続いては会津中川駅を訪ねます。五能線の驫木駅を彷彿させる、木造の小さな駅舎が健在です。待合室は簡素ながらも掃き清められ、ベンチの上には座布団も。壁に掛かった感謝状から、地元の皆様方による活動の賜物なのが分かります。末永く守られていくことを陰ながら願う次第です。
続いては会津宮下駅を訪ねます。民家の二階分にはなろうと思われる高い背丈と三角形の大きなファサード、そして同じく大きな窓が印象的です。その一方で間口がそれほど広くなく、縦横の比率によって独特な出で立ちが作り出されているところは、奥羽本線の川部駅を彷彿させるものがあります。
会津坂下より先の区間は、自分にとって空白地帯の一つです。全ての駅を訪ね歩く時間は到底ないものの、めぼしい駅だけ立ち寄ります。
古い駅舎は維持費をかけずに取り壊し、安普請の駅舎に建て替えるのがJR東日本の方針です。国鉄時代からの駅舎が残っていても、無人化されるや取り壊されてしまったところは枚挙に暇がありません。そのような中、会津柳津駅には瀟洒な駅舎が残ります。切妻屋根の建屋が二つ、前後に少しずらして置かれ、前へせり出た方には大きな庇が巡らされ、庇の下には玄関と団体用の改札口が。縦長の窓が小洒落ており、白と焦茶で統一された色使いにも好ましいものが感じられます。東北の駅百選に選ばれたという触れ込みも納得できる名建築です。
古い駅舎は維持費をかけずに取り壊し、安普請の駅舎に建て替えるのがJR東日本の方針です。国鉄時代からの駅舎が残っていても、無人化されるや取り壊されてしまったところは枚挙に暇がありません。そのような中、会津柳津駅には瀟洒な駅舎が残ります。切妻屋根の建屋が二つ、前後に少しずらして置かれ、前へせり出た方には大きな庇が巡らされ、庇の下には玄関と団体用の改札口が。縦長の窓が小洒落ており、白と焦茶で統一された色使いにも好ましいものが感じられます。東北の駅百選に選ばれたという触れ込みも納得できる名建築です。
続いては会津坂下駅を定点観察していきます。北陸へ向かう経路がいくつかある中で、最短だろうと思われるのが只見線とおおむね同じ経路の国道252号線です。ツーリングマップル推奨の経路で距離を稼ぎます。
おはようございます。北陸の天気予報が晴に一変したことにより、金沢へ直帰する方針に急遽転換したものの、経由地となる新潟は雨の予報です。ならば粛々と走り、雨が降る一帯をできるだけ早く脱出するのが得策でしょう。行く手に雨が待ち受けていると知りつつも、晴の会津を後にするのが惜しまれるのは人情ながら、この晴天もどのみち長続きはしないというのが最新の予報です。未練を振り切り出発します。
紅葉のライトアップを観ることなく、金沢へ長駆舞い戻ることも一時は考えました。昼に観賞したことにより、彩りが去年に及ばないのは分かっていたからです。既に嗄れた木と、まだ青い木が混在している一方で、鮮やかに色づいた木がほとんど見当たりませんでした。今年は気温が高過ぎて、条件がよくなかったのかもしれません。しかし、適温無風の条件だけは最高です。行き交う人も疎らな淋しい鶴ヶ城で、小一時間ほど名残を惜しんで切り上げました。
結果として、どうしても一日延ばす必要はありませんでした。しかし、延ばすかどうか迷ったときは、「迷ったら買え」が原則です。今朝方言及した通り、会津若松に延泊します。出発から3910km走ったところで今日は打ち止めです。
会津に終日滞在して、紅葉のライトアップを観賞し、一風呂浴びて腹ごしらえを済ませれば、八時か九時にはなると見ました。自走で帰京するなら一応成り立つとしても、金沢まで行くのはいかにも難儀です。明日以降の予報が好転したことを受け、延泊して翌日走ろうという算段でした。しかしよくよく考えると、ライトアップは何度も眺めてきたものです。潔く切って今から移動を始めれば、大崩れしない程度の時間に帰れます。その一方で、暗闇の中を400km近くも走るという行程が、寄る年波迫る自分には負担に感じられました。何度も走った帰京の経路とは違い、走り慣れない道を行くならなおさらです。明るいうちに走りたいという考えが勝りました。そのようなわけで、消極的な動機によるところが大ではありますが、繰り返す通り「迷ったら買え」が原則です。買ってよかったと思える場面がいずれは巡ってくるでしょう。
