A black cat and I・・・☆

人生、前向きに…!乳房再建等5回目の手術を経験して、今は既往症や趣味や猫の事など、日々の出来事を適当に綴っていきま~す。

ちっちゃな格闘

2004-10-29 | 乳がん日記
葬儀は1時から始まった。
伯父は生前地域の人達との関わりが多く、沢山の弔問客が訪れている。
私はそんなに友人はいないし、もし葬儀をするのならば本当に親しい人だけでやってもらおう、なんてまたまた自分にダブらせていたら案の定最初から涙がどんどん溢れてきた。

葬儀も終わり親戚の人達は帰って行き、夜は従兄妹達の家族、そして母と私。
今夜も成長したまた従兄妹達と色々な話が弾んでいく。
私はこれが皆に会う最後にならなければいいと思いながら皆の顔を携帯電話のカメラに撮っていった。
ふと、従兄妹の姉さんが私の左側に座った。
私の豊満な胸が羨ましくいつもちょこんと触る。

“おっきくて羨ましいわねぇ~”

“左側は本物だけど、右側は嘘もんだよ~ん”

どうやら私が言った言葉が周りの言葉にかき消されて聞こえなかったようだ。
もし聞こえていて理由を聞かれたら従兄妹の姉さんには話しちゃおうかなぁ~、でも告白することで余計な負担をかけてしまうのでやっぱり止めておこう。
なんて私の心の中ではちっちゃな格闘があった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

従姉妹たちとの再会

2004-10-28 | 乳がん日記
今日は4時半まで仕事をして、そのまま田舎へ帰ることにした。
通夜は7時から始まるので着替えをして会社の近くのバス停で浜田行きのバスに乗り込む。

6時過ぎにバス停に着くと母とまた従弟が迎えにきてくれていた。
久々にあったので最初は誰だかわからなかった。
通夜の会場について夕食を頂く。
従姉妹の姉さんとまた従姉弟達が迎えてくれる。

7年ぶりにあった彼らはすっかり大人びていて顔がちっともわからない。
皆の名前を聞きながら私は涙ぐんだ。
私が死んでしまったら、彼らに会うのは今回が最後になるんだろうかぁ~!ふとそんな事が頭の中をよぎった。

7時から通夜が始まった。
伯父の通夜なのについ自分の事のように考えてしまい、涙がとめどもなく流れてくる。
明日の葬儀の時は、私はどんな風になってしまうんだろうか。
自分とダブらせてはいけないと思いながらも涙はどんどん溢れてきた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突然の知らせ

2004-10-27 | 乳がん日記
朝早く、母から電話があった。
この春から入退院を繰り返していた母の兄の伯父が亡くなった。
幼い頃から唯一外泊をしていた親戚の家だ。
私がこんなことになってしまって、お見舞いに行くことも出来なかった。
夕方母から電話があり、通夜の時間と場所を教えてもらう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

WIG試着

2004-10-23 | 乳がん日記
脱毛のことが気になり、今日はWIGの試着に行くことにした。
まず最初に向かったのが本通りにある若い子がよくいくかつら屋さん。
色のバリエーションもかつらの種類もいっぱいある。

事情を話し早速試着することにした。
私は元々癖毛だし、ロングのサラサラヘアに憧れるので最初はロングヘアばかりを試着する。
しかし、何だかシックリこない。結局肩の長さで外はねをしているWIGに落ち着いた。

“髪が抜けるのは11月の中旬位だから、また来ま~す!”

店長にそう告げてWIGの品番とその他必要なものを書いてもらった名刺を頂いてお店をあとにした。

今日は三時に友人とお茶をすることになっていた。
私が退院した後、中国に旅行へ行ったのでそのお土産を頂くことになっている。
アンデルセンで待ち合わせをして珈琲館でお茶をした。

すぐに友人から旅行日記を頂く。
友人は高齢にもかかわらずパソコンで旅行日記を付けている。
文章の中にデジカメで移した写真をうまくはめ込んでいて、なかなかここまで出来るものではないといつも関心してしまう。
この後、夜ごはんを食べようということになったが、私は一ヶ所ほど行きたい所があるので待ち合わせ時間を決めて別れた。

次に向かったのが姉に予め調べてもらっていたデパートのかつら屋さん。
ここでもまた同じように事情を話し、早速試着をする。
デパートだけあって値段が目が飛び出るほど高い。
なんせ人毛を使っているので髪の毛の艶がとっても自然なのだ。ナイロンみたいに光ったりはしていない。
ここでも色々なWIGをとっかえひっかえして試着する。

