monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

「樋口一葉和歌集」

2009年06月17日 | 日本古典文学-和歌

 樋口一葉の詠んだ和歌なら、古典和歌に近いのかな?と思って、「樋口一葉和歌集」(筑摩書房)を読んでみました。
 簡単にいえば、「一葉の和歌は、技法的には古典和歌に近いけど、自我の目覚めともいうべきものがあるので、やっぱり古典和歌とは別物だった」というところでしょうか。(分類するなら、近世和歌と近代和歌の間に位置する?)
 「石・心を+動かす」とか「濡衣を+脱ぐ」など、古典和歌には見られない用法があって、私としては違和感があるんですよねー。

 文筆活動を志す一葉が文体の選択に悩み、師である中島歌子に相談したところ、「文章であれ和歌であれ、大切なのは心を尽くして書くことである。表面的な文体や技法ではない。」と教えられた、という本書の解説(今井恵子)を読んで、感じ入ること頻り、でした。
 古典和歌の創作には一体どういう意味があるのか、しかも“題詠好き”なんて救いようがない? なんて自問してしまいました。

 題詠という方法では、あらかじめ作られた世界しか表現できない。ステロタイプ化した作品しか生まれない。規範を越えてしまうと評価されない。そこが古典和歌の限界で、近代短歌はそれゆえ題詠を否定したんだそうです。
 “マニエリスム”という単語も知りましたヨ。特定の伝統の型を踏襲する文学上の傾向を指す、んだそーです。6月16日のブログで書いた古典和歌の創作も、マニエリスム的ってことになるのかな?