A black cat and I・・・☆

人生、前向きに…!乳房再建等5回目の手術を経験して、今は既往症や趣味や猫の事など、日々の出来事を適当に綴っていきま~す。

セミナー参加

2005-08-20 | 患者会&がん友
2005ブレストケア・ピンクリボンキャンペーンとして、“ランチョンセミナー”がリーガロイヤルホテル広島4階ロイヤルルームで開催されました。
今日のテーマは、乳がんと食事・栄養・予防・回復・治療をサポートする。
サブテーマは~楽しく食べて人生愉快に~!
申し込みがギリギリだったけど何とか定員300名の中に入ることができた。

会場に到着すると私たち乳がん患者の他に一般のお客様も何人か参加していた。
受付を済ませると私が入会している患者会の代表者の方がいて、ステージ前方の12人がけの患者会の方達と同じ丸い席に座らせて頂くことになった。


第一部、お二方の基調講演が終了し、いよいよ第二部のランチの開始。
ちゃんと栄養士さんが私たち乳がん患者のために簡単に作れるレシピを考えて下さっていた。そのメニューをリーガロイヤルホテルのシェフが腕をふるっておいしく作って下さった。


同じテーブルについた方と情報交換をしながら、食事をとっても美味しく頂くことができました。
前回4月に患者の会へ参加したときにお会いした方も同じテーブルだったので、その後のお話を聞いたり、現在の状況を聞いたりしてとても参考になりました。
その患者さん達が仰るのは、『私達は今水泳を始めているので、とにかく何でもいいから運動をしなさい!』
ということでした。
やはり、同じ病気なので何でも気軽に言えるし、自分の気持ちをぶつけられるのはある意味ストレス発散になりました。


私たちがん患者にとって食事は毎日のことでとっても大事なのでこんなセミナーだったらいつでも参加したいです。
今回のランチョンセミナーは、ピンクリボンキャンペーンとしては始めての試みでしたが、ちょっとお洒落をして優雅なランチを品良く頂けるのはちょっとした非日常の世界を味わっている感じでした。
がん患者は精神的に安定しないこともよくあるので、三大欲の中の食欲が満たされるのは本当に幸せを感じます。
できれば、この行事を恒例にして頂きたいと思いました

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雄琴温泉雄山荘~京都

2005-08-17 | 旅行
8月16日(火)
午前中、会社へ出社。10:30早退。朝一番に友人よりメールがあったのに気付かず出発時間が遅れてしまった。大急ぎで帰宅して着替えをした後広島駅に急ぐ。
11:19広島発13:04京都着。行きの新幹線は帰省のピークのため立ちっぱなしでした。友人と京都駅で合流し、京都の食堂街でランチ。駅のショッピングモールで買い物。ロゼのシャンパンも忘れずに購入しました。

京都駅から雄琴温泉まで電車で20分。とっても近いです。送迎バスが来ていたのでバスに乗り込み3時過ぎに雄山荘へ到着。チェックイン後、お部屋へ案内される。少し寛いだ後、早速ジャグジー付露天風呂へ入る。到着が早かったせいか、二人とも早々とお酒を飲み始める。途中、友人がおつまみを買いに行ってくれた。冷蔵庫に入っていたお酒は夕食までに殆ど飲みつくしてしまった。もちろん、夕食時にお酒を追加する。その後は何度も何度も露天風呂へ入る。入りたい時にすぐは入れるのが露天風呂のいいところ…!誰にも邪魔されず二人だけの時間を過ごしました。6:30夕食。

8月17日(水)
8:00朝食。朝から迎え酒のビールを頂く。私には初めての経験。朝食後、もう一度露天風呂へ入る。
9:30過ぎにチェックアウト。雄琴駅まで送ってもらった後、雄琴駅から一駅の比叡山坂本駅で下車し、坂本ケーブルまでタクシーで行きケーブルカーで比叡山を目指す。乗り換え時間のロスがあまりなかったので、比叡山にはすぐ着いた。