“やっぱり毎日被るんだったらいいのが良いでしょう。”

はい、ごもっともです。
しかし私は20万以上もWIGにお金をかけられない。
もしかしたら治療の後半になったら脱毛していることに開き直ってスカーフだけで町をウロウロしているかもしれないもん。
そんなことを思いながら店長の名刺とカタログを頂いてお店をあとにした。

五時半に友人と合流し、なんとステーキを食べることになった。“肉は食べない!”と言う訳にもいかず、一番少ない量のステーキを注文する。
おまけに久々にビールも注文する。
そう、私は退院してビールは全く飲んでいないのである。
あっ、焼酎の水割りはチビチビやっていましたけど…。
ちょっと嬉しくてグビグビと飲み干す。
さすがに三分の一しか飲んでいないのに顔が真っ赤になった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア旅行断念!

2004-10-19 | 乳がん日記
今日は病院へ行くことになっていたので、入管の申請も私が行くことになっていた。
11:30からを予約しているので出かける準備をしていたら、突然姉から電話があった。

「今、祇園にいるから今から行くわ。」
「えっ、今日来なくてもいいって言ったのに、多分病理検査の結果はまだ出ないよ!」

ここで言い合いをしてもしようがない。
出雲からわざわざ来てもらったので会社の前で待ち合わせをして一緒に病院へ行くことにした。
受付を済ませ外科外来へ行くと待合室には沢山の患者さんが待っている。
診察時間を確認するとお昼を回るみたいなので先に昼食を取ることにした。

近くのデパートの回転寿司でたらふく頂く。
ここの回転寿司はカウンターで15席足らず。
ネタが新鮮でお客様の回転が早い。乳癌と診断されてからはお肉は控え、なるべく魚中心と植物性蛋白質の食生活に変えていく事にした。

病院に帰って診察室に入ったのが1時過ぎ。
診察して頂く時に先生に姉も一緒に診察室で話を聞くことを了承してもらう。
相変わらずリンパ液が溜まっていたので抜いてもらったら約100mlあった。
その後先生は、

「病理検査の結果は、やはり3週間位しないと出ませんので、もう少し待って下さい。治療法は恐らくETC療法になると思いますがその時にまた詳しく説明をさせて頂きます。来月の通院の日にちを決めておきましょう。11月2日はどうですか?」

「はい、わかりました。先生、私11月25日からイタリア旅行に6日間行くんですけど、行っても大丈夫ですかねぇ~?」改めて再確認である。

「治療を一旦休んで行かれてもいいですけどねぇ~!」

当然先生は呆れた様子である。当たり前である。
治療を休むと今までの治療が無駄になってしまうのだ。
わたしも髪が抜けて鼻毛も抜けた状態で空気が乾燥した飛行機に12時間以上も乗っていて、誰か一人でも風邪を引いた人がいると一発で風邪が移ってしまう。
抵抗力が弱っている体でそんな危険な状態の中に入り込んでいくなんで無謀である。姉にも大反対されていた。
私は、これも一つの思い出づくりだ~い!何があっても絶対にイタリア旅行には行ってやる、なんて浮かれていたのである。
私は、浮かれ気分を反省した。

「先生、私やっぱりイタリア行きは止めて治療に専念します。」

「そうですね、治療が終ってからいくらでも行くことが出来ますからね。」

第1回目の化学療法の日程を決めて診察室をあとにした。
私はいよいよ化学療法が始まることに少し不安を覚えた。
前々から先生や看護師には脱毛が一番心配だということをしつこい位何度も話している。もうジタバタしてもしようがないからなるようになれぇ~!

病院を出て、すぐさま入管へ書類を持って行く。
いつも一時間位は待たなければならない。
その間、イタリア旅行へ一緒に行くことになっていたKちゃんへメールする。
事情をメールで打って旅行をキャンセルすることを伝えた。
Kちゃんはすでに私が旅行をキャンセルするかもしれないことを想定して別の友人に当たっていたみたいだ。
しかし、出発が迫っていたこともあり一緒に行く人が見つからないということで諦めたみたいだ。
“やっぱり今回の旅行は**さんが行けないので私も行くなっていうことよねっ。**さんが元気になったら今度こそ一緒に旅行へ行こうね!”

