球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

武満徹の"ワルツ"のシチュエーションについて考える。

2010-07-12 | たぶん難解な話
先日の記事の続き。
今日はN今日アワーにて首記の音楽を鑑賞した。
全く予備知識がない人に聴いてもらった感想は
"決してハッピーエンドになってなさそう"というものだった。

…結果として正しい感想になった。何故そう聴こえるのか?
また、元文(安部公房"他人の顔")のテキストからどこまでの情報を得ることができるのか?
ひょっとしたきっかけで文章化したくなったので、
我々はどのような精神でこの"ワルツ"を弾き踊るべきなのか、
以下3視点でそのガイドラインをここに提示したいと思う。しぜん元文由来の分析のため、
小説を読んだ人を向けに書くことになる。
※ネットで下調べしたものの、まだこのことをWeb上で文書化した人はいないようだ。

①男性視点
②女性視点
③総括



①男性視点
 男性視点で見た場合、
  ・(妻を騙した)してやったり感…ねじまがった劣等感の末路
  ・(妻を騙している)背徳感
  ・妻の生き生きした顔に出会える単純な喜び
  ・"自分"という枠を超えてあっさり一人歩きを始めた仮面に対する嫉妬
  ・妻があっさりと騙されてしまった(と思い込んでいる)深い失望 
 など、多くの感情が絡み合うのでシンプルに提示することが難しい。
 当初は文章形式で書こうと思ったものの、項目が多いため文章にまとまりがなくなって
 思わず箇条書きにしてしまったくらいだ。
 
 最も重要なことは、仮面をかぶっていない自分が仮面をかぶっている自分に対し
 耐え難いほどの強烈な嫉妬心を抱いていること。壁をすり抜けるようにして
 妻との姦通を簡単に成し遂げてしまった仮面つきの"自分"を持て余しており、
 矛盾に満ちた心情。妻の不貞という現象に転嫁してこの矛盾の苦しみから
 自分を守ろうとしているようでもある。
 
②女性視点
 女性視点で見た場合に重要なことは、夫がありったけの勇気を絞って(いささか変なやり方で)
 デートを申し込みに来ているという視点を持っていること。
 そしてそれを受け入れ、夢の中に踏み込むような陶酔と背徳感と幸せを感じていること。

・本文中の記述(仮面をかぶった夫からデートに誘われた際の心象)
 "あなたのしていることが、すこし照れ臭がっているようだけど、とても繊細で、
 やさしい、ダンスの申し込みのように思われたのでした。"
 (安部公房全集 18巻 p484より引用)

・(結果的に勘違いであることが判明する)妻の幻想、夫の雄弁たる沈黙
 僕はこの仮面をつけることで、君との関係に変化を与えてみたいと思うんだ。
 顔中に広がる蛭の巣(ケロイド瘢痕)が治癒しないのなら、せめて借り物の顔で、
 そうだな… さしずめ仮面舞踏会さながら、これまでの世間を離れた
 ぞくぞくするような虚偽の快楽を二人で楽しもうじゃないか。
 君も普段の僕の前では決して見せない、それこそ仮面のような化粧をして来て欲しい。
 これで条件は一緒だろう?


③総括
 夢は滅びの翼…なんて言うのはあまりに残酷な言い方だけれど
 夫の自我の崩壊と妻の無邪気な喜びが織り成す緊迫した人間関係の滅亡を、
 僕はこのワルツに認めたいと思う。
 各々が仮面をかぶって、普段の自分と異なった自分を意識的に演じることで
 観客の気持ちを妙にざわつかせる面白い演奏になってくれたらいいのだけど。 

コメント
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