で語られていました。クリエルはしばしその歌に耳を浸し、人々の心の、素直に愛らしいことや、まじめに勉強していることを、心より喜び、愛を微笑みで表し、神の代わりに、あなたがたを祝福する、と深い魔法の言葉で言いました。

祈りの儀式が終わった後、子どもたちが、鈴をつけたかわいらしい衣裳を着て、踊りを踊りました。子どもたちは白い鳥の真似をした服を着て、鈴を鳴らしながら輪になって踊りました。子どもたちは何回も練習したと見え、品の良い所作で、とても上手に踊りました。白い鳥は、清くも正しい心を現すもので、それが喜び踊っているのは、世界が本当に美しくよいものになったということを、意味するのでした。大人たちは歌ったり、手拍子を打ちながら、それを嬉しそうに見ていました。クリエルも嬉しそうに笑ってそれを見ていました。

歌や踊りが終わると、人々は祭りの終わりの儀式をして、祭壇に向かって深くお辞儀をしました。そうして人々は、神への祀りものの、お菓子やお酒や魚や野菜や花などを分けあい、みなうれしそうに帰ってゆきました。残った司祭と数人の大人たちが、天なる神様に深くお辞儀とお礼をしてから、祭壇を折りたたみ、箱にしまいました。そして部屋をきれいに掃き清めると、司祭はもう一度、深く天に向かってお辞儀し、つつがなく祭りが終わったことに、再び神へのお礼をするのでした。

「はるかなる時をゆく我々の道を照らす日であり、ともに歩んでくださる風であり、苦しむ時は抱きしめて下さる月である、全ての神の愛に感謝いたします。我々は昔、間違っていました。でも今はそれを改めています。どうかお導きをくださいますように」

司祭の祈りに、天使クリエルは、その心を喜び、神に必ず伝えよう、そして、この神殿を我々はいつまでも守り続けよう、と答えました。その声は決して人間の耳の鼓膜を震わせることはありませんでしたが、魂の奥深いところには響き、司祭はなぜか胸が熱くなって、目に涙がにじむのでした。

祭りの後始末がすっかり終わると、司祭は何人かの大人と一緒に隣の棟に移り、だるま型の大きな鋼鉄の入れ物のある部屋を通り、つる薔薇模様の壁紙の部屋に入りました。そして、壁紙の花のつるに触ったり、刺に触ったり、壁のところどころにある計器をのぞき込んだりしました。そしてその部屋の隅に飾ってある青い鉢に植えられた小さな金の薔薇の形をした小さな装置に近寄り、その花の芯を、ミツバチのようにそっと指で触りました。すると薔薇が顔を揺らし、美しい声で答えました。

「すべては順調です。すべては、神のお気持ちの通り、正しく行われています」

それを聞くと、司祭はほっとして、ひとつ安心したため息をつきました。
「何事も、大切なのは、まことです。まことをつくしてやることです」司祭が言うと、周りの大人たちが、明るい笑いをして、言いました。「ええ、そのとおり」「ほんとうに、どんなにくるしくとも、わたしたちは、正しい道を生きているのですから、幸せですわ」人々は語り合いました。目に涙を灯す人も、いました。

クリエルは全てを見ていました。そうして、人々の仲良いことと、正しいことを正しくやっている心を喜び、ひとつの水晶玉を、ケンパスの一室の床の下に投げ込みました。それはさっき自ら作ったばかりの、オルガンの曲でした。クリエルは、水晶玉を、人間が美しいことを言うと、それをたたえるために、銀河の神の音楽を奏でるようにしておきました。人間たちには、多分夢の中以外ではその音楽を聴くことはできないでしょうが、清らかな風のように魂には静かにしみ込んでゆきました。それを感じるだけで、人間は自分が嬉しくなり、いくらでもよいことがしたくなり、友達を愛してなんでもしてあげたくなり、それが本当に幸せだと、なにもかもに感謝したくなるのでした。

祭りの後片付けもすっかり終わり、当直を務める人以外は帰宅すると、ケンパスは明かりを消され、夜の中に静もりました。どこからか潮騒の音が聞こえます。ああ、そうでした。ここは海の近くにあるのでした。クリエルはケンパスの外に出ると、体を元の大きさに戻し、しばしケンパスの上に静かに座って、海の景色と、地球の夜空に見える星空を楽しみました。そして心を神に浸し、地球上で聞こえる美しい歌を探しました。すると、クリエルの耳には、ケンパスの中で眠っている当直の人間たちの、見ている夢の中から、かすかな琴の音が聞こえたのです。

琴の音は少し物悲しく、切なく、苦しいとも思えましたが、同時にそれは、たとえようもない大きな喜びでもありました。クリエルは微笑み、その歌を捕まえて、新しい水晶玉に吸い込みました。そしてこれをもとに、新しい音楽を作って、人々の所にまた持ってこようと思いました。その音楽を聞くと、また、人間たちの間に、とても良いことが起こるでしょう。