うん、うん、私はその日まで待っているよぉ~!
結局、入管で書類を受理してもらったのが3時前。大急ぎで会社へ戻る。

定時に仕事が終わり、姉に迎えに来てもらう。
毎日お迎え付きだったらとっても楽チンなのに!って都合のいい事を考える。
車に乗り込み、夕食の材料を買出しに行くことにした。

免疫力を高めるために食材は魚介類、植物性蛋白質、きのこ類、緑黄色野菜等を中心に買い込んで行く。
ご飯だって、今回の病気を機に玄米食に変えたのだ。
今までも母にしつこい位食生活については注意されていた。
そのしつこさが更にパワーアップされ、電話があるたびに大豆がどうの、緑黄色野菜がどうのとクドイ位に言われる。
私を気遣ってくれていることは有り難いけれど程々にお願いしますね。
姉に自宅まで送ってもらい姉はそのまま出雲へ帰って行った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友人からのお見舞い第3弾

2004-10-16 | 乳がん日記
眠い~!
今日はお休みだから朝からず~っと布団の中に入っている。
手術は相当体力を使っているから体が疲れているのかなぁ~?
なんて勝手に思いながらもなかなか起きられない。

結局一日どこにも行かず家でダラダラと過ごす。そう言えば友人が善光寺のお札を送ってくれるって言っていたのでもうそろそろ届くはず。
夕方になって、メールボックスに郵便物を取りに行ったら友人からの手紙が届いていた。
早速封を切る。
中から出てきたのは、善光寺のお札、図書券、そしてお手紙。

友人はお仕事柄、人前で講演をすることが多く話の内容がとっても面白い。
パソコンで書いてくれたお手紙は2枚。
最近の近況を面白おかしく書いてくれている。
文章の構成も面白いし親父ギャグ炸裂でゲラゲラ笑いながらお手紙を読ませて頂く。

何度も読み返しながら、色々と楽しかった日々を思い出していた。
今度友人に会えるのはいつだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リンパ液抜き取り

2004-10-15 | 乳がん日記
退院してから会社への出社時間を9:30から9:00に変更してもらった。
この会社は、自分で時間管理が出来るのでかなり融通が利く。

昨夜から右脇の腫れと痛みがあり急遽外科外来へ行く事にしたからだ。
事前に外科外来へ電話をしておきお昼休みを利用しながら診察して頂く。
いつもの主治医の先生はいない。
別の乳癌の専門医の先生でした。

診察室に入りベッドに横たわり、リンパ液を抜いてもらう。
この前の太い注射がでてきた。

先生は、“は~い、抜きますよ~!”といい、なかなか終らない。
私は一度リンパ液を抜いて器へ捨てる作業をカウントしていたら、6回とちょっとだった。
そう、200mlも溜まっていたのだ。右脇はすっかりペッチャンコ。
右腕の上げ下ろしも楽チン!!!

また元気になったわたしは軽快な足取りで会社へと帰って行った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

術後の初出勤

2004-10-12 | 乳がん日記
「おはようございま~す!」

「あらっ、**さんもう退院したの?早いねぇ~!」

そうなのです。会社の同僚には、絶対お見舞いに行くからいつまで入院するか教えてね!て言われていました。
だいたい1週間くらいの期間だと思うよ、と言っていたのに三泊四日で退院しちまったものだから、皆唖然として、**さん大丈夫?と声を掛けてくれる。ありがとう、その気持ちが嬉しいぜ。

術後なので右腕が思うように使えない。
腫れもあるし、リンパ液も溜まっているようだ。
しかし、仕事自体はあまり忙しくないので出社していても体がしんどいという事はない。
一日が何事もなく終わり、会社を出たら姉から電話があった。

「今、**さんの家の前まで来たんだけど迎えに行こうか?」

来ることは全然聞いていないのに姉が出雲から突然やって来た。
私は迎えに来てもらうために会社の場所を説明したけどわからないらしく東区スポーツセンターの前で待ち合わすことにした。
結局徒歩で約20分も歩く羽目になってやっと東区スポーツセンターに到着。

「**さんの会社の場所を確認しておくから、今から案内して!」

姉に言われ、車に乗り込んだ私は会社の前までナビをする。
これからまた何度か会社まで迎えに来てもらうことがあるかもしれないもんね。

その後一緒に買い物をして帰宅した私達は、術後の事とか色々と話し合っていた。私は右脇が痛くて腫れていることを姉に訴えると、すぐさま病院に行こうということになった。

「**さん、術後は何があるかわからないからどんな小さい事でもとにかく病院へ行って!」

私は病院の夜間受付へ電話をして診察して頂くことになった。
姉に病院まで送ってもらって受付をする。
治療まで少し時間がかかりそうだったので姉にはもう帰ってもらうことにした。
今8時過ぎなので11時頃には帰宅できるはず。
明日も仕事なので姉には少しでも早く帰って休んでもらうことにした。
夜間診療で診て頂いた先生は、この病気の権威の先生。

