球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

一日中画面に向かう

2012-08-13 | 日常
昨日と変わらず一日じゅうTVがついていて、いろんな番組をつまみ食い。

今日はオリンピックの最終日だった。
終わり見ればすべて見た、になる訳はないが、これまで1分たりとも見たことがなかった
レスリングの基本的なルールが分かるくらいまでにはずっと垂れ流されていたものを
とりあえず見ていてとりあえず楽しめるようになっていた。

困難な状況をどうやって打開しようかと苦しんでいる光景などに
勝手に感情移入するのは面白い。"困難な状況をどうやって打開しようかと苦しむ"ことは
リーマンやってようがスポーツ選手やっていようが普遍的なことなんだろうな、と思う。
それがねじ曲がっていき、やがて"世界一を狙うこと"みたいな考えとか
妙に高尚なことが浮かんできたりする。



ある番組で、敗者に着目したコーナーがやっていた。
コンセプトは、"あえて敗者にも光を当てた"くらいのものだったかな。
着目と言っても、インタビューしてその結果に角の立たない考察を加えるくらいのものだけど。

勝てば官軍の扱いのマスコミにおいて、"これでいいのか?"と思うことはあるため
こういった試みはとても良いことのようにも思われたんだけど…
最終的には、ケースを羅列しただけの投げっぱなしで終わっていたのが
番組コーナー的にはとても残念だった。

これがオリンピックですとだけ言い残した人がいて、
とにかくメダルが欲しかったと言っていた人がいて、
やるべきことはやったから今回は何を改善しようみたいな言葉が全く出てこないと言った人がいて、
間違ったことはしていないし、焦りも、後悔もしていないが結果はついてこなかったと言った人がいて、
 (この選手は24歳、僕が昨日たまたま書いた"焦り"について言及していて
  それを当然のようにクリアしていると自己認識を持っていたことには感心した)
(怪我のため)ロンドンでのインタビューさえ受けられなかった人がいたというところで終わった。

勝てばいつまでも語り継がれ、勝てなければ全くと言ってよいほど語り継がれない。
理由はここでは良いとして、ともかく、このことは今後も変わらない。
体操選手のように、過去の記録に対してリベンジできればエピソードが美談となってCMにだってなる。
元なでしこだったかの人が"勝たないと女子サッカーが国内で繁栄することはないんだ、と思った"
というのは本質を突いた言葉と思った。皆、先に光があることが分かっていることをやりたいから。

この事実はパイオニア精神を持った人を助けない。というか、パイオニア精神にとぼしい人を助ける。
産みの苦しみを和らげることはできない、ということをスポーツの視点で述べているようだった。
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