日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

再開

2021-10-28 21:01:48 | 旅日記
異郷での暮らしを通じて思ったのは、この方が性に合っているということでした。地方暮らしの不便さを感じることは一切なく、こちらへたまに戻ったときは都会暮らしの煩わしさを感じます。帰京のついでに済ませたいことはいくつかあったにもかかわらず、都会での日々は慌ただしく過ぎました。結論から申しますと、最速で明日活動を再開します。
去る日曜に金沢を出た時点では、その日のうちに長岡へ駒を進めておき、そこから帰京するつもりでした。そうすれば、土曜の朝の列車で発っても、新潟発のフェリーに乗れるという寸法です。それが高岡止まりとなったことにより、事情が大きく変わりました。土曜の朝に出発しても、正午に出る小樽行には間に合いません。深夜に出る苫小牧行に乗ったとしても、着いた頃には日が暮れているため、早朝に着く小樽行に比べると、道内での滞在時間が実質一日削られます。挽回のための方策として浮上したのが、高岡か富山に前泊する案でした。半日の休みをもらってすぐ出れば、頃合いの時間にあちらへ着き、一杯やれるという点でも理想的です。翌朝から北陸道を飛ばしていくしかないものの、道内での滞在時間を延ばすためなら背に腹は代えられません。これが最善の選択と考えている次第です。
首尾よく事が運んだ場合、こちらで一夜を明かすのは今日がひとまず最後となります。荒木町で一献傾けたいのはやまやまながら、それは次回帰京するときまでのお預けです。積もりに積もった野暮用を、少しでも片付けてから旅立ちます。
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二往復目

2021-10-01 20:39:14 | 旅日記
こちらでやろうとしていたことにほとんど手をつけられないまま、十月最初の週末が明日に迫りました。台風一過の快晴を野暮用に費やすわけにはいきません。最低限の荷物だけ積み込み北陸へ戻ります。
北陸を転居先に選んだ理由はいくつか挙げられます。こちらとの間を行き来する経路の多さもその一つでした。その昔、往復の経路の選択肢が最も多彩だったのは北陸ワイド周遊券です。二往復目の往路は北陸新幹線とおおむね同じ経路を辿り、実りの秋を迎えた信濃路を下ります。月曜を含む三日の行程です。
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繰り上げ

2021-09-10 21:24:45 | 旅日記
わざわざ戻ってきた以上、しばらく腰を据えるつもりでいたはずが、繰り上げることになるかもしれません。週末の予報がまたもや好転したのです。
週の初めに一旦帰京した時点では、その日を最後に天候が崩れ、連休前まで曇か雨のはずでした。そのような前提の下で導かれたのが、出発から一月を迎えるところで一旦帰京し、しばらくこちらでやり過ごすという方針です。ところが、北陸に限って予報が好転し、最長で来週の中頃までは晴が続くとされています。しかも、先月から続けられてきたお門違いな「要請」が、限られた範囲とはいえ緩和されそうな見通しとなりました。どちらにいようが五十歩百歩だった状況に、歴然とした差がついてきたということです。
出勤の日数稼ぎという目的をひとまず措けば、戻った方が賢明なのは間違いありません。明日の時点で予報を再度確かめてから決断しますが、「迷ったら買え」の原則からしても、ここは「買う」べきところといえそうです。
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先送り

2021-09-08 21:17:43 | 旅日記
金沢での新生活は思った以上に順調ですが、先送りしてきたことが一つあります。住民票を移すかどうかについてです。
先送りしてきた理由の一つとして、ひとまず様子を見たかったことが挙げられます。居候を長く続けた軟弱者が、異郷での暮らしに適応できるかどうかは、試してみない限り何ともいえませんでした。その結果として行き着いたのは、ともかく一月生活してから考えるという方針です。その一月をいともたやすく乗り切って、最低限の見通しだけは立ったものの、いまだに決断できません。新たに直面しているのは、積極的な理由まで見出し難いという問題です。在宅勤務の拠点を新たに構えたということであり、職を変えたわけでもなければ、元の住まいを引き払ったわけでもなく、依然として生活の基盤の一部はこちらにあります。しかも、流動的な情勢の中、このような芸当をいつまで続けられるかは何ともいえません。わずかな期間で元通りにせざるを得なくなったとすれば、二重の手間が生じます。そのような可能性まで考えると、少なくとも自分にとって明確な利点はないのが実情です。
唯一意義があるとすれば、税があちらに入ることでしょうか。物騒なご時世にもかかわらず、県外からの転入を受け入れてもらったことへの感謝については、度々語ってきた通りです。ゴミ収集をはじめとして、行政の恩恵に与る場面もしばしばあります。地域経済の活性化にいくばくかの貢献ができれば、いわゆる「三方良し」の結果には違いありません。とりあえず今月いっぱい考えてみます。
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かつてない問題