「さっき、先生(私の主治医)がお昼ご飯を食べていたよ。」

ヘエェ~、そうなんだ~!と思いながら、外科の先生って本当に忙しそうである。
診察台に横になり、患部を見せる。

「リンパ液が溜まっているようだから、抜きましょうね。」

太い注射針を患部へ射してリンパ液を抜き取ったら約30mlもあった。
痛みがやっと治まって右脇も少し楽になった。
治療後、バス停に向かいながら秋の夜の肌寒さを身にしみて感じていた。
これからどんどん寒くなっていくよなぁ~。
春に向かって治療をするんだったらいいのにってふと思った。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入院四日目、そして退院

2004-10-10 | 乳がん日記
病院の朝は早い。
6時過ぎにはもうバタバタとしている。
看護師がきて他の患者さんに声を掛けている。
その内主治医の先生が回診に来て下さった。そこで早速、

「先生、12日に退院するって言いましたが、出来れば今日退院してもいいですか?」

「そうですね、看護師からも聞いていましたから、退院してもいいですよ。後でまた必要書類をお渡ししますね。」

結局、私の入院生活は3泊4日で終了することになった。
退院の準備もあったのでお昼ご飯を食べてから退院することにした。

朝食を食べてからの私は慌ただしく身の回りの片づけをしながら荷物をかばんに詰め込む。
おっぱいがなくなった事を除けば、見た目は入院前とちっとも変わらない。
なのに私は乳癌患者!でも、今は何も考えず前向きに行こう。そう言えば姉は、

“私、今は何も考えたくないんだ。”と言うと、
“もう少し自分のことを本気で考えたら!”っていつも怒られる。
だって、今はなるようにしかならないんだもん。辛いことは考えたくな~い。

看護師が“退院療養計画書”と“退院に向けて”というパンフレットを持ってきた。
やはり目につくところは「再発の可能性」である。
手術は一つの治療法で私にはこの後化学療法が待っている。
しかし、やはり今は何も考えないことにした。

お昼ごはんの時間です。
これが病院で食べる最後のお食事。
独居の私には栄養やカロリー計算をして出された献立は本当に有り難い。
病室の前にある掲示板に病院食についてあれこれと要望が書いてあったけど、自分で料理を作ることの大変さを考えれば上げ膳据え膳ほど幸せなことはないのである。
この入院中に出されたお食事に感謝してお膳を下げに行きました。

いよいよ退院です。
ナースステーションに挨拶に行き、そして病室の皆に別れの挨拶をして病室を後にした。
久々に外の空気。
周りは少しも変わっていない。
タクシーに乗り自宅まで帰ってきた。
たった三泊四日の外泊なのに妙に懐かしかった。
早速荷物の整理をする。
洗濯をして大体片付いた頃、入院中にビーズ細工をしようと思って出来なかった指輪を作ろうと思いついた。
しばらくすると昨日メールがあった広島在住の友人からメールが入る。
まだ退院したことを伝えていなかったけど私が自宅にいるということで何か買って来ようか?なんて聞いてきたけど、多分癌患者のことをあまり理解してくれないだろうと思いお見舞いを丁重にお断りしたらあっさり受け入れた。
手術の大変さがわかっていたら無理やりきてくれるはずなのに。
なんて勝手に考えていたけれど、皆自分の事が大事で他人の事は後回しになるものである。
本当は会って色々と話をして一人でも多くの人に私の病気をわかってくれて慰めて欲しいと思っていたけど諦めた。

3時位から作り始めていたビーズの指輪が出来たのが5時過ぎだった。
作り終えたあと、私は急に涙が止め処もなく流れてきた。
右のおっぱいに手を触れ、鏡に映し出す。
やっぱりおっぱいがない。
もう元通りの美乳には絶対に戻れないのよね。
術後、初めて流した涙である。
退院してからも一人ぼっち、側で支えてくれる人もいない、そして友人のそっけない対応。
悲しくて悲しくて涙が止まらない。

乳癌手術をした夜、患者さんは悲しくて一晩中泣き腫らした。

なんて書いてあったけど、今その気持ちの真っ只中に私がいる。
この辛い気持ちを誰かに伝えて慰めてもらいたい!
『あなたは一人じゃないのよ、私たちがあなたのことをこれからもずっと支えてあげるから安心しなさい!』なんて言葉を誰かにかけて欲しい……。
泣きたいときには思いっきり泣こう。
我慢なんかしないわよ!

