手術当日。お母さん、早く来て!
朝から絶食。「**さ~ん、浣腸しますよ~!」9時過ぎに看護師が楽しそうにやってきた。
いちじくなら自分でやったことがあるのに、今回のそれは5倍くらい大きい。
看護師と共にトイレに入り浣腸を打ってもらう。
「いいですか。5分位は我慢してくださいね。ちゃんと出たか便の様子も見てくださいよ。」
おなかが痛い。
我慢できない。
多分1分も立っていなかったと思う。
大量に出た。
その後手術予定時間の午後1時40分まで私は何度かトイレに行く羽目になる。
母が病室に来たのが11時位だった。
遅い。
何も用がなくてもこんな日は早く来るものなのです。
定刻通り看護師が病室に迎えにきたので、いよいよ手術室へ向かうことに。
「お母さん、私のかばん持ってて。あっ、ちょっと待って。」
一度渡したかばんを返してもらい、私はかばんに忍ばせておいた友人と一緒に写した写真を見ながら、私も頑張るからちゃんと応援してね。と心の中で祈った。
3Fの手術室には看護師と母と3人で徒歩で向かった。
歩けるのだから当然といえば当然だ。
母とはここでお別れ。
手術室の前にある家族用の待合室で待機。
手術室入室の前に私は看護師に、午前中ずっとおなかが痛くてトイレに通っていたのでお漏らしをするかもしれない。
と告げると、大丈夫良くある事ですよ。と笑いながら答えてくれた。
看護師の笑顔に救われたぜ。
そして、病室で着ていたガウンとパジャマの上着を脱ぎ、手術用のガウンに着替える。
いよいよ手術台に乗った。
麻酔をするために血圧計、心電図、酸素飽和度計をつけ、体の状態をチェックしたら酸素吸入を口にあてる。
頭の中は母、姉、そして友人の事を思い浮かべていた。
そのまま酸素と一緒に吸入麻酔薬を吸い私は深い眠りに入った。
「**さ~ん!手術が終わりましたよ。」
看護師の呼びかけによって目が覚めた。よかった。ちゃんと目覚めたんだわ。
「**さん、昨日言った通り乳首も切除しました。」
主治医の先生の言葉にやっぱりかという諦めの気持ちが湧いてきたが、今は右乳房と右脇が痛い。
その後手術台からストレッチャーに移動。
意識が朦朧としていたせいか、この後のことは余り覚えていない。
今の私にとって大事なことはちゃんと麻酔から目覚めたことである。
ストレッチャーに乗った私は看護師と共に母と病室に帰る。
病室に帰るとすぐ酸素吸入(一晩中)を行う。
左腕には点滴、下半身には尿の管が挿入されている。
尿意がなくてもおしっこが勝手に出てくるのだ。
昔みたいにわざわざ尿瓶でおしっこを取ることがなくなったのね。とっても便利。感心している場合ではない。こ
の時点で私の胸がどこまで温存されているか確認したかった。
でも痛みがあったのでとにかく安静にすることが先決だった。
病室に帰って最初にしたのがメールのチェック。
友人から3時頃メールが入っていた。
私は起き上がることが出来ないので、無謀にも母から友人へ電話をしてもらうことにした。
私からの伝言は、
“手術は無事に終了したことと、善光寺のお札が送られて来ることを待っているよ。”ということ。
後日友人からは、
“突然お母さんから電話があってびっくりしたよ。でもお母さんから私の病状のことを聞いて安心したよ!”
エヘヘッ!母親に電話を頼むなんて困った娘である。
母が帰って行ったのは9時前だった。
今晩はショックで泣き腫らすかもしれないと思っていたが、何だか涙が出ない。
このよるは手術後なので2時間毎に検温と血圧検査があった。
結局、切除したところの痛さもあって一晩中眠ることが出来なかった。
朝から絶食。「**さ~ん、浣腸しますよ~!」9時過ぎに看護師が楽しそうにやってきた。
いちじくなら自分でやったことがあるのに、今回のそれは5倍くらい大きい。
看護師と共にトイレに入り浣腸を打ってもらう。
「いいですか。5分位は我慢してくださいね。ちゃんと出たか便の様子も見てくださいよ。」
おなかが痛い。
我慢できない。
多分1分も立っていなかったと思う。
大量に出た。
その後手術予定時間の午後1時40分まで私は何度かトイレに行く羽目になる。
母が病室に来たのが11時位だった。
遅い。
何も用がなくてもこんな日は早く来るものなのです。
定刻通り看護師が病室に迎えにきたので、いよいよ手術室へ向かうことに。
「お母さん、私のかばん持ってて。あっ、ちょっと待って。」
一度渡したかばんを返してもらい、私はかばんに忍ばせておいた友人と一緒に写した写真を見ながら、私も頑張るからちゃんと応援してね。と心の中で祈った。
3Fの手術室には看護師と母と3人で徒歩で向かった。
歩けるのだから当然といえば当然だ。
母とはここでお別れ。
手術室の前にある家族用の待合室で待機。
手術室入室の前に私は看護師に、午前中ずっとおなかが痛くてトイレに通っていたのでお漏らしをするかもしれない。
と告げると、大丈夫良くある事ですよ。と笑いながら答えてくれた。
看護師の笑顔に救われたぜ。
そして、病室で着ていたガウンとパジャマの上着を脱ぎ、手術用のガウンに着替える。
いよいよ手術台に乗った。
麻酔をするために血圧計、心電図、酸素飽和度計をつけ、体の状態をチェックしたら酸素吸入を口にあてる。
頭の中は母、姉、そして友人の事を思い浮かべていた。
そのまま酸素と一緒に吸入麻酔薬を吸い私は深い眠りに入った。
「**さ~ん!手術が終わりましたよ。」
看護師の呼びかけによって目が覚めた。よかった。ちゃんと目覚めたんだわ。
「**さん、昨日言った通り乳首も切除しました。」
主治医の先生の言葉にやっぱりかという諦めの気持ちが湧いてきたが、今は右乳房と右脇が痛い。
その後手術台からストレッチャーに移動。
意識が朦朧としていたせいか、この後のことは余り覚えていない。
今の私にとって大事なことはちゃんと麻酔から目覚めたことである。
ストレッチャーに乗った私は看護師と共に母と病室に帰る。
病室に帰るとすぐ酸素吸入(一晩中)を行う。
左腕には点滴、下半身には尿の管が挿入されている。
尿意がなくてもおしっこが勝手に出てくるのだ。
昔みたいにわざわざ尿瓶でおしっこを取ることがなくなったのね。とっても便利。感心している場合ではない。こ
の時点で私の胸がどこまで温存されているか確認したかった。
でも痛みがあったのでとにかく安静にすることが先決だった。
病室に帰って最初にしたのがメールのチェック。
友人から3時頃メールが入っていた。
私は起き上がることが出来ないので、無謀にも母から友人へ電話をしてもらうことにした。
私からの伝言は、
“手術は無事に終了したことと、善光寺のお札が送られて来ることを待っているよ。”ということ。
後日友人からは、
“突然お母さんから電話があってびっくりしたよ。でもお母さんから私の病状のことを聞いて安心したよ!”
エヘヘッ!母親に電話を頼むなんて困った娘である。
母が帰って行ったのは9時前だった。
今晩はショックで泣き腫らすかもしれないと思っていたが、何だか涙が出ない。
このよるは手術後なので2時間毎に検温と血圧検査があった。
結局、切除したところの痛さもあって一晩中眠ることが出来なかった。
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