2021-08-06 21:13:11 | 旅日記
出発がいよいよ迫る状況で、かつてない問題に直面しました。今からやろうとしていることは果たして「旅」なのかということです。結論としては、現地に落ち着くところまでをひとまず「旅」とみなします。
人生を旅そのものと捉えれば、あらゆることが旅になります。しかし自分の人生観は異なります。体力と金が続く限り旅を続けていきたいとまでは考えておらず、適度な区切りも必要という見解です。車に載るものだけ積み込み、異郷へ向けて出発するという状況には、一旗揚げる夢を抱いて上京する若者もかくやと思わせる高揚感を覚え、それは旅立ちの高揚感にきわめて近いものでもあります。かような観点からすると、現地に落ち着くまでの過程を「旅」とみなすことについては迷いがありませんでした。問題は、現地での暮らしが果たして「旅」といえるかどうかです。
これまでの生涯において、人生は「旅」と「その他」に二分されていました。「旅」とは生き甲斐そのもので、「その他」は好むと好まざるとに関わらず繰り返す日々の暮らしです。つまり「その他」と「日常」は完全に一致していたということで、これは無味乾燥な都会暮らしの中にあって、「日常」には楽しみを積極的に求めてはいなかったことを意味します。しかし、異郷で暮らすこれからは、旅先におけるのと同様の楽しみが「日常」の中に混在することになるかもしれません。その結果、「旅」と「日常」「その他」を区別して、専ら前者に関することを綴ってきたこのblogにおいて、現地における「日常」をどのように位置付けるかが問題として浮上しました。いまだ確たる答えは出ないため、新居に落ち着くまでを「旅」とみなすことだけ決めたという次第です。

出発を前に去来するのは、家族からの旅立ちを唄う「北陸ロマン」の一節です。曲中に登場するのは、かつて理解しかねた言葉の意味を、大人になってから噛みしめる主人公です。つまり、然るべき時期に巣立ってそれ相応の経験をしてきたことが前提で、この歳になって今更実家を出るろくでなしがいることを、作者は全く想像していないのだろうと思います。しかし、どのような経緯であれ、故郷を離れて北陸へ旅立つという境遇だけは同じです。そう思うと、今までの旅立ちにはない感慨が押し寄せます。
初めての旅で巣立ち、一人で生きる淋しさ乗り越えた主人公が、二度目の旅に選んだのは感謝を伝える旅でした。そのいわんとするところは明らかでないものの、異郷での暮らしの中でようやく気付くありがたみはいくつもあろうと想像します。旅から旅の暮らしの中では気付けなかった出来事を、しみじみ感じることができれば幸いです。
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巣立ち

2021-08-05 20:46:48 | 旅日記
強行された祭典が火に油を注ぎ、ますます焦臭くなってきました。しかし、国境を跨ぐ祭典がいけしゃあしゃあと行われているにもかかわらず、個人は県境すら跨ぐなという勝手な理屈に道理はありません。自分にとっては今しかできない「挑戦」です。この歳まで居候を続けてきた自分にとっては、遅すぎた巣立ちでもあります。出発がいよいよ近付いてきました。