夜ごはんを食べる前に母に退院したことを連絡した。
「ええっ?もう退院したの?早すぎない?」
後日母は私が三泊四日で勝手に退院したことを怒っていたと姉に聞いた。
すみません、あまりにも退屈だったので自分で決めました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入院三日目

2004-10-09 | 乳がん日記
おなか空いちゃった。術後の感想である。
昨夜は一睡も出来なくて朝ごはんが楽しみでしようがなかった。
前日断食していれば当然である。
朝食のおかゆを食べながら食べることの幸せを味わっていた。

食後、早速主治医の先生の回診だ。痛みはどうですか?はい、大丈夫です。いつ退院しますか?

一人暮らしなので12日にしたいと思います。はい、わかりました。ではそのように手配しておきましょう。
私の主治医の先生の話し方はとっても穏やかでわかり易く優しい。
看護師の信頼も厚くファンも多いようだ。
わかるような気がする。私も先生で良かった。

その後、乳癌の権威の先生も回診してくださる。どうですか?はい、痛みはあるけど大丈夫です。いつ退院するの?12日です。そうね!早い人は三泊四日で退院するよ。ヘッ?そんなに早いんだぁ~。確か乳癌のパンフレットにも入院日数の短縮が書いてあった。

めての入院は本当に退屈である。テレビを見ても飽きるし、問題がなければ明日退院しちゃおうかなぁ~?私が三泊四日で退院するとこの病院の入院日数の短縮記録がまた縮まるよ~!なんて、しようもない事を考えていた。

母がやってきた。実家は稲刈りで忙しいのに三日間私のマンションに泊まり私を看病してくれている。
本来ならば逆の立場なのになんて親不孝な娘なのでしょう。
なのに母は、もう少し私がしっかりして長生きしなくっちゃいけないね。
なんて私が言うべき言葉を変わりに喋ってくれた。
お母さんごめんなさい。私の方が絶対長生きしますから無理しないでね…。

お昼前に姉がまた来てくれた。7日に来て8日の朝一で出雲へ帰り、今日またお見舞いにきてくれた。
短期間に2度も長距離運転をしている。
今は一番頼りにしている姉なので母と同様余り無理をしてほしくないです。
私の治療は長丁場なので…。

丁度お昼ご飯の時間だったので一緒に食事をする。
手術も終わり元気な私の顔を見ると後は三人とも暇を持て余す。
屋上に庭園があったことを告げ、三人で屋上に向かう。ここはなんて絶景なのでしょう。
広島観光に来た人に是非この病院の屋上に上がってもらってこの素晴らしい景色を見せてあげたいと本気で思いました。正に穴場である。

しかし、病院で時間を潰すことはそんなに容易ではない。はっきり言って退屈。
母と姉も忙しい中病院に駆け付けてくれたのでここで、もう大丈夫だから帰って!その言葉を待ってましたと言わんばかりに二人は帰って行った。
ありがとう。
お母さん、お姉ちゃん。
私はもう大丈夫よ。
今は一人だけど頑張るわ。

その後テレビを見ていたら市内在住の友人がお見舞いに来てくれた。
もちろん私はノーメイク。
市内在住の友人はこの病院の常連客(?)のようですんなりと私の病室にやってきた。
右乳首がないことがばれない様にすぐさまガウンを着て誤魔化す。
病名なんか絶対に秘密である。
誰にも言うつもりはない。会話の中でも病名が絶対にわからないように言葉を選びながら話をする。
かなりお年を召した方なので私が術後は長期治療が必要!なんていうと病名を察するかもしれない。
いずれにしても手術が大変だったことがわかってくれる人は有り難い。
当然お見舞いを頂きました。後日退院祝いを渡すから待っていてね。

夕方、KANちゃん登場。
入院する前から私の事を気遣ってくれてお見舞いに来ると言ってくれていた。
夕ご飯を食べた後だったので、KANちゃんが買ってきてくれたケンタッキーの野菜スープだけを頂く。
メールでは何かあったらお互い助け合おうねと言ってくれている優しい友人である。
独居でいると身内より友人が頼りになることがこれからあるかもしれない。そんな優しい友人をもっと増やしておかなくてはね。

KANちゃんが帰ったあとはもうベッドに横になってテレビを見ることしか楽しみがない。
こんなことなら明日にでも退院しちゃおうかなぁ~!
8時頃検温と血圧を測りに来た看護師に、

“12日に退院するって主治医の先生に言いましたが、出来れば明日退院したいんです。大丈夫ですかねぇ~”
“多分問題ないと思いますよ。主治医の先生に確認してみますね。”
もう、私の気持ちは明日にでも退院して自宅でゆっくり出来るかも。
なんてワクワクしていた。

