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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 五月

2013年05月10日 | 日本古典文学-夏

 五月はかり草のしけきなかに山吹のさきたりしを
我宿は八重むくらかと見しほとにやへ山吹の花そにほへる
(赤染衛門集~群書類従15)

五月はかりものへまかりけるみちに、いとしろく口なしの花のさけりけるを、これはなにのはなそと、人にとひ侍けれと申さりけれは 小弁
うちわたす遠かた人にことゝへはこたへぬからにしるき花かな
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

時鳥歌とて読侍けるに 祝部成茂
今ははやかたらひつくせ郭公なかなく比の五月きぬなり
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

はつこゑはおしみしものを郭公なきふるしてし五月きに鳧
(寂身法師集~続群書類従16上)

五月山卯の花月夜霍公鳥聞けども飽かずまた鳴かぬかも
(万葉集~バージニア大学HPより)

五月山花橘に霍公鳥隠らふ時に逢へる君かも
(万葉集~バージニア大学HPより)

為贈京家願真珠歌一首
珠洲の海人の 沖つ御神に い渡りて 潜き取るといふ 鰒玉 五百箇もがも はしきよし 妻の命の 衣手の 別れし時よ ぬばたまの 夜床片さり 朝寝髪 掻きも梳らず 出でて来し 月日数みつつ 嘆くらむ 心なぐさに 霍公鳥 来鳴く五月の あやめぐさ 花橘に 貫き交へ かづらにせよと 包みて遣らむ
白玉を包みて遣らばあやめぐさ花橘にあへも貫くがね
 右五月十四日大伴宿祢家持依興作
(万葉集~バージニア大学HPより)

題しらす つらゆき
郭公声聞しよりあやめ草かさす五月としりにし物を
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

名もしるき山ほとときすいつのまに里なれそむる五月きぬらん
(建長八年九月十三日・百首歌合~日文研HPより)

五首歌人々によませ侍ける時、夏歌とてよみ侍ける 摂政太政大臣
うちしめりあやめそかほる郭公なくやさ月の雨の夕くれ
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

五月雨降る夕暮に
足曳の山郭公われならば今なきぬべき心地こそすれ
(和泉式部続集~岩波文庫)

五月の御精進のほど職におはしますに、塗籠の前、二間なる所を、殊にしつらひしたれば、例ざまならぬもをかし。朔日より雨がちにて曇りくらす。「つれづれなるを、杜鵑の聲たづねありかばや」といふを聞きて、われもわれもと出でたつ。(略)そこへとて、五日のあした、宮づかさ車の事いひて、北の陣より、「五月雨はとがめなきものぞ」とて、さしよせて四人ばかりぞ乘りて行く。うらやましがりて、「今一つして同じくば」などいへば、「いな」と仰せらるれば、聞きも入れず、なさけなきさまにて行くに、馬場といふ所にて人多くさわぐ。「何事するぞ」と問へば、「手結にて眞弓射るなり。しばし御覽じておはしませ」とて車止めたり。「右近の中將みな著き給へる」といへど、さる人も見えず。六位などの立ちさまよへば、「ゆかしからぬことぞ、はやく過ぎよ」とて行きもて行けば、道も祭のころ思ひ出でられてをかし。かういふ所には、明順朝臣の家あり。そこもやがて見んといひて車よせておりぬ。田舎だち事そぎて、馬の繪書きたる障子、網代屏風、三稜草簾など、殊更に昔の事を寫し出でたり。屋のさまもはかなだちて、端近くあさはかなれど、をかしきに、げにぞかしがましと思ふばかりに鳴きあひたる杜鵑の聲を、くちをしう御前に聞しめさず、さばかり慕ひつる人々にもなど思ふ。
(枕草子~バージニア大学HPより)

五月ばかり、山里にありく、いみじくをかし。澤水も實にただいと青く見えわたるに、うへはつれなく草生ひ茂りたるを、ながながとただざまに行けば、下はえならざりける水の、深うはあらねど、人の歩むにつけて、とばしりあげたるいとをかし。左右にある垣の枝などのかかりて、車のやかたに入るも、急ぎてとらへて折らんと思ふに、ふとはづれて過ぎぬるも口惜し。蓬の車に押しひしがれたるが、輪のまひたちたるに、近うかがへたる香もいとをかし。
(枕草子~バージニア大学HPより)