やがてクリエルは、背に隠していた翼を、再びゆっくりとひろげ、空に飛び立ちました。

遠い遠い昔、今はケンパスと呼ばれるこの建物が、ゲンパツという怪物であり、それが暴れて地球を殺してしまわないように、人間がその怪物をダルマの中に封じ込め、何千年の間、人間たちが工夫した封じの技術を使ったり、時代時代に生まれた新しい技術や芸術や魔法を付け足したり、また神やその他の清らかな霊の導きを受けながら、ここで静かに管理してきたことを、クリエルはよく知っていました。

そして人間ももう、知っていました。何もかもを、愛のためにやれることは、真実の幸福であることを。これからもずっと、子々孫々にわたって、この、怪物を封じた神殿を、ただ毎日こつこつと管理していくという仕事を、人間の愛と正しさの証として、伝えて行かねばならないことを。

クリエルは翼をはためかせながら、高空から少し地上を振り返り、愛すべきものたちが眠っている大地に向かって、静かに祝福の歌を落としました。そしてそのあと、北極星を目印に作っておいた透明な扉から、静かに故郷へと帰っていったのでした。

(おわり)



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どんぐりと山猫

2012-06-09 08:13:23 | 薔薇のオルゴール

今日の画像は、オイルパステルで描いてみました。まだ下手ですけど、オイルパステルもなかなかに面白いですね。これからもいろいろと試してみたいです。テーマはもちろん、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」です。

要するに、みんなの中で誰が一番偉いかというどんぐりたちの裁判を、山猫と一郎さんがいっしょにするという話なんですけれども。

   *

 一郎はわらってこたえました。
「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」
 山猫はなるほどというふうにうなずいて、それからいかにも気取って、繻子のきものの
胸(えり)を開いて、黄いろの陣羽織をちょっと出してどんぐりどもに申しわたしました。
「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」
 どんぐりは、しいんとしてしまいました。それはそれはしいんとして、堅まってしまいました。
(『どんぐりと山猫』 宮沢賢治)

   *

一郎さんの聞いたお説教というのは、多分聖書に書いてあるこれに関してのことじゃないかと思うんですが、前にも似たようなのを出したことがありますが。

   *

彼らはカペナウムに来た。家の中に入った時、弟子たちに尋ねられた。
「道中、何を議論していたのか」
彼らは黙っていた。道中、誰が偉いか論じていたからである。イエスは座ると、十二弟子を呼んで、彼らに言われた。
「誰でも人の先に立ちたい者は、みなの後になり、みなに仕える者になりなさい」
イエスは幼子を受け取り、彼らの中に立たせ、また抱きかかえられ、彼らに言われた。
「わたしの名のゆえに、このような幼子の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。また、わたしを受け入れる者は、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わした方を受け入れるのである」
(『マルコによる福音書』9 33-37)

   *

偉いってことは、一体どんなことでしょうね。

人は自分自身であるというだけで、限りない幸福を得られるものだから、特に高い地位を得て偉くならなくたっていいのですけど。もちろん、社会にとって大切な仕事をするために、自分の力を必要とされる役割を与えられる人もいることだろうけれど、まあそれを地位という人もいるんだろうけれども、それは自分を偉くて良いものにするためにやることではない。と、思う。

それがみんなのためになることなら、やるべきことはやるけれど、偉い人になるためにやるのじゃない。なぜやるのかと言ったら、それは、愛がそれをせよというからだ。そういう人は偉い人というより、その人、という強い感じがする。

人間はいろんな目的のために、偉くなりたがるけれど、それは本当は、かなり滑稽なことだ。だって、本当に幸福だったら、地位だとか名誉だとかそんなものは全然要らないから。これ前にも言ったけど。つまりは、そういうものがないと、自分がいなくなるような気がしてさみしい人が、それを欲しがる。偉い人になりたいという人は、本当の自分の幸福を知らない。だから、時には悪いことをしてでも、偉くなりたがる。それが幸せだと信じて。でもそれは、悲しい。だって本当は、そういう人には、なんにもないんだ。どんなすばらしいものを得ても、なんにもないんだ。つまりはそういう人たちにとって、「偉い」ということは、なんにもない自分を立派に見せるためのきらびやかな衣装のようなものなんだ。

「誰でも人の先に立ちたい者は、みなの後になり、みなに仕える者になりなさい」
本当に偉い人は、いつも見えないところで、みんながよいことになるように、一生懸命に働いている。愛だけを理由として、ひそやかにやっている。それがとても幸せなんだ。本当に、幸せなんだ。だから、できる。