いきなり水を差されたのは、金沢市内を対象にした禁酒令です。毎晩呑み歩くかどうかはともかくとして、着いたその日はなじみの店でささやかな祝杯を上げるつもりでした。それがお門違いな「要請」によって台無しにされただけでなく、少なくとも月内は店で一杯やる機会がありません。興醒めさせられる結果です。
ただし、自粛自粛と叫ぶしか能のない連中と違って、あちらの首長は多少なりとも賢明なのかもしれません。最近小耳に挟んだのは、感染者数に目くじらを立てる政策に、知事が苦言を呈したという話です。飲食店というだけで一律に取り締まる政策にも、懐疑的な立場にあるようでした。朝令暮改を繰り返す国の施策に振り回され、否応なく追従せざる得なかった面もあるのでしょう。「要請」を下す立場にある自治体の長から、疑義を呈する意見が出始めているのはせめてもの救いです。卑劣な政策に対して非暴力・不服従の姿勢を保ち、やれる限りのことを模索していくしかありません。

表面上は相も変わらず自粛自粛と繰り返されているものの、石もて追われる立場かというとそうでもなく、自治体はむしろ歓迎している節があります。というのも、県外からの転入者に結構な額の補助金を出す制度があるらしいのです。その範囲に在宅勤務者が含まれるということからしても、本来あるべき「新しい生活様式」を推進する一環として整備されたのは明らかでした。
物件が成約してから知った話で、補助金目当てで決めたわけではありません。しかし、かくも物騒なご時世に、渦中の大都会から移り住む人間を手厚く迎えてくれると知り、しみじみありがたく感じました。それとともに、時代に先駆けこの取り組みに加われることを光栄に思います。転入から三ヶ月経過すれば申請でき、五年以上住めば満額、三年でも半額が支給されると聞きました。ともかく一年生活するという目標は維持するものの、三年が次の目標となりそうです。
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末広がり

2021-07-30 21:05:05 | 旅日記
二転三転したものの、結果としてはこれでよかったと納得できる日取りです。引き渡しが来月8日に決まりました。
最初に思いついたのは月並みながら大安です。しかし、契約のときと違って一筋縄にはいきませんでした。最も理想的だった12日は不動産屋のお盆休みに重なり、直後に来る18日も週に一度の定休日でした。さりとてその前の2日では早すぎます。24日まで引き延ばすことは考えられず、その時点で大安吉日は捨てました。
大安が無理なら次は友引です。こちらについては5日と9日、実質二度の機会があるのはよいものの、あくまで次善の策に過ぎず、是非この日にと思えるほどの決め手には欠けました。発想を変えたことにより、次なる候補に浮上したのが7日です。仏滅の三隣亡という条件は一見すると最悪ながら、迷信といってしまえばそれまでです。むしろ、異郷での第一歩を踏み出すにあたって、立秋を迎えるこの日がお誂え向きに感じられました。さもなければ末広がりの八が重なる翌日と決め、友引の9日とともに優先順位をつけて照会したところ、第二希望の8日に決まるという顛末です。
結局のところ、六曜と二十四節気のいずれを基準にした場合でも、第一希望は叶わなかったことになります。しかし、8といえば末広がりで縁起がよく、しかも北陸とは切っても切れない数字です。その日のうちに最小限の環境さえ整えることができるなら、翌日開幕する選手権を初日から見届けられるという実利も伴います。7日の方がよかったという考えはもうありません。最初の二日を準備に充て、連休明けから本格始動できれば理想的でしょう。
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大安吉日

2021-07-15 21:15:42 | 旅日記
日頃から信心が浅い罰当たりではありますが、一生に何度あるかも分からない節目の日ということになると、どうしても意識せざるを得ません。大安吉日の今日に合わせて判をつきました。引き渡しまでの日取りは未定ながらも、異郷での暮らしがついに実現することになります。唯一の不安は社会情勢でしょうか。間もなく始まる祭典が火に油を注げば、何が起こるか分かりません。当てにしていた前提が、土壇場へ来て崩れ去るかもしれないということです。あと半月余り、平穏無事に過ぎてほしいと願います。
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妥結