五月の長雨のころ、上の御局の小戸の簾に、斉信(ただのぶ)の中将の寄りゐ給へりし香は、まことにをかしうもありしかな。その物の香ともおぼえず、おほかた雨にもしめりて、えんなるけしきの、めづらしげなきことなれど、いかでかいはではあらん。またの日まで、御簾にしみかへりたりしを、わかき人などの世にしらず思へる、ことわりなりや。
(枕草子~岩波文庫)

かくてかものま つりなどもすぎてさ月になりぬ。大みやつちみかどどのにおはしませば。とのなにわざをして御らんぜさせんと覚しめして。このとのゝ御まやのまくさのたねとのゝきたせかゐんと云ところにぞうへける。このごろうふべかりければ。みまやのつかさめしてこのたうへん日はれいの有さまながらつくろひたることなくて。おこがましういかにもありのままにて。このみなみのかたのむまはみどよりあゆみつゞかせてらちのうちよりとをして。きたさまにわたせうしとらのはうのついぢをくづして。それより御らんじやるべきなり。ひんがしの對にてなん御らんずべきとおほせごとうけ給て。いま二三日のほどなにわざをと思。その日になりて。かのすみのついゝぢくづさせ給。ひんがしのたいにみやとのゝうへわたらせ給。女ばうたち候かぎりはまいるわかうきたなげなき女ども。五六十人ばかりもころもといふ物いとしろうきせて。しろきかさどもきせてはくろめくろらかに。へにあかうけさうせさせてつゞけたてたり。だうあるじといふおきないとあやしききぬき。やれたるひがさゝしてひもときてあしだはきたり。あやしきさましたるをんなどもくろかいねりきせて。はうにといふものぬりつけてかづらせさせて。かさゝさせてあしだはかせたり。又うむかくといひてあやしきやうなるつゞみ。こしにゆひつけてふえふきさゝらといふものつき。さま++のまひあやしのおとこどもうたうたひゑひて心よくほこりて。十人ばかりありそが中にこのたつゞみといふものは。れいのにもにぬ心ちしてごぼ++とぞならしいくめる。(略) 
ありつるがくのものどもみちのほどつゝましげに思へりつる。かしこにてはわがまゝにのゝしりあそびたるさまどもいみしうおかし。おりしもあめすこしふりてたごのたもとどもゝしほとけゞなり。いつのほどにかきあつまりけん。世人かずしらすなみたちて見るかほどもさへぞおかしう御らんじける。このた人$どものうたふうたをきこしめせは 
 さみだれにもすそぬらしてうふるたをきみがちとせのみまくさにせん 
 うふるよりかすもしられず大ぞらにくらにぞつまんみまくさのいね 
とぞうたふうたさへつくりいでたりけるみまやのつかさの心ばへをとのばらいみじうけうぜさせ給 
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

 五月の空もくもらはしく、田子のもすそも、ほしわぶらむことわりと見え、さらぬだに物むつかしき頃しも、心のどかなる里居(さとゐ)に、常よりも、むかし今の事おもひつゞけられて物あはれなれば、はしを見出してみれば、雲のたたずまひ空のけしき、思ひしり顔に、むら雲がちなるを見るにも、雲井の空といひけんひとも、ことわりと見えて、かきくらさるるここちぞする。のきのあやめの雫にことならず。山ほとゝぎすも諸ともにねをうちかたらひて、はかなく明くる夏の夜な夜なすぎもて、いそのかみふりにしむかしの事を思ひいでられて泪とどまらず。
(讃岐典侍日記~岩波文庫)

五月、最勝の御八講に、上の御局におはします。菖蒲を皆打ちて、やがて菖蒲の唐衣、薬玉などつけて、長き根をやがて御前の御簾の前の遣水に浸して出でゐたるもをかし。麗景殿もをりをりの装束をかしう、細殿にて琴、琵琶弾き合せて、殿上人などもの誦じなどして遊ぶ。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

