日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

百分の一の例外

2016-10-13 23:28:55 | 旅日記
三陸から戻ってきて気付いたのは、活動仲間の一人が開設しているblogで、日本一周のため職を辞したという報告があったことです。三十代の後半で今回同様職を辞し、一年半にわたり日本一周の旅をした人物が、帰還後は再挑戦をほのめかしつつ断念を繰り返し、いつしか具体的な言及をすることもなくなって、このまま霧散することもあり得るかと思われていたところでした。しかし当人の意欲は失われてはいなかったことになります。
自由で気楽な独り身とはいえ、四十も半ばの男が職をなげうち旅に出るのは、それなりの覚悟を要する決断です。blogにも決断に至るまでの葛藤が切々と綴られており、その中にはこちらを引き合いにした話も。日々の暮らしを淡々とやり過ごしつつ、有り金と余暇の全てを旅に注ぎ込む生き方を模索しながら、どうしても真似ができなかったというのが当人の弁です。一読して分かったのは、似たもの同士であっても明確な相違点がいくつかあるということでした。

端的にいうなら、ねぐらを持たない正真正銘の旅鴉を指向する当人に対し、こちらは同じ場所へ戻ってくる渡り鳥のようなものとでも申しましょうか。地位、財産は要らない、旅こそ生き甲斐という価値観については同意するところではありますが、そうはいいながらもこちらは物を捨てられない人間です。これは、旅を続けるうちに雑多な戦利品が積み上がっていくということでもあり、一定の期間内に拠点へ戻らなければ旅が成り立ちません。これはバイクに積める物だけで一切の生活ができてしまう当人とは明確に異なる点といえます。
旅の連続性を重視するか、区切りのよさを重視するかという点も明確な違いといえそうです。自分自身、旅先に車を置いて一時帰京するという奇策を弄して、実質一月を超える旅をしたこともあり、長旅ならではのよさというものは分かっているつもりです。ただし、今年の花見についていえば、桜前線を追って北海道へ渡り、その後新緑と水鏡の季節を迎えた東北を南下して戻ってくるという明確な主題がありました。しかるにそれ以上旅を続けようにも、列島は梅雨に入って旅をするには今一つです。このように、旅には季節の移り変わりに応じた区切りというものがあります。新たな気分で次なる旅へ臨むためにも、旅は適度なまとまりを持っているのがよく、長旅であればあるほど望ましいとは思いません。そもそも、何日か旅していれば当然ながら悪天候の日も出てくるわけで、場合によっては半月、一月にわたって冴えない天候が続くこともあります。ここぞいう時には全力を注ぐ一方、どうにも使い道がないときには割り切って休むというのが自分の方針です。
一方当人の場合、たかが一日、二日の休みでは惰眠をむさぼってしまい、全力で旅に打ち込めないのが、職をなげうってまで旅に出る背景にあるようです。まあ自分自身、何週も休養した後だったり、下手に目的地が近かったりしたときには、つい寝坊して出遅れることは度々あり、当人の心情は理解できますが。

このように細かな違いはあるものの、今回の決断は大筋において理解できます。当人が言う通り、100人中99人があり得ないと思うであろう選択ではありますが、こちらは100分の1の例外というわけです。他の仲間としても、半ば呆れながらも当人らしいと納得しているのが現状ではないでしょうか。何年旅を続けるのかは不明ながら、履歴書に五年もの空白期間がある自分でさえ、今ではどうにか食い扶持を得ています。貯えも自分よりはありそうです。日々の暮らしのことはひとまず忘れて、来たるべき旅立ちに備えてもらいたいものだと思います。
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