2021-07-08 21:40:27 | 旅日記
勤め先との交渉も首尾よく妥結に至りました。契約へ向けての壁は取り払われたことになります。
お門違いな「要請」が公然と罷り通っている昨今ではありますが、個人の権利を制限するなど本来なら許されることではありません。居住の自由は憲法上のれっきとした権利です。労働の提供に差し支えるならともかくとして、その懸念がなければどこへ越そうと口出しされる筋合いはないともいえます。とはいえ、労働者の立場はあくまで従属的です。万一対立したときに、適切な主張ができるかという懸念はありました。それだけに、円満な解決に至ってほっとしたというのが第一です。
薄々感じていた温度差を、改めて実感する結果ではありました。使用者側の発言から窺われたのは、ほとぼりが冷めれば可能な限り元に戻したいという意向です。毎日職場へ出向くとなれば、それ相応の範囲に居住せざるを得ません。大都市近郊に安普請の住宅を借り、そこから電車通勤するという生活は、自分にとって考えられない選択です。何もかも元に戻るなら、こちらとしても居候に戻るほかないことになります。しかし、社会情勢がここまで流動化している今、不確かな将来のことを考えるより、今できることを考えた方が有益でしょう。まずは一年生活し、金沢の四季を感じてみたいというのが最初の目標です。
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最初の壁

2021-07-01 21:18:53 | 旅日記
最初の壁を越えました。保証会社の審査を通過したのです。
寺町の物件に決めて申し込んだのが一昨日です。一週間ほどかかると聞いていたはずが、中一日という即答に近い結果でした。ただでさえ物騒なご時世だけに、かつての苦い経験が繰り返されはしないかと懸念していたわけなのですが、夢物語は実現へ向け一歩進んだことになります。
次なる壁となるのは職場との交渉です。漠然とした憧れが俄に現実味を帯びたのは、職場環境の変化によるところが少なからずありました。一連の騒動によって導入された在宅勤務が、正式に制度化されることになったのです。ただし、事務所を縮小することの見返りという面が大きく、在宅勤務を積極的に推奨するという雰囲気でもありません。事前に相談した段階で内諾は得ているものの、大賛成だった家族と違い、まんざらでもないという程度の感触に過ぎませんでした。具体化して行く段階で、難色を示し始める可能性は覚悟しておくべきでしょう。全くの反故にはされないだろうと期待する一方、こちらの主張がことごとく認められるとも思われません。譲るべきところは譲り、主張すべきことについては主張して、円満な解決を目指すつもりです。
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五月雨の加賀を行く - 一悶着

2021-06-26 11:19:01 | 旅日記
再開早々一悶着あり、若干遅れて出発しました。二日間の相棒を務めるのはスズキスイフトです。
レンタカーの営業所があるのは駅の反対側です。ただし、能登と福井のいずれへ行くかにかかわらず、もう一度市街を通るつもりでした。その結果、宿に荷物を預けておき、車に乗って引き取りに戻るつもりでいたわけなのですが、この判断が裏目に出ます。営業所で告げられたのは、事実上現金払いができないということでした。「事実上」というのは、一応使えはするものの、住民票、保険証など免許証以外の公的書類の提示が要るからです。その結果、宿まで余計に一往復する羽目になり、一時間ほど空費しました。
手配した際に届いた返信には、その旨がたしかに記載されてはいます。見落としたこちらが悪いということです。とはいえ、釈然としない部分も残ります。このような仕組みになっているのは何故かとたずねても、的を射た返事は得られませんでした。クレジットカードがあれば支払人の住所と照合できるものの、現金ではそれができないからだというのがあちらの言い分です。しかし、住所については免許証で既に確認されています。現金で払う場合だけ、住所を重ねて確かめる理由は想起できません。
一連の騒動を巡る政策にしてもそうですが、合理性のあることに従うにはやぶさかでないものの、そうでないことをいくら決まりと主張されても、およそ納得できるものではありません。とはいえ、営業所の係員が決まり通りに処理せざるを得ないのもまた事実です。彼等に何を言ったところで始まらないと割り切って、たかが一枚のカードのために蒸し暑い中をもう一往復したものの、徒労感が残るばかりの出来事でした。
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ほろ苦い経験