かくて枇杷殿の御八講は、請僧には山の座主、心誉僧都、講師十人がうちにいりたり、僧綱八人、凡僧二人あり。かくて二十人の僧参れり。(略)女房、はじめの日、撫子を五つ着て、上に同じ色の薄物、織物を着て、菖蒲の唐衣、摺裳なり。寝殿の西南面より渡殿、西の対の東面、南とに皆ゐたり。御簾よりはじめ、御几帳菖蒲の末濃にて、みな絵どもかかせたまへり。上達部は寝殿の南の廂におはします。(略)
かくて五巻の日になりて、皆紅の打ちたるを着て、上に二藍の織物、薄物どもに、菖蒲の裳、撫子の唐衣どもなれば、朝日にあたりて耀きわたれり。所どころの御捧物持て集まれり。いみじういつしかとゆかしきに、殿ばら参りこみたまひて、未の時ばかりにぞ始まりて、捧物めぐる。中務宮参らせたま (略)
 果の日は垣根の卯の花を、女房折れり。裳は薄色、表着は菖蒲をぞ着たる。それまたいとをかし。五巻の日は中務宮、なほ人より異なりし御けはひを、東の対の女房たち、わびしう恥づかしげに思ひきこえたりけり。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

五月六日、御幸延びて、六條殿へ十三日御幸なる。御(おん)留守も、いつしか人なくさびて、雨しめやかなる夕暮に、まつむき殿の御簾卷きあげて、御覽じ出されたり。御前に大納言殿ばかりさぶらひ給ふ。簀子に立ち出でて見れば、池には、分くべきひまもなく繁りたる蘆間に見ゆる舟の、ありかさだめず浮きたる樣もはかなきに、さはり多く見ゆれば、
はかなくて蘆間に見ゆるうき舟のよるべさだめず物ぞかなしき
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

 月朧にさし出でて、若やかなる公達、今樣歌うたふも、船に乘りおほせたるを、若うをかしく聞ゆるに、大藏卿の、おふなおふなまじりて、さすがに、聲うち添へんもつゝましきにや。しのびやかにて居たる、後でのをかしう見ゆれば、御簾の内の人も、みそかに笑ふ。舟のうちにや老いをばかこつらんといひたるを、聞きつけ給へるにや。太夫、「徐福文成誑誕多し」と、うち誦し給ふ聲も樣も、こよなう今めかしく見ゆ。池のうき草とうたひて、笛など吹き合せたる、曉方の風のけはひさへぞ心ことなる。はかない事も、所がら折がらなりけり。
(紫式部日記~バージニア大学HPより)

おりからさみだれのころは。なをいほのうちしめやかに。むぐらのみたのもしげに門をとぢたるも。かゝるすまゐには心にかなひたるなど。ひとりふたりあるわらはなどにいひきかすれど。きゝもいれず。そこのかきのとにしられざりけるさゆりのはな葉がくれにみゆ。なでしこもさきたるなど。はしりいでゝぬれぬれおりまどふ。またひとりのわらは。こゝにあぢさひのものせるといふ。かゝるところにあさぢふみわけてくる人あり。いかなるにかととはせ侍れば。柳営〈東山殿〉の御もとよりとて。ふみをさしいだす。ひらきみれば。いついつ香あはせの事あるべし。(略)
(五月雨日記~群書類従19)

百首歌の中に 中務卿宗尊親王
五月雨は晴ぬとみゆる雲間より山の色こき夕くれの空
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

五月ばかり、雨も降り止(や)みて、月のさし出たるに、雨しだりの鳴るを聞きて
空見れば雨も降らぬに音ぞするただ月の漏る雫(しづく)なりけり
(和泉式部続集~岩波文庫)

五月雨は山田のくろに水こえてこなぎ摘むべきかたも知られず
(林葉和歌集)

五月の空のくせなれば、雲井の月もおぼろにて、行さきも又幽也。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

五月、あやめふく比、 早苗とる比、水鶏のたゝくなど、心ぼそからぬかは。
(徒然草~バージニア大学HPより)

ともたちの久しうまうてこさりけるもとに、よみてつかはしける みつね
水の面におふるさ月の浮草のうきことあれやねをたえてこぬ
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

堀川院の御時百首の歌奉りけるによめる 大藏卿匡房
我妹子がこやの篠屋の五月雨にいかでほすらむ夏引の糸
(詞花和歌集~日文研HPより)

さみたれのひましなけれはなつひきのてくりのいともほしそわつらふ
(正治初度百首~日文研HPより)

閏五月侍けるとし人をかたらひけるか、後五月すきてなと申けれはよめる 橘季通
なそもかく恋ちにたちてあやめ草あまりなかくも五月なるらん
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

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