夜9時過ぎ、久々に市内在住の別の友人からメールが入る。今回の入院、手術のことは話をしていない。
彼女はこの8月末に一緒に温泉一泊旅行へ行った帰りに、ある男性の癌患者に対してもう余命が短いのに良いと言われたものは何でも試しているみたいよ。そんな事をしても無駄なのに!
なんて否定的な考えだった。私は一生懸命に生きようとしている彼の気持ちはわかる。
私は弟を癌で亡くしているので、その彼にも何としてでも生きて欲しいと願っていた……。
やはり彼女にも病名は絶対に伝えまいと思った。お見舞いに来ようかと尋ねてきたので明日退院するかもしれないので来なくてもいいと伝えた。

今日は珍しく福岡在住の友人からもメールが入ってきていた。
本当は彼女には病名をきちんと伝えておこうと思ったが、すぐに会える距離ではないので今の段階では病名は伏せておき、手術をすれば治る病気だと言っておいた。もう少し時間が立ったら詳しく説明をするから、その時は慰めておくれ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入院二日目☆手術

2004-10-08 | 乳がん日記
手術当日。お母さん、早く来て!

朝から絶食。「**さ~ん、浣腸しますよ~!」9時過ぎに看護師が楽しそうにやってきた。
いちじくなら自分でやったことがあるのに、今回のそれは5倍くらい大きい。
看護師と共にトイレに入り浣腸を打ってもらう。

「いいですか。5分位は我慢してくださいね。ちゃんと出たか便の様子も見てくださいよ。」

おなかが痛い。
我慢できない。
多分1分も立っていなかったと思う。
大量に出た。
その後手術予定時間の午後1時40分まで私は何度かトイレに行く羽目になる。

母が病室に来たのが11時位だった。
遅い。
何も用がなくてもこんな日は早く来るものなのです。

定刻通り看護師が病室に迎えにきたので、いよいよ手術室へ向かうことに。
「お母さん、私のかばん持ってて。あっ、ちょっと待って。」
一度渡したかばんを返してもらい、私はかばんに忍ばせておいた友人と一緒に写した写真を見ながら、私も頑張るからちゃんと応援してね。と心の中で祈った。

3Fの手術室には看護師と母と3人で徒歩で向かった。
歩けるのだから当然といえば当然だ。
母とはここでお別れ。
手術室の前にある家族用の待合室で待機。
手術室入室の前に私は看護師に、午前中ずっとおなかが痛くてトイレに通っていたのでお漏らしをするかもしれない。
と告げると、大丈夫良くある事ですよ。と笑いながら答えてくれた。
看護師の笑顔に救われたぜ。
そして、病室で着ていたガウンとパジャマの上着を脱ぎ、手術用のガウンに着替える。

いよいよ手術台に乗った。
麻酔をするために血圧計、心電図、酸素飽和度計をつけ、体の状態をチェックしたら酸素吸入を口にあてる。
頭の中は母、姉、そして友人の事を思い浮かべていた。
そのまま酸素と一緒に吸入麻酔薬を吸い私は深い眠りに入った。

「**さ~ん!手術が終わりましたよ。」

看護師の呼びかけによって目が覚めた。よかった。ちゃんと目覚めたんだわ。

「**さん、昨日言った通り乳首も切除しました。」

主治医の先生の言葉にやっぱりかという諦めの気持ちが湧いてきたが、今は右乳房と右脇が痛い。
その後手術台からストレッチャーに移動。
意識が朦朧としていたせいか、この後のことは余り覚えていない。
今の私にとって大事なことはちゃんと麻酔から目覚めたことである。
ストレッチャーに乗った私は看護師と共に母と病室に帰る。
病室に帰るとすぐ酸素吸入(一晩中)を行う。
左腕には点滴、下半身には尿の管が挿入されている。
尿意がなくてもおしっこが勝手に出てくるのだ。
昔みたいにわざわざ尿瓶でおしっこを取ることがなくなったのね。とっても便利。感心している場合ではない。こ
の時点で私の胸がどこまで温存されているか確認したかった。
でも痛みがあったのでとにかく安静にすることが先決だった。
病室に帰って最初にしたのがメールのチェック。
友人から3時頃メールが入っていた。
私は起き上がることが出来ないので、無謀にも母から友人へ電話をしてもらうことにした。

私からの伝言は、
“手術は無事に終了したことと、善光寺のお札が送られて来ることを待っているよ。”ということ。

後日友人からは、
“突然お母さんから電話があってびっくりしたよ。でもお母さんから私の病状のことを聞いて安心したよ!”
エヘヘッ!母親に電話を頼むなんて困った娘である。