2021-06-24 21:25:08 | 旅日記
残念ながら、前半だけで切り上げることができませんでした。富山は見送り、明日の始発で旅立ちます。
昨秋から漠然と思い描いていたことが、具体化へ向けていよいよ動き出すわけであり、高揚感はもちろんあります。しかし、我ながら突飛なことだけに、実現できるかどうかについては半信半疑、いやそれ以下でしかありません。出発を目前にして甦るのは、若かりし頃のほろ苦い経験です。このblogでも初めて披露するのですが、いわゆるニートとして燻っていた頃に、長崎で電車の運転士の求人が出ているのを知り、一念発起して履歴書を送ったところ、まんまと現地に呼ばれたのです。しかし、結果としてはぬか喜びでした。縁もゆかりもない土地へ単身で乗り込む覚悟があるのかと、懐疑的な見方を一貫して示され、一笑に付されただけで終わったのです。今はなき「さくら」で行き、500系「のぞみ」で帰ったことを始め、活動としては今でも思い出深いものの、けんもほろろにあしらわれた経験に対しては、今なお切なさが募ります。物騒なご時世、いわば「不要不急」の目的で物件を借りようとする者に対して、快く応じてもらえるだろうかと考えたとき、あの苦い経験が否応なしに去来するとでも申しましょうか。
もっとも、このようなご時世にならない限り、異郷に住むという発想はおそらく生まれなかったでしょう。見方によっては、物騒な今だからこそ再挑戦の機会が巡ってきたともいえます。幸いにして、誰もが無闇に怯えていた局面はとうに去りました。昨秋以来、各地を旅してきたものの、他所から来たことを理由に石もて追われたなどということは、ただの一度もありません。瓢箪から駒の思いつきが、よい結果につながってくれることを密かに願います。
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第一歩

2021-06-23 22:34:11 | 旅日記
突飛な構想について語り、実現へ向けて近々動くと予告しましたが、その第一歩を踏み出します。最速で明日から現地へ赴くことになりました。
我が国における庶民の住まいといえば、俗に兎小屋とも揶揄される安普請の物件が関の山でしょう。有り体にいえば規格化された工業製品の集合体であって、建築物としての価値はなきに等しいのが実態です。そのような代物に、決して安くはない家賃を注ぎ込む理由を見出せず、それがこの歳になるまで居候を続けた理由でもあります。しかし金沢だけは違いました。古い町家が自分にも手が届きそうな値段で売買、賃貸されていたのです。眺めのよい川沿いの物件もありました。ここに住めたら最高だろうと思ったのが、突飛な思いつきに至った本質的な要因です。昨秋から漠然と考え始め、徐々に具体化してきたものの、百聞は一見に如かずともいいます。あとは現地で確かめるしかないと思い至り、実行の機会を狙っていた次第です。
そのようなわけで、一月半ぶりの活動は物件探しを主題とします。内見自体は一日あれば終わるものの、日帰りするつもりはもちろんありません。明日は半日休みをもらって富山に泊まり、明後日は当たりをつけた物件を回り、残る二日で福井か能登へ行くというのが今のところ考えている行程です。
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一念発起

2021-06-20 20:57:02 | 旅日記
既報の通り、車は一年点検のため入庫中です。四週続いたBETTAKO詣でも一回休み、密かに温めていた構想を、この機会に披露しておきます。その構想とは、北陸に拠点を構えるというものです。
九州に移住した仲間について言及したのは一年前でした。ただし、当時の自分にとっては他人事でした。旅した土地に憧れて、そのまま住み着くという心情は想像に難くありません。しかし、自分にとって大切なのは、全国各地を旅する上での利便性です。かような観点からすると、今いる実家を拠点にするのが最善なのは明らかです。居候と揶揄されようとも、あえて実家を出る選択は考えられず、ましてや違う土地に住まいを構えるという発想はありませんでした。しかしふとしたことで事情が変わります。金沢を訪ねた昨秋、野町駅前の売地に目が留まりました。ここに住まいを構えれば、「わり勘」に毎日でも通えるのかと思ったとき、この土地がいくらするのかにという興味が俄に湧いてきました。帰京後に調べて目から鱗だったのは、金沢の住環境の充実ぶりです。件の土地の値段については、周辺の相場からしても数百万の模様でした。それ以上の発見だったのは、余所の土地ならあり得ないような好物件に、自分でも手が出る予算で住めることです。その中には古い町屋も含まれました。漠然と憧れていた古民家での生活が、金沢なら実現できると分かったとき、それが初めて現実的な目標として浮上したとでも申しましょうか。
このように、昨日の今日で唐突に思いついたわけではありません。それ故に、様々な理由は存在するものの、端的に述べるとすれば一念発起です。このような世の中になるまでは、大都市圏に居住して毎日職場に通勤する「古い生活様式」を、当然のこととみなしていました。しかし旧来の常識が揺らぎ、さらには職場が縮小されて、在宅勤務の併用が恒久的な仕組みになろうとしている今、異郷に拠点を構えるという選択が俄に現実味を帯びています。この絶好機に乗じるか、居候のまま終わるかと考えたとき、今しかないと思い立ったのが真相です。
何分突飛な話だけに、一笑に付されて終わるという結末も覚悟しました。ところが職場からの返答はまんざらでもなく、両親に至っては大賛成という結果です。ならば思い立ったが吉日、近々具体的な行動に移します。今のところ取らぬ狸の皮算用ではありますが、実現すれば生涯でも有数の転機となりそうです。
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年貢の納め時