本当に偉い人は、全然偉くない人だ。



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Le Petit Prince

2012-06-06 08:01:43 | 薔薇のオルゴール

タイトルはフランス語で気取ってみましたが、ル・プティ・プランスと読みます。直訳すれば「小さな王子」。それを「星の王子さま」というかわいらしい名前の本にしてくれたのは、内藤濯です。
「大切なものは目に見えない」という胸にしみる有名なことばと一緒に、長く読み継がれているこの本、最近は新訳本や絵本なども出ていますですが、わたしは何となく、古い訳の方が好きです。2冊ほど、違う人の訳した本も読んでみましたけれど。

冒頭の切り絵は一応、てんこが描いた王子さまです。小さな薔薇も添えてみました。なんだかこのカテゴリには、薔薇がよく出てくるな。オリヴィエじゃないですよ。ちょっと似てるけど。マフラーと言うか、スカーフみたいなのを首に巻いている、星の王子さまです。

以下は引用。多分読んだことのある人はこのシーンを誰もが覚えていることでしょう。

   *

 王子さまはくたびれていました。腰をおろしました。ぼくはそのそばに腰をおろしました。すると、王子さまは、しばらくだまっていたあとで、また、こういいました。
「星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるからなんだよ……」
 ぼくは、〈そりゃあ、そうだ〉と答えました。それから、なんにもいわずに、でこぼこの砂が、月の光を浴びているのをながめていました。
「砂漠は美しいな……」と、王子さまはつづいていいました。
 まったくそのとおりでした。ぼくは、いつも砂漠がすきでした。砂山の上に腰をおろすと、なんにも見えません。なんにもきこえません。だけれど、なにかが、ひっそりと光っているのです……
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ……」と、王子さまがいいました。
 とつぜん、ぼくは、砂がそんなふうに、ふしぎに光るわけがわかっておどろきました。ほんの子どもだったころ、ぼくは、ある古い家に住んでいたのですが、その家には、なにか宝が埋められているという、いいつたえがありました。もちろん、だれもまだ、その宝を発見したこともありませんし、それをさがそうとした人もないようです。でも、家じゅうが、その宝で、美しい魔法にかかっているようでした。ぼくの家はそのおくに、ひとつの秘密をかくしていたのです……
「そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは、目に見えないのさ」と、ぼくは王子さまにいいました。

(「星の王子さま」アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ作、内藤濯訳)

   *

大切なものは、目に見えない。にんげんはまだ、その大切なものが見えないから、まちがったことをしたり、ほんとうに大切にしなければならないものを、平気で壊したり、汚したりしてしまう。それで、とてもつらいことになってしまう。大切なものがないと、人間は何もかもを失ってしまうのだ。だって大切なものがないと、ほんとうに、何もないんだよ。それがないと、何もかもが嘘になってしまうから。
でもきっといつか、にんげんにも、大切なものがわかるようになる。それをどんなにか大切にしなければいけないかってことも、勉強してわかるようになる。そして、いろんなものを愛して、大切にして、一生懸命、みんなのために働くようになるだろう。ああ、どんなにすてきだろうね。そんなことになったら。みんなが幸せになる。

大切なものは、大切にしなくてはいけないんだよ。それは目に見えるお菓子やお金や素敵な首飾りや服や大きな家だとか車だとかじゃない。今の人間はそんなものがそれは好きだけどね。それはさびしいからなんだ。寒いからなんだ。見えないから、大切なものが、わからないから。

大切なものは目に見えない。けれど、感じることはできる。その幸せと言ったら、魂が割れるほどうれしいのだ。自分として生きること、それだけで満たされすぎるほど、満たされてしまうのだ。

大切なものは、本当に大切なのだ。その大切なものって、なんだろう?
それは、「ほんとうのこと」という名前のかわいい星なのだ。それは自分の胸の中で、不思議な軌道を回りながらくるくる自転している。ときどき小鳥のようにさえずって、魂を揺さぶる時がある。

愛しているよ。いつもいっしょにいるよ。








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流れ星

2012-06-04 06:39:34 | 薔薇のオルゴール

遠い空から野原一面に降りしきる
光る流れ星を追って
ぼくは大慌てで落ちてきた星を拾う
片手に大きな籠を持って

一つ拾って 二つ拾って
あ 三つ目も拾って 急いで籠に入れよう
どんどん どんどん 落ちてくるよ
白いのや 少し青いのや 黄色いのや 緑のや
おや? これなんてすごいや
まるで芯に火をともした林檎のようだ
丸くて赤くて澄んだ甘い香りがする
耳を近付けると 中で何かが動いているよ

籠が星でいっぱいになったから
少し休んで ぼくは野原の隅っこに座って
広い野原に降りしきる流星雨を静かに見ていた
星は 琴をかきならすような音をたてて
つぎつぎと落ちてくるよ 
透き通った音楽はひそひそと風に何かを教えると
銀河の滝の向こうに登って消えて行く