会津に終日滞在して、紅葉のライトアップを観賞し、一風呂浴びて腹ごしらえを済ませれば、八時か九時にはなると見ました。自走で帰京するなら一応成り立つとしても、金沢まで行くのはいかにも難儀です。明日以降の予報が好転したことを受け、延泊して翌日走ろうという算段でした。しかしよくよく考えると、ライトアップは何度も眺めてきたものです。潔く切って今から移動を始めれば、大崩れしない程度の時間に帰れます。その一方で、暗闇の中を400km近くも走るという行程が、寄る年波迫る自分には負担に感じられました。何度も走った帰京の経路とは違い、走り慣れない道を行くならなおさらです。明るいうちに走りたいという考えが勝りました。そのようなわけで、消極的な動機によるところが大ではありますが、繰り返す通り「迷ったら買え」が原則です。買ってよかったと思える場面がいずれは巡ってくるでしょう。
磐梯山麓まで走ると、雄国パノラマラインへ引き返すのは面倒です。手近なところで夕景を眺められないだろうかと考え、県道64号線に入りました。磐梯河東のICと国道49号線を通り過ぎ、会津若松の市街へ向かって坂を下ると、視界が開ける場所があります。あの地点ならもしやと踏んで向かったところ、果たして狙いが的中するという顛末です。
雄国パノラマラインでは、眼下の明かりがまばらに散らばり、夜景としてはささやかです。しかしここでは正面に会津若松市街の明かりが瞬き、彼方に山が立ちはだかって、背後には夕焼けの空が広がります。交通量の多さが玉に瑕ながら、夕景から夜景への移り変わりはここならではの眺めです。
雄国パノラマラインでは、眼下の明かりがまばらに散らばり、夜景としてはささやかです。しかしここでは正面に会津若松市街の明かりが瞬き、彼方に山が立ちはだかって、背後には夕焼けの空が広がります。交通量の多さが玉に瑕ながら、夕景から夜景への移り変わりはここならではの眺めです。
喜多方の次は熱塩へ行くのがお約束のところ、今日は趣向を変えたい気分でした。県道沿いのお立ち台から磐梯山を望みます。
会津を何度か訪ねるうちに、行程は紋切り型になりました。会津若松に泊まった後、会津坂下、喜多方から磐梯山麓、猪苗代を経て帰京するのがお約束でした。しかし近年、若松での滞在時間が長くなり、その先の進行が遅くなりがちです。熱塩までの往復がさらに加わったことにより、磐梯山麓には至らずに日が沈み、雄国パノラマラインで夕景を見届けるのが定跡となって現在に至ります。磐梯山を間近で眺めたことが久しくなかったため、今日は趣向を変えてみたというのが真相です。
もう一つの決め手となったのは、飯豊山が雲に隠れた後もなお、磐梯山の方角は晴れていたことです。赤い夕日に染め上げられた山肌が絵になっています。
会津を何度か訪ねるうちに、行程は紋切り型になりました。会津若松に泊まった後、会津坂下、喜多方から磐梯山麓、猪苗代を経て帰京するのがお約束でした。しかし近年、若松での滞在時間が長くなり、その先の進行が遅くなりがちです。熱塩までの往復がさらに加わったことにより、磐梯山麓には至らずに日が沈み、雄国パノラマラインで夕景を見届けるのが定跡となって現在に至ります。磐梯山を間近で眺めたことが久しくなかったため、今日は趣向を変えてみたというのが真相です。
もう一つの決め手となったのは、飯豊山が雲に隠れた後もなお、磐梯山の方角は晴れていたことです。赤い夕日に染め上げられた山肌が絵になっています。
一つ覚えではありますが、晴れたらまずここへ行くしかありません。真正面に飯豊山を望む若宮の道にやってきました。
去る週末の段階で、ニセコ連山は全く積雪しておらず、羊蹄山だけが少し冠雪していました。それがここでは、雪が全くない磐梯山と、中腹まで冠雪した飯豊山の組み合わせに変わります。羊蹄山と比べても標高には大差がないにもかかわらず、南にあるこちらの方が分厚く積雪しているのは、緯度だけでなく、風向き、地形、湿度といった要因によるところも大きいからでしょうか。田圃からはいまだに秋の虫の声が聞こえてくるにもかかわらず、飯豊山だけはあたかも別世界のようです。
去る週末の段階で、ニセコ連山は全く積雪しておらず、羊蹄山だけが少し冠雪していました。それがここでは、雪が全くない磐梯山と、中腹まで冠雪した飯豊山の組み合わせに変わります。羊蹄山と比べても標高には大差がないにもかかわらず、南にあるこちらの方が分厚く積雪しているのは、緯度だけでなく、風向き、地形、湿度といった要因によるところも大きいからでしょうか。田圃からはいまだに秋の虫の声が聞こえてくるにもかかわらず、飯豊山だけはあたかも別世界のようです。
