monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

徳富蘆花「自然と人生」より「迎火」

2015年08月13日 | 読書日記

迎火

 今日は八月十三日、此邊(このあたり)は陽暦より一月おくれに年中行事をすれば、今日は盆の初なり。
 日落ちて、夕風夕潮と共に生じ、川口に泊れる和船の檣(ほばしら)の邊(ほと)りに八日の月銀の如き缺璧(かたわれのたま)を掛けぬ。
 吾宿の老婆一束(いっそく)の藁を川邊に持ち出で、中に杉葉を入れ、まつちを摺りて火を點しぬれば、藁は炎々として燃へ立ちぬ。老婆鉢に入れし水を、手もてふり澆(そそ)ぎ、茄子の賽(さい)の目に切りたるを火に投げかけ、合掌して
「お爺さんも、孫も、此火にのつて御出なさい………さあさあ家(うち)に御はいりなさい」
 と云へば、二年前(ぜん)に母を喪(うしな)ひ父を失へる五歳の童(わらべ)も、小さき掌(て)を合はして火を拜みぬ。
 川邊には、其處此處に火燃ふ。其一つに行きて見れば、八十餘の老婆線香をとり、熟々(つくづくと)と燃ふる火を眺めてありき。此老婆は昨年老夫(をつと)を喪へる者なり。
 各處の火はとろとろと燃へて、やがて灰となりぬ。夕潮石垣を拍ちてたふたふ聲あり。言(ものい)はねども月も空より此世を眺め貌(がほ)なり。
 死者知るなき乎(か)。夕風の「否(いな)」と囁やく聲を聞かず耶(や)。

※「日本現代文学全集5 徳富蘆花集」(講談社)の「自然と人生」より「迎火」を抜き書きしました。