母が帰って行ったのは9時前だった。
今晩はショックで泣き腫らすかもしれないと思っていたが、何だか涙が出ない。
このよるは手術後なので2時間毎に検温と血圧検査があった。
結局、切除したところの痛さもあって一晩中眠ることが出来なかった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入院一日目

2004-10-07 | 乳がん日記
入院のためにでっかいバッグを持ってバスに乗り込む。
丁度シルバーシートが空いていたのでそこに座る。
普段なら健康なので絶対に座らないのにドカッと重い荷物を置き、自分も座る。
誰かに席を譲るようにと言われたら、私は癌患者なのでここへ座る義務がある!
文句ある?と大声で言いそうである。
10時前に病院の入退院受付カウンターへ向い、いよいよ始めての入院生活が始まる。

7階のナースステーションへ行き、言われた部屋番号へ行き荷物の整理が終わった後楽な格好に着替える。反対側にも今日入院した初老のご婦人がいた。
私と同じ乳癌患者である。
私も高齢だったら胸を切るのに全く抵抗がないよねぇ~!
この美乳がなくなるなんて…。
許せない!いつまでの美乳にこだわっている私がいる。

さあ、昼からは明日の手術に向けてMRI検査が待っている。けれどなかなか看護士から呼び出しがかかってこない。先にシャワーを浴びることになった。
手術したらシャワーを浴びることが出来ないので念入りに…、とのこと。了
解です。隅々まで綺麗に洗っておくよ。

部屋に帰ったら、看護師からナースステーションに来るように言われ、そこで色々と質問を受ける。
性格や食生活、生活習慣の質問だった。かなり事細かい内容を聞かれる。
手術を受けるのだから当たり前ですよね。

しばらくしてMRI検査を受けるよう看護士に告げられ、自分のカルテを持って地下2Fに向かう。
カルテは取っ手がついたナイロン袋に入っている。ファスナーを開けられないように鍵がかかっている。う~ん、残念!中が見たい。
検査室に入り、ガウンに着替える。
いよいよ装置の所に行きうつ伏せになる。おっぱいの場所に二ヶ所穴が開いていて、自分の乳房を入れるようになっている。

「ちゃんと乳房が入っていますか?」

検査技師に胸を触られる。

今は切り取るので好きなように触っていいよ。と言いそうである。
自分のおっぱいのようであっておっぱいでない。
穴あき装置が面白いと笑っている場合ではないね。
豊満なおっぱいはみごとに穴にすっぽりと収まった。
こんなときだけ、貧乳でなくてよかった!と、妙に納得!

病室に帰ってしばらくすると、手術室看護師2名が病室に訪問し、明日の手術の説明をして下さる。私の緊張を和らげるために声を掛けながら優しく説明して下さる。

夕方になり、看護師に「家族の方は見えますか?主治医の先生からお話があるようです。」

母も姉もこちらに向かっているので連絡を取り病院への到着時間を伝える。
5時15分、母と姉が到着。夕ごはんが終わっていよいよ最終打ち合わせが始まる。

6時半頃、私達は主治医の先生とミーティングルームへ行き、詳しい説明を受ける。
CT、MRI、レントゲンの画像がホワイトボードに貼り出される。
画像を見て右乳首まで白くなっているのが素人の私でもわかる。
先生は乳首の上の部分を切除すると最初に言われたけど、この画像を見る限り乳首まで切除されそうだ。
案の定、

「残念ながら乳首まで切除しないと癌は取り除けないです。仮に乳首を半分温存しても断端に癌細胞が確認された場合、再手術をしなければなりません。リンパ腺の方も二ヶ所しこりがありますので、リンパ節郭清をした方がいいでしょうね。これは手術の最中にリンパ節をとって診断させて頂きますので問題なければそのままにしておきます。《センチネル・リンパ節術中診断法(凍結病理検査)》」

承諾書に母か姉かが署名して押印を求められ、母が今印鑑がないわ。とポロッと言った。
私はたまらなくなって母を睨んでしまった。
今は私の乳房をどこまで温存するかが問題である。
それによって私の乳房はかなり変形することになるし、乳首があるのとないのとでは大きな差があるのだ。
乳首があることによって少しは他人に見られても平気であるが、ないとなるとそれはペロンとしたわずかな膨らみがあるだけ。
想像ができない。
申し訳ないけど印鑑の事なんか今は問題にしないでー!