正午を回ってしまったものの、期待通りに晴れました。ブロンプトンが小樽以来の出動です。
霧の夜明けとなったとき、期待したのは去年の再現でしたが、今回は少し違いました。霧は晴れるも上空が薄雲に覆われ、鈍い日射しが注ぐ程度の半端な空模様が続き、一旦出向いた鶴ヶ城から退却してしばらく天気待ちをしたところ、ようやく空が晴れ出すという経過です。上空には紺碧の空が広がっており、磐梯山と飯豊山にも曇りは全くありません。日没まで時間の許す限り会津盆地を走ります。
霧の夜明けとなったとき、期待したのは去年の再現でしたが、今回は少し違いました。霧は晴れるも上空が薄雲に覆われ、鈍い日射しが注ぐ程度の半端な空模様が続き、一旦出向いた鶴ヶ城から退却してしばらく天気待ちをしたところ、ようやく空が晴れ出すという経過です。上空には紺碧の空が広がっており、磐梯山と飯豊山にも曇りは全くありません。日没まで時間の許す限り会津盆地を走ります。
悪天候に振り回されて二転三転したものの、仙台と会津に一泊するという構想自体は実現しました。昨晩世話になったのは毎度おなじみ中町フジグランドホテルです。
仙台の宿の確保は造作もなかった一方で、要注意だったのは昨晩でした。11月の土曜といえば、大型連休並みに人出が増える時期です。去年でさえ、この時期だけは混み合ったのが思い出されます。会津若松の宿だけは、事前に手配しておいた方が無難と見て、新潟に戻った時点で照会すると、幸いにして駅前、中町ともに空室があったため、その場ですかさず押さえました。その後中町はすぐに埋まり、最終的には市内の宿のほとんど全てが埋まったため、この判断は正解だったことになります。
仙台の宿の確保は造作もなかった一方で、要注意だったのは昨晩でした。11月の土曜といえば、大型連休並みに人出が増える時期です。去年でさえ、この時期だけは混み合ったのが思い出されます。会津若松の宿だけは、事前に手配しておいた方が無難と見て、新潟に戻った時点で照会すると、幸いにして駅前、中町ともに空室があったため、その場ですかさず押さえました。その後中町はすぐに埋まり、最終的には市内の宿のほとんど全てが埋まったため、この判断は正解だったことになります。
北海道編の終盤以来、どのようにして幕を引くかに腐心しましたが、急転直下の結末に至るかもしれません。結論としては、金沢へ戻る前提で動きます。
再開前の時点で悩ましかったのは、会津からどちらへ駒を進めるかという問題です。金沢へすぐに戻れる余地を残すには、長岡に車を置いて帰った方が賢明ながら、早期の帰還に対する固執を捨て去ることができるなら、自走で一旦帰京した後、次の週末に仕切り直すのも一案でした。しかしよくよく考えたところ、長岡へ駒を進める案には実利がほとんどありません。予報通りに晴れたとすれば、終日こちらに滞在するのが順当です。昨晩見逃してしまった鶴ヶ城のライトアップも観るならば、終わった時点で八時か九時にはなるでしょう。仮に長岡へ向かっても、深夜に着いて仮眠をとり、列車で朝帰りする形しかあり得ません。これは、会津から自走で帰京しても大差ないことを意味します。
そのようなわけで、一時は自走で帰京するに方に傾いていたところ、北陸の天気予報が一変したことで事情が変わります。再開前の予報によると、週明けに再び雨が降った後、水曜から晴れてくるとのことでした。それを前提とする限り、自走で一旦帰った後、水曜に休みをもらって移動日に充て、金沢へ帰還するのが最も現実的な選択でした。しかし豈図らんや、週明けが晴に一変したことにより、このままあちらへ戻った方が得策となった次第です。
再開前の構想からは二つの点が変わります。会津に延泊することと、水曜の休みを明日に繰り上げて移動に充てるということです。日程の分断を回避できるだけでなく、金沢に早く戻れるという点で、これが最善と見ています。迷走を長らく続けてきましたが、ようやく出口が見えてきました。
再開前の時点で悩ましかったのは、会津からどちらへ駒を進めるかという問題です。金沢へすぐに戻れる余地を残すには、長岡に車を置いて帰った方が賢明ながら、早期の帰還に対する固執を捨て去ることができるなら、自走で一旦帰京した後、次の週末に仕切り直すのも一案でした。しかしよくよく考えたところ、長岡へ駒を進める案には実利がほとんどありません。予報通りに晴れたとすれば、終日こちらに滞在するのが順当です。昨晩見逃してしまった鶴ヶ城のライトアップも観るならば、終わった時点で八時か九時にはなるでしょう。仮に長岡へ向かっても、深夜に着いて仮眠をとり、列車で朝帰りする形しかあり得ません。これは、会津から自走で帰京しても大差ないことを意味します。
