日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

さくらさく 2014(4)

2014-04-02 22:36:40 | 旅日記
本日も朝方に二時間弱を確保し、内堀通りに北の丸など、昨日立ち寄れなかった場所を中心に一周してきました。昼休みも短い時間ながら花見に費やし、全てとは行かないまでも、この三日間で近所の主な名所を八割方押さえたことになります。残念ながら帰り際に雨が降り出し、夜桜見物は見送らざるを得なかったものの、限られた時間の中、満開かつ晴天という状況でどうにか一通りのものを見物できたのは幸いでした。
花は依然として満開ながら、今日の午後から遅咲きの木でも時折はらはらと花びらが舞い降りてきており、無情の雨が明日明後日で桜を散らすでしょう。とはいえ、週末は土日とも好天が予想されるため、散り際にもう一周して名残を惜しむことができれば、有終の美を飾ることはできそうです。

それにしても、毎年同じ桜と分かっていながら、寝食を忘れてよくやるものだと我ながら思います。しかし、型にはまった絵柄というのは足を止めてしみじみ鑑賞したくなるものです。加えて、天候と時間帯によって眺めはいくらでも変わり、それに応じて新たな発見が出てきます。それが自身毎年花見に没頭する理由でもあるのです。
それでは今年の発見は何かと問われれば、花そのものの美しさに関する限り、近所の桜はそれほどでもないということです。花そのものの美しさといえば、自身いの一番に挙げるのはなんといっても弘前の桜で、直前に訪ねた高知の桜もかなりのものです。何をもって美しいと考えるかは人により千差万別ながら、これらの花は一つ一つが大ぶりで、五枚ある花びらが中心を包む見込むようにして咲き、満開になっても開きすぎず、なおかつ粒が揃っているという点で共通しています。対するこちらは花びら一枚一枚がしわがれて、開き方にもばらつきがあります。大胆にたとえるならばエゾヤマザクラにも少し似ており、悪くいえば花としての美しさにかけては一歩譲るということです。
それでも毎日通い詰めるのは、花の形というよりむしろ木の立ち姿、そして何より周囲の景観との取り合わせがよいからで、花の形に今の今まで気付かなかったのもそのためでしょう。濠や土手との取り合わせは、ビルの谷間の小公園などと全く趣を異にしていて、全国各地に散らばる城址の桜などとも違う、唯一無二の眺めです。花見の旅が年中行事化するはるか前から慣れ親しんだ桜でもあり、自身歳を追えば追うほど、なんだかんだで近所の桜が一番だという考えに傾いていきます。間もなく散り際へさしかかろうとする都内の桜ですが、今年も往生際悪く、当分の間は定点観測を続けるつもりです。

ちなみに、もう一つ気付いたことがあります。千鳥ヶ淵の入口にあった消防施設が取り壊されて更地になり、そこが恰好のお立ち台になっていたことです。見事な桜が堀の両側から水面へ向かってしなだれかかり、視界の彼方に東京タワーが屹立するという絵柄で、毎年押すな押すなの大盛況になるボート乗り場の屋上に勝るとも劣らない見事な絵柄です。そのことに気付いたのがやや遅く、既にかなりの人が出ていた上に、ボートが何艘も出ていたのは惜しいところでした。雨さえ上がってくれれば、明日はボート場が開く前の早朝に千鳥ヶ淵を再訪することになるでしょう。
コメント