流れ星は早く拾って籠に入れないと
みんな土に溶けて消えてしまうんだ
きっとそんなことも
不思議な星の秘密なんだと思う
いっぱい拾えてよかったなあ
帰ったら オレンジのジャムに少し入れておいて
明日の朝は透き通った星の香りのパンを食べよう

ともだちに分けてあげるものには
紙につつんでリボンをつけないといけないね
ああ なんて幸せなんだろう
きっと喜んでもらえるだろうな

楽しいことを考えるのはうれしいね
ぼくの胸に棲んでいるやわらかい小鳥が
ぼくの小さな心臓を 卵のように温めてくれる
籠の中の星は きのこみたいに
小さくふくらんだりしぼんだりして
かすかな声で こおろぎのような歌を歌う
ああ 秘密を教えてあげたくて たまらない
星はそんなことを 歌ってるみたいだ
秘密ってなんだろうって聞いてみると
星はただ ふふって笑うだけなんだよ

ああ まだ星が降っている
雨のように空から降り続いている
銀色の尾をひいて
どんどん どんどん降ってくる
野原はまるで 光る金平糖のような
不思議な魚が跳ねる 白い湖のようだ


(オリヴィエ・ダンジェリク詩集『空の独り言』より)



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双子の星

2012-06-02 07:29:19 | 薔薇のオルゴール

宮沢賢治の童話「双子の星」から、ポウセ童子とチュンセ童子です。色鉛筆とパステル。まあ、わたしなりのイメージで描いてみました。童子というと、何となく東洋的なイメージがして、黒髪に、きれいな着物のような服を着せてもよかったのだけど、なぜか、頭の中に、薄い黄色の髪をした目の青い少年が現れてきて、描いてみたらこうなりました。
でも、こうして、そっくりな顔を二つ並べてみると、二人が違う人物とは思えませんね。なんだか同じ人間を二つ並べて合成してるみたいだ。

月の世の物語・余編、「繭」で、二つ頭の虎というのを出してみましたが、ちょうどその逆だなあ。あれはひとつの体に頭が二つあって、そのどちらにも人格が備わっていましたが、この双子のお星様は、一人の人格が、ふたりの人間を同時に生きているという感じだ。双子とは不思議だなあ。もちろん現実の双子には、そんなことはありませんけどね。姿かたちはそっくり同じでもそれぞれに違う人格を持っている。

まあとにかく、賢治の美しい言葉から、少し引用しておきましょう。

   *

王が云いました。
「いやいや、そのご謙遜は恐れ入ります。早速竜巻に云いつけて天上にお送りいたしましょう。お帰りになりましたらあなたの王様に海蛇めが宜しく申し上げたと仰っしゃって下さい。」
 ポウセ童子が悦んで申しました。
「それでは王様は私共の王様をご存じでいらっしゃいますか。」
 王は慌てて椅子を下って申しました。
「いいえ、それどころではございません。王様はこの私の唯一人の王でございます。遠い昔から私めの先生でございます。私はあの方の愚かなしもべでございます。いや、まだおわかりになりますまい。けれどもやがておわかりでございましょう。それでは夜の明けないうちに竜巻にお供致させます。これ、これ。支度はいいか」

(『双子の星』宮沢賢治)

   *

双子のお星様のお宮がある空には、大切なことや美しいことを教えて下さる、美しい王様がいるのでしょうな。その方はお空のどこにいらして、どんなことをなさっているのでしょうな。賢治がこの美しい童話を書いてから、何年経ったかはしりませんが、もうそろそろ、いろんな人が、一体だれが王様だったのか、わかっているでしょうね。そんな気がします。

あと、これも好きなので、「星めぐりの歌」も引用しておきましょう。美しい歌です。これ確か、曲がついていると思う。Youtuveで検索すると、出てくると思いますよ。

   *

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あおいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたい
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うえは
そらのめぐりの めあて。

  (『星めぐりの歌』宮沢賢治)

   *

きれいですね。透明な水晶でさえ、自分を濁っていると恥じるほど、透き通った風が吹いていそうだ。美しいことばで、賢治も本当に大切なことは何なのか、本当の幸いとは何なのかを、懸命に言おうとしている。
昔から、賢い人たちは、どんなにかたくさんの苦労をしながら、地上にその真実の言葉を記そうとして生きてきたのです。以下は論語ですが。

   *

子曰く、政をなすに徳をもってす。譬えば北辰のその所にいて、衆星のこれに共かうがごとし。(論語・為政)
先生はおっしゃった。政治というものは、決して変わることのない美しいまことの愛の心によってするものだ。たとえば北極星が動くことなく空にあり、星々がそれを目当てにして動いていくように。

   *

オリオンは高く うたい
つゆとしもとを おとす…






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