ケーブル延暦寺に到着し東塔エリアに向かう。根本本堂ではこの先ずっと健康で長生きが出来るように病気平癒の祈願をしました。その後バスセンターで11:21発京都行きのバスへ乗車。12:15過ぎに河原町で下車。ランチのため商店街を物色したけど、なかなか良い所が見つからなかったが、路地裏への看板を見つけ、そこでランチを食べることにした。京都らしくうなぎの寝床みたいに細長い長屋である。ランチは女性向けでボリュームがなかったので友人に申し訳なかったです。案の定、食後にコーヒーを飲みに行ったときにケーキを注文して食べていました。

折角京都へ来たので、タクシーで清水寺へ行くことにした。日本の有名な観光地なので外国人がいっぱい!ゆっくり散策した後、友人が疲れたみたいなので休憩することにした。
京都駅へ着いたのは夕方。
18:12発の新幹線で帰広した。夏季休暇のピークを過ぎていたが何とか座席を確保できた。
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抗癌剤治療を終えて…☆

2005-08-04 | 乳がん日記
昨年の9月、乳癌を告知され10月に市内の病院に入院して乳房温存手術を受け、3泊4日で退院し、病理検査の結果により11月から抗癌剤治療を始めて、昨日までの約10ヶ月間で全ての標準治療が終了しました。

リンパ節の転移があったので治療の効果が大きく副作用も大きいETC治療を受けることになった。当初の治療終了予定が6月位だったので、2ヶ月も余分に係ってしまったことになる。
告知されてからものすごくショックを受け、自宅で一人でいるときは自然と涙が溢れ出て、もうこのまま死んでしまうんじゃないかと悪い方へ悪い方へと考えてしまってすごく落ち込んでいました。
癌になるということは、自分に何かの原因があるはずだ。
癌細胞は皆が持っているけれど、何かの拍子にそれが突然いい細胞を破壊して侵していく…!
食生活だって今まで生きてきた人生だってどこかに免疫力が低下するようなことをしてきたはずだ。
考えれば考えるほど自分のことを責めてすごく否定していた毎日でした。
しかし、クヨクヨしていても何も始まらないのでとにかく抗がん剤治療を日々の生活の中でルーティンワークとして乗り切って行こうと決意した。

幸い私は仕事を失うことなく、正常な生活のままで最初の点滴であるファルモルビジン(4回)の抗癌剤治療を開始することができた。
勤務時間で色々と融通が利く会社でもあり、自分で時間管理ができたのでなんとか治療をこなすことができた。
治療当初、抗癌剤治療と言えば副作用として脱毛・吐き気・倦怠感等、色々と不安があった。一番不安だったのが、脱毛だ。
通勤しながら治療を行うということは、脱毛も皆に知れてしまう。
地毛から“かつら”への切り替えが一番不安だった。なんせ、会社の同僚には病名を言っていないし、私が3泊4日で退院したものだから、まさか癌なんてちっとも思っていない。しかし、“かつら”を被っていくと病名が一発で知れてしまう。治療で脱毛する病気として浮かんでくるのが癌ですものね。
今振り返ってみれば、この時がいろんな意味で一番気持ちが揺らいだ時期だと思う。“病名がバレる。”“私の不幸を皆はどんな目でみるんだろう~”
などと、世間の目を気にしていた。
しかし“かつら”を被っていった私に会社の同僚は『よく似合うね~!』って言ってくれた。私の病気に気を使って言葉をかけてくれたのがよくわかった。この言葉に気を良くした私は5つある“かつら”を毎日とっかえひっかえして被っていった。辛い(?)治療の中で私は皆の視線を気にすることなくお洒落を楽しむことができた。しかし、帰宅して髪の毛がどんどん抜けていくのを鏡で見ながら涙していたのを覚えている。私はず~っと泣き続けなければならないのかと不安をかかえながら生きていた。
現在、医療の進歩で抗癌剤治療も外来で行われるようになったので、精神的な心の不安を癒すケアがすごく必要だと思った。
私は独居だったので、どこにもぶつける所がなくって悶々としていた時期もあった。なんで私の気持ちをわかってくれないの?私にもっと優しい言葉をかけて!私はこんなに悲しい気持ちになっているのにって、結構思っていた。やはり、同じ乳癌患者でないと気持ちが伝わりあうことがない。