そのようなわけで、一時は自走で帰京するに方に傾いていたところ、北陸の天気予報が一変したことで事情が変わります。再開前の予報によると、週明けに再び雨が降った後、水曜から晴れてくるとのことでした。それを前提とする限り、自走で一旦帰った後、水曜に休みをもらって移動日に充て、金沢へ帰還するのが最も現実的な選択でした。しかし豈図らんや、週明けが晴に一変したことにより、このままあちらへ戻った方が得策となった次第です。
再開前の構想からは二つの点が変わります。会津に延泊することと、水曜の休みを明日に繰り上げて移動に充てるということです。日程の分断を回避できるだけでなく、金沢に早く戻れるという点で、これが最善と見ています。迷走を長らく続けてきましたが、ようやく出口が見えてきました。
おはようございます。昨晩は「鳥玄」を出て早々と退却し、一風呂浴びて休みました。その時点で八時を大きく回っおり、鶴ヶ城へ今更行っても消灯までほとんど時間がなかったのです。さりとてはしご酒をするだけの余力もなく、異例の早仕舞いとなりました。ただし、中三日での再訪だった昨晩は、「鳥玄」に重きを置くつもりでした。本懐を遂げたことについては満足です。
深夜に一旦目覚めたとき、外には霧が出ていました。霧が出ているということは、いずれ晴れるということです。同じく霧の夜明けとなった去年の記録を繙くと、10時頃には晴れてきたとあります。二匹目のどじょうを狙ってみるのも一興です。
深夜に一旦目覚めたとき、外には霧が出ていました。霧が出ているということは、いずれ晴れるということです。同じく霧の夜明けとなった去年の記録を繙くと、10時頃には晴れてきたとあります。二匹目のどじょうを狙ってみるのも一興です。
航空便よりましとはいえ、自分にとって積極的には使いたくない交通手段の一つとしてに高速バスが挙げられます。しかし今回は実を取りました。
終盤の紆余曲折を経て、北海道から戻った後の行程はいびつになってしまいました。元々描いていた筋書きは、仙台から会津若松と長岡を経て金沢へ戻るもので、いわば一筆書きの経路でした。しかるに上陸地が新潟となったことにより、仙台と会津の順序が逆転し、経路も一部で重複する形となってしまいました。一時帰京に際しても、仙台からの一往復で済むはずが、若松から東京と仙台を経る三角形の経路となったことにより、無味乾燥な高速バスに頼らざるを得なかったという次第です。
首都圏と他地域を結ぶ交通機関ばかりが整備されていき、地方における都市間輸送は高速バスに丸投げされているに近いのが現状です。仙台から会津へ向かうにあたっても、列車で行くという発想は全く起こりませんでした。列車ならいくらかかるか一応調べてみたものの、倍近くもかかって所要時間が30分も変わらないのでは論外です。このようなことが起こるのは、半端な距離だけ新幹線に乗ることにより、支出に見合う速達効果が得られないからに他なりません。中距離の移動手段として新幹線が全く適しないことを再認識する出来事でした。
終盤の紆余曲折を経て、北海道から戻った後の行程はいびつになってしまいました。元々描いていた筋書きは、仙台から会津若松と長岡を経て金沢へ戻るもので、いわば一筆書きの経路でした。しかるに上陸地が新潟となったことにより、仙台と会津の順序が逆転し、経路も一部で重複する形となってしまいました。一時帰京に際しても、仙台からの一往復で済むはずが、若松から東京と仙台を経る三角形の経路となったことにより、無味乾燥な高速バスに頼らざるを得なかったという次第です。
首都圏と他地域を結ぶ交通機関ばかりが整備されていき、地方における都市間輸送は高速バスに丸投げされているに近いのが現状です。仙台から会津へ向かうにあたっても、列車で行くという発想は全く起こりませんでした。列車ならいくらかかるか一応調べてみたものの、倍近くもかかって所要時間が30分も変わらないのでは論外です。このようなことが起こるのは、半端な距離だけ新幹線に乗ることにより、支出に見合う速達効果が得られないからに他なりません。中距離の移動手段として新幹線が全く適しないことを再認識する出来事でした。