なかなかテキパキとコトが進まない今日この頃。
お天気のせいにしてみたりとか、気分転換が必要などと勝手にシンドバットで判断したり行動したり・・・
いつもこの状態から脱する時には「感謝が足りてない」と思い直して、行動を変えようと努めてみたりしています。
昨日、畑に行ったら少し汗ばんだ暖かさだったが、体中が痒くなった。
帰宅して早々にお風呂にお湯溜めて夕方には入浴。誠に結構なご身分だこと
お天気が良かったので太陽光のお湯がしっかり出てくれました。
今日は朝からいつも行く寺院のご端教を拝聴いたしました。
いろんな気づきとか、迷っている時には心の拠り所にもなっていただいたりしています。
【今日の気づき】ご瑞教より
普段何気なく始めたことでも、あ、これは喜ばれているな、やりがいがあるなと思ったらつづけてください。
案外そうしたことから自分に向いているものが見つかるものです。
自分には自信がないから行動できない、ではなく、行動していくから自信が生まれるのです。
どうにもならないことはまず置いて、どうにかなることから手をつける。
できないことに気をとられ暗くなるのでなく、自分にできることを見出して、感謝で継続すること。
いつしか、どうにもならないことをどうにかできる人になれます。
なかなか歩みの遅い僕ですが、いつも見守られていることを感じます。
ちゃんと仏壇を通してお参りもしないといけないのですが出来ていません。
仏性なるものは誰にでもあるものとして、自分の心の鏡。
しっかり磨かないと見えるものも見えなくなってしまいます。
今日は教主様の生誕118年のお誕生日になります。
平成5年。父が癌に侵されて闘病生活をしている時に、母が家族入信して父の復活を願い続けていました。
そのようなものは嫌いだと言っていた父も母と一緒に願うように変わりました。
父の復活は叶いませんでしたが、信心を重ねながら病院生活から自宅介護に変える決断と母の身を削る思いでの介護で父が希望する通りに、『畳の上で死にたい』強い願いを叶えてくれました。
何事も生かされている人間が(自分の都合よく)思うことで、亡くなった人は何も発することは出来ないものですが、生ずるであろう幾多の迷いが信心を重ねて行くと消えていくこともあったりします。
今できることを 感謝の気持ちで 精一杯に尽くす
そして、自分自身を信じることが「自信」につながるものだと思ったりします。
この教えで幼くして亡くなった娘がいつも自分たちの傍に常住してくれている思いが僕の中に生まれました。