タキソール(12回)の治療は、計画では毎週点滴することになっていたけど、白血球の減少で度々点滴を飛ばすことになった。副作用としては点滴の途中に何故だか腹痛がしたりしたけど、皮膚や爪の変色・手足のしびれでピリピリ感があったけど全体的には軽い方だった。とにかく気分転換にと旅行の計画ばかりを考えていた。

点滴最後の治療はエンドキサン(4回)。
この治療が一番きつかった。
今まで吐き気が全くなかったのが、この点滴は打ったその日に吐き気を催して食事を食べる気にはなれなかった。体重も2~3kgは減少した。空腹でも食べられないと言うことを始めて経験した。

6月中旬からは放射線治療(30回)が始まった。
会社が9時からだったので無理を言って治療予約時間を8時40分にして頂いた。実際治療の開始は8時20分頃からだったので、何とか勤務前に治療を終えることができた。しかし、この時期は梅雨のムシムシした湿気の中から夏の暑い時期だったので汗を掻き洋服がビッチャンコになりながら、通ったものです。
振り返ってみると抗癌剤治療が辛いと思ったことは余りありませんでした。これで体の中の悪い細胞を叩き出すんだって思ったら辛くないってね!
今こうやって元気に過ごしていられるのは、家族や友人の支え、メールでの励ましがあったから頑張って来れました。
本当に感謝します。

母にも迷惑をかけた。たまたま私の所に泊まりに来ていた時脱毛が始まり、一緒に居合わせて私がワンワン泣いているのに何も出来ずにいたことを悔やんでいた。
実家に帰った母に姉が電話をしたら、母は何も出来ない自分に対して泣いていたと聞いた時、私は何てことをしたんだろう!本来ならば私が母の面倒を見なくてはいけないのに…。皆、苦しくて悲しんでいるんだ。母も姉も私も…。私と一緒になって戦ってくれているんだ。私は家族の愛を強く感じた。多分一人だったら途方にくれて自暴自棄になって自分を追い込んでいたかも知れない。

今は手術で腫瘍切除し抗癌剤治療による完治で3ヵ月毎の経過観察に入っているけれど、再発転移の不安は拭い去れない。しかし、常に病気の事ばかりを考えているとそれこそ精神的に参ってしまう。これからの人生、どーなるかわからない。
私はこの病気になったことで人生を深く考えることが出来た。
健康でいることがすごく有り難いと思った。
これからは何事も後悔しないようにしたい。
あの時、何でしなかったんだろう~!と思わないように。
とにかく楽しい事をどんどん計画して悔いのない人生を過ごして行きたい


 
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放射線治療

2005-08-03 | 乳がん日記
私の放射線治療は、1日2グレイ×25回(+追加照射 1日2グレイ×5回)

2005.06.22 3ヶ所照射
2005.06.23 3ヶ所照射
2005.06.24 3ヶ所照射
2005.06.27 3ヶ所照射
2005.06.28 3ヶ所照射
2005.06.29 3ヶ所照射
2005.06.30 3ヶ所照射 診察
2005.07.01 3ヶ所照射 採血
2005.07.04 3ヶ所照射
2005.07.05 3ヶ所照射 診察 白血球の注射
2005.07.06 3ヶ所照射
2005.07.07 3ヶ所照射 白血球の注射
2005.07.08 3ヶ所照射
2005.07.11 3ヶ所照射
2005.07.12 3ヶ所照射
2005.07.13 3ヶ所照射 白血球の注射
2005.07.14 3ヶ所照射 診察
2005.07.15 3ヶ所照射 採血
2005.07.19 3ヶ所照射 診察 白血球の注射
2005.07.20 3ヶ所照射
2005.07.21 3ヶ所照射
2005.07.22 3ヶ所照射 白血球の注射 
2005.07.25 3ヶ所照射
2005.07.26 3ヶ所照射 白血球の注射
2005.07.27 3ヶ所照射 診察
2005.07.28 1ヶ所照射
2005.07.29 1ヶ所照射 採血
2005.08.01 1ヶ所照射
2005.08.02 1ヶ所照射
2005.08.03 1ヶ所照射



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