2021-06-14 20:47:38 | 旅日記
「断捨離」なるものには感心しないと以前も述べました。提唱者のサイトによると、「断捨離」とは「モノの片づけを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術」を意味します。つまるところ、日々の暮らしを快適にすることに主眼が置かれているということです。しかし自分にとって、日常は好むと好まざるとにかかわらず繰り返されるものであり、それを快適なものにしようという発想がありません。とはいえ、散らかりすぎると日々の暮らしに差し障るのも事実です。この度不承不承ながらも身辺整理を進めることになりました。
直接の要因として挙げられるのは、職場が縮小されることです。正確にいうと、広さを変えずに収容力を上げるといってもよいでしょうか。個人の席を廃止して、長机を整然と配置することにより、同じ事務所により多くの従業員を収容可能にするという、時代に逆行するかのような対応です。これに伴い、職場にあった私物の多くを持ち帰らざるを得ないことから、それ相応の空間を自宅に作る必要性に迫られたという次第です。
持ち物を整理整頓することも、潔く捨てることもできない性分と自覚して以来、物は極力買わないようにしてきました。しかるに物が増えるのは、旅先から持ち帰る雑多な物が溜まっていくからです。ただし、それだけではないということに気付いてきました。好むと好まざるとにかかわらず、毎月送られてくる書類もかなりの量になるのです。大別すると会報、請求書の二つですが、特に後者が持て余します。最たるものが、キヤノンから送られてくるフォトサークルの会誌です。上質な用紙を奢り、色鮮やかな作品を数多掲載する100頁近い月刊誌は、実質無料の会誌として破格の部類と思います。しかし、入会したそもそもの動機は修理代が割引になる特典であって、会報自体に興味はありませんでした。旅から旅に明け暮れる日々の中で、大部な会誌に目を通す時間も惜しまれて、ほとんど開封もせずに積み上げてきたのが実情です。これ以上放置するのが精神的にも好ましくない状況に至り、ようやく整理を試みたわけなのですが、積み上げられた山の中からは三、四年前に刊行されたものがいくつも出てきました。要はそれだけ長く放置していたということです。ならば自室が散らかるのも当然のことではあります。
力作揃いの誌面だけに、読まずに捨てるのは忍びなく、それが長年放置してきた理由でもあります。せめて一読してからとも考えはしたものの、挫折するまでにそれほどの時間はかかりませんでした。一言でいうと読み疲れしてしまうのです。掲載される作品には、プロかアマかにかかわらず、自らの感性を映像として表現し、世間に問うていこうとする意欲がほとばしっています。旅の記録の一環として写真を撮っているだけの自分にとっては、そのただならぬ意欲がむしろ煩わしく感じるとでも申しましょうか。同じ芸術であっても、自身全く心得のない書画骨董なら、全てが猫に小判です。なまじ分かってしまうため、かえって煩わしく感じるという点では、音楽の好みに近いといってもよいでしょう。積もりに積もった数年分に目を通すのは到底無理と判断し、一思いに処分するという顛末です。
そのようなわけで、散らかり放題だった自室は多少なりとも片付きました。しかし、職場から持ち込む物品が加われば、元の木阿弥ともいえます。「断捨離」の境地を目指すつもりは毛頭ないものの、この機会に雑多な物共をもう少し減らした方が賢明でしょう。今が年貢の納め時と言い聞かせ、単調で不毛な作業を続けることになりそうです。
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