7時半過ぎ、先生とのミーティングも終わり私達は病室に戻った。
会話が全くなかった。私は乳首を失うかもしれないという恐怖で一言も喋れなかった。
もちろん顔も強張っていた。母も姉もそれを察しているようだった。

「お母さん、お姉ちゃん、もう帰っていいよ!」

私の言葉に救われたように母も姉も別れの挨拶だけをして帰って行った。
手術前日は説明がいっぱい。
麻酔の説明がまだ済んでいなかった。
今回の手術は全身麻酔である。
麻酔科の先生は忙しいらしく説明に来られたのは消灯時間もまじかに迫った頃だった。
とにかく、全身麻酔と聞いただけでも怖い。
もし、麻酔から目覚めなかったらと思うだけでも気が気ではない。
先生から全身麻酔の方法や合併症の説明を聞き、取り合えず色々な不安から解き放たれることができた。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決断

2004-10-06 | 乳がん日記
再び広島市民病院へ電話する。
師長に昨日手術を延期したことを詫び、やはり予定通り手術を受けることを告げ、いつでも構わないので手術の予定を組み入れて下さいとお願いをする。

少しして、入院の日取りが決まったと師長から電話が入った。最初の予定通り、7日入院、8日手術。そして主治医の先生とも電話で話すことが出来た。

「お気持ちはとってもわかります。やはり迷いがあったんでしょうね。うちの病院で手術を受けることを了承されるんですね。わかりました。一緒に頑張りましょう!」

先生、ごめんなさい。私はとんでもないことを考えていました。私の体は先生に全てお任せします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷静になれない私

2004-10-05 | 乳がん日記
朝一番に姉に電話して手術を延期することを告げる。

「わかった。あなたがそんなに言うんだったら私もあなたと一緒に頑張るわ。」

お昼過ぎに母にも電話する。
「えっ、何で?わかった。お姉ちゃんもそう言っているんだったら、あなたの言うとおりにするわ。」

母と姉の了承を得たあと、私は広島市民病院へ電話をして手術の延期を告げる。理由は、
『まだ精神的に手術を受け入れる状態じゃーありませんので、手術を延期してください。』


この時点で私は手術を受ける気など全くなかった。というか、美乳に傷をつけたくなかった。
おっぱいがなくなることで私の魅力が半減してしまうと内面のことは棚に上げて肉体の美醜だけを考えていた。


延期した理由。
『癌の治療は手術しかないと思い込んでいて、他の選択肢を全く聞いていませんでした。(病院からは事前に治療の説明もちゃんと聞いているし「これから乳癌手術をうけられる方へ」というパンフレットで詳しく説明してあるし免疫療法のことも書いてあった)やっぱり手術は体力を消耗するし、おっぱいは変形して抗癌剤治療や放射線治療で体はボロボロ。出来ればおっぱいを切らずに食事療法や免疫を高めて癌を治すことが出来ればいいなって思います。母も姉も急な延期でなかなか理解してくれなかったけど色々と話したらわかってくれた』

この内容で友人にメールを送信したらすぐに電話が架かって来た。
「何を考えているんだ。素人がそんなこと言ったらだめじゃないか。ちゃんと手術しなきゃだめだ!何を見てそんな事を言っているかわからないけど、医者が言っていることをちゃんと信用しろ!医者に任すしかないんだから!ちゃんと手術しろ!あなたが言っている免疫療法のことも先生にちゃんと聞いてみろ!とにかく家族を振り回すなぁ~!」

私は頭を鈍器で打ちのめされたような感覚を受けた。
なんて馬鹿な事をしているんだろう。
私はいろんなことを冷静に考えることが出来なくなっていた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手術の前の不安

2004-10-04 | 乳がん日記
本来なら明日から入院、明後日手術。という予定になっていたが7日に入院、8日に手術と変更になった。仕事が終わって、久々に町へ出る。
そごうの紀伊国屋書店に行き、癌関係の書籍を読み漁る。その中に「免疫を高めると病気は必ず治る」という本に出会う。私は「これだ!」と思い手術を延期することにした。
癌の発生パターンの原因は強いストレスの継続と書いてあった。
1.働きすぎ。
2.悩みすぎ。
3.薬の飲みすぎ。
この中で1と2は当てはまるけど3は当てはまらない。私は、乳癌の宣告を受けたときにすぐに夜のバイトの中止と冬の単発の仕事は入れないことにした。よく考えたら本当に働きすぎであった。いくら昼間の生活が苦しくても病気になってしまったら元も子もないよね。反省をしてももうすでに遅いのである。これからは免疫力を高めるために日々の生活も食生活も変えていかなくてはいけない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする